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第二話 その四

[24]

 激しいぶつかり合いを予感させられる…。

 そんな威圧感を、あるいは引力の様なものを感じさせつつ始まった…黒い鬼人(おに)と、洋平の闘い。

 …だったのだが、夜の蓋を開けて路地裏の中を覗き込んで見ると…勝負は驚くほどワンパターンな様相を見せている。

 鉄骨の山に腰掛けて、鬼膜(きまく)と、優れた眼力で、この闘いの趨勢を見定める千明。

 その白銀の瞳には、二人の高速の攻防が…月明かりも相まって…所々がコマ送りの様な、映写機によって映し出されたモノクロ映画にも似た光景として見えている…。

 要するに、動き一つとっても悪くは無い…が、どうにも多彩とは言いかねる…その様な状態らしい。

 千明は揃えた膝に両手で頬杖つき、まるで観光地の望遠鏡でも覗きこむかのように、退屈そうに単調な闘いを見守っている。

 その動静は、千明は見るに…まず洋平が襲いかかる、それが常に始点。

 次に、その弾丸の様な俊足を、黒い鬼人(おに)がひらりと交わす。この時は、超高速移動を使用しない…おそらくは、使うまでも無いと言う判断だろう…。

 そしてお次はカウンターとなる一撃を、今度は、黒い鬼人(おに)の方からお見舞いする。…しかし、この時の黒い鬼人(おに)の攻撃は毎回、洋平の意外に硬い防御に阻まれてしまう。どうやら今回も、黒い鬼人(おに)の拳の一撃が、洋平の肘の辺りに防がれている模様…。

 それから数秒の間、互いの鬼鎧(きがい)を、互いの力で削り合う様な、じりじりとした我慢比べの時間が続く。

 それで焦れてくるのは決まって、洋平だった。

 洋平は苦しそうな、なめし皮を擦る様な音を喉から漏らすと…これ以上の膠着状態は御免だとばかりに、力任せに黒い鬼人(おに)を凪ぎ払らおうと…。

 だが、腕を振り回すその瞬間に、黒い鬼人(おに)の存在が、霞の様に眼の前から消えてなくなるのだ。…そう、彼お得意の超高速移動だ…。

 そうなると洋平は、力をぶつけるべき目標を失って、よろめく様に体勢を崩し…そんな無理な体配りの洋平に対して、再び、音も無く眼の前に現れた黒い鬼人(おに)が、今度こそ易々と、重い拳の一撃を正中線のど真ん中にお見舞いすると言う寸法だ。

 ガードも、踏ん張る事さえも出来ず…気持ちの良いまでに見事な一発を貰った洋平は、ピンボールの様に吹っ飛んで、剥き出しのコンクリートに激突する。…その図上では、残った衝撃が上へ上へと伝わって、建設途中の足場から不穏な金属音が返ってきた…。

 視線を下に戻す。

 すると、瓦礫を振り払いながら洋平が姿を見せる。

 「クソがっ…。」

 そう罵声を漏らす洋平の鬼鎧(きがい)の奥で…紫鳶(むらさきとび)の光が、恰も、磁石に引き寄せられた砂鉄の様に蠢く。

 …その度に…また少し、洋平の纏う鬼鎧(きがい)が強力に、そして()は大きく膨らんでいく…。

 千明が見た所、ここまでが一連の流れ…こんな事が、もう六度に渡って続いている。そして…そうなる様に仕向けているのは…無論、黒い鬼人(おに)なのだ。

 (どうして、作為的にあいつの力を増大させようとするの…。それじゃあ…益々、貴方の方が不利になるばかりじゃない…。)

 そうなのだ。まさしく現状は千明の思う通り。実はもうとっくに…否、それを言うなら最初から…黒い鬼人(おに)の力は、()の絶対量は…遥かに洋平のそれを下回っているのだ。

 それどころか、洋平の天井知らずの()は、今や千明のそれ凌ぐほどに膨らんでいる。…流石の千明の脳裏にも…一抹の不安が過る…。

 …と、そうこうしている間に、またもや、洋平が黒い鬼人(おに)へと攻撃を仕掛けた。

 近距離から、地面を蹴り崩して飛び掛かるその速さは…。確実に前よりも速い。

 そして、蹴り足の威力から考えて、膂力の面でも段違いに強くなっているに違い無い。そう、洋平は纏う()を大きくし、鬼鎧(きがい)に宿る輝きを…その流動を激しくする。その度に、より強力な鬼人(おに)へと…そう、言うなれば生まれ変わっているのだ。…それだと言うのに…。

 黒い鬼人(おに)は強化された一撃を、かわし、カウンターのお返し、そして我慢比べの後に、ずしりと腹に応える拳を突き込んでいく。

 そういう訳で、またも、洋平はほとんど一方的に叩きのめされて、コンクリートの壁へとドボンッ…。

 洋平も…当り前ではあるが…相当に悔しそうな御様子。先程までと同じように、何やら罵声を吐き出すと…また性懲りも無く、黒い鬼人(おに)への突進を開始する。

 研ぎ澄まされた爪を見せつける様に、今度こそは両手で掴みかかるのだが…駄目。黒い鬼人(おに)はさも易々と、闘牛士の様に身のこなしのみでそれをかわした。

 洋平はかすりもしない事に苛立たしげに舌を打つ。そして、次に追いかけてくるであろう、黒い鬼人(おに)の拳によるカウンターの一撃に…両腕を引っ張り戻す様に防御の型を取る。…洋平だって、そこまで馬鹿では無い…はず…。

 黒い鬼人(おに)はそんな、怒りに煮えたぎって単純化した心理を一蹴して除ける。

 「がら空きですよ。」

 そんな黒い鬼人(おに)の警告が、果たして、まともに洋平の耳に届いたかどうか…何せ、超人的な、否、平凡な鬼人のそれを上回るであろう運動量なだけに…。

 そういった訳で、洋平が黒い鬼人(おに)の行動パターンの変化に気付く事が出来たのは、その墨染の剛脚が己の脇腹に突き立てられた後だった。

 両腕で胸の辺りをかばう様な格好のまま、蹴り足の威力で洋平の身体がくの字に曲がる。そして、そのコンマ一秒後に…洋平は肉体を貫いて先行する衝撃に引っ張られ、スイスチーズの様に穴だらけに成ったコンクリートの壁へと吹き飛んでいく。…いや、そうではない。

 「おやっ…。」

 …鬼鎧(きがい)の右脚に残った僅かな違和感…。ここに着て、黒い鬼人(おに)も事態の変化に気付いた様だ。

 見れば、景気良く蹴り飛ばされたかに見えた洋平が…野球のフォークボールの様に…突拍子も無く地面へと落ちる。

 それでも相殺しきれない黒い鬼人(おに)のパワーに逆らって、洋平は四つん這いで地面にしがみつく様に、コンクリートの地面を削りながらブレーキを掛けた。…爪で引き裂かれた十本の線に、追いすがる様に火花が舞い上がる…。

 結局、洋平の鬼鎧(きがい)は、あわやコンクリートの壁へと激突という間一髪のところで、黒い鬼人(おに)のパワーを完全に殺すことに成功した。

 その様を、洋平を蹴った時の姿勢を崩さずに見ていた黒い鬼人(おに)は…、

「どうやら、さじ加減を謝ってしまったみたいですね。こんなにも早く、衝撃を受ける箇所に()を集中する術を体得するとは…。それに、()をコントロールして、鬼鎧(きがい)の重量を変化させる術も…。」

と、すっと右足を地面へ戻す。

 洋平の丸めた両手には、爪で削り取り、丸めた手の中に残ったコンクリートの塊が…。

 洋平はそれを紫鳶(むらさきとび)の指先で噛み砕く。

 「なぁに…あんたの蹴りをまともに受けたら、鬼鎧(きがい)を壊される。…そう、本能が教えてくれたまでのことだよ。」

 サソリの様な尻尾を波打たせ…のそりと野生動物の様に起き上がる、洋平。

 黒い鬼人(おに)は腕を組んで、首を傾げると、

「『死返(まかるがえ)し』という解答に辿りついた、貴方の生存本能を侮っていたとは…これは、少し焦り過ぎたかも知れませんね。」

 「そうでもないさ。今のは蹴り飛ばされた側から見ても、明らかに絶好の機会だったと思うからな。…まったく、肝が冷えたよ。」

と、洋平は鬼鎧(きがい)越しにくぐもった笑気を漏らして、

「だがな、それだけに…今ので俺にダメージを与えられなかったのは大きいだろうなぁ。」

 そう言って、洋平は蹴られた左の脇腹を撫でた。…確かに、そこには亀裂の一本どころか、結晶の潰れた濁りの跡すら見当たらない…。

 洋平が続けて語り掛ける。

 「俺はあんたに飽きるほど殴られてはいるが…少しのダメージも貰っちゃいないんだからな…。」

 洋平が誇示するかのようにさらけ出した鬼鎧(きがい)。その表面を舐める様に、月明かりが照らす。

 一瞬、深みを増した紫鳶(むらさきとび)の色を沈めて…なるほど、破損が無いのは脇腹だけでは無かったようだ…。

 しかし…それでは、黒い鬼人(おに)のここまで攻撃は、全て徒労に終わったと言う事だろうか。

 五割以上の確率で…いや、十割の確率で黒い鬼人(おに)が勝利するのだと…何の支障も無く、彼の思うがままに、洋平が『後悔』の念に苛まれて惨めに死んでいくと…千明は心のどこかで高をくくっていた。

 そんな千明の首筋にも、薄らと冷や汗が滲みだす。

 洋平が自慢の尾を掴んで、その切っ先を黒い鬼人(おに)へと向ける。

 「長々とウォーミングアップに付き合って貰って悪かったな。これでようやく、こっちの本領を発揮できそうだ。」

と、先端に付いたアームが、手招きする様に開いては閉じる。

 黒い鬼人(おに)は組んだ腕を解いた。そして傾けていた首を振り回してストレッチ…地面と平衡な真っ平らな目線で洋平を眺める。

 「それはそれは…肩慣らしの相手が済んだのなら、今度の僕の役は実験台というところでしょうか…。まぁ、こちらの旗色が悪いのは始めから解っていた事ですからね。モルモットは、モルモットらしく、せいぜいすばしっこい所を見せて、貴方のさらなるスキルアップに貢献するとしましょうかね。」

 …黒い鬼人(おに)が劣勢であることは、()の絶対量に差が有ることからも間違い無い。そんな状況でこの発言は…いつもの冗談にしても、自分の生き死に話の種にするのはいささか行き過ぎているのではあるまいか。

 それとも、あれか…冗談などでは無く、本気でそう思っているのだろうか…。

 もしそうならば…それが諦観にしろ、自信が言わせたことにしろ…明らかに、その平静さは常軌を逸している。

 「どうしました。攻め込むのが怖いのなら、もう一度、鬼姫さまに発破を掛けて頂きましょうか。」

 黒い鬼人(おに)の、まるで洋平が攻めあぐねているかの様な言い草。洋平にはそれだけで十分である。

 合図を待つまでも無く。洋平は更に、更に…強くなった鬼鎧(きがい)で、黒い鬼人(おに)へと押し寄せる。

 その渾身のタックルに…黒い鬼人(おに)もスタンスを下げて、洋平の横っ面にフックを一閃。

 洋平の突進力は、横殴りの一発で火の消えた様に御破算になる…。

 「忘れてた。あんたらにはそれが有ったんだったよな。」

 洋平はゲームを楽しむ様な笑い声とともに、後方に飛び退く。

 黒い鬼人(おに)は背筋を伸ばしながら、

「まっ、土台、()の絶対量に開きがあり過ぎますからね。硬直させられるのは一瞬が精一杯でしょう。」

と、ぴんぴんしている洋平と、柔軟性を失わない彼の尾を値踏みする。

 洋平はその機に乗じて、大きく深呼吸…鬼鎧(きがい)の隅々にまで意識を流し込む様に、練り込む様に…内に宿る()を活性化させ始めた。

 脈打ち、耀きを強めた紫鳶(むらさきとび)。洋平は自らの内心に、より強固に抱かれていることを実感しながら、

「器用な鬼人(やつ)らは、鬼鎧(きがい)が触れあった途端に、自分の()を相手の鬼鎧の中へ送り込めるんだったな。俺の身体の新しい同居人にと、『入居のテスト』したとき…そういうからくりだって事に気付いたのを忘れてたわ。」

