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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
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クリスマスイブ



 今年はクリスマスイブが終業式だった。終業式と言うよりもクリスマスイブだった。

 浮かれた生徒がサンタクロースやトナカイの被り物をしていたけど、特に注意はされていなかった。

 教室にはお菓子が持ち込まれて、まるでパーティの様相だった。

 終業式だけが粛々と済まされて、みんなはこの後それぞれの仲間と遊ぶらしく、化粧を直したり私服に着替えている人もいる。


 机の中を空にして帰り支度をしていると、一年生の女の子が教室に来て、第三校舎裏に来て欲しいと言われた。

 帰る格好で向かうと、菊池たちに囃し立てられた通り一年生の女の子が待っていて、告白をされた。

 どこか孝一の彼女に似ているような気がしつつ、丁寧にそれを断った。

「ありがとうございました!」

 俺はやっぱりその場に置き去りにされて、久しぶりのあの妙な気分を味わう。

 さあ帰ろうと小さく息を吐くと、上から声が降ってきた。

「お前やっぱ女好きじゃないんだろ」

 覚えのある声にドキッとして、見上げると甲田がいた。

「そんなとこで何してんの」

 久しぶりだなと思いながら、屋上の柵から顔を出している甲田に声を張った。

「サボってる」

「サボるなら来なきゃいいのに」

「出席日数って大事だぞ」

「知ってるよ」

 甲田は俺を見下ろして、もう一度「女嫌いなの?」と言った。

 くそ、流したのに。落ち着け耐えろ動揺するな。

「別にそういうんじゃないよ」

 何でもないように首を傾げてみせるも、甲田は疑いの目を浴びせてくる。

「好みにうるさいつっても限度があるだろ、童貞が選り好みしてんじゃねえよ」

「うるさいな」

 うーん、反論が弱い。

「そっちは彼女が出来て人生上向きで良かったね、絡んで来ないでいいよ」

「そんなとこで告白されてるからだろ」

「俺が呼び出したわけじゃないから」

 ああ、久しぶりだなあこのイラつく感じ。

 どうしてこんなに甲田には素直にイラつけるんだろう。正直ここまでハッキリと言い合いができるのは楽しさすら感じる。

「で?」

「は?」

「何でお前、誰とも付き合わないんだ?」

 どうやら甲田は納得できる答えを聞くまで引き下がらないつもりらしかった。

 どうしよう、どんな嘘がいいだろう。いや別に俺がアイツを納得させる義務なんてない。走って逃げてやろうか。

 俺はつま先を逃走方向へ向けた。


「好きな女でもいんの?」


 甲田がぽつっとそう言って、俺の頭の中に先生が浮かんだ。

「ああ」と思った。

 それはいいアイデアが思いついた「ああ」だったし、同時に好きの言葉で先生を思い浮かべた自分への落胆の「ああ」だった。


「そう、それ」

「は?」

「片思いしてるから!」

 良いかこれで!

 人生二度目の叶う見込みのない馬鹿な片思いをしているんだよ!

「へえー」

 ニヤニヤする甲田に、反射的に嫌な気持ちが湧いたが今更だった。こいつに嘘を吐かずにすんで良かった。


 それにしても甲田も変わった。

 来た道を戻りながらさっき見上げた甲田を思い出す。

 ピアスを取り、髪も切って、普通に好感度が高いイケメンになってしまった。まあ中身は変わってなかったけど。

 あのピアスは本当に痛々しかったから、甲田は全く好きではないけど、良かったと思ってやろう。



 バイトに入る前にスマホを見ると、幾つかのメッセージが来ていた。

 林さん達と田中達から、それぞれのクリスマスパーティーの様子を写した写真だった。動画が添付されていて、どちらもイブにシフトを入れた俺を非難していたが、鶴見が素晴らしいピアノ演奏でジングルベルを弾いている前で、持田と林さんが文句を並べて替え歌を歌っているのが凄く笑えた。

 俺は大笑いするパンダのスタンプを貼り付けると、スマホをロッカーにしまった。直ぐに今の歌が脳内で再生されて、笑いを耐えることができないまま、お店のユニフォームを羽織った。


