駅
田舎ニート道を究めつつある俺は「省エネ」とは何かを追求し続け、この春決意した。「もっと田舎に移住しよう」
ネットを使うのもこれが最後と昼夜問わずに調べ続けたのは「ネットでは調べられない場所」。
そして遂に、矛盾を越えてその位置だけを割り出した。アカシックレコード・ジャパンから見過ごされそうなその田舎を。
ここは無人駅。線路以外の人工物はバス停程の量しか無い。ぼろぼろのベンチに申し訳程度のトタン屋根。
屋根を支える支柱は金属のパイプで出来ている。錆びて所々、穴があいている。大人なら蹴り折ることが可能だろう。
なんの気なしにその穴をのぞき込むと、新聞紙が詰まっている。パッと見でもフォントが昭和以前だ。日付を確認しようと俺はピースサインを穴に突っ込み、新聞を挟んで引っこ抜こうとした。
「もわり」とした感触が指先を撫でた。埃かと思った次の瞬間、ヂクリとした痛みが中指の腹を刺した。反射的に手を引っ込めた。
更なる痛みが手の甲を襲う。
錆びて溶けかかった穴の淵は、部分的にナイフのように研ぎ澄まされていた。
たらたらと、結構な勢いで血が垂れはじめた。
俺は血が苦手だ。傷を確認するのもおそろしい。
「やばいやばい……」
呟きながら、もう片方の手で傷を押さえて目をつぶり、空を仰いで呼吸を整える。近くの山で蝉が鳴いている。
首筋を、多脚のナニカが這った。
俺は二度と発音不可能な悲鳴をあげながら、自分自身の体全体を音速の勢いでスライドして、その虫から離脱しようとした。
しかし虫は光速だった。しっかり俺に張り付きながら、さらに服の中を移動して脇腹へ走った。
ここから先の数秒、俺は自分の行動を認識せずに動いたらしい。しかし耳に残る「ブキュウ」という不快な音とTシャツの裏側に残る残骸が、俺の武勇を物語っていた。
いざとなると俺もやるもんだ。
そいつはバラバラな事を差し引いても、何の虫だか分からなかった。
Tシャツの裏にこびり付いていたのは濃い黄色の汁と、「きくらげ」の様なもの多数。そして蟋蟀の翅とそっくりな繊維質の何か。
ボトリと落ちて熱せられたコンクリートの上でまだ蠢いている方は、蜂の胴体をいくつか連結したような何か。これが一匹の虫だったとは。
「蜘蛛か何か、かねえ……」
周囲500メートルは誰もいないような真昼の中で、上半身裸の俺は、自分の冷静さを呼び起こすように呟いた。
そして後悔した。遠慮がちに戻ってきた冷静さは、事態がまだ終わっていない事を気付かせてくれた。「体にもまだ何か付いている」
俺は汗の玉を吹く腹から背中から、両手でこそぎまわった。汗のやたらとヌルヌルした感触だけでなく、明らかにチクチクするものやふわふわするものが手についた。「虫」の何かだ。手を確認すると、真っ赤。怪我の事を忘れていた。
「うわぁ……」
その場にヘタリ込みたかったが、足元ではこの事態を引き起こした張本人がまだ、難産に仰け反る妊婦のようにビクビクと存在を主張している。俺は折りかけた膝に歩行のサインをなんとか与え、ベンチの方へよろめいた。
しかし、そのベンチの裏や周辺も「彼等」の棲家である可能性が高いという事に思い当たり、かといって他の場所は雑草まみれで、それこそ「彼」の親戚縁者がこぞって待ち構えていないとも限らない。
とにかく、とにかく水道を探さねば。
かくして俺は半裸で血まみれ、両手をぷらぷらさせながら駅を後にしたのだった。