 …新しい同居人…織田健の事を言っているのに違いない。鉄骨の端に指を掛けていた千明の手が、建材の強度を無視する様に、ぐいぐいと潜り込んでいく。

 黒い鬼人(おに)が目聡く、そのありさまを見つけて、

「まったく、デリカシーがないなぁ。見て下さいをあの脹れっ面を…貴方の言っているその『新しい同居人』とやらは、彼女と懇意にしていた方なんですよ。それをそんな汚らわしい言い方されたら…それは、彼女だって怒るに決まっていますって。ほら、言うでしょ。外面似菩薩内心鬼夜叉(げめんじぼさつないしんきやしゃ)って…あれ、何か違った様な…。」

と、そつなく、むらなく、性格の悪さを如何なく発揮して茶化す。…まだまだ、余裕が有る様で何よりだが…その、外面似菩薩内心何とやらってのは、確実に使いどころを謝っているよな。…いや、わざと取り違えているのは解っておりますけどね…。

 洋平も尖った爪で、眉間を掻き書き、

「何言ってんのかよく解らないが…要するにあれだ。自分の制御能力の高さを、『こいつ』のなんかと同じにされたら不愉快だってことだろ。」

と、『同居人』の収まっている腹を、ドアにする様にノックした。

 「また、そういう波風の立ちそうな事を…情緒が多少は安定してきたかなと思ったら、代わりに詮索屋の顔が大きくなる…それも、『彼女』の影響なんでしょうね。」

 黒い鬼人(おに)がこめかみを擦りながら、皮肉な嘆きを漏らす。…それにしてもこの二人、全身に隈なく鎧を纏っているわりには、嫌に人間臭い、皮膚に直接触れる様な動作が目立つ。鬼鎧(きがい)を纏う感覚とは、どの様なものなのだろうか…。

 洋平が可笑しそうに、閉じたフェイスマスクの接合部から、笑い声を零す。

 「加奈子とは付き合い始めた時から、『自分を見失いがち』だとか周りには言われてたな、実際。まぁ、俺がまだ人間だった頃には、今の百万分の一の度胸も無い男だったからなぁ。周りに言われて、『そうなのか』と思う反面…こっちばっかり恋人の色に染まってるみたいで、ちょっとは不公平な気分になったり、思いっきり詰まらなそうな態度をとったりもしていた覚えが有るよ。考えてみたら、本当、ガキだったわ。だけど、まぁ…あんたのお墨付きを貰ったとなると、言い逃れは出来ないよな。」

 洋平が今度は、愛おしそうに下っ腹の辺りを(さす)りながら、

「俺の負けだってさ。」

と、聞く者の耳の底にいつまでも残りそうな…そんな、酷く優しげな声で語り掛けた…。

 その光景を、黒い鬼人(おに)も、千明も…何一つ言葉を挟むことが出来ずに、見届けるより他になかった。

 洋平が熱に浮かされた様に、さらに一笑。腹部から手を除ける。

「それでどうするよ。見ての通り俺は()を入れ直した。これでもう、どれだけあんたの()をこちらに送り込もうと、何の足止めにもならないはずだろ。」

 黒い鬼人(おに)は改めて、強い輝きを放ち続ける洋平の鬼鎧(きがい)へ眼を向けて、

「それにしても、鬼人(おに)としての実戦経験が乏しい中で、よく思い付きましたよね。と言うよりは、他にも選択肢が有りそうな所を、迷わず力技を使う事を選ぶ辺りの…何かしら執念染みた部分を感じますねぇ。ですが、その方法なら確実に『虚抜(うろぬ)き』の反動をかき消すことが出来るでしょうね。まったく、よくもまぁそんな…相手をするのが七面倒臭くなるような、あからさまな実力行使に訴えてくれました。僕としても有り難くて、有り難くて…何だかもう、眠くなってきました。」

 「文句だったら、頼むからこっちに言ってくれ。」

と、洋平はまた自分の下っ腹を示して、

「このプランは、俺じゃなくて、こいつの発案なんだからよ。あんた、いろんな所で恨まれるようなことしてるんだな。」

 「なるほど…そういうことでしたか。彼が貴方の経験不足を補っている…結果として、()の総量が莫大な貴方の肉体を借りて、彼の作戦が結実した訳だ…ある意味では、『健さん』も本望だったのかも…。」

 いきなりズンッと、鈍い音と、地を揺らす様な衝撃が走る。…千明が鉄鋼を、力任せに踏みつけたらしい。…踏み締められた鉄骨がへしゃげて、両端が地面から反り上がっている…。

 黒い鬼人(おに)は思い出したかのように、その場を取り繕って、

「あぁ、どうぞ御心配無く。どうあろうと彼には、必ず『後悔』してもらいますから。それにしても…この分だと、恨みを売って歩いていると言われても、否定できそうにないな…。」

と、乾いた息を吐いた。

 洋平は、千明の馬鹿力で月夜に舞い上がった綿埃の合間に、スッと手の甲で線を引く。

 「あんたは不思議な男だな。俺はあんたのことを何も知っちゃいないし、あんただって今の俺が何考えて生きてるかなんて解って無いはずだろ…なのにな…あんたとこうして話したり、殴り合ったりしてると、あんたが何者だったのか解らなくなる。他人だったのか、敵だったのか、それとも親友とか、兄弟とか…俺とあんたは少しも似てないのにな。これも、鬼鎧(きがい)の触れ合いがそうさせるのかな…。」

「『後悔』しているんですか、二人の人間を食べたことを…。」

 「どうかな…。」

 黒い鬼人(おに)の問いに、洋平は視界の下方に沈澱していく綿埃を目で追いながら、

「自分がやった事が、人間失格な行いってことは解ってたよ。それでも、正直に言って抵抗はなかった…加奈子を手に掛けたその時にも、罪悪感はなかった。俺にははっきりと、これは俺が生きる為に必要な事だと解っていたからな。」

 「それは、彼女と『復縁』した今も変わらないと…。」

 洋平は黒い鬼人(おに)に目を移して、

「あぁ、『後悔』は無い。あんたらは…特に鬼姫さんは、俺が加奈子や、あんたの知り合いを殺して食べたことを悔い改めさせたい。それから、俺をぶっ殺したいとそういう訳なんだろ。」

 「鬼姫さまはそうかも知れませんね。ですが、僕はそれほど『後悔』の念にはこだわりませんよ。」

「んっ、じゃあ、あんたの『影』の中に居る女。その娘が俺の『後悔』を欲しがってるのかな。」

 洋平の気心の知れた友人に向けられるような馴れ馴れしさ…。黒い鬼人(おに)は腹の底でしこりと成った不快感に耐える様に、低く呟く。

 「そうか、さっきの蹴りの時ですね…。あの瞬間、我知らず感情をぶつけていた…そうでしたね、貴方は『塊堂(かいどう)』に縁のある人物を取り込んでいたのでした。僕とした事が、その事を失念するとは…『うちの姫』から預かった『気持ち』をこんな風にぞんざいに扱ってしまって…まいったな、彼女どう言い訳したものか。」

 洋平は途方に暮れた様な黒い鬼人(おに)を真似してか、なだらかな後頭部を撫でて、

「なんか、強い、強いと思っていたあんたにそういう態度とられると…どうして俺があんたの事を、俺と近しいなんて思ったのか…その理由が解った様な気がするな。お互い、人間止めても女に頭が上がらないとか…泣けてくるよな。それで、あんたは…なんでその『彼女』を食べないんだ。」

 そう聞かれて、黒い鬼人(おに)が事も無く、

「なんでって、それは…。」

と、応えようとするのを、千明が高らかと挙手して、

「はい、はい、私、すごく暇です。いい加減に、殺し合って下さい。」

 会話を中断された黒い鬼人(おに)と洋平は、そんな千明の端正な無表情を覗き見る。

 「物騒なこと言う女だなぁ…間違っても俺、あの手の女には惚れない…。」

と、洋平。

 「まぁまぁ、あれでも鬼姫さまなりに、出来る限り愛嬌を出した積りでしょうから…。」

と、黒い鬼人(おに)

 そうこう言いながらも二人は、二人して…千明の言う事にも一理あると感じていたようだ。

 洋平が小さく頷く様に、短い息を吐き出す。

 「でもまぁ…確かに、腹の探り合いはもう、十分かもな。」

 それに、黒い鬼人(おに)も落着いた声で、

「そうですね、言葉だけの馴れ合いはこの辺で仕舞いにして置きましょうか。」

 「じゃあ、またさっきの続きを始めるとするか…。」

 そういって、両腕を伸ばしてストレッチをする洋平に対して…またもや生徒の千明君が挙手して、

「はいっ、さっきみたいなワンパターンにはもう飽きたので、もっと面白いものがみたいです。ていうか、そこのあんたには、健さんから盗んだ『虚抜(うろぬ)き』への対策があるんでしょ。それ活用して、今度こそあんた主導権を握ってみなさいよ。はっきり言って、ここまでの結果ならそっちの黒いのの判定勝ちは間違いないわよ。」

 洋平は気に入らなさそうに、尻尾を振りながら、

「何だよ、急に口を挟みだして…あんたの相手はこいつの次にしてやるから、それまで黙って見ててくれよ。」

 対して、千明は澄ました表情で、

「やーよっ、私が合図しないと貴方たちまじめに闘わないみたいだから、どんどん口出しさせて貰う事にするわ。だいたいさっきから聞いてれば、野郎二人でぐちゃぐちゃと話しっぱなしでさぁ…気色悪いったらありゃしない。あんた達には根本的に、これからどちらかが死ぬっていう認識が欠けてんのっ。まっ、あんたに関して言えば、例えその黒いのを倒す事が出来たとしても…私に殺されるんだから、どっちみち死ぬのには変わりないけどね。…詰まりは、それが全ての答えよ。ほら、解ったなら、続きを始めなさい。」

 千明の『お前は私よりも格下なんだと』と言い含める様な物言いに、洋平は舌打ちをした。

 黒い鬼人(おに)は二人のやり取りに苦笑を漏らす。

 「さぁさぁ、あの癖の悪い脚に尻を蹴りあげられる前に始めましょうね。貴方だって、あくまで鬼姫さまの判定とは言え、負けているなどと言わせておくのは面白くないでしょうに。僕の方ならいつでも、貴方に挽回のチャンスをお譲りする準備は出来ていますから。はりきっていきましょう。」

 …洋平が今度は、黒い鬼人(おに)へ向けて聞こえよがしに舌打ちをする。

 「それでまた、さっきみたいなパターンで俺を罠に嵌めようって魂胆か…『虚抜(うろぬ)き』とやらへの対策はされても、俺の方から隙だらけの姿を晒したなら、あんたの優位は動かないってことだろ。…悪いけど、その手には乗らないからな。」

と、黒い鬼人(おに)にとっても意外な警戒感を露わにした、洋平。

 黒い鬼人(おに)はその紫鳶(むらさきとび)の瞳の奥の気性の激しさに…次に、口出ししてどこか気分の良さそうな千明の傍観者面を見比べる。

 「たくっ…余計な知識を与えてくれちゃって…まさか、自分のとき仕返しの積りじゃないでしょうね…。何にせよ、まぁ、仕方ない…。」

と、黒い鬼人(おに)は口の中でぼそぼそと呟いてから…一転して、

「御心配無く。僕だってこれ以上、鬼姫さまからのクレームを頂戴するのは恐ろしい。ですから、趣向を返させてもらいます。」

と、朗らかな声を発した。

 洋平は胡散臭そうに、

「あっ、なんだ、趣向…どういう意味だ…。」

 そう洋平が言い掛けるや…唐突に、黒い鬼人(おに)シルエットが蜃気楼の様に揺れる…。

 (速い…。)

と、千明は今この瞬間に瞳に焼き付いた残像を追う様に、驚いきに身を乗り出した。

 洋平に至っては…いきなり薄墨を大量に引っ被った様な感覚…そのイメージの後にも先にも、黒い鬼人(おに)が何をしたのか、感知能力が付いて行かなかったようだ。

 黒い鬼人(おに)が、仰向けに引き倒された自分の上で、馬乗りになっているのに気付いた時に…始めて、黒い鬼人(おに)の超高速移動によって、自分が手玉に取られたことに気付いたらしい。

