アオとハル
「よう」
自動販売機の前でばったりと甲田に会った。
去年の終業式以来で遭遇した甲田は、以前よりもさらに落ち着いた風貌になっていて、一瞬どういうスタンスで接するべきか分からなくなった。
「久しぶりに見た」
「毎日来てるし」
久しぶりなのに、こんなに簡単に声を掛けられる関係になってしまった。
服装もきちんとして、優等生の彼女に影響されたんだなと思うと、内心微笑ましくすら思った。
「彼女と仲良くやってる?」
五百円を投入し、自分のお茶と熊田に頼まれたいちごミルクのボタンを押して、仲睦まじい二人の手繋ぎシーンを思い出す。
彼女はどこの大学に行ったんだろう。甲田もそこに行くのかな。
「……れた」
ペットボトルの落ちた音でハッキリと聞き取れず、自販機の前でしゃがみ込みながら、「なんて言った?」と聞き返すと、「別れたよ!」とやけくそみたいな声が降ってきた。
「え? あ、ごめん」
予想していなかった回答に、手探りで飲み物を取り出しながら謝った。
「なんで?」
普通は聞きにくいことも甲田には易々聞ける自分が恐ろしい。
認めよう、俺は甲田に興味があるんだ。常識や思考回路が俺とは全然違う仕組みを採用している男の失恋話が純粋に気になる。
「目が覚めたんじゃねーの。今はもっと頭と育ちのいい男と付き合ってるよ」
甲田はさっぱりとした口調で言うと、俺を押しのけて缶コーヒーのボタンを押した。おいそれは俺の金だ! と思ったけど、さすがにこの流れでは言えない。
「それは辛いね」
あんなに仲良く手を繋いで歩いていたのに、恋の終わりっていうのは本当に無慈悲なものなんだな。
あんなに遊びまくってた甲田でさえこんな雰囲気になってしまうんだから、俺なんかに耐えられるわけがなかったんだ。いや俺は完全なる片思いの玉砕だけど。
「ふん」
俺の表情が何か気に障ったのか、甲田は鼻を鳴らして缶コーヒーをぐいっと煽った。
「じゃあ、振られたってことか」
我ながら明瞭な気遣いのなさで言い放つと、甲田の整えられた眉がきっと吊り上がった。
「お前本当やな奴だよな?!」
甲田が確認を取るように言う。
「うん。自分でも甲田には嫌な奴だと思う」
なんだかもうそういうもんだと思ってる節もある。申し訳ないけど。
ハッキリと頷いた俺に呆れた顔をした甲田が、それでも立ち去る様子がないので、俺もその場でお茶のキャップを捻った。
「失恋ってどうやって立ち直るの?」
チラっと甲田を見て聞いてみる。甲田はまた鼻を鳴らした。
「俺が立ち直ってるように見えるのか?」
え、立ち直ってないのか。
俺は少し背筋を伸ばして甲田の全身をサッと眺めた。
「落ち込んでるようには……見えないけど?」
「何でそんなこと聞いてくんだよ!」
「まあ、ちょっと……参考に」
睨む甲田から顔を逸らしつつ、無意味な事をしているなとは思う。
甲田が俺に何を教えてくれるっていうんだ。教えてもらったところで参考になるとも思えない。
案の定、甲田は「ハア?」とバカみたいな声で俺をバカにして、それから少し何かを考えてから、「あっ!」と気がついたように俺の顔を覗き込んできた。
「お前、それ前に言ってた片思いのやつか!」
げっ。
