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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
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好きのない告白



 今日で二月が終わる。

 来月になったら小塚先輩が卒業する。でも寂しくはない。

 この間、先輩からタコさんウインナーの入ったお弁当の画像が送られてきた。俺の料理趣味に感化されて作ったらしい。

 両親と社会人のお姉さんに作って、大そう褒められたと書かれていた。

 夕ご飯を作るともっと褒められますよと送ったら、考えておくと返ってきた。多分作らないだろうな。


 田中にカミングアウトしたことで、ずっと気持ちが楽になった。

 小塚先輩と田中、二人とも引き続き俺と友達でいてくれるらしい。

 田中が十一月に俺と先生を見かけてから、ずっとそうかもしれないと考えていたっていうのも、ちょっと不思議な気持ちがする。全然気が付かなかったし、そうだったことが嬉しい。

 それに、先生と俺がそう見えたっていうのも、やっぱりまだ嬉しい。

 ただ、あれから田中は明らかに変わった。

 前よりも話しかけてくる頻度が各段に増えたし、体育の時は必ず俺とペアを組んでくれる。帰りのバスも一緒だし、最近なんて朝も会う。なんだかもう全部が変わってしまって変だった。それなのに、熊田と菊池はそれぞれの青春に夢中だからか、田中の変化には気が付いていないみたいだった。


「気を遣わないでって言ったと思うけど?」

 柔軟体操中に田中の腕を引っ張りながら言うと、「俺とやるの嫌なのかよ」と田中は目を細めた。

「そうじゃないけど」

「じゃあ別にいいだろ」

 どういう考えからなのかはよく分からないけど、もちろん嫌なわけではない。

「別にいいけど」と笑うと、田中も笑った。


 田中はそうだと知らなかった時の言動を謝ってくれたけど、元から俺が気まずくなるようなことは言わなかった。こうして会話や一緒にいることが増えても居心地は変わらない。

 またホッとできる居場所ができたんだと嬉しい気持ちがするのに、胸の真ん中では失った居場所を思い出してしまって切なさも生まれた。


 あの夜、触らないでと言って先生を家から追い出した。

 後悔しているのに気が立って、発作的にSNSの設定を変えた。

 一人きりの家で電気もつけず、サビしか分からない流行りの歌をランキング順に大声で歌った。

 いつのことだったか話の流れも思い出せないけど、男が親のいない家ですることといえばオナニーだろと渡辺君が言って、みんなは「確かに」と笑っていた。でも素っ裸になってベッドに寝っ転がってみても全くそんな気にはなれなくて、俺はまた自分がなんなのかがよく分からなくなってしまった。

 布団にくるまってミノムシになって、ミノムシが絶滅危惧種だとどこかで読んだのを思い出し、ますます孤独な気持ちに拍車が掛かった。


 あの日の先生の表情が記憶に焼きついている。

 ひどいことを言った。

 先生が安全な場所にいたから俺だって安心してそばにいられたんだ。

 先生は俺を励ますために手を握ってくれたのに。頑張ったねって抱きしめてくれただけなのに。

 好きになったのは俺なのに、電話をして寄り道をさせて、しまいには追い出した。

 先生の手はあったかかったな。

 でももう触れてもらえない。もう、友達にもなれない

 なんで好きなんて感情があるんだろう。ただ生きるだけなら、もっと楽なんじゃないのかな。


「高瀬」

 呼ばれて顔を上げると、田中の心配そうな顔があった。気まずく感じて、でももう取り繕う必要が無いことに気が付いた。

「ごめん」

「いいよ、でも怪我するから体育ではあんまり考え込むな」

「わかった」


 