 洋平は首筋を舐める焔の様な羞恥と、腹の底から止めどなく登ってくる憤怒に任せて、もがき、抗うべく、拳を黒い鬼人(おに)へ…が、先に己の顔面へと突き刺さった黒い拳によって、洋平の腕は力と目標を失って逸れた。

 「ほらほら、折角の『虚抜(うろぬ)き』対策が御留守に成っていますよ。戸締りをどうにかしないと、大変な事に成りますからね。…同居人さん方ともどもに…。」

 そう一応の警告を済ませるや否や、マウントポジションの黒い鬼人(おに)がやたらめったら、洋平の顔面を殴りつけ始めた。

 黒い鬼人(おに)が右の拳骨をお見舞いするとなれば、洋平の視界はグイッと右に傾き…左の拳固に者を言わせれば、洋平の鬼鎧(きがい)の首が、左側に曲げられる目一杯の所でようやく止まる。

 これでは、『虚抜(うろぬ)き』など関係無く、抵抗の仕様も無さそうだ。

 洋平はそれでも、首が左右に振れる度に、懲りずに正面を見据えて反撃の意思を示そうと…だが、口から出るのは意味を持った言葉では無く、無理に肺から吐き出される空気の音のみ…。

 洋平はそんな手足の自由を奪われた状態で…唯一、『虚抜(うろぬ)き』の影響が弱い尾の先端部分に意識を集中し、黒い鬼人(おに)鬼鎧(きがい)の後頭部目掛けて打ち下ろす…。

 しかし、その洋平の奇襲には距離を置いて目を見張っている千明にすら解ったのだ…黒い鬼人(おに)の堅牢な感覚が取りこぼすはずも無い。

 「…お痛はいけませんね。」

 黒い鬼人(おに)の低く威圧する様な、そしてどこか子供を窘める様な声。

 …洋平の尾の先端の毒針は、後数センチという所で黒い鬼人(おに)の後頭部近くで停止している。

 それというのも、黒い鬼人(おに)が地に付いた膝で、洋平の尾をガッチリと抑え込んでいるからに他ならない。…そう、ただそれだけのこと。洋平が完全に黒い鬼人(おに)の手玉に取られていたと言う、それだけの…。

 ただし、当の洋平にしてみれば相当にショックな出来事であったのだろう。

 鬼鎧(きがい)に宿る紫鳶(むらさきとび)は色褪せ、指先から力が抜け、あくびをするのかの様に握り締められていた(てのひら)が開いて行く。…おそらく、鬼鎧内部の洋平の顔も、蒼白と成っていよう…。

 そんな()と、気の両方の抜け出した洋平に…黒い鬼人(おに)は覆いかぶさる様に顔を近づけた。

 その距離を保ったままで、黒い鬼人(おに)が洋平の頭部を両手で鷲掴みにする。

 「悪い子にはお仕置きしなくてはいけませんね。」

 黒い鬼人(おに)はそのどす黒い言葉を流し込むかのように、洋平の鬼鎧(きがい)の頭部に…黒く、爪を持たない指先をめり込ませていく…。

 その刹那、惚けた様に天を仰いでいた洋平の瞳に写ったものは…洋平の紫鳶(むらさきとび)の瞳を漆黒に染め上げてもなお飽き足らぬ闇…。

 「ひっ…ひぃ…。」

 本人にどれほどの自覚が有ったかは定かではない。だが、洋平は紛れも無く悲鳴が漏れだすことを許してしまったのだ。

 黒い鬼人(おに)はその洋平の反応に、丁重に両手を離すと、

「なんてね。」

と、普段のお調子者っぷりと、どこか嬉しげな声が…場違いに、路地裏に木霊す。…千明すら、息を飲んでいると言うのに…この黒い鬼人(おに)を測り知ることは、まだまだ出来そうにない…。

 さて、千明はそのまま目を見開いていればいいのだが…この場の主役のはずの洋平はそうもいかない。

 そんなことは洋平本人も解っているので、今少し待って貰いたい。…湧き上がる底知れない怒りが、辱められた自尊心、その屈辱の感情が喉に登って来る…その時を…。

 洋平は始めに、嗚咽の様にかぼそく呟いた。

 「殺してやる…。」

 その言葉を我が耳にした途端に…洋平の中で何かが切れた。

 洋平は獣の様な叫び声を上げると、あらん限りの力で黒い鬼人(おに)をなぎ倒すべくもがき始めた。

 その荒々しい抵抗劇に、黒い鬼人(おに)は苦笑を漏らすと…再び、右、左と、拳を打ちつける作業を再開する。しかも今度は、疑い無く先程よりも強力に…拳に密度の高い()を込めて振り下ろす。

 洋平が唸りを上げ、上体を出来る限り起こして、黒い鬼人(おに)へ掴みかからんとするのを…巧みに交わしながら、黒い鬼人(おに)は拳を叩き込んでいく…。

 その一発一発が、千明の一撃に遥かに劣るのは仕方ない事だろう。…実際、これだけの連打を浴びていても、洋平の顔面にある損傷はさっきの指の痕だけ…。

 だが、黒い鬼人(おに)の拳の連続は、そんな事はお構いなしとばかりに速く…どんどん速くなっていく。

 最早、洋平の頭部は地面に釘付け状態。それも、徐々に沈み込んでいく。

 更に、千明が明滅するものの存在に気付いた。そう、それは埃であった…。

 黒い鬼人(おに)の一撃によって舞い上げられた埃が、その威力に、あるいは()に当てられたかの様に…ボッと発火しては燃え尽きる。

 そんな事が、力強さを取り戻した紫鳶(むらさきとび)の光と相まって、この殺伐としているはずの路地裏を、幻想的にライトアップしているのだ…。

 と、千明はややもすると浮ついて仕舞いそうな心を振り切って、二人へと目線を戻す。

 するとどうだろう、あらかた燃え尽きた埃の焦げ臭い匂いの中で…どうやら、状況が動いた様だ。

 洋平の咆哮が止んだと同時に、黒い鬼人(おに)の右拳が洋平の顔面すれすれでピタリと止まる。

 急に静まり返った、三日月の下。

 黒い鬼人(おに)は鉄拳の代わりに、一見すると黒い濁りを宿した氷の様な、その指で…まるでグラスの表面を、割れ無い様に気遣いつつ弾く様に…そっと、打ち鳴らした…。

 高く、反響を繰り返す音の中で…千明は不覚にも、また、その目を奪われてしまう。

 路地裏を取り囲むビルに投影された紫鳶(むらさきとび)の脚光。その光の水面の下…恰も、夢応(むおう)鯉魚(りぎょ)が戯れるかの様に跳ねた…鮮明な、波紋の影に…。

[25]

 黒い鬼人(おに)の人差し指が弾くと…洋平の鬼鎧(きがい)の浅い部分を、紫鳶(むらさきとび)の波紋が拡がる…。

 「悪いが、もうふっ切れたよ。」

と、洋平は冷静さの垣間見える口調で黒い鬼人(おに)に語り掛けると…黒い鬼人(おに)を持ち上げるかのように、軽々と起き上がって…あれほど苦しめられていた戒めを解いた。

 黒い鬼人(おに)は余裕をもった高速移動で、あっさりと洋平と距離をとって、

「思ったより速かったですね。鬼人(おに)にとっては、熱し易く、冷め易い感情は、力の瞬発力に繋がります…。どうやら、僕や、鬼姫さまが思ったよりも、貴方には鬼人(おに)としての素質があったみたいだ。」

 洋平は内奥の紫鳶(むらさきとび)の閃光を強く保ちながらも、あくまで落着き払って、

「そりゃどうも。それと、あんたにはまた礼をしなくちゃならない理由が増えたな。なるほどね、あんたが常に平常心を保ってる訳が…それに、平常心であり続けることの難しさが解ったよ。…鬼人(おに)として鬼鎧(きがい)を纏うってことは、こういう事だったんだな。…俺は気を荒だてて、鬼鎧(きがい)からより大きな力を出そうとするあまり、自分の身体から内心とやらを引っぺがそうとしていたみたいだな。それに殺してやろうっていう感情も…。」

 洋平は一呼吸入れる様に、今までになくスムーズに、そして速く…黒い鬼人(おに)へと飛び掛かると、拳をその黒い頭部へと突き込んだ。黒い鬼人(おに)はその一撃を背を逸らして交わし、続けざまに、拳のお返しを…。それを、洋平も黒い鬼人(おに)に習う様に、首を横に傾けて交わす。

 ボクシングの様に、両腕を胸の高さで構えて、対峙する二人。この距離の近さは…どうやら、次はショートレンジの闘いを選んだという事か…。

 洋平が責め立てる。

 「この殺意って奴はまたやっかいだよな。()に混ぜると、一気に大きな力が出る代わりに…何と言うか、鋭さが失われる…まぁ、あんたや、それに多分、同居人二号の知識の受け売りなんだろうけどな…。」

と、洋平は黒い鬼人(おに)への攻撃の手を緩めずに、話す。

 そのどこか謙遜したかの様な言い回しが、かえって、洋平当人の深い実感を窺わせた。…黒い鬼人(おに)や、健の『お節介』が有ったとは言え、洋平の成長には、彼自身の素養が関係していることも十分にあるのだと推察される…。

 そうなると…ここに至るまで、洋平を半端に小突いて本能を刺激したり…いや、それ以前に、懇切丁寧に知識を披露してやったりもしていた黒い鬼人(おに)は…本当に、洋平に『後悔』をさせることなど出来るのだろうか…。

 黒い鬼人(おに)は洋平の揺らぎすら吸い込む様な瞳と、虚を突く様な言葉を受けて、

「知識だけではありませんよ。『虚抜(うろぬ)き』対策とも言い…。」

と、言葉を切ると同時に、黒い鬼人(おに)の左拳が洋平の脇腹に激突する。

 …が、今しがた、黒い鬼人(おに)が人差し指で弾いた時の様に、洋平の脇腹を中心に波紋が拡がるだけ…洋平の攻撃も、防御も、黒い鬼人(おに)の連打に対応して休むことは無い。

 見ると、その波紋は、黒い鬼人(おに)攻撃がクリーンヒットしたときだけでは無く。洋平がガードして、黒い鬼人の腕を打ち払った時も、逆に洋平の攻撃を黒い鬼人が掴み取った時にも…その度に、黒い鬼人の鬼鎧(きがい)と接触した部分を中心に波紋が立っているのだ。

 これでまず間違いない様だ…この浅黒い紫鳶(むらさきとび)の波紋こそが、洋平の…否、健の考案した『虚抜(うろぬ)き』対策とやらであることは…。

 じっと鉄骨の上で観戦していた千明が、息苦しさに耐えかねる様に、深呼吸を一つ。

 黒い鬼人(おに)は『虚抜(うろぬ)き』を阻まれていることなどお構いなしに続ける。

 「それに、()によってこちらの動きを感知する能力も高まっている様だ…原因はいろいろとあるでしょうが、ずいぶんとやっかいな鬼人(ひと)に育ってくれました。…僕としても、下準備をしたかいがあったというものですよ。」

 黒い鬼人(おに)が無造作に伸ばした両腕。それに応える様に、洋平が黒い鬼人(おに)の両手を掴み、力任せに押し返す。今度は、力比べを始めた様だ…。

 洋平が噛み締めたフェイスマスクの奥から、力みの混じった声を漏らす。

 「チッ…褒めてくれたからと思えば、二言目にはすぐこれだ…まっ、それでこそあんたらしいか。で、あれだろ。俺がウォーミングアップの積りだった事も、実はあんたに仕向けられて力を溜め込んでいた。それはあんたにとっては下準備の積りで、俺はまんまとそれにのって強くなったって言いたいんだろ。…こうして、力を途切れずにぶつけ合っているとそれがよく解る…。」

