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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
56/85

自立


 十二月第一週目の休日の朝、絵美の実家から宅配便が届いた。

 開けるとお母さんの手作りのシュトーレンとクリスマスカードが入っていて、最近の寒さを踏まえて身体に気をつけてという言葉と、拗れた実家の母とのことをやんわりと嗜めてあった。

 短く息を吐いて胸の中のもやを吐き出すと、スマートフォンに手を伸ばした。



「はい、櫂くんね」

 お母さんの声は絵美に似ていて、しばらくは聞くたびに寂しい気持ちになったが、それよりもずっと元気になったことが嬉しい。

「シュトーレン届きました、カードもありがとうございます」

「お父さんには止められたんだけどね、やっぱり心配じゃない。元気なの?」

「ええ、元気に働いています。すみません、顔も出さないで」

 絵美の遺骨はお義父さんの強い要望で絵美の実家に引き取られた。法要も実家が行ってくれている。

 二十一から付き合って、二年で結婚して、二年で逝ってしまった。

 たった四年の付き合いは、生まれた時から育てた親には敵わない。それに、俺のためでもあったんだろう。

「良かった。きっとずっと心配しちゃうと思うけど、私のことは遠い親戚とでも思ってね。それで今年のクリスマスは誰かと過ごすの?」

「……ええ、幸いにも」

 お母さんは一瞬息を詰まらせて、良かったと心からホッとしたように呟いた。

「去年みたいに一人だって言ったら私が行こうかと思ってたのよ!」

「ご心配かけます。シュトーレン早速頂きます」

「いっぺんに食べちゃダメよ」

「はい、毎日少しずつ」

「そうよ。あと」

 お母さんの声のトーンが落ちて、何を言われるのかを察した。

「お母さんともちゃんと仲直りしてね、うちの母もクリスチャンだったから考え方の違いには苦労することもあった。お母さんにはお母さんの価値観があるけど、あなたのことを大切に思ってるのよ、それは絶対に間違いないんだから、ね?」

「はい」

「絵美も心配するわよ」

 言われて少し息が詰まって、「はい」となんとかもう一度返事をした。



 電話を切ってコーヒーを淹れ、送ってくれたシュトーレンを薄く切り、シンクの上で齧った。

 白い粉砂糖が雪のように落ちていく。

 やっぱりお母さんのシュトーレンが好きだ。

 去年も届いたが、手を付けられないまま半年以上が過ぎて捨ててしまった。

 絵美の作るシュトーレンは、おばあさんに教わった通りのレシピだったけど、お母さんのはチョコ生地にオレンジピールやドライカシス、砕いたナッツが入っていて、俺はこっちの方が好きだった。

 絵美の母方の祖母がクリスチャンで、絵美は宗教観は引き継いでいなかったが、クリスマスが大好きだった。

 十二月に入ると直ぐに大きなツリーを飾って、毎朝アドベントカレンダーを開けさせられて、小さいお菓子を一緒に食べた。

 夕食を食べた後にはバターが大量に染みた薄切りのケーキを一切れ食べながら一日の話をした。

 スポンジケーキを焼くのは俺の方が得意で、彼女はローストビーフやチキンの丸焼きが得意だった。

 プレゼントをツリーの下に置いて眠って、クリスマスの朝に二人で開けた。

 いつかそれを子どもとやるんだと思っていた。

 家を買って、もっと大きなツリーを飾って、玄関にはリースを下げて、庭をイルミネーションで彩って。

 きっとそうなったろう。幸せだっただろう。

 そしたら高瀬はどうなったろう。


 一人ぼっちの公園で夜空を見上げて、あのあと高瀬はどうなっただろう。

 きちんと一人で家に帰れただろうか。俺じゃない誰かが高瀬の話を聞いて、そばにいてやってくれていただろうか。

 もし今この二つの別れ道の前に立たされたら、俺は少しも躊躇うことなく妻を選んでやれるだろうか。

 なんとかなるだろうと信じて、たくさんの高瀬の涙を忘れて、あるはずだった未来を選べるんだろうか。

 運命を選べないことは、辛くて幸いだ。



 日々の寂しさに、俺はようやく他人との関係を取り戻すことにした。

 距離を取っていた友人に連絡を入れ、仕事帰りに食事をしたり酒を飲んだりした。

 姉にも連絡を入れて母の様子を聞き、甥っ子や絵美の両親にクリスマスの贈り物をした。

 それでも一人の家へ帰り、高瀬からの連絡が来るような時間になると堪らなく寂しかった。


 校内で顔色が優れないんじゃないかと声を掛けてくれた体育教師の柳本先生に連れられて、学校のジムを使い始めた。これは良い出会いだった。

 部活の生徒と入れ替わりにジムを利用する先生は幾人かいた。素人の俺は柳本先生に勧められるままにメニューを黙々とこなした。

 久しぶりの運動に筋肉が悲鳴を上げていたが、お陰で夜はよく眠れるようになった。

 俺があまりに言いなりに頑張るからか、柳本先生は俺を気に入ってくれ、自宅での夕食に招待してくれた。

 先生の家には元気な女の子が二人いて、大きな長毛の猫が二匹いた。

 クリスマスに向けて飾られた庭やインテリア、鉄棒やブランコの付いた、子どものためのこだわりのある家は、俺には眩しすぎるほどだったけれど、それでも笑っていられるくらいには回復していると気が付くことができた。

