ツーショット
案の定、クリスマスイブの夜は眠る気にはなれず、コートを着込んで高瀬のバイト先のコンビニへ向かった。
時折イルミネーションで彩られた個人宅に心を乱されながら、もうすぐ終わるイブの静かな夜道を白い息を吐きながら歩いた。
コンビニに入ると店長の沢井さんがサンタの帽子で迎えてくれた。
「こんな時間にどうしたんですか、お酒が切れましたか?」
他意の無い笑顔で言われてしまい、息を吸い込んで「いいえ」と言ってから、笑って息を吐いた。
お酒はこの間、母にチクリと言われてからは一度も飲んでいない。不思議と飲みたい衝動に駆られることもない。ジムでの運動を始めたこともあって、タイミングも良かったんだろう。
「ちょっと小腹が空いて」
明日の朝食にすれば良いと思って、小さいサラダとパン、それから本当に切れていた牛乳を一本カゴに入れた。
「今日も高瀬くんはよく働いてくれてましたよ」
沢井さんがバーコードを読み込みながら誇らしげに言って、胸を押されるような心地になった。
「今日もだったんですね」
「ええ、本当に助かります。みんなが休みたいような日にも迷わず来れますって言ってくれる。でも少し罪悪感がありますね」
「罪悪感?」
支払いをしながら聞き返すと、沢井さんは首をゆっくり左右に振り、帽子の白いぼんぼりが揺れた。
「せっかくのクリスマスでしょう? 若い子には楽しいことをたくさん経験してもらいたいですからねえ」
「働くのも楽しいって言ってましたよ」
「本当に? 健気な子ですねえ」
沢井さんは困ったように眉を寄せて、肩を揺らして笑った。
少し前は俺も同じような志を持っていたはずだ。高瀬にも、生徒たちにも。
高瀬との距離が空き、心にゆとりが無くなって、今夜もまたこうして彷徨っている。
生徒達をちゃんと見渡せているのか急に不安になった。
内省していると、沢井さんが「キャンセルされた物だから」とクリスマスケーキをくれた。驚いて財布を出すと、「うちは完全予約制なので支払いは終わってるんです。引き取りに来られない事情ができたみたいで、連絡がくるだけいいですけどね。毎年幾つかは出るんです。余っても勿体無いので」
そう言われると断る理由も思いつかず、ケーキを受け取った。
「頂きます」
買った商品よりも高いものを持たされたことに戸惑いながら、お礼を言って店を出た。その瞬間の冷気は、今年で一番の寒さだった。
「雪か」
コンビニの明かりを背に空を見上げた。
ゆっくりと音もなく落ちてくる雪が顔に触れて溶けていく。
薄曇りの向こうに月が透けて見えて、掛かる雲を虹色に輝かせていた。
月光冠だと思って、高瀬に教えてやろうと内ポケットに手を入れた。
何してる?
自分の声にぎくっとして視線を落とした。
黒いアスファルトに吸い込まれていくように雪の粒が消えていく。まるでなにもなかったかのように。
雪の中、濡れた道を歩いた。すぐに高瀬の家との分かれ道になって足が止まった。
このまま、何も無かったみたいにはぐれてしまうのかな。
この先高瀬に何が起こっても、もう俺には知ることはできない。
まだ何も見届けていないのに。人生を共有してもらえる毎日の尊さにやっと気が付いたのに。他の卒業生たちと同じように、あとはただ幸せを願うだけ。
空を見上げると、さっきよりも鮮やかに虹色が月を飾っていた。
◇◇
みんなの投稿にいいねを押し終えて、ベッドで目を瞑ってみたけど、まだ眠れそうになかった。
今日はバイトが忙しかったし、体は疲れているのに心がまだ働き足りなさそうにそわそわしている。店内で絶えず流れていたクリスマスを祝う音楽やコマーシャル放送が頭の上の方で鳴っている感じがする。
音楽でも聴こうかと身体を起こした時、ちょうどスマホが光った。
手に取ると通知が見えて、慌てて画面を開いた。
『月光冠が見えるよ』
先生からのメッセージに、『見てみる』と返して、慌てて窓を開けた。
吹き込んだ雪に驚いて、見上げた先に綺麗な虹の環を見つけた。
「わあ!」
思わず声が出るほど、今まで見た月光冠の中で一番ハッキリと虹色が見えた。でも俺の心は美しい自然現象よりも、先生から連絡が来たことに全力で沸いていた。
『きれい 雪も降ってた』
『そうだよ凄く寒い』
『外にいるの?』
『沢井さんがケーキをくれたよ』
うちのコンビニに来たんだ!