 ギュッと、氷を圧縮する様な嫌な音が辺りに響く。相変わらず、紫鳶(むらさきとび)の光線が、月明かりをかき消して強い。

 洋平の圧倒的な力に押され気味の黒い鬼人(おに)であったが、そこは『膂力型』、なんとか持ちこたえている。

 黒い鬼人(おに)も力みの浮かぶ声で、どこか苦しげに、

「ほぉ、解ってもらえましたか、僕の苦労が…それは、光栄ですね。では当然、僕の魂胆も…貴方を強力にして僕が何をしたいかという事もお解りでしょうねぇ。」

 そう言って、黒い鬼人(おに)がグイッと押し返す。その動きに呼応する様に…密着した互いの掌から、洋平の鬼鎧(きがい)の腕の中へと、無数の波紋が入り込んできた。

 波紋は両腕を侵食するかの如く、鬼鎧(きがい)の浅い部分を走り回り、ぶつかり合い…その様はときに縞模様の様に、またあるときには(まだら)模様でその腕を毒々しく飾る…。

 自分の腕の内部で巻き起こる奇怪極まる現象に…さしもの、毒液、溶解液の類を武器とする洋平も絶句。…改めて、この黒い鬼人(おに)の精神の、異常なまでの安定に触れた様な気に成ったことであろう…。

 洋平は苦笑いを匂わせる、皮肉な溜息を漏らして…ようやく、黒い鬼人(おに)の問いに答える為の空気を肺に吸いこんだ。

 「そこまでお見通しって訳にもなぁ…俺には、あんたの心の中を覗く度胸はまだ無い。まぁ、おいおい、加奈子にケツを蹴って貰いながらでも、騙し騙しやるさ。それより今は、もう一人の同居人の方だな。」

「と、言いますと、『健さん』の事ですね。『虚抜(うろぬ)き』は上手く言っている様ですけど…何か問題でも…。」

 「問題と言ったほどじゃないんだが…今更ながら、あんたとの力の差を…というか、()の制御能力の違いを痛感しているみたいなんだよな、『こいつ』は…。『こいつ』が言うには、俺のクラスの()の総量と、それに精神の強靭さが無ければ、今みたいに全身に()を入れて居ても、あんたの滑らかで精密な『虚抜(うろぬ)き』には耐えられなかったろうってさ。」

「精神の強靭さ…それは詰まる所、『死返(まかるがえ)し』の苦痛と、内に湧き上がる恐怖に耐えきれる精神力という事でしょうか。」

 「当たりかもな。確かに、まったく詰まらないことだらけだった俺の人生で誇れることと言ったら、あの苦しみに耐え抜いたこと位だからな…。」

「僕を殺すことが出来たなら、誰に憚ることも無く自らに誇れることが、もう一つは増えることに成りますね。」

 「たっく、口の減らないことだな。」

と、洋平が手に余るほどの…それどころか、肩を通過して身体の各所へと伝わっていく波紋を意に帰さずに、再び黒い鬼人(おに)へ向ける力を今少しだけ大きくした。…たったそれだけのことで、黒い鬼人(おに)の膝の辺りが怪しくなり始める…。

 「でもまぁ、あんたを倒して退けたとしたら、同居人の…(たける)だったな。健も俺に喰われた事を感謝するだろうな。なっ、あんたもそう思うだろ、鬼姫さん。」

 洋平は不意に、千明の方へ紫鳶(むらさきとび)の瞳を向ける。

 そのチリチリと炎を燃やす瞳に、千明の指先にまさぐられていた鉄骨の表面がバターの様にささくれ立っていく。…これ以上、好き放題にすると…作業員が泣くぞ…。

 そんな小さな火花が、残り火の如く舞っている最中にも、洋平は黒い鬼人(おに)への力を緩めない。

 緩めないどころか、その力を発したままに、洋平は上体を前方に傾けて黒い鬼人(おに)を押しつぶしていくのだ…。これには遂に、流石の黒い鬼人(おに)も地に膝を屈せざるを得なかった。…完全に、力負けしている…。

 だが、それも当り前の事なのだ…なぜなら、こうなる様に仕向けたのは黒い鬼人(おに)自身なのだから…。

 千明もその事は頭では解っている。それでも、洋平の口から健の名前が出た以上は忸怩(じぐじ)たる思いを禁じえないもまた鬼人(おに)の…否、人の情であろう。

 そんな風に、黒い鬼人(おに)の不甲斐ない姿に、歯痒さを感じる千明であったが…一方では、冷徹に…それこそ紛うこと無く、鬼人(おに)の情として、洋平の(ろう)した『虚抜(うろぬ)き』対策を分析する彼女が居る…。

 千明は白銀の瞳で絶え間無い波紋を注視する。

 (鬼鎧(きがい)に宿る()を高い水準で活性化し続けることによって、黒い鬼人(おに)の『虚抜(うろぬ)き』で鬼鎧の中に入り込んできた鬼の振動を相殺する。その際に、黒い()をかき消して後に余ってしまったあいつの鬼が、波紋と成って、あいつの鬼鎧の浅い部分を滑る。…理屈としては簡単そうだけど、この『虚抜き』の対処方法を利用するには、相応の鬼の制御能力が必要なはず。そう、それこそ、『虚抜き』を受ける当人も、『虚抜き』が使えても可笑しくは無い位に…だけど、あいつはとてもじゃないけれど鬼の制御に長けている様には思えなかった。少なくとも、私が闘った夜までは…とすると…まったく、なんてこと。)

 千明は腹立たしげに奥歯を噛み締めると、洋平の放つ不愉快な輝きから目を逸らす様に、俯いて自分の膝を見つめる。

 (取りも直さず、あいつが『あの対処法』を使っていることが、健さんの()があいつの一部と成ったことの証明ってことじゃないの。だけど、それならばあの、中途半端な制御能力の向上の仕方の説明が付く。)

と千明は、洋平の剛腕に抗いながらも、この四日間で最もと言えるほどに、何を考えているのか解らない黒い鬼人(おに)を盗み見て、

(あの対処法を考えたのが健さんであることは、多分…間違いない。健さんも『虚抜(うろぬ)き』を使えた。それで適切な対処法を思い付いたことの筋は通る。何より…健さんは、あの黒い鬼人(おに)に昏倒させられている…。私の眼から見ても、とても穏やかな心境では無かった…だからきっと、次に黒い鬼人(おに)と遭遇した時の為に対策を練っていたのね。)

 千明が再び俯く。

 (そして再会は、奇しくもあの人喰いの体内で果たされてしまった。あいつの体内に流れ込んできた黒い()に、あいつの中で眠っていた健さんの鬼が反応した…二度と、あの黒い鬼人の『虚抜(うろぬ)き』に屈さない為に…。あいつが『虚抜き』が使えないのにも関わらず、その対処だけは器用にこなしているのはそのせい…。健さんはそれほどまでに、あの黒い鬼人に遅れを取った自分を恥じていたんだ。私には解るんです。その気持ちは絶対に、愛美さんの為の…愛美さんが誇れる自分で居たかったからなんですよね…。だとしたら、この対処法であの人喰いが、黒い鬼人(おに)に勝つことが…健さんの生前の雪辱を晴らす、残された最後の手段かもしれない。でも…だから…。そう、考えれば考えるほどに…。)

 千明はガバッと顔を上げると、

「ちょっと、何もたもたやってんのよ。そいつを『後悔』させるんでしょう。そんなんじゃ、逆に、そいつが良い気に成ってくばっかりじゃないのさ。貴方とそいつの勝敗には、私や、健さんの気持ちも懸ってるんだからね。いつまでも膝を突いてないで、男だったら根性見せなさいよ。」

と、威嚇する様に歯を剥き出しにした千明に、黒い鬼人(おに)はあれほど嫌がっていた尻を叩かれ叱咤されて…、

「僕だて、この人に『後悔』して貰いたいですからね。それは全力で事と当たっていますてば…でも、根性見せろと言われるとどうでしょう。僕も鬼人(おに)ですから、精神論は大好物ですけどね。でも…そういうのは、もっとこう…バイタリティに溢れた方々のもので…。自分のものとしてはピンと来ませんのね。…ですがまぁ、そういったものが無い所には無いなりに、ぼちぼちやっていきますから、まっ、気楽にお待ち下さい。…場合によっては、貴女の出番が早くなるかもしれませんけど…。」

 …もう千明には、どこまでが冗談なのだと問い返す気にすらならない。だいたい、現時点で、気楽に待てるような材料がどこにあるというのだろうか。現在進行形で今も、洋平の笑い声に見下されながら、どんどん地面へと沈み込まされているではないか。

 …思わず千明の腰が、鉄骨の観覧席から上がる…。

 しかし、千明は寸での所でその膝をギュッと掴んで立ち上がろうとする自分を諌めた。…そう、千明と黒い鬼人(おに)との約束…例え、黒い鬼人(おに)が洋平に倒されることに成ったとしても…決着が付くまでは決して手を出さないという約束だ…。でも…。

 千明はそんな思いに押しつぶされそうになりながら、硬く目を閉じ、俯く。

 (どうにかしてよ…だって…悔しいじゃない…悔し過ぎるじゃないの。考えれば考えるほど…健さんの鬼人(おに)としての力量では、貴方に対抗するのは難しかった。…きっと、その事には健さん自身も解っていたんだと思う…。健さんだって『虚抜(うろぬ)き』が出来るくらいに()の制御に長けた人だった。だけど、貴方のそれと比較したときには、ずいぶん見劣りしている…それは解ってる、私も、健さんだって…。それに、根本的な問題として、貴方の黒い鬼の密度、濃度の高さも…。だがら、鬼の質で太刀打ちできなかったとしたら、やっぱり、今のあの人喰い鬼人がしている様に、黒い鬼の相殺に費やす自分の鬼の量を増やすしかない。…とてもじゃないけど、健さん個人の鬼の量では叶わなかったと思う。…確かに、健さん一人では、あの『虚抜き』を数発耐えた所で、鬼鎧(きがい)を保って居られなくなったとも…。それ程にあの人喰いの、まるで一人の人間の命をまるごと燃焼する様な、鬼の放出量は莫大なんだ…。ううん、それが前提条件としてあるからこそ、あいつはあの洗練された『虚抜(うろぬ)き』にも対処できた。)

 …知らぬ内に、膝へ掛る力が大きくなっているからだろうか…千明の脚がガクガクと震えている…。

 (あいつが一度目の『死返(まかるがえ)し』を執り行った時点では、私よりも()の絶対量は大きくなかった。つまり…疑いの余地なく…あいつが『虚抜(うろぬ)き』に対処出来るようになったのは、健さんのおかげ。健さんの一生分の()と、今までの鬼人(おに)としての経験…知識を奪い取ったからこそ成し遂げられた事。そうだよ…健さんの命が無ければ、あいつはあの黒い鬼人をここまで追い詰めることは出来なかった。それこそ…あの人喰いが、来るべき黒い鬼人との闘いに備えて…黒い鬼人に対抗できる力を求めた。その嗅覚で嗅ぎ分けたみたいに…違う、もしかしたら…健さんが…。)

 千明の額が血の気が引く様に…冷たくなっていく。

 (健さんが本能的に…唯一、あの黒い鬼人(おに)に勝利することの出来る方法を…あの人喰いの一部と成って再戦することを選んだみたいな…いや、いやよ…私、一体…何てこと考えてんの。馬鹿じゃないの、運命論者でもないクセに…ううん、運命論者だってこんな最低な言い訳は考えたりしないわよ。こんな全然…筋なんて通って無い…筋違いな…。)

 今や、千明の胸中は自己嫌悪と、孤独感で満ち満ちていた。震えの止まった膝から手を離すと…その指が細かく震えていた。

 千明は強く我が身を抱きしめて、

(私…死ぬまでに、後、何回こんなことを考えないといけないの…私は死ぬまで、こんな非人間的な考え方に取り付かれたまま生きなければいけないの…でも、それでも良い。皆が生きてさえいてくれれば、私を人の社会へと引っ張り上げてくれる皆が居れば…私…それだけで、十分だったのに…。)

 千明の目頭が熱く…が、涙が瞳から零れ落ちること無い。

 (皆が抱える鬼人(おに)としての問題は、全部は私が叩き壊して上げればいいって…好い気に成ってたのも知ってた。それでも、健さんも、愛美さんも…私を受け入れてくれてたのに…血の通った、仲間だったのに…。もう、誰のこともこんな風に思いたくは無いよ。だから…貴方は勝ってよ。貴方だけは、私なんかのことを持ち上げてくれなくても良い。だって、強いはずでしょ。その黒い鬼鎧(きがい)を纏っているってことは…だから、勝って…お願いよ。私に…私が頼りにしている人の…貴方の敵討ち何てさせないで…。)