 田中のお陰で憂鬱さは随分楽になった。

 菊池と林さんのデートは着実に幸せ太りの道を歩んでいて微笑ましかったし、熊田は春休みにちょっと遠くへ日帰り旅行に行く計画を立てていた。

 クラスのみんなも三年生になる前の春休みを待ち遠しくしていた。そんな中で一人で落ち込んでいるのは中々しんどい。でも田中が俺を一人にしなかった。

 トイレに立っても出口で待っていて、「やめてよ」と言いつつも笑ってしまった。




 二月の終わりはバイトだった。五時から十時。

 相性の悪い二月がもうすぐ終わる。

 まあでも、そこまで二月を毛嫌いしなくていいのかもな。

 先生とはあんなことになったけど、八島さんとは友達になれたし、SNSを公開して友達からのいいねが増えた。菊池と林さんが付き合ったし、田中にカミングアウトできた。

 落ち込んではいるけど、いいこともたくさんあった。そうだ、人生もきっとそうだ。悪いことばかりじゃない。きっとこれからもいいことがある。



 コンビニの裏口から出て、貰った売れ残りのバレンタインチョコを自転車の籠に入れて鍵を外した。

 思わず出そうになる溜息を飲み込むと、『大丈夫だよ』と先生の声が脳内で響いて、やっぱり小さく息が出た。

 いつかこの声も必要なくなる日がくる。



「高瀬」



 心臓がひとつ大きく鳴って、顔を上げた先に先生が立っていた。


「先生、なんで……」

「会いたかったから」


 身体の真ん中から発生した身震いが放射状に全身を突き抜けていった。

 痺れたようになって動けない俺のところへ先生が近付いてくる。

 瞬きをしても消えない。幻覚じゃない。


「まだ夜は少し寒いね」

 先生の手が伸びてきて、中途半端に開いていた俺のマウンテンパーカーの前を閉めていく。

 ジッパーが上がってくる音が心臓の音と混ざり合ってやたらとうるさい。耳の奥が熱くて痛い。

 引手と一緒に上がってきた先生の指先が顎に触れ、微笑まれて慌てて目線を下げる。

 脚が萎えて、うずくまってしまいたくなった。


 俺も会いたかった。

 零れそうになる言葉を頑張って口の中に閉じ込めた。


「遅くまでお疲れさま。連絡が無いのは、毎日が順調ってことかな」

 言わなきゃ、何かもっともらしいことを。

「うん……何もないよ。ゲイの青年の日常は、そこそこ順調。何も……問題なし」

 声が震えるのはどうしようもできなくて、奥歯に力を籠める。

「なんでもない日常も気になるのに」

「何も面白くないよ」

 どうしよう。もうこんなに動揺してる。声は上ずってるし、目だって潤んでる。

 先生は絶対に気が付いてる。きっと全部気付いてる。

「もう俺には教えてはもらえないの?」

「…………」

 喉が詰まって言葉が出ない。噛んだ唇を噛み切ってしまいそうだ。

「ごめんね、突然会いに来て。話したいことがあって」

 話したいこと? なんだろう。

 前に俺を友達に引き留めたあれかな。本当にあったんだ。

 上がりかけた視線を、自分自身で引き留める。

 いや、また関係を気まずくした俺を引き留める優しい口実かも。馬鹿な俺を今度はなんて言って引き留めてくれるんだろう。

 ああ……違うだろ、諦めるんだよ。孝一の時みたいに離れて考えないようにして、そしたら……ダメか、友達にはなれない。

 黙ってちゃ駄目だ。先生が心配する。そしたら馬鹿な俺は嬉しくなってしまう。


「田中にゲイだって話したんだ」

 俯いたまま先生の足先に話しかける。

「え?」

「去年からそうかもって思ってたんだって、俺が……女の子を遠ざけるから」

「そう……だったんだ」

「凄いよね、鋭い」

 先生の形のいい革靴が綺麗に光っている。

「それで、田中君とは……」

「今までと変わんないって言いたいけど、凄く変なんだ。気を遣わないでって言うのに、いつもそばにいてくれる。朝も、学校でも、帰りも一緒。トイレまで待っててくれるんだよ? やめてよって言うのにさ」

 明るく笑って見せて、順調な毎日だって信じてもらわないと。

 俺は大丈夫だよ先生。一人じゃないし、寂しくもない。

「それじゃあ俺はもう、必要ないのかな」

 そうだよ。もう先生は俺なんかのそばにいなくてもいい。


「……うっ……ううっ」

 喉から声が漏れて、ぼたぼたと涙が地面に落ちた。

 ああもう最悪だ。

「高瀬」

「なんで来たの? あんなにひどいこと言ったのに」

「ひどくなんてないよ、俺が悪かったんだ。あんな風に追い詰めたりして」

「違う、俺が……」

 先生の手が伸びてきて、俺は慌てて身を引いた。

 悲しそうになった顔の先生に、違うと言いたくて何度も首を横に振った。

「高瀬、教えて。どうして泣いてるの?」

 涙が次々溢れて頬を流れていく。

 どうしよう、何か思いつけよ。

「迷惑になるだけなんだ……俺の、こんな……」

 堪えようとすればするほど呼吸が乱れていく。

 逃げ出したい。家のベッドで今すぐミノムシになって誰にも見られたくない。

「なにかあったの?」

「なんでもない、少し情緒がおかしいのかな。二月だし」

 二月に全てを押し付けて笑おうとしたけど、悲鳴みたいな声が漏れて慌てて口を押えた。

 もう先生の顔が見られないほど涙が止めどなく湧き上がって、自転車を壁に預けて指先で何度も拭った。

 どうしよう、どうしよう。

 自転車を捨てて走って逃げだしたかった。孝一の家から逃げ出したかった時よりも、もっともっと逃げ出したかった。



 ぎゅうっとマウンテンパーカーが鳴って、先生の腕の中にいた。

 びっくりして声も出ないのに、あったかくてため息が出てしまった。

 先生からはもうお香の匂いはしなかった。スエードのジャケットの匂い、それから、先生の匂い。

 暖かい首元に顔をうずめた。


「どうして?」

「泣いてるから」

「駄目だよ」

「なぜ?」


 涙は出るのにもう言葉が出てこなかった。

 抱擁が強まって、初めて先生の背中に腕を回した。

 はっきりと自分よりも大きい身体。少しだけ上へと引き寄せられるのが、やっぱり嬉しい。

 先生が好きで堪らない。未来なんてないのに、言いたくなんてないのに、言葉が喉から溢れてくる。


「先生は、俺の気持ちが分かってるの?」


 しゃくりあげながら最後の質問をした。

 先生は、少しの間黙った。


「分かってない。だから……大丈夫だよ」


 先生の嘘は優しい。

 声を上げて泣く俺を先生は強く強く抱きしめてくれた。

 あったかくて苦しい。悲しいのに幸せを感じた。

 ずっとこのまま抱きしめていてもらいたかった。

 二度目の失恋は、苦しくて優しかった。


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