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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
62/85

二月のこと1



 二月は俺にとって事件が起こる月のようだ。


「これ」

「え?」

 お客さんの会計が済むのを待っていたら、紙を差し出された。

 無意識に受け取って、そこでようやくその人をちゃんと見た。

 柔和なまなじりで微笑んでいる大学生風の男性が、俺を試すように見ている。

 手元に視線を落とすと、二つに折られたレシートだった。

 不要なレシート?

「裏だよ、気が向いたら連絡して」

「へ?」

 まぬけな声を上げた俺に、その人ははっきりと噴き出して、「君に興味があるからさ」と言い残して退店していった。


 少しの間、思考が停止した。福田さんが何かに蹴っつまずいた音で我に返り、レシートを裏返した。

 そこには八島一というフルネームと電話番号が書かれていた。

「やしまはじめ、かな」

「どうしたのー? クレーム?」

 福田さんがパンコーナーから顔を出した。

「や、あ、いいえ!」

 慌ててそれをズボンのポケットに押し込むと、そこで始めて心臓がドキッと鳴った。

 興味って、どういう意味だろう。

 紙に電話番号って……まさかこれはナンパというやつなのでは。

 いやいやいやまさか!! ピンポイントでゲイの俺に見ず知らずの男がナンパしてきたって? あり得ない。

 ひとまず落ち着くためにレジを出て、商品の陳列を整えた。

 けれど頭の中は完全にさっきの男の人でジャックされてしまった。


 興味ってなんだろう。お友達になりましょう……とか? ただレジを打っただけの俺に友好的な興味が湧くなんてことあるかな。

 恐らく二十歳くらいだけど、フットサルの対戦相手にはいなかった……と思う。思い当たるふしは他にない。顔を覚えるのは得意な方だと思うけど。

「福田さん、さっきの人って前にも来ました?」

「んーどうだろ。私この時間はあんま入らないからなあ」

「そうですか」

「知り合いなの?」

「違うと思うんですけど、何処かで会ってるのかなーって」

「向こうは知ってるみたいだったんだ」

「いや、全然それも分からなくて」

「なんて言われたの?」

 えっ?!

「えっと、連絡してね……的な」

「ええ? 絶対知り合いじゃん! 気まずいねー! なんでか思い出せないんだよそういうときは」

 忘れちゃいな! と福田さんは笑った。



 結局忘れちゃうことはできず、バイトの間中ずっと動揺していた。

 家に向かって自転車を押している最中も、ポケットの中に入れたままのアレが存在を主張している。

 正直に話したら、福田さんはなんて言ったかな。


『興味があるって言われて番号渡された?! 絶対ナンパ!!』


 うーん、実に言いそうだけど、この想像は俺がゲイだからな気もする。

 ゲイじゃない男だったらどう思うんだ? 全然分からない。

 自宅が見え始めて、俺はもう一度彼のことを思い出してみた。

 そんなに嫌いな見た目じゃなかった。

 背は同じくらいか少し小さいかもしれないけど、骨太な感じで、全然……嫌いではな……い。

 立ち止まってポケットからレシートを取り出してみる。

 紙はさっきと同じ情報をくれるだけなのに、じっと眺めていると俺の未来を大きく変えてしまう重要な数字の並びに思えてくる。

 いやいやいやいや、で、これに掛けるの? 電話を? 俺から?! 興味があるって?!

 無理でしょ!! ゲイですって言うようなもんじゃん!!

 でもそれは向こうだってそうだし……。

 いやまだそういう意味じゃないかもしれないだろ! てか絶対違うよ! お友達かも知れないし、ヘッドハンティングとか?! いや何のだよ……コンビニバイトだぞ……。

 脳内でジタバタとして、美容師にカットモデルをお願いされたことはあるななんてことまで思い出したが、いくら想像を展開したところで、掛けてみるしか答えが得られないのもよく分かっている。

 レシートはここから一番近いドラッグストアのもので、変わった買い物をしている形跡もない。

「先生……」

 思わず呟いて、また気持ちが落ち込んだ。

 これまでなら先生に飛びついていた所だけど、俺は先生からの自立を継続中だ。それでも連絡を入れる必要のありそうな案件だとも思うけど、俺はまだ先生が好きだし、だからこんなことは話したくない。

 でも、先生ならなんて言うだろうな。

 俺は脳内で先生に相談を持ち掛けた。


「印象が悪くなかったんなら掛けてみたら? どういう意味の興味ですかって聞いてみるくらいは問題ないんじゃない?」


 脳内先生は割と前向きだ。

 自作自演に笑ってしまいながら、近所ならまた店に来ることもあるかもしれないし、無視するのは気まずいよな、なんて思って自転車を物置にしまった。


「ただいまー」

 洗面所で手を洗って、いつもより疲れを感じながらお風呂を覗くと、お湯が入ってなかった。

「ごめん、今日はシャワーにして!」

 母さんに言われてがっくりときて、「明日の朝にする」と二階に上がった。

 部屋のドアを開けたところで、脳内先生が別バージョンのアドバイスをくれた。


「ナンパはいい出会いとは言えないかな」

 でもいい人そうだったよ?

「悪い人も初めはいい人に見えるものだよ」

 それもそうか。


 他にも先生の言いそうなことを幾つか頭に浮かべてみたが、先生の声がやけに鮮明に聞こえて、胸が締め付けられて終了した。

 あー好きになっちゃったんだなー。

 ベッドに仰向けになると、眺め過ぎて覚えてしまったさっきの番号を指が勝手にスマホに打ち込んでいた。

 正直に言うとやけになっていた。

 コール音が鳴っても緊張もしなかった。


「もしもし」

 さっきの人の声だ。

「あの、コンビニの者ですけど」

「あ! 掛けてくれたんだ、ありがとう!」

 声は本当に嬉しそうにトーンを上げた。

「何かのイタズラですか?」

「え?」と八島一は驚いて、「そんなことしないよ!」と笑った。悪戯ではないらしい。

「俺を知ってるんですか?」

「うん」

 八島一はハッキリと頷いて、俺は驚いた。

「あの、どこでですか?」

「君さ、フットサルやってたろ? 俺、鈴木の友達。大学が一緒でさ」

「え、あ、ああ!」

 なるほど鈴木さんの友達か!