 千明はあらん限りの勇気を振り絞って、目蓋を開ける。そして見た。開けていく視界の中に…仲間の闘う姿を…。

 洋平がようやく実感することのできた優越感を弄ぶ様に、黒い鬼人(おに)を押しつぶす力を更に強める。…黒い鬼人(おに)の足元の地面が…薄皮の剥がれていく様に、少しずつ弾け飛んでいく…。

 洋平は頭を前に突きだして、見降ろしざまに黒い鬼人(おに)へ語り掛ける。

 「おいっ、鬼姫さんが怖い顔でこっち見てんぞ。良いのかよ、このまま情けない恰好を見せ続けて…。」

 洋平の挑発的な台詞に、黒い鬼人(おに)は別に気にした様子も見せずに、

「情けない…僕はそんな風には思いませんね。今の状態は、貴方と僕の力の差がそのままに現れていると言うだけのことですから…。そちらこそ、この期に及んでそんな事を気に掛ける所を見ると…まさか、もうお疲れなんてことはないでしょうね…。」

と、暖簾に腕押しどころか、洋平の腕の中を走る波紋の数が増える。…口では洋平に分が無いのはしょうがないか…。

 洋平は鼻息荒く、両腕に根限り力を込めた。

 「でっ、あんたの言う趣向ってのはこれで終わりなのか。だったらこの闘いも、早いとこ、終わらせてもらうぞ。」

と、身体全体で押し潰しに掛る洋平に…こんな状況でも、まったく懲りずに…黒い鬼人(おに)は飄々と答え返す。

 「いえいえ、お楽しみこれからですとも。」

 瞬間…二人の手の間に、恰もドライアイスの塊でも挟まっていたかのように…つるりと、黒い鬼人(おに)の手が洋平の戒めから離れた。

 洋平は勢い余って…何かよく見る光景だが…またも顔面から地面へ一直線。

 加えて今回は、後方宙返りでその場を回避した黒い鬼人(おに)のつま先が、洋平の顎を蹴り上げるオマケ付き…単純な力では、明らかに洋平が上回っていると言うのに…この男ときたら…。

 洋平は顎逸らして、喉を見せつける様な『情けない恰好』で、地面へと埋まって行った。

 舞い上がる土煙。紫鳶(むらさきとび)の閃光が沈む路地裏。…暗がりの中、土煙を払いつつ…地に足の付いた黒い鬼人(おに)の姿。

 ()の光も、月明かりさえ紛れても…千明の笑顔はこんなにも輝いているではないか…。

 しかし、どうやらぼやぼやしているだけの時間は無さそうだ。

 瓦礫に蹲る洋平が、雄叫びを上げる。

 それに呼応する様に、紫鳶(むらさきとび)の一際強い光線が粉塵を切り裂いた。

 千明はその白銀の瞳に任せて、瞬きもせずに洋平の次の出方を窺う。…今度も、怒りにまかせてどんな暴挙に出ないとも解らない…。

 が、立ち上がった洋平は存外に落着いて居た。落着き払って、土煙の完全に収まるのを待って居る様にも見えた。…どうやら洋平は、彼なりの感情のリセットの方法を身につけたらしい…多少は、騒がしくも有るが…。

 洋平は感情を押し殺す様に、

「そうか、摩擦力を小さくしたのか…。確かに、楽しいな…で、次はどうやって俺を飽きさせない様にする積りだ。」

と、黒い鬼人(おに)の方を見据えた。

 霞の様な粉塵の中から、洋平の視界に再び現れた黒い鬼人(おに)は…無造作に、土煙を払い抜けながら、

「…しかし、大した力ですよね。機動力型でありながら膂力型の僕を圧倒する腕力には、正直言って、度肝を抜かれた思いですよ。…まぁ、僕が膂力型にしては非力という事も有るでしょうが…それでも、流石に『死返(まかるがえ)し』を行っただけあって、鬼人(おに)としての総合的な強さには目を見張るものが有ある。」

と、どういう魂胆か…と、考えるのは邪推かもしれないが…兎に角、黒い鬼人(おに)が珍しく洋平のことを褒め始めた。それも、冗談を交えずに、手放しで…。

 「あっ、何だよ、突然…。」

 洋平もそう、どこかたじろいだ様子で言ったものの…案外と、満更でも無さそうだ。

 黒い鬼人(おに)が称賛の言葉を続ける。

 「いやぁ、本当に大した方ですよ貴方は…二度の『死返(まかるがえ)し』の後に自我を保って居られことだけでもすごいのに、あれだけ僕が殴ったのにケロッとしているなんて…さっきの跪いた格好はともかくとしても…こうも平気な顔されてると、自分の非力さが恥ずかしくなります。…僕の見通しは、相当に甘かった。その事は、貴方に御不快な思いをさせたと、謝ってもいいくらいだ。」

と、黒い鬼人(おに)が殊勝な事を言うものだから、洋平はどうも…こそばゆそうに、

「何をどうしようと、それはあんたの好きにするがいいさ。だが…こっちとしては別に、謝って貰う謂われはないと思うけどな…。それよりも、『お楽しみはこれから』なんだろ。俺は謝られるよりも、あんたが用意している『趣向』とやらを、早く見せて貰いたいんだけどな。」

 下手に出られると、そうそう強気に責められなくなるのは…鬼人(おに)に成っても同じという訳か…。

 洋平にそう穏やかに促がされて、黒い鬼人(おに)は…何やら、思案気に口許に手を遣って、

「うーんっ、こっちから言った事でもあるし、それほど楽しみにして頂けているのなら…僕も是非、その御厚情にお応えしたいんですが…如何せん、僕と貴方の力の差が大きいですからねぇ。ご期待に添えるかどうか…それよりも、どうでしょう…。」

 黒い鬼人(おに)はさり気無く、軽く指を曲げた右手を、洋平の方へと伸ばして、

「僕としては、貴方がこれまでに、鬼人(おに)へと生まれ変わり獲得した『能力』…それを見せて頂きたいと思ってもいるんです。ですから、どうでしょう。勿論、僕から水を向けますので…貴方にその潜在能力の程を見せて貰うと言う事ではいけないでしょうか。ギャラリーもきっと、僕のせこい闘い方を見物するより、貴方の潤沢な()と、力の集大成を見る方が楽しめるでしょうから…それに、次に彼女が貴方と闘う時の、参考にもなりますよね。」

 ペラペラと、黒い鬼人(おに)はどんな積りか、こんな言葉を吐いた。それも、謙りつつ…そして、まるで、自分ではもう洋平に勝てないとでも言わんばかりに…黒い鬼人(おに)は、自ら捨て石になろうとでも言う積りなのだろうか…。

 多分、洋平も…その辺りが黒い鬼人(おに)の腹積もりなのだと、納得したのだろう…吐き捨てる様に苦笑を漏らすと…気安く、

「なんだ、また随分と消極的になったもんだなぁ。俺はてっきり…あんたは諦めだけは悪いんじゃないかと…期待してるところがあるとすれば、そのことは期待してたんだけどな。…あんたから得られる楽しみは、ここらへんが限度なのかね…。まぁ、いいさ。あんたにはまだ、いろいろと聞かなくちゃならない事もあるからな。あんたがどういう気で居るのかは知らないが…俺が質問したことに関しては、きっちり答えてから死んでもらうからな。」

 黒い鬼人(おに)は手を差し出したまま、こくりこくりと頷いて、

「それは心得ております、御心配なく。」

 洋平はそんな奇妙な平静の黒い鬼人(おに)に、また、苦笑を漏らす。

 「あんたまさか…こういう状況になることを予測してて、話を引き延ばしたんじゃないだろうな。少しでも、俺との闘いを…自分が生きてられる時間を長引かせようと考えて…。」

「そんなことはありませんよ。貴方が予想外に強くて、少々、段取りが狂ってしまっただけのこと…始めから、利用価値があったから話を引き延ばしたのは…否定しませんけどね。」

 「なんだかなぁ…まっ、いいか。でも、あんたの話が終わって無かったとしても…これじゃあ、いい加減に飽きた所で、俺はあんたを殺してしまいそうだ。後に、鬼姫さんも控えてるし…もう、結構良い時間だからな…。」

と、洋平がしつこく脅し文句を仕向ける。黒い鬼人(おに)はそれを受けて、

「それはいけませんよ。貴方にはどうしても『後悔』して頂かなければなりませんから、貴方には必ず、僕の話を最後まで聞いて頂きます。…どんな手を使ってもね。」

 そんなかすかな黒い鬼人(おに)の対抗意識…らしきものが垣間見えたことが、お気に召したのか…。洋平は愉快そうに笑い声を低く。それから、『受けて立つぞ』と言わんばかりに、大乗り気に腕組みして、

「『どんな手を使っても』…な。あんたにはお似合いの台詞だ。それに今となっては、そこまでやって貰わなけりゃ、俺とあんたの絶望的な力の差を埋める…までは、いかなくても…あんたなら、それでどうにか善戦することは出来るだろうぜ。頼むから、俺が人喰いまでしたことを『後悔』させないでくれよ。…あれっ、それがあんたらの目的だったんだったか…まぁ、兎に角、今までに喰った二人よりは、歯ごたえのあるのを期待してるよ。」

と、横綱相撲でもとってやろうかと言わんばかりである。

 黒い鬼人(おに)は…こいつには屈辱と言う感情は無いのだろうか…相変わらず、張り子の虎の様に首を縦に振っている。…多分、鬼鎧(きがい)の中では、アホ面をニコニコさせているはずだ…。

 洋平も腕組みした胸を張る様に、大威張りに言葉を継いだ。

 「ところで、俺の『能力』が見たいって言ってたよな。それだとやっぱり、『これ』か。」

 そう言うと、洋平は背後から尻尾を肩口の辺りに伸ばして、それを顎で示した。

 …言うまでもなく、黒い鬼人(おに)は鎧を纏っているのだから、どんな表情をしているのかを確認することは出来ない…。しかしながら…はてさて、今度はどんなおべっかを転がして、洋平のご機嫌を取るのだろうか…。

 千明は『任せる』と言った手前、手出しは勿論…流石に、これ以上の口出しも憚られる。とは言え、黒い鬼人(おに)のこの態度はあんまりだ…こいつの事だから、何か有るとは思うが…だけど、千明の忍耐もここまでだ。

 千明は、黒い鬼人(おに)がまた何やらふやけた世辞の言葉を吐く前に、活を入れるべく口を開こうと…しかし、喉から声が出掛かる前に、思ったより早い黒い鬼人(おに)の言葉が鋭く響き渡る。

 「はぁっ、何を下らない事を言っているんですか。だいたい、そんな粗末なもの見せびらかさないで下さいよ。見ているこっちが恥ずかしくなりますから。」

 黒い鬼人(おに)がそう、即答した。それも、あっさりと、さっぱりと…。

 …今、黒い鬼人(おに)は…あれか…洋平の尻尾の事を侮辱したのだろうか…。

 あまりに、黒い鬼人(おに)がきっぱりと言い切ったものだから…言われた張本人の洋平はぼんやりと…そして傍で聞いていた千明にいたっては、開いた口を塞げずに居る。

 どうして、何故このタイミングで…。そう言う思いの凝集していく中で、黒い鬼人(おに)は、『さっさと尻尾を仕舞えと』でも言いたげに、ヒラヒラと伸ばした右手で洋平の方を扇いでいた。

 音も無く息を飲む路地裏。全てが…月明かりすらも凍りついた様な感情の坩堝(るつぼ)の底で…洋平が沸々と湧き上がる怒張の音に…激情とともに我に返る。

 「お前…どうやら、すぐにでもこの闘いを終わらせたいようだな…終わりだ、話も何も…。」

 …それは絶妙のタイミングを逃さずに『掴み取った』、瞬きする間の出来事であった…。

 洋平が黒い鬼人(おに)の暴言に心を乱した…その時…目にも止まらぬ速さで近づいた黒い鬼人(おに)が、すっと、事も無げに洋平の右手首を掴んだのだ。それも…これ見よがしに、黒い鬼人(おに)が伸ばしていた右手で…。