 今年はそれぞれのグループからクリスマスパーティーに誘われた。どちらの誘いにも最後に、「そっちにも誘われてるならそっちに行って良いけど」とあって、あったかい気持ちになった。

 ところが俺がバイトのシフトを入れていると言うと、一変してどちらも非難轟々だった。

 パーティにはもちろん行きたかったけど、イブはケーキの受け渡しもあって忙しいし、何となく誕生日の時のように先生に会えるんじゃないかと期待していた。

 結果を言うと先生は来なくて、店長が持たせてくれたキャンセルされたケーキと、ストールのお礼という名目で買った先生へのクリスマスプレゼントをカゴに乗せて自転車を押しながら、少しだけ鼻をすすって帰った。

 俺が自立すると言って以来、先生とは連絡をしていない。先生も俺の前に姿を現さない。だから先生が来なかったのは自分のせいだ。それなのに涙が滲むほど寂しくなってしまって、我ながら馬鹿みたいだと思う。

 

 家の前でカメラを起動して泣き顔になってないかチェックすると、先生にもらったストールを巻いた赤い鼻の寒そうな自分が映って、なんだか余計に悲しくなった。

 虚しさを紛らわせたくて、そのままケーキの箱と一緒にセルフィーを撮ると、パーティーに参加できなかった二つのメッセージグループに貼り付けた。

 鶴見たちは明るいうちに解散して、田中たちは菊池の家に泊まると聞いている。

 みんなあんなに文句を言っていたのに、すぐに『お疲れ様』と『メリークリスマス』の返事をくれた。

 画面の上にクリスマスのイラストがポップして、俺は元気を取り戻すと自転車を物置にしまった。




「ただいま」

「お疲れ様」

 父さんはもう薄暗いリビングのソファでブランケットを掛けられて眠っていた。

「早くない?」

 時間はまだ十時半にならない。

「ワイン飲ませたからよ」と、母さんが笑った。父さんは酒飲みだが、どうもワインには弱い。

「これ店長がくれた」

 持たされたケーキを渡すと、母さんは「あら!」と嬉しそうにした。

「せっかくだからちょっと食べようか! お風呂入る?」

「疲れたから明日にする」

 洗面所で手を洗い、暖かいお湯で顔を濯いだ。タオルで水滴を拭った鏡の中の自分は、なんだか子どもの様な顔をしていた。疲れているはずなのにまだ何か物足りないと不貞腐れている。俺はその子どもを嗜めるように、きゅっと唇を結んで首を横に振った。


「クリスマスを働いて過ごした感想はどう?」

 母さんが言いながらミネストローネとケーキをまるまるひとつお皿に乗せてテーブルに置いた。

「切らないの?」

「一度こういう風に食べてみたかったのよ、貰い物だから思い切ってね」

 母さんは「ひひひ」と笑って俺にスープスプーンとケーキ用ではない大きいフォークを渡してきた。

 俺はカトラリーを受け取ると、母さんと向かい合って均一にチョコレートが掛かった光沢のある表面にフォークを刺した。

「んーチョコが濃厚で美味しい! ラズベリームースとソースが甘酸っぱくて丁度いいね! やるわねコンビニケーキ!」

 感心して深く頷く母さんに、俺は何故か嬉しい気持ちになった。これが愛社精神というやつだろうか。

「うちで買ったケーキは?」

「もう無いわよ」

 言われて噴き出した。

「俺、一切れしか食べてないんだけど!」

「ないものはない」

 うちは毎年母さんの好きな地元の洋菓子屋さんでフルーツの詰まったブッシュドノエル注文している。今年はコンビニで買った方がいいかなと母さんに聞かれて迷ったが、「うちは毎年それなりに注文はいるから、無理に買わなくていいからね」と店長に言われてホッとした。

