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先生、おやすみなさい  作者: けもの
中学生
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中学の終わり



 次の日の昼休み、教科書を眺めていた俺を教室の入り口から中屋先生が呼んだ。

 パタパタ鳴る先生のスリッパの音を聞きながら廊下を並んで歩く。

 今日の先生は黒いポロシャツで、脇腹にチョークの粉が指の形でくっきりとついている。


「クラブ辞めるんだって?」

 先生は相変わらず軽い調子だ。俺は適当に頷いた。

「どうせ中学で辞めるんだからいいかなって」

 二人で廊下の突き当りまで行くと、先生が押し開きの窓を少しだけ開けた。途端、待っていたみたいにぬるい風が入り込んできて、前髪が根元から巻き上げられた。

 風の中に大好きな夏の匂いを嗅ぎつけて、思わず頬が上がる。

「大会、見に行くつもりだったのにな」

「行ってあげてよ」

「俺のクラスの生徒はお前だけだから」

 先生が生徒をお前と呼ぶのは珍しい。見上げると、先生は待っていたように俺を見下ろしていた。

 メガネの奥からジッとこちらを見つめてくる。

 俺はその視線が俺の頭の中を覗いて、全てを見透かしてくれたらいいのにと思った。


「言えないけど理由があるんだもんな。俺は田所先生じゃないから、それを追求しないでいられる。高瀬のしたいようにしたらいいって言ってあげるよ」


 先生の言葉が身体にすっと入り込んできて、なんでもなかったはずの胸がぶるぶると震え始めた。

 耐えられず、喉の奥から心が零れた。


「俺だって変わりたくて変わるんじゃない」


 涙が出そうになって、窓の桟に肘をついて顔を隠す。

「うん、そうだよね」

 頭の上から穏やかな声が落ちてきて、喉が苦しくなって唇を噛んだ。

「高瀬は田所先生の気持ちもちゃんと分かってるんだもんな。才能のある高瀬がどうしてサッカーを辞めてしまうのか、なぜ今までと態度が変わってしまったのか、知らないままではいられない。俺よりももっと高瀬を身近で大切に思っているから、勿体ないことをさせたくないし、困ってるなら助けてやりたい。後悔もしないで欲しい」


 分かってる、分かってるよ。

 泣いてるのはバレてる。でも顔は上げられない。もっと泣いてしまいそうだから。


「全部は言わなくていい、でも言えることだけでいいから言うんだ。誰でもいいから。自分だけで抱えたら駄目だよ」

 優しい声がそう俺に勧めた。


 先生、それはできるか分からないよ。先生にでさえ超能力で察してもらいたいって思ってるのに。


「ほい」


 俯いた視線の先にハンカチが差し出された。俺はそれを受け取りながら、先生の手に指輪があるのを見つけた。


「先生って結婚してたんだ」

「してたんだよ」

「指輪なんかしてたっけ、昨日結婚したの?」

「去年結婚したんだけど、すぐなくしちゃったんだよね」

「最低」


 落ちてくる笑い声に俺も笑って、濡れたハンカチを内側に畳み直して返した。

 先生は窓の向こうの青空を見上げながら、ハンカチをポロシャツの胸ポケットに押し込んで、すうーっと気持ちよさそうに空気を吸い込む。俺もつられて目を瞑り、肺いっぱいに夏を吸い込む。


「教師になりたての一年目はさ、なかなか大変で、ちょっと痩せちゃったんだよ。それでどっかで抜けちゃったんだろうな、気が付いたら無かった」

 なるほど、最低は言い過ぎだった。

「奥さんに怒られた?」

「痩せたことを心配されたよ」

「優しい奥さんで良かったね」

「同じやつを自分で買ってこいって言われたけどね」

「買ったんだ」

「実は同じじゃなくてちょっと安い」

 先生は内緒話のようにこそっと言った。

「うわやっぱ最低」

「ハハハ」




 こうして俺はサッカーを辞めた。

 健人や直や、後輩みんなに引き留められたけど、俺はとにかく頭を下げてなんとか引き下がってもらった。孝一は何も言わなかった。

 母さんに辞めたことを伝えると、「特待生の話もあったみたいよね」と言われてギクッとなった。

「サッカー嫌いになったの?」と聞かれて、「色々疲れた」と嘘とも嘘じゃないとも言えない事を言った。

「君の人生さ、自分で決めな」

 母さんはそれ以上何も言ってこなかった。それでも夕ご飯はたくさんのおかずを並べてくれた。帰宅した父さんも、「お疲れ様」とケーキを買ってきてくれた。

 ゲイだということをいつか母さんには話したいと思う。もちろん父さんにも。

 でも親に告げる時は、もっと間違いない確信が得られて、そしてそんな自分をそれでいいと自信をもって認められた時だとなんとなく思った。





 秋が深まって、三年生はみんな受験に向けて集中していた。

 記録的な猛暑が続いて初秋にずれた今年の大会は、去年と同じく地区大会を勝ち、県大会の初戦で負けた。

 俺がいてどこまで進めたかは分からないけど、全国までは行けなかっただろうから俺の密かな罪悪感はあまり膨らまずに済んだ。

 一時期はクラスメイトさえ俺がサッカーを辞めた理由を探ってきたけど、何も言わない俺をみんなようやく構わなくなった。受験が迫ってそれどころじゃないんだろう。


 時々孝一に誘われて図書館で勉強をした。二人とも勉強に苦労はしてこなかったから、ただ隣にいてそれぞれ復習を続けた。

 孝一も推薦の話があったらしいけど、行きたいところがあったようで自力で受験するそうだ。

 一度家にも誘われたけど、嘘を吐いて断った。


 そして俺は家からバスで二十分の市内の一番偏差値の高い公立高校に入学し、孝一は電車で二時間のサッカーの強豪に入学した。

 中学生になった真結ちゃんが言うには、進学クラスのトップで入学したらしい。

 サッカー部の寮が相部屋で勉強が大変だと言っているそうだ。

 茨の道を行く親友の無事を俺はただ祈るばかりだった。


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