 気付いた時にはもう遅い。

 洋平は何を置いてもまず『虚抜(うろぬ)き』対策を…だが、それすら遅すぎたのだ。もう既に、洋平の鬼鎧(きがい)は思う様に動かない。

 黒い鬼人(おに)は、それでも右腕を引き抜こうと、自由に成らない身体でもがく洋平に、余裕しゃくしゃくで話し掛ける。

 「いけませんね、心を乱しては…()の制御が不得手なんですからね、貴方は…。ちょっとでも集中を切らしてしまえば、それは、『虚抜(うろぬ)き』の付け入る隙も出来るってものですよ。健さんはその辺りの事…教えてはくれなかったのみたいですね。」

 洋平は黒い鬼人(おに)の言葉を無視。そして、黒い鬼人が話し続ける間にも、声に成らない苦しげな呻きを漏らしながら、弱弱しくも右腕を引っ張り続ける。…無様に…。

 黒い鬼人(おに)は、自分の掌の上で踊り狂いながら、小さくなっていく紫鳶(むらさきとび)の光を見つめる。

 「無駄ですよ。『虚抜(うろぬ)き』が成立してしまえば、後からどう()を入れようとも、乱れた()を制御することは出来ません。そうして居ても悪戯に、()と、時間を浪費するだけのことです。」

 その忠告とも、宣告とも取れる様な言葉に接して…洋平がピタリともがくのを止めた。そして…、

「そうかよ。で、あんたはこの後、どうする積りなんだ。…なんならこのまま、一気に決着を着けようか。」

と、劣勢に立っても、闘争心を隠そうとしない洋平。…果たして、自信の表れか、それとも虚勢か…。

 黒い鬼人(おに)はそれを、かえって宥める様に、

「まぁまぁ、そう焦らなくとも…こちらとしても、まだ、終わらせる訳にはいきませんからね…。」

 洋平が小さく喉を鳴らす。

 「どういう意味だ…。」

「どうって…それはですね…。」

 黒い鬼人(おに)の洋平の手首を握る力を強くなる。…洋平も鬼鎧(きがい)越しにその感覚を味わっていた。

 そして、その圧力が滲み渡るのに反比例して、洋平の鬼鎧(きがい)の放つ光線が、淡々と…千明の足元からも、潮が引く様に、遠のいて行く。

 強い光源の存在に、目が慣れていた所為かも知れない。千明は、洋平の紫鳶(むらさきとび)()が衰微した途端、火の消えた様に、この路地裏が真っ暗になった様な気がした。…いや、そうではない。そうでは無い事に、千明もすぐに感づいた。

 この覚えのある仄暗さ…千明の身体を照らし出す、黒く、妖しい閃光に…。

 洋平は右手首から忍び寄る、光とも、闇とも付かない漆黒に慄く様に、身体を強張らせた。…それとも、それすらも黒い鬼人(おに)の『虚抜(うろぬ)き』の成させた技だったのだろうか…。

 黒い耀きに包まれ、一回り大きくなったようにも見える黒い鬼人(おに)が…洋平の腕を巻き込む様に引っ張り、その勢いで背負うが如く背中を密着させた。

 「それはですね…これからが僕の、本領発揮と言う事ですよ。」

 瞬時に、洋平の耳から黒い鬼人(おに)の声が遠くなる。視野の中では、白銀に霞む空の向こうで、月が箒星の様に尾を引いて見えた。

 洋平の身体が宙を舞って、そう恰も、柔道の一本背負いを決められるのに似た状態で地面へ。受身など取れようはずも無く、洋平の身体が地面に叩き伏せられた。

 …千明の鬼膜(きまく)の防音効果を引き裂く様に、強烈な音がこの路地裏の中を闇雲に反響する…。

 まさに会心の一撃。そして黒い鬼人(おに)の大逆転か…。だが、千明の険しい表情で、再びの土煙を凝視して動かない。…なるほど、あれではほとんどダメージが無かったようだ…幾らもしないうちに、洋平がむくりと地面から起き出して来た。

 洋平に背中を気にする素振りが無いことからも、彼の鬼鎧(きがい)に損傷が無い事も伺える。

 何より…不安材料として最たるものと言えば、たった一度背負い投げを喰らわせただけで、黒い鬼人(おに)が容易く洋平の手首を離したことであろう。

 洋平自身も、まだ何か黒い鬼人(おに)の仕掛けた罠でも無いかと、しきりに紫鳶(むらさきとび)の光を取り戻しつつある鬼鎧(きがい)を…特に、手首の辺りを気にしている。

 いったい、絶好の機会を自ら放棄して…文字通り手放して、黒い鬼人(おに)の思惑はどこにあるのだろうか。…そして気付けば…この場に居る誰しもが、もう黒い鬼人(おに)から目を離すことが出来ずに居る…。

 冷たい鉄骨の上の千明も、路地裏の中央で立ち尽くす洋平も、それに…涎を垂らしそうな、ぼやけた三日月も…刮目(かつもく)して黒い鬼人(おに)を見る。

 白銀と、紫鳶(むらさきとび)、それに月白(げっぱく)の光に囲まれて…いよいよ黒が、濃く、深く、その『本領』を顕し始めた。

[26]

 洋平が鬼鎧(きがい)の動作を確かめる様に、力強くその拳を握り込む。

 その手応えが紫鳶(むらさきとび)の色と成り、鬼鎧(きがい)を貫くかの様に伸びる光芒は…路地裏の片隅を、あるいは白銀の粉に(いぶ)された虚空に消えていく。

 洋平はその輝きを怠りなく維持しながら、目の前の…夜空同様に底の無い『黒』に見入る。…紫鳶(むらさきとび)の瞳の炎は、夜を焦がすほど勢いよく、そして静かに燃え盛っていた…。

 「そうだった…忘れてた…言葉で相手の()を紛らわすのも、戦術の一つなんだった…。懲りずにまた、あんたにしてやられてと言う事か。でも、これで合点が言ったよ。確かに、会話まで闘いに利用してこそ、あんたの本当の実力が出せるってものだよな…。それと…さきまでは、意図的に俺の()を引っぱって乱す様な言葉を選ぶのを避けてたんだろ。あんたにはあんたなりの思惑があってのことだろうが…ここから先はもう、こっちにもそのハンデの埋め合わせをするような余裕が無いかもしれないからな。代わりと言ったらなんだけど…一応、礼を言っとくよ。」

 …この洋平の言葉使いは…。

 もやもやした既視感。千明は煩わしげに、時折、襟足から首筋に流れを落ちる冷や汗を手で拭う。すると…ザリッと嫌な感触が首に残る…。あれほどの土煙が舞っていたのだ。いつの間にか、掌が粉まみれに成っていても可笑しくは無い。

 千明は手に付いた細かなコンクリートの欠片を払い落しながら…首に残る、じんわりとした痛みを…その実感により強くなった感覚を反芻する。

 そう、洋平の口調はまるで…、

(やっぱり、どこか健さんの言いたそうな事に聞こえた…言葉の印象も似ていたような…。あの人喰いの言葉の端々で、急に、ボキャブラリーが増えたからそう思うのかもしれない。それに、健さんはあんな言い回しはしなかった。…だけど何かしら…健さんが、あの黒い鬼人(おに)に話しかけて居る様な…あの人喰いと、健さんのイメージがどこかで重なったようにも感じた…。)

 もし、その千明の感覚が正しいのだとすれば、それは…、

(それは詰まり、あの人喰いの制御化で、健さんの()が完全に定着したことを意味してるのかも…。だとすると…。)

 千明は粉の払い終わった手を行儀よく重ねて、腿の上に置く。そして懸念を抱いた瞳で、黒い鬼人(おに)を見上げる。

 (ねぇ、これって、いよいよ不味いんじゃないの。大丈夫、本当に…。)

 そう心の中で呟いた、千明。その顔は何故か、呆れかえった様な、だが朗らかに…柔らかく微笑んでいた。

 黒い鬼人(おに)は、洋平の礼儀正しさすら感じる…らしくもない、フェアな勝負を望む様な発言に、

「いやぁ、お礼だなんて…喰うか食われるかの時ですけど、何だか恐縮しちゃいますねぇ。それに、さっきまで言っていた事だって、嘘は吐いて無い積りなんでけどね…。」

 洋平は鬼鎧(きがい)に宿る紫鳶(むらさきとび)が、かすかに揺らす。

 「それじゃあ、俺の尻尾の事を『粗末』だって言ったことも、本音だったってことなんだな…。」

 黒い鬼人(おに)は、すぐに鳴りを潜めた紫鳶(むらさきとび)の『ブレ』を見逃さずに…付け入るすきは十二分にあるとでも思ったのか…太鼓持ちの悪びれる様に、ピシャリッと黒い鬼鎧(きがい)の額の辺りを叩いて、

「おっと、これは藪蛇でしたね。参りました…だけど…嘘じゃないにしても、悪意は無いんですよ。」

 …なお悪いわ…あぁ、いや、申し訳ない…。洋平も必死で、精神の安定を保っているのだ。著者も話に集中しよう…。

 洋平はどうやら、かなり尻尾を(けな)されたことが気に食わなかった様だ。内心を乱さない様に注意しながらも、この話題の追求の手を緩めようとしない。

 「あんたの尻尾の『能力』よりも、俺の『能力』が劣っているってことか。それも、あんたのに比べたら『粗末』に見える位に…悪意なんて関係ないだろ、あんたはそう言ったんだよ。」

「えーっとですね…別に、僕の尻尾と比較した結果、あなたの尻尾のことを悪く言ったと言う訳では…僕はただ、一般論としてですね。」

 「はっ、一般論…尻尾がどうしたってことで、一般論も何もないだろが。つくづく人を舐めてくれるよな。」

「はぁ、何とお返事して良いものか…。」

と、今度は何を考えているのか、ぐだぐだと言い淀む黒い鬼人(おに)

 それに洋平もずいぶんと苛立って居る様子であったが…どちらかと言えば彼よりも、むしろ…、

 「だぁっもう鬱陶しいなぁ。あんたの尻尾が『粗末』だから、『粗末』だってはっきりと言っただけでしょ。それのどこが間違ってるって言うの。…あんたの尻尾の『能力』より、俺のが劣っている…だぁ。んなの、当り前でしょうが…ていうか、そんな事も解らないであんたは、その黒いのに勝負を挑んでたって言うの…チャンチャラ可笑しいわ、まったく。本当に、あんたには人喰っておこぼれとして貰った『能力』以外には、何の取り柄も無い事が良く解ったわよ。あんたなんかねぇ…。」

「まぁまぁ、それ位にしませんか。第一、この人が土屋加奈子さんの『能力』を発現したことは、秘密にしておいて貰わないと…おっと、僕としたことがうっかり…。」

と、思わせぶりに、黒い鬼人(おに)が洋平を横目で眺めた。

 千明の言葉を遮ったかと思えば…黒い鬼人(おに)がまたもや自分勝手に、情報を暴露した。…付け加えるなら、今のは、千明の言った事の尻馬にのっての暴露だったので…悪質さも一入(ひとしお)だな。

 だがしかし、そんな黒い鬼人(おに)手薬煉(てぐすね)引いて居るのが丸解りな態度にも、千明の不機嫌そうな表情にも…洋平の紫鳶(むらさきとび)の瞳の焦点は合う事は無い。

 洋平は、羽虫でも目で追うかのように、フラフラと目線を二人の間で彷徨わせながら、不安そうに、ポツリと、

「お、俺が加奈子の…『能力』を…おいっ、それは一体、どういうことだ…。」

 洋平の首が…鬼鎧(きがい)を纏っているにも関わらず…小刻みに震えているのが解る。

 そして…黒い鬼人(おに)がこの、洋平の心の隙を見逃すはずが無い…。

 洋平は視野の脇で、千明のしかめっ面が苦笑いに変わるのを眺めながら…ど真ん中で突然、大きくなった黒い鬼人(おに)に…ほとんど成すがまま首根っこ掴まれる。

 「んっ、これは急ぐ必要も無かったかも知れませんね。」

 そんな声の終わりが洋平には驚くほど不明瞭に聞こえた。…それだけでは無い、洋平の視野が途轍もないスピードで目の前へと流れていくではないか…そう、黒い鬼人(おに)が洋平を掴み上げた状態で、一緒くたに超高速移動に入ったのだ。