 ブッシュドノエルは毎年六頭分して、一人二切れ食べられたはずだったが、なぜか今年は無いらしい。


「それで? 今日はお客さん多かった?」

 母さんが最初の質問に戻った。

「うん、引き取りも今日が一番多いし、お酒とかお菓子とかもよく出てた。今月と来月は深夜のお客さんも多いみたい」

「そうよねえ、改めて考えると二十四時間営業なんてありがたすぎるわよね」

 母さんがしみじみと頷いた。

「うん、佐野さんが入って深夜の人員が確保出来たみたいで、店長がありがたがってた」

「ああ、話が面白いって今西さんも言ってたわ」母さんがフォークを振った。

 佐野さんは俺と殆ど同時に入った三十代の男性で、フリーライターの仕事をしている。

 ライターの収入は安定していないけど、ふたつ年上の看護師の彼女と同棲をしているらしい。

 夜勤の多い彼女に合わせて深夜勤務をメインに働いている佐野さんは、本人曰く「彼女に飼われている」らしい。

 店長は、「高校生に大人の本筋から逸れた話をするんじゃない!」と叱っていたが、時々日勤でシフトが合うと、仕事で見聞きしたというそこまで刺激的じゃない話をしてくれて、まだ世界の狭い俺にはとても興味深かった。

 その話を先生にすると興味をそそられたらしく、「俺もフリーライターになろうかな」と言った。

「収入は厳しいらしいよ」と付け足すと、「じゃあ俺も深夜にバイトだ」と張り切って、二人で笑った。

 ああ何をやってるんだ、流れるように先生を思い出してしまった。

「今日ねえ、父さんと話してたのよ」

 いつの間にか母さんはワインを飲んでいる。チョコレートにはワインが合うらしい。

「何を?」

 ねっとりしたチョコが歯に付くのが気になりながら聞き返す。

「祐希は手がかからないなあって」

「なにそれ」

「成績も問題なかったし、思春期らしい思春期も無かったじゃない?」

「ちょっとはあったよ」

 あまりにも明確な理由で混乱していたから、親に八当たるような思春期ではなかっただけだ。

「そう? 気が付かなかった」

 母さんはのったりと言って、思い出すように斜め上に視線をやった。

「俺の同級生だって、荒れて酷かったなんてのは二、三人だよ」

 その二、三人も最終的には落ち着いて、受験をしてどこかの高校へは行ったはずだ。

「でもさあ、反抗期くらいないと寂しいもんよ」

「手を焼きたいの?」

 俺は親の複雑な心理が理解できずケーキを頬張る。母さんはワイングラスを眺めながら、「なんていうのかなあ」と言葉を選んでいる。

「もうあんたなんか知らん! 好きにしなさい! みたいな時期が無いままどんどん大人になっていくから、ただ寂しい」

「山崎さんとこの息子みたいなのがいいの?」

 俺は近所でも有名な問題児だった山崎さん家の息子、大輝さんを持ち出した。

「あの子は唯一無二よ」

 母さんがグラスを口にしたまま噴き出して言った。

「まあいいの、祐希が幸せならそれで」

 母さんがグラスを傾けるのを見てからそっと俯いた。

 嘘と、叶わない思いと、あったかい友達。それに俺の幸せを願ってくれる両親。

 全部をきちんと天秤に乗せたら、今の俺は幸せな状態なんだろうか。

 嘘が無くなった先に、そのうちのどれが残るんだろう。そう思うと未来よりは今の方が幸せに思えなくもない。

 嘘という風船に繋がれた真実は、俺と周りの人にとってどのくらいの重さがあるんだろう。

「俺にとっての幸せがどんな状態を言うのか、あんまりよく分からないけど……」

 ああ、なんて言えば嘘にならない? 目の前にいる俺が嘘なのに。

「優しい友達と両親がいるから、幸せなんだと思うよ」

 赤い頬の母さんが、嬉しそうに何度か頷いた。



 俺の少ないフォロー数でも、イブのSNSは賑わっていた。

 ベッドの上で横になって、終わりそうな今日をスマホを眺めて過ごす。

 美味しそうな料理や手作りケーキ、イルミネーションやプレゼント、短い動画もたくさん上がっていて、俺はひとつひとつに『いいね』を押した。

 おばあちゃんの家で友達とクリスマスパーティーをしたらしい真結ちゃんの投稿にいいねを押すと、メリークリスマスのメッセージが届いて、俺も同じ文面にツリーの絵文字付けて送った。

