怪しき来訪者
我は身じろぎもせず、ただその気配を見つめた。
足音はない。だが、確かに「何か」がそこにいる。
この沈黙を破るべきか、それとも待つべきか——。
そんな逡巡の中、不意に——。
布の奥から、乾いた音と金属と金属が擦れる音が響いた。
まるで、何かが床を擦るような音。
それは一瞬のことではなく、ゆっくりと、確実にこちらへ近づいてくる。
(……まずい。)
本能が警鐘を鳴らした。
我は意を決し、声を発する。
「——そこにいるのは、誰だ?」
静寂が張り詰める。
だが、返答はない。
代わりに、カーテンがふわりと揺れ——。
その奥から黒紫の靄を纏った金属の手が伸び布をめくる。
次の瞬間——。
「やっと、見つけた。」
低い声が闇の中から響いた。
(……誰だ?)
その声には、懐かしさと、得体の知れぬ禍々しさが混ざっていた。
「そんなに身構えず、もっと気楽にリラックスしなよ。……ふむ、ずいぶんと久しいな。」
低く響く声が、静寂を切り裂いた。
そんな真夜中に来訪者が現れたことに驚き、我の身体——否、本のページが束になってせわしなくめくれた。
「クックックッ……すまない。あまりに情けない姿で……笑ってしまったわ。」
嘲るような声が響く。
いきなり、我が言うのも何だが——目の前に黒い靄を纏った金属の鎧が現れた。
「……そ、そなたは何者だ?」
突如として現れた正体不明の存在に、我は思わずうろたえた。なんとか威厳を保とうと、低く響く声を意識したつもりだったが——出たのは思いのほか間の抜けた声。
なんと情けない……!恥ずかしいではないか……!
「ほう、これは……。おぉ、なんと悲しきことよ。」
癖の強い泣き声をあげる鎧。
その姿に、我はすっかりドン引きしていた。
この光景——きっと地獄絵図に違いない……。
(こんな空間から早く出たいわ……!)
「うわぁぁぁぁ……。」
思わず漏れた呆れの声。
「そんな顔で吾輩を見るでない‼」
鎧は我に一括する。
我は、ため息をつきながら考えた。
面倒ごとは嫌いだが……。このどうしようもない鎧の話を少しだけ聞いてやるのも悪くは…ないか。
「聞いて驚け!!吾輩はこの世界を——混沌にもたらしかの者に復讐するのである!!」
我はその言葉の痛々しさに意識が遠くの方に飛ばされそうになる。
「…………。…………。ドウヤラアタマノオカシイ者ガキタラシイ……」
「ひどいこと言うね、君。まぁ、いいさ。」
この者の話はどうにも聞いてやれそうにならぬ。
(逃げよう)
我は本能的にそう思った。
しかし——。
「あぁ、この場から逃げたくなってきたのか?でも、残念。今の君の力では到底敵わないよ」
鎧は不気味な声で我を蔑むように笑う。
「あと君、忘れているようだけれど…。強化ガラスに閉じ込められてるのにどうやって逃げるのかなぁ……。ねぇ、おしえてよ。」
鎧の粘着質にも似た声にハッと気づく。
(しまった…‼)
またもや我は半透明な壁に情けなくはじき返されてしまった。
「ほんっと昔からおもしろいよ君は。………気が変わった。」
そう鎧が言い放つと我の周りにアジサイ色の粒子が宙を舞い、その光から溢れ出る謎の力で動けなくなっていた。
「くっ……! 我の体が動かぬ? どういうことだ??」
「昔も今も変わらぬな、吾輩のたった一人の兄弟よ」
「我が……そなたの兄弟、 だと? ふざけるな!」
「そうすぐに怒るなよ。まとまる話もまとまらなくなる。」
「フンッ……!!」
我は苛立ちを覚え、鎧から視線を逸らす。
「今宵は吾輩の兄弟に失われた記憶を渡しに来ただけだ。」
「誰がそなたの兄弟だと‼‼……ん?今なんと?」
「しかたない、もう一度言っとくよ。吾輩は兄弟に失われた記憶を渡しに来ただけ。」
——その言葉に、我は驚き再び靄の方を向く。
二度と戻らぬものだと、遥か昔に諦めかけていた記憶。
それが——今宵、解決されるというのか!?
ならば——選択肢はただ一つ!!
「ほ、ほしい……その記憶を、我に渡してくれぬか?」
「欲に忠実な奴は嫌いじゃない。ただし——ただで渡すわけじゃない。」
我は、鎧に聞こえぬように小さく舌打ちする。
(それもそうか、ただより怖いものはない。)
「……我はどうすればよい?」
「簡単なことだ。吾輩の野望に協力してもらう。」
「………………。記憶が取り戻せるなら……やっても構わん。」
「クックックッ……。よし、決まりだな。この世界の☒▣☑■⊡☑が復活したらしい。吾輩はそいつを殺す。」
「そなたにどのようなメリットがあるのか分からぬが……我々だけでは叶わぬのでは?」
「あぁ、そうだ。そこで兄弟の力が必要ってこと。」
「我に……力が……?」
「魅了し、自由自在に操る。その力を使って、全人類を支配しあの忌々しいやつを殺す。」
「我に、さような力が? ……我は昔、人を操ったことがあるのか?」
「あるさ。だが、一から説明するのは面倒だな……。」
靄は楽しげに笑う。
「兄弟の記憶を一部、解放するぞ。」
突如として、まばゆい光が我を包んだ。
「まぶ……しっ……ぃ……ぞ!!!」
暗闇が一瞬で弾ける。
まるで水面に投げ込まれた石のように、静かだった思考が波紋を広げる。
——かつての記憶。
黒き城、無数の影、地に跪く者たち——。
我がいた場所。我が持っていた力。
そして——。
「……ッ!」
全身に衝撃が走る。
(我は……一体……?)
目を開ける。
そこに立っていたのは、未だ不気味な笑みを浮かべる混沌の影。
「どうだ、兄弟? 取り戻したか?」
我は、音も立てずそっと見えない両腕を伸ばす。
この感覚——かつて、確かにあったもの。
その先にはまばゆい光が我に掴めとばかりに輝いている。
「……。我は……。」
それを両手でゆっくりと包み込むように触れた瞬間、光がより一層輝きを増していく。
暖かくも寒くも感じられる光が我を向かい入れ、塵となった記憶が形作られていく。
やがて断片となったそれは繋がり始める。
——かつて、我は……!