 一秒と経たない内に、洋平の目に映る世界が制止した。その次に来たのは、耳をつんざく雷鳴の様な音響と、全身を覆う様な埋没感…洋平はほぼ前後不覚の、当惑した心境を頼り無げに頂きながら…今度は、鉄筋コンクリートの柱へと押し込み、埋め込まれてしまった。

 まるで、木乃伊か何かの様に、(うずくま)った姿勢で、柱の中の(うず)まっている洋平。別にコンクリートの柱を粉砕する力無い訳では無かろう。…おそらく、困惑が鬼鎧(きがい)を思う様にしていると言うだけのこと…。

 その正面に立って、恰も、展示物を観覧している様な風情の黒い鬼人(おに)が…苦悩の中に居る不死の王に、性懲りも無く助け船を出す。

 「貴方が考えていることは想像が付きます。ずばり、土屋加奈子さんが鬼人(おに)だったかどうか知りたいんでしょう。…違いますか。」

 洋平は柱の中で身じろぎしながら、

「あんたは、それを知っているのか…。教えてくれ、加奈子は人だったのか、それとも鬼人(おに)だったのか…やっぱり、鬼人(おに)だったのか…。頼む、教えてくれ。」

と、洋平にも何やら心当たりが有ったのだろう。立った一言、黒い鬼人(おに)の発する『Yes』か、『No』を待ちわびて、洋平の瞳は千々(ちぢ)に乱れていた。

 洋平が肩を震わす度に、黒い鬼人(おに)のつま先の辺りに転がる柱の破片。そのコンクリートの大粒を一つ…黒い鬼人(おに)鬼鎧(きがい)の脚で踏みつぶして…、

「良いですとも、ここは勿体ぶらずに教えて差し上げましょう。貴方の恋人の土屋加奈子さんはですね…。」

 …黒い鬼人(おに)が柱の傍へと一歩前に出る…。

 そして、黒い鬼人(おに)は洋平と息のかかりそうな距離で、鼻先突き合わせて、

「彼女は鬼人(おに)ではありませんでしたよ。人間として人生を歩み、人としてその生に幕を下ろしました。貴方に食べられると言う、最悪の幕切れでしたけれどね。」

 そう言って、黒い鬼人(おに)は…何が可笑しいのやら…いや、こいつはいつもこんな調子か…洋平の鬼鎧(きがい)に宿る紫鳶(むらさきとび)を見ながら、クスクスと笑っていた。

 洋平は…安堵したら良いのか、それとも慄けばいいの、あるいは…とりあえずのことに、目の前の黒い鬼人(おに)に対して、不愉快そうな目付きをしてやると言う手もあるが…。その内のどの感情に己の内心を任せたらいいのか…いつまでも、いつまでも決めかねた様に…。

 遂には、無表情でポツリと、

「それは、本当なのか…本当に、加奈子は人間だった…で、良いんだな。」

と、呟いた。…洋平にとって、自分が喰い散らかした相手が人だったか、鬼人(おに)だったかということが、それほど重要なのだろうか…。おっと、著者としたことが、洋平にとって一番大切な事を失念していたようだ。…そうだった。加奈子は今も、そして昔から、洋平にとっては恋人で…食べてしまいたいほど愛することはあれ…単なる麦の一粒、名も知らない家畜の一欠片には成りえない存在なので有ったな。 それは、きっと知りたいだろうよ。加奈子の事が…それこそ、舌に残る彼女の味など、忘れさせてくれる様な鮮烈な(じつ)を…。

 黒い鬼人(おに)は嘲笑う様に、そして微かに、相哀(あいあわ)れむ様に笑い声を漏らす。

 「えぇ、本当ですよ。ただし、貴方の彼女は、貴方同様に鬼人(おに)となる素養のある方…鬼人(おに)の間では、そう言う人のことを『角無し(つのなし)』と呼ぶんですけどね。加奈子さんはその『角無し』として、ずいぶん前から(かさね)にマークされてはいたそうですよ。詰まり彼女はずっと、鬼人未満の状態…鬼人に生まれ変わる寸前のところに居たことは間違いない。…話によると、一時は、貴方よりも鬼人(おに)に生まれ変わるのに近い所に居たそうですよ。驚きですね。」

 黒い鬼人(おに)の説明に、洋平は…鬼鎧(きがい)のフェイスマスクの無表情、そして無言…それだけで、十二分に半信半疑なことは伝わってくる。

 黒い鬼人(おに)は、

「嘘だと思うなら、そこに居る鬼姫さまに聞いてごらんなさい。彼女は、(かさね)の活動の内情にも明るいはず。それに、僕と違って、鬼姫さまが嘘を吐いてもこれといった得はありませんから…。」

と、息をするように思わせぶりな言い回しをする…。だが、この場には千明の他に、話の真偽を問い正すことのできる人物が居ないのは明白。

 洋平は千明の方へ首を向ける…しかし、次の句が無い。ひたすら、黙って千明の方を見入るのみ。

 千明はそんな訴えかける様な瞳に、弱ったと言いたげに頬を掻いた。

 (またもや、あの黒いのに上手に利用されてる様な気がするけど…仕方ない。弱いのよねぇ、あの手の視線には…。)

と、千明は短く咳払いを一つ。

 「その黒いのが言っていることに嘘はないわ。土屋さんの事は、(かさね)が前々からチェックしていたのも事実。…私も最初、土屋さんが『鬼絡(おにがら)み』の事件に巻き込まれたと聞いて、てっきり…土屋さんが鬼人(おに)へと転生して、誰かを襲ったんだとばかり思っていたの。それがまさか…こんなことにね…。」

 多くの鬼人(おに)達の、生と死の現場に立ち会ってきた千明だから言える…重く、てらいの無い言葉。その心模様と、意味は、確かに洋平にも伝わった様だった。

 洋平は何やらもの思いに耽りながら…臼を挽く様にゴリゴリと、鬼鎧(きがい)の後頭部でコンクリート削る。そして、歯の根に伝わる振動を噛み潰す様に、

「そうだったのか…そうか…。良く解ったよ、ありがとう。」

と、もごもごと礼を述べた。

 千明は洋平の率直な感謝の声に、内心の動揺を抑えきれなかった。

 そして、鬼膜(きまく)を通して、そんな気持ちが洋平に伝わることを恐れたのだろうか。千明はキッと口を噤んで、洋平に応え返す事が出来ずに居る。ならば…千明の胸に去来する、この言い様の無い不快感、嫌悪感…これを、如何にして洋平に叩きつけて遣ればいいのだろうか。

 不意に、まったく上手く不意を突くものだが…黒い鬼人(おに)ペタリと…そんな千明の思いを掬い上げる様に…正面を向いた洋平の顔面に、右手を宛がった。

 洋平が口の中に異物を突っ込まれた獣の様に、黒い鬼人(おに)の無礼な態度に咬みつけずにいると…。黒い鬼人(おに)が暗い笑いの入り混じった声で、囁きかける。

「聞きましたか、鬼姫さまの言った事を…。これがどういう意味か貴方には解りますか…。」

 喋り掛けながら黒い鬼人(おに)が、洋平の額に吐いた煤を、中指で払う。…洋平は成すがまま、一言も無い…。黒い鬼人(おに)が続ける。

 「解りませんか…解らないなら、僕が解りやすく教えてあげましょうね。ようするに…もしかしたら、この柱の中に押し込められて居たのは貴方では無く…土屋加奈子さんだったかもしれないと言う事ですよ。」

「それはどういう…お前は、何が言いたいんだ。」

 「貴方が今、聞いた通りのことを言ったまでですよ。」

「そうじゃない。俺が言いたいの…それじゃあ、まるで…もし加奈子が…俺より先に鬼人(おに)に成っていたとしたら…。」

 言い掛けた洋平の首が、強い力で反り返る。

 黒い鬼人(おに)はグイッと右腕を伸ばす要領で、洋平の顔面を更に深く柱の中に押し込んで…、

「まぁ、そう、結論を焦らずに…代わりに、僕がもっと楽しいお話をして上げますからね。」

 遂には、洋平の身体が柱を貫いて…コンクリートの棺の中から吐き出された。…とうとう、この作業現場を、修繕不可能なまでに破壊してしまった様だ…。

 洋平は黒い鬼人(おに)から適当な距離を取るべく、ゴロゴロと転がって別の柱の(たもと)へ移る。

 勢いそのままに、柱に背中をぶつけて身を起こした洋平に…黒い鬼人(おに)が追い打ちがてら、語り掛ける。

 「貴方も身を以て御存じの事ですが、この世界には自らの内心を物質化して纏う事の出来る者たちが居る。それを日本では鬼人(おに)と呼び習わしています。その歴史は古く…今でも、鬼人(おに)の登場する御伽話などが、巷では親しまれていますね。」

 洋平は壁に手を突いて、黒い鬼人(おに)の速攻に備えてか、慎重に立ち上がる…。

 黒い鬼人(おに)は洋平の体勢が整うのを黙認しつつ、話を続ける…続けているのだが…。

 「まぁ、(かさね)の方でも、鬼人(おに)の実態の隠蔽には苦慮している様でして…ほら、時折、オカルト関係の雑誌に、『これが鬼人の存在する物的証拠だ。』みたいな見出しで、写真が掲載されることが有るじゃないですか。それは、大抵は作り物、偽物の類でしょうけれども…。中には、やっぱりと言うか…有るんですよね、本当の鬼人(おに)の写真が…。いつの時代も居るんですよ。仰々しく鬼鎧(きがい)を纏っておいて、その姿を写真に捕らえられるうっかりさんが…。鬼人たちにとって、それこそ許されざるミスと言う訳です。でもねぇ、これはこれで…これなんかは不注意から起きてしまった。究極的には仕方の無い事といえる。まだまだ可愛らしい失敗の話として終わるんですけど…。鬼人の中には、自分たちの姿を自ら撮影して、出版社に持ち込もうと言う不心得者もいましてね。…まっ、この場合は『野良』の子が心細さから軽挙に出たような理由が多くて…。」

 また、黒い鬼人(おに)の悪い癖が出た…話に興が乗るとどうも、内容が脱線してしまうのだ…。

 黒い鬼人(おに)は洋平の冷めた視線にも気が回って居ない様で、好い気に成ってまだ話を続ける積りらしい。…こうなればしょうがない、やはりここは一つ。鬼姫さまに御尽力願う他は無さそうだ。

 千明は軽く息を吸い込むと、やや大きめな声で、

「そうだね。生物はみんな、僅かずつでも()を発しているけど…それを纏うまでに至るのは人間だけ…それに、その中でも鬼人(おに)に転生を遂げることの出来る人は限られてしまうから…。種としての心細さみたいなものは、鬼人(おに)ならば誰もが一度は味わう感情かもね。…じゃあ、話の続きをお願いしようかしら。」

 千明のナイスなパワープレイで、明後日の方角へ進み始めていた話の方向が修正された模様。

 黒い鬼人(おに)はどこか詰まらなそうに、残念そうに小さく溜息を漏らしながらも、大人しくバトンを受け取った。

 「鬼姫さま、要約、有り難うございました。…えっと、それでですねぇ。」

と、黒い鬼人(おに)が話の見通しを付けながら…先程、洋平を使って自分が打ち抜いた柱に近づく。

 「()が蓄積するとどうなるかと言う御話なんですよ。」

 黒い鬼人(おに)はへしゃげて柱から飛び出した鉄筋を掴むと、それを枝を織る様な気楽さで、軽々と引き千切った。…ずいぶんと豪快な手慰みなことだ…。

 黒い鬼人(おに)は鉄筋の切れっ端をどこぞに放り捨てて、話を次ぐ。

 「人の感情が昂じると、知らず知らずのうちに()が内心より生まれます。そして、生まれた()は肉体と言う器の中に蓄積されていくんです…。」

 突然…虚を突いて、黒い鬼人(おに)が洋平の隣に移動した。

 そのスピードに釣られる様に、反射的に顔を両腕で覆った洋平。そのガラ空きの胴に、黒い鬼人(おに)がボディーブローを打ち込んだ。

 洋平は本来臍のあるべき辺りから、大きな波紋を立てながら…ピンボールの玉の様に、一直線に後方へ吹っ飛んで行った。

 黒い鬼人(おに)は、次の柱へと背中から突っ込んだ洋平を目で追って…しかし、その事にはこれといってコメントしようはしない。

 黒い鬼人(おに)は今度という今度は、話を脱線させずに続ける。

 「肉体の内に()が溜まりに溜まるとどうなるか…当然、いずれは溢れだし肉体を覆い尽くす。そして鬼に覆われた肉体の持ち主が、鬼人(おに)になる素養持たない場合。その人物は『餓鬼(がき)』と成ります。」