かつて自分で言ったその場しのぎの嘘をすっかり忘れていた。いや嘘じゃなかったけど。
「お前も振られたのかよ! はははははっ!!」
キレの良い「は」を連呼して笑う甲田に、やっぱりちゃんと腹が立った。
通り掛かった一年生がギョッとしてこっちを見て、俺は半歩距離を取った。
しつこく笑い続ける甲田にじりじりと苛立ちながら、いやいやこれは自分で蒔いた種だと言い聞かせる。耐えろ俺。
甲田は自分の憂さまで一緒に吐き捨てるみたいにひとしきり笑った後、
「じゃあもう遊べるじゃねーか、モテるんだから誰でもいけよ」
綺麗な顔が俺を真っすぐに見て笑った。音声がミュートなら本当に甲田は顔がいい。
いやいや。
「俺は立ち直ってないんだよ! 立ち直る方法を聞いてるんだって! 話を聞けよ!」
ところが甲田は高慢な位置に眉を上げて、「分かってる」と頷いた。
「だから遊んで立ち直れって言ってんだろ、ついでに童貞も捨ててくればいい」
「はー」
整った顔を目を細めて何とか歪めて見てやろうとしながら首を横に振った。
「やっぱり聞いても無駄だった」
「んでだよ!」
「俺は好きでもない人とはできないから!」
お前とは違う! と強く否定を込めて言い捨てた。
でも、俺にはそうしろと言ったくせに、甲田は以前のように女の子と遊び歩いてはいないような気がした。いや女の子を遊び歩く、か。どうでもいいけど。
髪型は前に見た時よりもさらに短く清潔にセットされているし、シャツも綺麗にシワが伸ばされて、以前のような擦れた雰囲気は一つもない。うっかりいい印象を持ってしまいそうなほどだ。
「大丈夫だって、なんだかんだで勃つから」
「……」
心の中で所見を見直しかけた俺は一瞬で鼻白むと、笑う甲田に卑しいものを見るような眼差しを向けてやる。
「もういい、本当にもういいです」
「童貞はおとなしくアドバイスを聞けよ」
「価値観が違うので聞いても意味ないです」
つまらないものを見る目の甲田を身長差を使って見下ろしてやる。
もし俺がゲイだと知ったら、こいつは転げ回りながら腹がねじ切れるまで笑って絶命するかもしれないなと極端な想像をした。
「価値観ね」
ぽつ、と甲田が言った。
「なに」
「結局それが原因だよな、大体の関係の終わりは」
甲田は胸ポケットからミントタブレットを出して口に放った。
あれ、もしかしてタバコ止めたのかな。
舌のピアスももう無いようだった。
どうやら価値観の違いが二人の関係を終わらせたらしい。想像がつかないことはないけれど、悔しいかな、俺にはまだ成就した恋愛の経験が無いのでその辛さは分からない。
「甲田がどう立ち直ろうと勝手だけど、せっかくいい影響もあったんだからそこら辺は維持すれば? いや、本当俺にはどうでもいいけど」
文句はあんなに言いやすいのに、良かれと思うことを言おうとするとなんでこんなに口下手になってしまうんだろう。本当に変な感じだ。
「まあするよ、勉強は」
思いの外素直な返事が来て、俺はまた拍子抜けした。
「あっそ、よかった」
「うん」
うん?
なんだろう、なんだか妙な空気感が生まれている気がする。
いやいや! 俺はこいつと仲良くなる気はないぞ。それくらいの仲違いの歴史があるはずだ。俺はこいつが嫌いなんだ!
