5話 大切な人
「くーれーいーさーん!」
セレスティア王国、王都リザインの街。露店の防具の下見に来ていたクレイの元に、聞き覚えのある声が聞こえて来て——「どわあっ!?」。
振り返ろうとして、背後から凄まじい衝撃に殴られた。
二度三度、クレイは人混みの前を盛大に転がった。
「っぅ……! あぁ、もう! 朝っぱらから何だってんだ!」
気持ちの良い朝と週に一度の楽しみである露店巡り。
気分良く始まる筈だった一日を台無しにされて、クレイは怒りの雄叫びを上げる。
が、暫くすれば痛みも引いて来て、怒りの沸点も段々と落ち着いて来る。
ここは冷静に、大人として対処しなければならない。
——体の上の、ぶつかって来たらしい人との話し合いを。
「て、まぁ、ですよねぇ……」
見れば、クレイの体の上で黒い髪の猫耳少年が伸びていた。
その人物を、クレイは知っている。
「あの、キャットさん? 重いんで退いてくれます?」
「えあ? ひゃひゃひゃ……」
「あ、駄目だこれ。完全に伸びてやがる。……一先ず、移動だな」
周りを見ると、クレイとレイを中心に人集りが出来始めていた。
向けられる視線の殆どが心配の色を含むが、知り合いとの激突事故で近衛兵を呼ばれるのは流石に面倒臭い。
よって、クレイはレイを背中に背負ってこの場から離れる事にした。
と、言っても、飛び込み乗車を渋々了承してくれる開店前の酒場の店主なんて親友はクレイにはいないし、家に突然押し入る事を許してくれる仲のいい冒険者仲間なんて者もクレイにはいない。
最弱のEランク冒険者が頼れるモノなんていうのは、日頃募ったストレスを和らげてくれる橋梁の下くらいなもの。
「お、やっと起きたか?」
「……ここは?」
目を覚ましたらしいレイ。猫目が開いて、体を起こしたレイがクレイに状況の説明を促す。
「街の西側だ。キャットさんのお店の近くの橋、って言えば分かるか?」
「あぁ……。時々、グレイシャークが釣れるっていう……」
「え!? ここグレイシャークでんの!?」
立ち上がり、クレイは堪らず川の前から距離を取る。
目を凝らせば、確かに、大きい魚影が見える。
あれがグレイシャークだとすれば、嫌な事があれば度々川の前に赴いて黄昏ていたクレイはただの自殺志願者だ。
何せ、気性最悪。肉食であるグレイシャークの好物は人なのだから。
「何で、こんな街の川にいんだよ……。国も駆除しろよ……」
心配になって来た。この国が。
「てか、どうしたんだ? 元気ねぇじゃん」
「……僕、寝起きの機嫌が悪いんだよね。気分が上がらないっていうか、ナイーブな気持ちになるっていうか……」
「思わぬ弱点が発覚したな……」
「弱点……。うん。そうかもねぇ……」
「おいおい、いよいよ重症だな」
体育座りで、自分の膝に顔を埋めているレイ。その顔色の悪さに、クレイもいよいよ気づく。
いつもうるさいぐらい元気なレイの元気のない姿。調子が狂ってしょうがない。
となれば。
「んじゃあまぁ、俺が人肌脱いで上げますかね! 気分上げる為に、このクレイさんが面白い話をしてあげようじゃないか!」
腰に手を添えて、普段のレイに負けないぐらい元気な声で言ってやる。
そんなクレイの提案に、レイは「うん……。お願い……」と変わらない落ちた声で了承。
「よし! なら、俺の取っておきの話を行こうか。先に言っとくが、これは俺の話じゃない。とある酒場の女の子に聞いた話なんだが、半月前、この街に二人の異邦人が引っ越して来たらしい」
「………………」
「これはその初日の話で、その異邦人の内の一人の格好があまりにも怪しいってもんで、門番の近衛兵が『なんだその格好は!? お前は怪しい! 屯所につれて行く!』て言ったんだとよ」
「………………」
「そしたら、その異邦人は『僕は怪しくありましぇん! これを見れば分かる筈です!』って言って、何にも書かれていない紙切れを近衛兵の前に広げたらしい」