 …洋平が、黒い鬼人(おに)の話し終わりを狙ったかのように、襲い掛る。黒い鬼人(おに)は洋平の爪の一撃を超高速移動で避けて…次に姿を現したのは、首を振りキョロキョロ辺りを覗っている、洋平の背後。

 その無防備な背中を、黒い鬼人(おに)がタックルで弾き飛ばした。

 黒い鬼人(おに)が…凄まじい握力で、太い柱を握りつぶす様にブレーキを掛けた洋平に…淡々と話し続ける。

 「『餓鬼(がき)に関しては、以前にも少しお話しましたよね。…その姿は、鬼鎧(きがい)に似た結晶に覆われており、口許は常に開いた状態にある…言いかえれば、常に『流れ』を行っている状態とも言えるのですが…もともとが、鬼人(おに)と成る素養の無い人間の成れの果てですから…。大概は、幾ら()の活動が活発でも、まぁ、大した力を持つには至らないですね。」

 言い終えて今度は、姿勢を低くした洋平へ向かって、黒い鬼人(おに)の方から襲い掛る。

 全体重を乗せた様な大ぶりの拳を、洋平は左腕で防ぐ。…鈍い音、火花の飛び散りそうな衝撃。

 しかし、洋平が鬼鎧(きがい)の重量をコントロールしているのか、足元は小揺るぎもしない。

 黒い鬼人(おに)はその仄暗い瞳を動かして、洋平の左腕に通う波紋を見つめた。そして、この距離でも言葉に一切の淀みなく、

「そして『餓鬼(がき)』の一番の特徴。それは、『餓鬼』に生まれ変わった時点から、自分では()を作り出すことが出来ない。加えて、不完全な鬼鎧(きがい)を生成したことで、一時も休むことなく内在している鬼を消費することに成って仕舞います。仮に、鬼が底をついたとしたらどうなるか。それは勿論、肉体を覆う鎧が砕け散ることに成る。それで…それが、『餓鬼』に成った者にとって何か困るのかとお考えですか。…それが、大いに困るんですよね。いいえ、思考力は『餓鬼』になったとき既に失われているので…困ると言うのは不適当かも…まっ、兎に角、『餓鬼』の本能として、鎧が砕かれることを問題視するのは当然なんです。それと言うのも、一度、『餓鬼』に成ってしまった命には後が無い。ずばり言ってしまえば…鎧が失われると死ぬことに成るんですよ、『餓鬼』は…。」

と、黒い鬼人(おに)が、顔面目掛けて付き込まれる洋平の拳を腕で払う。それでもなお、惰性に引っ張られて接近する洋平を、黒い鬼人(おに)が額の辺りへの頭突きで押し返した。

 洋平は黒い鬼人(おに)からの思っても無い反撃に、尻もちを付いて黒い鬼人(おに)の顔貌を見上げる。…銅鐸を打ち鳴らす様な大音響よりも、自分の額を中心に拡がる波紋の方にこそ、洋平は驚きを隠せずに居る様だ。…黒い鬼人め…流石と言うか…。

 やや唖然として、自分の額の辺りを撫で、確かめている洋平に…黒い鬼人(おに)が見下ろし様に喋り始めた。

 「先程から、『鬼人(おに)と成る素養』などと婉曲的な言い回しをしていましたが…それは要するに、()を制御する能力が有るのか無いのかと言う事…当然、『餓鬼(がき)』へと変わる者には制御する力は無い。…例え、『餓鬼』となった後で身に付いたとしても…考えもしやしないでしょうけどね。鎧を(ほど)いて、人の姿に戻ろうなどとは…。まっ、そう言う訳で、『餓鬼』が生き続けるにはどこかしらから鬼を補充しないといけないのですが…もう貴方にはお解りでしょうね。そう、『餓鬼』は鎧を崩壊を食い止め、その命を繋ぐために…『死返(まかるがえ)し』を執り行うことに成ります。それも、燃費が悪いものだから…何度も、何度も…。そう言う厄介な存在なんですよ、『餓鬼』はね。」

 黒い鬼人(おに)が座り込んでぼやぼやして洋平を蹴り飛ばした。

 洋平は空中でくるりと一回転。巧みな鬼鎧(きがい)の重量の増減で蹴りの威力を殺して、地面に…戦線に復帰した。

 黒い鬼人(おに)は苦笑いを浮かべて、

「上手いものですね。数日前から見たら、見違えましたよ。これも『死返(まかるがえ)し』の効用…それとも、胃袋に収まってくれている恋人のお陰で、多少は肝が座ったと言う事でしょうかね。」

と、軽い冗談を一言。それからまた、口調を平坦なもの戻して、

「さて、ここからが本題です。…人は…人と、鬼人(おに)は昔から会い居ることの難しい関係でした。現在でもそれは続いており…それ故に鬼人(おに)の存在はひた隠しにされてきました。それでも人には、どうしても鬼人(おに)の助力を仰がねばならない理由がある…。」

 洋平も鬼人(おに)の一匹として、この辺の事情が気に成っているのだろう。それなりに大人しく、黒い鬼人(おに)の話に耳を傾けているようだが…まぁ、また黒い鬼人(おに)の話が脱線したら解らないな…。

 黒い鬼人(おに)は洋平のやや積極的な聴講の姿勢に、自然、舌の回りも滑らかに、

「一つは、『餓鬼(がき)』や、不心得者な鬼人(おに)…丁度、貴方みたいな方が悪さをして回るのを止めると言う事。これは流石に、人の力ではどうしても手に余る。それに、騒ぎが人の言の葉に乗る前に事態に方を付け様と思ったら…鬼姫さまの様な(かさね)に所属する鬼人(おに)たちの力を借りることが必須でしょうし…事実、それが慣例となっていますしね。まぁ、人の社会からの(かさね)への援助の手厚さを考えれば…持ちつ持たれつの関係とは言い難いんですけどね。」

 洋平が腰を落とした攻撃の姿勢を解いて、背筋を伸ばし黒い鬼人(おに)へ注目の視線を送る。…お前の話の腰を折る気は無いぞと言う、意思表示であろう…。

 千明も、無論、知っていることの方が多いのであろうが、そんな二人を尊重して…黙って白銀の瞳を、二人と、地平線へ近づくにつれて大きくなっていく、三日月の間を行ったり来たりさせていた。

 「…もう一つ、鬼人(おに)たちが人の為に行ってきたことがあります。それは、人が『餓鬼(がき)』と成ることを未然に防ぐこと…これはある意味では、力技で人間社会の安全を確保する事よりも、人々にとっては大切なことかもしれませんね。…なぜって、そのおかげで人々は、自分が得体の知れない何か変わり行く感覚を…思考力が徐々に失われ、獣並みの精神へと退行していく恐怖を味わわなくても済みますから…。まぁ、実際は、その手の兆候が出始めたら、ほぼ手遅れらしいんですけどね。…今は、餓鬼道(がきどう)へ脚を踏み入れてしまった哀れな人のことを話すのはよして…ではいったい、どの様にして人のが『餓鬼』へと変貌するのを防ぐのかと言うお話をしましょう。」

 黒い鬼人(おに)は、鬼鎧(きがい)によって豊かとは言えなくなった表情を補う様に、身振り手振りを取り交ぜて楽しげに語り続ける。

 「鬼人(おに)の中にはまれに、他人の()に強い影響を与えることの出来るもがいます。それは、互いの()を介して、相手の精神や、肉体を制御化に置くと言い換えても良い…。ようするに、そういう能力を有した鬼人が、鬼を制御出来ない普通の人々の中に溜まった鬼の、ガス抜きを行っているんだと思って下さい。」

「それは例えば、あんたみたいなやつのことなのか。」

と、洋平がなかなか良い質問を…。それに黒い鬼人(おに)が、

「いいえぇ、僕は()の制御が小器用と言った程度ですから、『虚抜(うろぬ)き』で相手の()の動作不良を誘う事は出来ても、相手の鬼を制御化に置くまでの能動性は持ってはいませんよ。どちらかと言えば、僕なんかより、鬼姫さまの方が近いでしょうか…それでも、彼女にならやってやれないことは無いという意味でですが…まっ、詳しい事は僕を倒してから、直接、彼女と触れ合って確かめて下さい。…話を戻します。他人の鬼を制御化に置くことの出来る人物のことを、『御伽衆(おとぎしゅう)』と呼びます。」

 黒い鬼人(おに)は、洋平の瞳の揺らぎから…どうやら彼がピンと来ていないことを察して、

「『御伽衆(おとぎしゅう)』と言うのは元々、貴人の世間話の相手を務めた人たちのことを指すんですけどね。それを鬼人(おに)たちが洒落て、鬼人ならぬ人様たちの『()を引く』…そして肉体の外へと()を引き出すと…そういう具合から連想して、『御伽衆』なんて呼ぶ様になったと聞いています。」

 黒い鬼人(おに)の見識の深さに、洋平は言うに及ばず…代々続く鬼人(おに)の名門のお嬢様である千明も驚いている。…千明さえも良くは知りえなかったことを知識を、黒い鬼人(おに)は誰から、どのようにして仕入れたのだろうか。それはそれとして…黒い鬼人(おに)の解説が、現代を生きる鬼人(おに)たちの事情へと流れ始める。

 「ところで『()を引く』と言いましたが、『御伽衆(おとぎしゅう)』は衆目を集めガス抜き作業を円滑に進めるために…古来より彼らは、芸を習得することを奨励されていました。現代でも、『御伽衆(おとぎしゅう)』は一芸に秀でた者がその任に付いています。演目はと言うと…古くは、大道芸、それに大衆演劇の演者として活躍した方もいらっしゃったとか。そして時が経つにつれて、ラジオが普及し、時を置かずしてテレビが各家庭に設置される時代が到来しました。そうなると、(かさね)の側ではガス抜きのさらなる効率化を求めて、公共電波を利用することを思い付いたことは想像に難くない事でしょう。幸い、『御伽衆』の芸は、デジタル化させた音声でも、テレビ画面越しでも効果はあった。お陰で、一度の多くの人々のガス抜きを行えるように成り、(かさね)としては万々歳。…現代では、『御伽衆』の一人がミュージシャンとして活躍していますね。その歌声に鬼を練り込み、ほぼ日本人全てに向けて、日夜、皆さんが『餓鬼(がき)』と成り果てぬ様に美声を披露している…。」

 黒い鬼人(おに)の興味深い話を聞きながら、何故か…洋平の脚がよろめくように、地面をにじって背後へと下がる。それはもしかしたら…洋平の中に居るという加奈子がよろめいたのかも知れないと…洋平自身が、そんな懸念を抱いていた。

 洋平の鬼鎧(きがい)の踵に、自ら握りつぶした携帯型音楽プレイヤーの破片が当たる。

 「おい、まさか…そう言う事かよ…。」

 その洋平の言葉に、黒い鬼人(おに)は被せ掛ける様に、

「『御伽衆(おとぎしゅう)』の中でも…特に女性の事を、『巫女(みこ)』と呼びます。」

 洋平がすかさず黒い鬼人(おに)から視線を外して、物問いたげな瞳を千明に向ける…。

 千明は…その瞳の奥にまるで加奈子の存在を見定めた様に、何とも言い様の無い目付きで…一拍置いてから、ゆっくりと頷いて見せた。

 …月は何と無慈悲なのだろうか…自分はとっとと地平線の彼方へと消え去って、まだ、まだまどろんで居たい人々を朝に置き去りにしていくのだから…。

 黒い鬼人(おに)はそんな夜の残した暗闇を一心に背負って、洋平に語り掛ける。

 「そう…micoは鬼人(おに)です。そして、繰り返しに成りますが、彼女が貴方を鬼人(おに)し…土屋加奈子さん追い詰めた…二つの意味でね…。」

 黒い鬼人(おに)の滑らかフェイスマスクに映り込んだ夜光が、三日月の代わりに、引き攣った様な笑みを浮かべた…。

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