「フットサル辞めちゃったんだってー? 鈴木がすげーガッカリしてたよ」

「あ、そうですか……」

 突然気まずい気持ちが押し寄せて、みんなの顔が次々に浮かんでは消えた。

「あの、それで声を掛けてくれたんですか?」

「んーまあそれもあるけどね。理由が気になって掛けてくれたの?」

 いいえ、ゲイだから掛けたんです。あとやけっぱちです。

「男の人に連絡先を貰うのは珍しいことな気がして、なんなのかなって」

「ああ、やっぱそうだよね」

 すっかり緊張感の無くなった俺は、正体の分かった八島一よりも、フットサルのみんなへと気持ちが向いていた。

 あんな辞め方をして、ずっともやもやしていた。

 早くお酒が飲める年になるといいな、なんて鈴木さんにも言われていたのに。

 小塚先輩の報告でまた会えると喜んだけど、なんて言って再会すればいいのか。

 ジッとしていられなくなって、ベッドの上で両足を上げ、バタバタと動かす。

 ボールを蹴りたい。

 うまい言い訳は思いつかないけど、山下さんの転勤が早まればいいのに、なんて勝手な考えに及んだところで、向こうで冷蔵庫を閉める音がした。

「まあ、興味は興味だよ」

 もったいつける八島一に耳を傾けながら、腹筋に力を入れて両足を揃えて左右に振る。

「何かの勧誘ですか?」

「そんなんじゃなくてさ、好みだったから」

 振った足の勢いが余ってベッドから落ちた。

「いてっ!」

「え、大丈夫? すごい音したけど」

 好みってどういう意味だ? 好み?!

「び、美容師の方ですか?」

「え? だから大学生だって」

「あ、そうですよね」

 そうだって言ってんじゃん、鈴木さんの友達!

「美容師って?」

 不審そうに訊かれて、俺は馬鹿な予想をひとつ晒す。

「前にカットモデルの勧誘をされたことがあって、そういうやつかと……」

 電話越しにアハハと明るく笑った八島一は、「あとはなんの可能性考えた?」と俺をからかう。

 俺は渋々一番アホな予想を口にした。

「へ……ヘッドハンティング」

「ふはっ! コンビニバイトのヘッドハンティングとかあるかよ!」

「ですよね……」

 心地いい声が、俺の馬鹿な考えを軽く笑い飛ばしてくれる。

「君、面白いんだな」

「いえ、そんなことはないですけど」

 俺を面白いなんて言ってくれるのは先生くらいだと思っていた。

 好みだなんて、さすがに男の人から言われるのは初めてだ。いや、田中が好きって言ってくれたっけ。

 でもあれは友人としてだった。この人もそいうことかもしれない。

 俺がなんとか気持ちを落ち着けていると、ひとしきり笑った八島一は、プシュッとプルタブを押し開けてグビグビと何かの液体を喉に流し込み、さらにとんでもないことを言い放った。


「俺、大抵は女の子なんだけどさ、時々男もいける時があって、君が好みだったんだ」


 あっけらかんとはこういうことをいうんだろう。思わず床に正座してしまった。

 ついに俺にもこんな日が来たのか。あまりにもノリが軽くて実感が湧かない。しかもまさかのバイセクシャル。

「えっと、そうですか」

「ひいた?」

「いいいいいえ、そういうことはないです!」

 だって俺はゲイだし。

 どうしよう。バイはいいのかな俺。いやいいとかそういうことじゃないか!

 なにを考えればいいのか分からない。ただこの人は俺が好みだとか奇跡みたいなことを言っている。

「よくああいうことするんですか」

 俺は慎重な脳内先生の言うことを聞いて八島一を探った。

「うん。好みの男に出会えるのは稀だからさ、会えた時はダメ元でいくよ。キモいって言われることもあるけど、友達になったり、稀にいけることもある」

 キモいとか言われるのかよ。

「メンタルどうなってんだこの人」

「声に出てるよ」

「あああすみません!」

 また向こうで笑い声が響く。それからごくごくと飲み物が消費される音。

「俺、君気に入った! ご飯でも行こうよ!」

 なんと! 食事に誘われた!

「手出したりしないからさ、取り合えず友達として、ね?」

 本当に軽いノリで言う人だ。それにしても、「取り合えず友達から」が俺に適用される日が来るなんて。歴史的瞬間だ。

「友達ですか」

「そう。友達」

 友達ならいい……かな。鈴木さんの友達だし。

 正直男を好きになる男性の話には興味がある。俺がゲイだとこの人は知らないわけだし、食事くらいは……いい……かな。

 黙ってみたけど、脳内先生は何も言ってはくれなかった。

「あの、鈴木さんは知ってるんですか?」

「え? 君に連絡先渡したこと?」

「いえ、そうじゃなくて」

「ああ、バイだって? 言ってないよ。隠すつもりは無いけど、わざわざ言うのもね」

「そうなんですね」

 この人がどんな人かはまだ分からないけど、繋がることで想像されるのは避けたい。ああ俺は本当に気の小さい人間だ。

「で?」

「え?」

「ご飯。奢るよ?」

 考えて、断る理由は見当たらなかった。生まれて初めての前向きな出会いだ。

「いい、ですよ」

「やった! 嬉しいよ!」



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