 孝一は今日も練習だったらしく、グラウンドでサンタの帽子やトナカイの角なんかをつけて試合形式の練習をしているチームのショート動画を上げていた。

 孝一自身は写っていなくて、一番最後にクリスマス仕様の寮の夕ご飯の写真に孝一のピースした手が写っているだけだった。俺はそれにもいいねを押した。

 冬休みには何日か帰ってくると言っていた。俺はそれがいつなのかを詳しく聞かなかった。きっと彼女に会いに来るんだろう。そう考えて心は少し曇ったけど、それは片思いから来る嫉妬ではなくて、先を行く人たちへのいつもの羨望だ。

 羨望といえば、熊田は例の彼女と終業式後に一緒にカフェでケーキを食べていた。

 二人のいちゃつく姿は無かったけど、クリスマス仕様のケーキプレートとお互いに送り合ったらしいプレゼントの包みが写った写真が上げられていて、コメント欄は妬んだ友人でちゃんと荒れていた。

 今夜、菊池と田中にもたくさん詰められているだろうなと思うと、俺はひとまずいいねを押した。


 幾つも幾つもいいねを押すのに、少しずつ気持ちは落ち込んでいった。

 今の自分を寂しいとは思わない。相変わらず自作した料理以外に発信したい個人的な出来事は無いけど、みんなの楽しい時間を分けてもらうのは楽しいし、孝一とも無事に友達でいられている。一年生の時はブラックホールだった俺が見たら、中々上手くやってるって言ってくれると思う。


 ただ、先生だけがいなかった。


 好きにならないよう距離を取るために自分から自立宣言をしたのに、徐々に連絡を減らしてなんて器用な事はできず、何もかもを我慢した。そして気がつけばひと月、明日からは冬休みだ。

 距離を取ってみると余計にはっきりと先生が恋しくなってしまった。

 友達もいて、勉強も問題ない。もう俺を窺い見る人もいないし、クラスメイトとも意識せずにやり取りできる。森崎さんとでさえ、すれ違う時は笑い合うことができる。

 何の問題もないのに先生が恋しい。話を聞いてもらって、良かったねって言ってもらいたい。今は励ましてもらう必要はないのに、俺を思ってくれる先生が恋しい。

 開き直って好きだって思ってればよかった。だってずっと俺は先生が好きだった。誰にもできない話も先生には言いたかった。中学の時からずっと。

 ちょっと手を握ってもらって、ちょっと抱き締められて、つい好きに色がついてしまった。友達とは思えなくなってしまった。

 俺がどうして自立なんて言ったか、先生なら気が付いたかもしれないな。だからお店に来なくなったのかも。

 ちょっと泣きそうになりながら、宛名が随分下の方になってしまった先生の名前を見つける。

 メリークリスマスくらい送ったって良いじゃんと言う俺と、こんな時間に夫婦でいい雰囲気だったらどーすんだよバカと言う俺がいた。

 昨日、渡辺君が言っていた『性の六時間』というフレーズがいみじくも自戒となって、俺はスマホを置いた。


 一度先生の声を思い出していってしまったことはあったけど、今も先生のその時を想像することはできない。抱きしめられた時の身体の大きさを思い出すことはできるけど、その服を脱がせることは俺の想像力では不可能だった。

 もちろんそんなことはいけないと思ったし、そんな風に考えずに済んでいた時間が長かったせいもあると思う。それだけに今が余計に腹立たしかった。自制心で引き返すこともできないし、かといって開き直ることもできない。

 かつて山下さんであんなに後味悪く夢精をしたのに、想像力を使って先生で自分勝手に快感を得ることはできなかった。

「なんで、涙が出てくるんだろ」

 俺は鼻をすすって答えが分からないふりをした。



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