 明るく会話をして、久しぶりの家庭料理を美味しく頂いた。けれど恋人の存在などを聞かれると途端に気が滅入った。

 子どものいる温かな食卓で、結婚二年で妻を亡くしたとは到底言い出せなかった。

 何にもないんですよと残念そうに振る舞って、こんな気持ちで嘘を吐かなければならないのかと胸が強く痛んだ。

 妻が死ぬまでは嘘のない人生を当たり前だと思っていた。ちょっとした失敗や忘れたい出来事ではない。自分の大切な人をまるで存在しないかのように吐く嘘は、自分を否定することと同じなんだとわかった。

 自分自身の重要な部分を日常的に無いものとしている高瀬は、いったいどれだけ傷付いているんだろう。

 漠然としていたその辛さが、今さら形を持って心に影を落とした。





「元気なの」

 母さんの声のトーンは相変わらず聞いているんだか自己完結しているんだか分からない。

「ちゃんと働いてるよ」

 緑茶を注いだ湯呑を茶托に乗せて、母さんの手元に置いた。

「断られると思った。もう私を許したの? それとも感謝の意味が分かったのかしら」

 熱いのが苦手な母さんは、立ち昇る湯気から視線を逸らさないまま、スタンスもあの時とは変わっていないらしい。

 渡された和菓子の包みを開いて、そのままテーブルの真ん中に置いた。

 久しく閉じていた鍋の蓋がカタカタと音を立て始めている。

 怒り? わからない。とにかく憤りだ。

 妻を失ったばかりの息子になぜ感謝が足りないなんて言った?