自分に甲田へのスタンスを言い聞かせていると、甲田がすうーっと音を立てて息を吸い込んだ。
「弟、二人になったぞ」
「え、ホント?!」
一瞬でスタンスを放り出して声を上げてしまった。
「気になってたんだよね!」
前のめりで笑顔まで向けてしまった。
「一緒に住んでるの?」
「おう、すげえ可愛いぞ」
「写真とかないの?」
我慢出来ずに催促すると、甲田は嬉しそうにスマホの待ち受けを見せてくれた。
「うわっ! めちゃくちゃ可愛い!」
揃いの服を着た甲田の弟たちは不思議とよく似ていた。詳しく言えば叔父と甥の関係になる二人だけど、双子と言われても違和感はない。
「ほっぺたがぷにってしてる……」
柔らかそうで、お饅頭みたいだと思ったけど、それが誉め言葉になるのか分からなくて飲み込んだ。
「可愛いだろう、二人ともぷにっぷにだぞ!」
褒められて満足そうな甲田に、俺は思わず噴き出した。
「笑ってんじゃねえよ!」
甲田はむっとしたが、自慢したい気持ちが勝ったらしく、スマホにある画像やら動画やらを次々と見せてきた。
しょうがなく並んで座った。
連写されて殆どコマ送り動画みたいになっている写真を素直に嬉しい気持ちで見た。
待ち受けの写真は赤ちゃんに近かったが、動画はもう喋って歌って歩き回っている。
「今幾つ?」
「五月と六月で二歳」
「二歳前でこんなに何でもできるんだ!」
揃いの服を着せてもらって、一人は歌って一人はそれに合わせてお尻を振っている。
「踊ってる可愛い! 歌も上手!」
歌詞は定かでないけれど、音程は合っている。
「すごいだろう。かわいいんだよー」
甲田が自慢げに深く頷いて、可笑しくて肩が震えた。
「歌ってるのがハルで、踊ってるのがアオ」
「アオハルかあ」
子どもと青春。俺の人生には無いもの。
恐らく一生子どもを持つことのない俺にも、他人の子どもを可愛いと感じる感性が備わっている。少し残酷な気もするけど、社会性のある動物としてはあって然るべき才能なんだろうな。
やめやめ、こんな可愛い子どもの前でネガティブになるのは。
それにしても、二人の可愛さもさることながら、動画に写る甲田の言動が完全に親ばかのそれだった。
「前から思ってたけど、子ども好きなの?」
「嫌う要素が無いだろ」
変なことを言うなという顔で見られ、耐えられず笑ってしまう。
「気が付いてないと思うけど、凄く意外だよ」
「なにが」
「子どもが好きそうには見えない」
「そんなわけないだろ!」
眉を寄せて言い切られ、俺はまた笑ってしまった。甲田は意味が分からないという顔だ。
「良かったね、いいこともあって」
「いちいち引っかかる言い方しやがって」
「ごめんごめん」
「まあ」
スマホをポケットにしまって、立ち上がった甲田はコーヒーの缶をゴミ箱に捨てた。
「元カノのお陰で俺が真面目になったのも、姉貴が手放す後押しにはなったらしいわ」
「へえ、そうなの」
経緯はどうあれ、子どもの行く先の環境を気にするということは、愛情があるんだ。十カ月もお腹にいたんだもんな。
「この子が出来てなきゃとか言ってたくせに、俺の素行に口出してきやがって。ほんっとむかつく女」
ポケットに手を突っ込みながらチッと舌打ちをして悪態を吐く甲田は、清潔な見た目でも中身の悪さが露呈していることに気が付いていない。
そうそうこうでなくちゃ。これでこそ俺も安心して悪態がつけるってもんだ。
「そうとう遊んでたし仕方なくない?」
「うるせ!」
睨まれて嬉しい気さえしてしまう俺は少しどうかしているのかもしれない。
「お前は?」
「え?」
「いい影響、お前もあったか?」
真っ直ぐな眼差しに捕まって、先生の腕の温もりを思い出してしまった。
眉が寄って、辛くなるのを誤魔化せず俯いた。
何も語れることは無い。好きとさえはっきりとは言えなかった。
それでも、可愛い弟たちの写真を見せてくれた甲田の素直な笑顔を思い出して、少しくらいは自分を見せる気になった。
「いい影響しかなかったから、こんなに落ち込んでる」
「辛いのか」
辛いよ、こんなに辛いなんて思ってなかった。
田中にも言えないでいる。
「まあ、始めから望みなんかなかったんだけどね」
鼻がツンとして、少しだけ涙の気配がした。
「ざまあみろ」
ハッとして顔を上げると、甲田のニヤニヤ顔が飛び込んできた。
瞬間、俺は全ての感情を苛立ちに任せた。
「チッ!」
「あー高瀬くん、舌打ちとかするんだねえー怖いねえー」
甲田が堪らなく嬉しそうに体をゆらゆらさせている。
俺はムカつきが天井を突き抜けて、猫を呼ぶ時くらい舌打ちを繰り返した。
「猫かよ」
「ぷっ」
ムカつく、こんな奴に笑わされてしまった。
でも俺を馬鹿にしていたはずの甲田も笑っていて、不本意ながら、心が少し救われてしまった。