「………………」
「それに近衛兵が、『俺をバカにしてんのかあ!』ってブチ切れて、結局異邦人二人は屯所に、連行されて……っ」
「………………」
「あ、ありましぇん……って、噛んでるし……っ。何も書かれてない紙なんかで行けるとか思ってんのが本当、傑作で……っ」
耐え切れず、思わず話の途中で笑ってしまう。
もっと上手く話をするつもりだったのだが、クレイ自身が面白かった話だけに笑い過ぎてまともに話が出来なかった。
腹筋大崩壊。笑顔と涙が止まらない。
笑い過ぎてレイの反応が分からないが、きっと、レイも大爆笑な筈だ。
「俺この話聞いた時、本当、お腹がちぎれそうなぐらい笑ってさぁ」
「それ、僕です」
「え?」
聞いて、一瞬にしてクレイの笑顔が凍り付いた。
「連行された異邦人、それ僕とメイビスです」
畳み掛けられる。さっきにも増してどんよりと沈んだ顔で、クレイの顔も見ずに、レイが棘のある口調で呟く。
もう、クレイは何も言えなかった。何を言っても傷つける気しかしない。
だから、「えと、じゃあ、次の話……」とクレイは別の面白い話でこのえげつない空気感を挽回しようとして。
「——クレイさん。ごめん。嘘なんだ」
罪悪感に揺れる猫目が、クレイを見上げた。
今まで、何度も見て来たその目。トラウマの記憶。
嫌な予感がした。
「……う、嘘って?」
「クレイさん、大切な話があります」
尋ねて、無視される。
だけど、クレイはそれが何の嘘なのか既に分かってしまっていた。
だって、さっきまでと違って、明らかに顔色が良い。
「大切な、話……?」
「はい。貴方から受けた依頼に関して。貴方の幼馴染について」
「——っ!?」
言われて、聞いて、クレイの全身を稲妻が突き抜けた。
「メアリーに何かあったのかっ!? 教えろ! あいつは今何処にっ!」
レイの胸ぐらを掴み上げて、クレイは吼える。
駆られる強い焦燥感。心臓が握り潰される様な激痛。
彼女に何かあったと考えるだけで、感情のコントロールが効かない。
レイは、クレイと目を合わせようとしない。
「答えろッ!! 便利屋ッ!!」
叫んだ。
目を血走らせながら。小柄なレイの体を持ち上げながら。
すると、レイは自らの唇を噛んで、血を垂らしながら。
「—— A級ダンジョン、《焔の塔》」
そう、クレイに告げた。
「は? 何で……。まさか、そこに……?」
頷く、レイ。
それを見て、クレイはレイの胸ぐらから手を離す。
離して、直ぐに駆け出そうとして——その手が、後ろから掴まれた。
「離せよ、便利屋。俺はあいつを助けに行く」
「いやです。僕も行きます」
「……お前が……?」
「はい」
思い出す。
初めて、レイ・C・キャットと出会った日の事を。
『焔の塔』四階層。剣も、腕も、足も折られて、火翼竜に追い詰められるなんて窮地に晒されていたクレイ。そんなクレイの元に、レイは壁の外、塔の壁を破壊する事で現れた。
クレイを襲う、火翼竜を蹴り飛ばして。
だけど、そんな英雄的登場も、火翼竜の奇襲を受ける事で台無しとなった。
その思い切りの良さも、その奇抜さも認める。
だけど、手助けになるとは到底思えない。
「お前に一体なにが——」
だから、クレイは怒りに叫んで。
——同時、川の中からグレイシャークが飛び上がった。
大きい図体。クレイの図体よりも一回りは大きい、鋭い歯が特徴的な肉食魚が。
そんなグレイシャークの目は、一人の獲物を、猫耳の少年を捉えていて。
ギザギザの鋭い牙が、今、レイの首元に届こうとして——。
「あぶないっ!」
手を伸ばして、クレイは叫んだ。
だけど、その手が届く事も、その牙がレイに届く事もなかった。
「——約束する。僕が、君を彼女の元に連れて行くよ」
確固たる強い意志を宿した猫目の少年が、クレイを見つめていた。
その手から、血を滴らせながら。
数秒前まで、グレイシャークだった筈のモノを、肉と血を全身に浴びながら。