直ぐに発信ボタンを押した。
「どうしたの?」
久しぶりの先生の声に、迷う間もなく行動してしまった自分に驚いたけど、それよりもプレゼントを渡したかった。
「先生今どこ? もう家?」
心臓がドキドキするけど、お返しだし! と言い訳がためらいを追い払う。
「まだ高瀬のところの分かれ道の近くだけど」
「ほんと? ちょっと待っててくれる?」
「え、いいけど――」
先生の返事もそこそこに、コートを羽織ってストールを巻くと、プレゼントを掴んで階段を下りた。
リビングを覗くと母さんも父さんもいびきをかいて眠っていた。
クスッと笑って家を抜け出した。
「うわー」
雪の粒が大きい。
雨なら土砂降りだななんて思いながら、ひっきりなしに顔に掛かる冷たい雪の中をわくわくして走る。するとすぐにこっちに向かっている先生を見つけた。俺を見つけた先生も走って来る。
手に白い箱が見えて、ケーキが崩れちゃうよと思ったけど、先生が走るのなんて初めて見たなと、勝手に喉がくくっと鳴った。
「どうして笑ってるの?」
お互いにたどり着いて足を止め、すでに笑っている俺に訝しむ声が掛かる。
「先生が走るの初めて見たから」
「俺だってたまには走るんだよ」
笑いの堪えられない口元を隠して、持ってきた紙袋を差し出す。
「メリークリスマス!」
断られないよう先生のコートの胸に押しつけた。
「この紙袋って……あの店へいったの? 一人で?」
驚く先生に首を竦めて、「まあね」と頷いた。
「香坂さんが相手してくれたよ」
俺は初めてのバイト代を持って先生と行ったあの高級店に、プレゼントを見繕いに行った。
ドアを開くのには物凄く勇気が必要だったけど、直ぐに香坂さんが気付いてくれ、一緒に選んでくれた。
「ハンカチくらいなら買えるかと思って行ったら、本当にハンカチくらいしか買えるものが無かった」
おまけに先生がくれたストールがオンラインストアで見たものとはサイズが違って、値段が一万円も高いと分かって頭を抱えてしまった。
「高瀬……」
何か言いたそうな先生を首を振って止めた。
「こんな高いものくれるからだよ」
ストール広げて見せて、雪を避けるために頭から被った。
「これを渡したかっただけ。寄り道させてごめんなさい」
「俺こそ、寝るところだったよね」
「十時までに来てくれてたらコンビニで渡せたのに」
わざとつんとして言うと、先生は眉毛を下げて「ごめんね」と謝った。
「いいけど」
じゃあねと言うために口を開いた瞬間、先生に先を越された。
「近頃はまた連絡をくれないね」
ハッとして言葉に詰まった。
「……先生こそ、来てくれない」
しまった、言うことを間違った。
「高瀬が俺から自立するっていうからかな」
ふたつの答えが俺にあると言われて、わかっていたのに唇を摘まんだ。指の方が冷たい。
「自立は意外と難しいよ」
「上手くやってたんじゃないの?」
「我慢してるだけ」
「どうして我慢してる?」
好きになっちゃうからだよ。
心の中で呟きながら先生を見上げると、雪がまつ毛に掛かった。
「来年成人するから」
「大人になったら俺は必要ない?」
違う、そうじゃなくて。
「いて欲しいから、早く大人になりたい」
先生の目が俺の目を覗きこんでいる。嘘がばれてないといいけど。
「やっぱり気を使う。先生の人生を邪魔したくない。だから早く大人になって、そしたら友達になれるかなって」
「……そうだったんだ」
上手く嘘吐けたかな。
子どもの俺にはまだ大人の目の色から考えを読むことができない。先生の思慮は俺には想像しきれない。でも、だから先生と一緒にいると安心できるんだと思う。
先生を好きな理由が俺がまだ子どもだからか、それともゲイだからかは分からない。それもちゃんと大人になったら判断できると思う。多分。
「一人で抱えきれない時は頼るつもり」
「そうか」
「便りがないのは良い知らせってことで」
手を伸ばして先生の頭の雪を払うと、先生が笑ってくれた。
ねえ先生、奥さんは今何してるの? 家で先生が帰ってくるの待ってるの? 帰ったら一緒にケーキを食べるのかな。それともベッドでくっ付いて眠るのかな。
俺はさ、それを羨ましいって思っちゃいそうなんだ。そんなこと思ってもしょうがないってもう経験してるのに。やっと孝一を乗り越えたとこなのに。迷惑になるだけなのにさ。
馬鹿みたいだよね。早くもっと自制心のある大人になって、先生の友達でいられるように頑張ってみるから。
「急に自立なんて言ってごめんなさい。でもさ、そういうことだから心配しないで」
目を細めた先生が、何度か頷いてくれた。
「あ、雪が」
唐突に雪が止み、二人で空を見上げると月光冠がまだそこにあった。
「そうだ、さっき撮り忘れてたんだ!」
慌てて電話したせいで写真に収めるのを忘れていた。せっかく教えてくれたのに。
さっきよりも虹色は和らいでいたけど、記念だと思ってスマホをカメラモードにして空に掲げた。
「遠いからあんまり拡大すると荒くなっちゃうな」
何枚か写して言うと、「どれどれ」と先生が俺の手からスマホを取って上に掲げた。
「さすがに身長差十センチじゃ関係ないと思うけど?」
呆れた気持ちで横顔を見上げる。
「あ、見て高瀬!」
言われてカメラに視線を戻すと、カメラはセルフィーに変わっていて、見上げた俺と笑う先生が画面に収まっていた。
パシャッ!
静かな界隈にシャッター音が鳴って、「後で俺にも送って」とスマホが返ってきた。
俯いて、脳内の大騒ぎが漏れてこないよう口の中で舌を噛んだ。
先生を見送って部屋に戻ると、コートも脱がずにスマホのアルバムを開いた。
ストールを被ったとぼけた顔の俺の横で先生が笑っている。
これが好きな人とツーショットを撮ってもらった時の気持ちか。
とても、とても嬉しい。
感動をしみじみと噛み締めた。
学校祭でツーショットを撮った一年生が言ってくれたように、待ち受けにしたい衝動が湧いたけれど、なんとか耐えることにした。
取り合えず間違って消さないようお気に入りのマークを付けて、月光冠の写真と一緒に先生に送ってしまうと、なんだか少し人恋しい気持ちになった。
枕と毛布を抱えて階下に降り、ブランケットを掛けられただけの父さんに毛布を掛けて、母さんの反対側からこたつに入った。
うちのこたつは大きくて、床には厚手のマットが敷かれている。母さんの仕業だ。こんなの寝るに決まってる。
丁度よく身体が温まってきて、すぐに目がとろとろとしてくる。
スマホが光って、開くと先生からの返信だった。
『大切にするよ、どうもありがとう』
香坂さんと選んだ二枚の色違いのハンカチと、勧められて書いたクリスマスカードの写真が貼られて、照れくささに頬が上がった。
眠たいのに胸がうきうきと騒いで、先生が大好きで堪らないんだと認めた。