 絵美の死の痛みは失われたままの記憶と共に和らいでいるのに、この人への激情はまだ鮮度を保ったまま俺の冷えた腹の底に仕舞い込んであったようだった。



 クリスマスまであと三日になって、俺の孤独が高まった頃を見計らうように母さんが来た。

 予告もなく近くまで来たと連絡が届いて、断ろうかと思ったが、年の瀬もあったし、わだかまりに蹴りを付けたいと決心して招いたのに、やっぱりまだ早かったのかもしれない。

 俺がにわかに後悔を始めた時、母さんは首をゆっくり横に振った。

「初めてじゃ無かったじゃないの」

「は?」

「大切な人が死ぬのは」

 俺を見た母さんの瞳が、湯気の向こうでうるっと光った。





 父が死んだのは夏の暑い年だった。

 連日至る所で猛暑日を知らせる注意喚起のニュースがやっていて、小学三年生だった俺はどこへ行くにも帽子と大きな水筒を持たされた。


 その日は父の職場の繋がりで毎年やっている野球大会で、家族みんなで応援に行っていた。

 大会と言っても馴染みのチームといつも通り試合をして、終わったら近くの施設でバーベキューをして大人が酒を飲むというだけの催しだ。

 俺も姉も野球には興味がなく、同じように連れてこられた子ども達と汗だくになって遊んでいた。

 虫を捕まえたりボールを投げ合ったり。

 球場を見下ろす丘の上にある水場で、日陰で談笑する母親達に見守られて、生ぬるい水を掛け合って遊んだ。


 辺りがいつざわつき始めたのかは覚えていない。

 母さんが悲鳴を上げて階段を駆け降りていったのは覚えている。

 みんなで球場を見下ろすと、グランドに大人達が集まっていて、そこに走っていく母さんの水玉のブラウスが見えた。

 人だかりの中に何があるのかは見えなかった。でもきっと父に何かがあったんだと思った。そのうち救急車が来て、父と母が乗せられて行った。


 医者は熱中症だろうと言った。

 点滴を受ける父の意識は戻っていて、火照っているんだか照れているんだか分からない赤い顔で笑っていた。

 二度目に激しい頭痛を訴えて倒れた時にはもう手遅れだった。くも膜下出血だった。

 そのまま手術が出来る状態には戻らず、暗い部屋で機材に繋がれた父とお別れをした。

 姉の手が俺のを強く握っていて、母さんはずっと父の傍で顔を塞いで泣いていた。


 父が死んで、母さんの実家で暮らすようになった。

 母さんの実家は裕福で、生活水準は変わらなかったが、母さんはその頃の感覚としてはかなり長く塞ぎ込んでいた。

 俺は父が死んでしまったという悲しみよりも、見たことも無いほど憔悴した母さんが可哀想だと思っていた。

 母さんに話しかけたかったが、祖父母が気を遣って俺と姉を多く構ってくれて、そっとしてあげた方がいいんだと分かった。

 姉は夜になると度々涙が出るようになり、俺と祖母と二人で姉の手を握って一緒に眠る日が続いたが、俺は不思議と涙は多く出なかった。

 ただ気持ちは落ち込んでいた。

 母さんに早く元気になってもらいたかったし、構ってもらいたかった。


 母さんが復調するまで、俺と姉は祖父母に面倒を見られ、俺は小学五年生に、姉は中学に上がった。

 二年かかってやっと元気になった様子の母さんに、笑顔や会話が増えてきて嬉しかった。

 ただ母さんは、新しい口癖を言うようになった。

「感謝しなさい」

 全ての物事に感謝してと言うようになった。

 理解できる時もあったが、時折感謝が足りないと叱責されたときは、だいたい理解ができなかった。





 湯気の収まった湯呑をようやく手のひらで包み、一口含むと母さんは口を開いた。

「感謝してっていつも言ってあったのに、あなたはまるで抜け殻みたいになって、絵美さんのご両親に何もかもやってもらって。腹が立ったわ、感謝が足りなかったんだと思った」

「……だから何だよ、感謝が足りなかったって」

 普段使わない感情が溢れだそうとしている。加減が分からずに、わなわなと指先まで震える。

 母さんの目は困ったことを言う子どもを見るようで、俺は今にも喚きだしそうな喉を抑えるのが精いっぱいで、長くは視線を合わせられない。

「あなた、絵美さんが死ぬなんて思って無かったんでしょう」

 また自己完結するように言われて、耐えることができなかった。

「思ってないよ! 思う訳ないだろ!」

 受け入れようと家に招いたのに、まだこんなことを言うのかこの人は。

「でも父さんが死んだじゃない」

 強い憤りと後悔が、うねる潮のように全身を包み込む寸前で、母さんの言葉が俺の感情を打ち消した。

「あんなに急に死んでしまったじゃないの」

 母さんはまるで先日の死を告げるように眉を微かに震わせた。 

「私は二年かかった。長かったわよね、二人には寂しい思いをさせた。私はあれからずっと思って生きているのよ、全て永遠じゃないって。漠然とはわかっていたはずなのだけどね」

 いつの間にか細く筋の目立ってきた母の手が、湯呑をすっかり包み隠した。


「自分の手元にある物事や人にきちんと感謝して尽くして生きないと、失った時にあんなにも後悔する。何もかも手遅れなんだって」

 母さんはもう一度俺の目を見た。俺はやっぱりその目を長くは見つめ返すことができなかった。

「私言ったわよ、あなたが結婚するって絵美さんを連れてきた時、絵美さんに毎日感謝して生きてって」

 覚えている。いつもと同じフレーズに少し苛立って、でも良く聞くアドバイスだと自分に言い聞かせて、そのまま深く受け止めなかった。

「あなたが絵美さんを大切にしていなかったとは言わない。でも、まるで思いもよらないみたいな顔をして立ちすくんでいたことにはどうしても腹が立ったの。前にもあったのにって」

 母さんは目を伏せて表情を消した。


「絵美さんと一緒に居られた日々は特別だった?」


 母さんが珍しくハッキリと尋ねた。

 はい、と言うには至らなかった。ややそう思う、くらいの熱量だ。

 何故だろう、きっとあの時なら迷わずはいと言えたのに、今は日常として受容していただけな気がする。それを悪いとは思っていなかった。

 だって人生だ。毎日心からの感謝をしてはいなかった。特別が日常になることこそが結婚の目的だと思っていた。

「取り留めない話を受け取り合って、夜一緒に眠って、朝一緒に目覚める。当たり前にずっとそれが続くと思ったわよね、私も思っていた。一度倒れた時でさえ、目覚めた父さんが笑ったからもう大丈夫だと思ってしまった」

 あの時、ちゃんとセカンドオピニオンを受けていたら間に合ったかもしれないと、誰も言わなかったけどみんな分かっていた。

 きっと母さんはそれを勧めたし、父さんは笑って大げさだと言ったんだろうと思う。記憶にある父さんは、優しくて、明るくて、心配性な母さんをいつも和ませる人だったから。

 母さんの回復に時間がかかったのもそのせいだろう。

 俺は言うことを聞かなかっただろう父さんを恨んだし、幼い時分には自業自得だと思うことさえあった。残された母さんを長く落ち込ませた父さんを責めていた。

 目の前で母親が二年も塞ぎ込んでいたのに、それがとても悲しかったのに、母さんが父を亡くして得た教訓をいつしか疎ましいと思って生きて、今は母さんさえ疎ましく感じている。


「何かできるのはいつだって今だけなの」


 いつの間にか俯いていた顔を上げた。

「絵美さんが亡くなってもう来年で二年。早かった? 今のあなたは毎日に感謝して生きてるの? また大切にしたいと思う人はできた?」

 高瀬のことが浮かんだ。

「自分でもいい、誰かでも。とにかく今幸せにする努力をするの。そうできる立場にあることに感謝するの。それは当たり前じゃない。永遠でもない。今だけかもしれない」

 そうだ、それはもう知っている。

 あの夜公園で会った俺だけが高瀬の唯一だった。そして高瀬だけが俺の唯一だった。

 毎日高瀬のことを思った。今日は普通の日を過ごせたんだろうか、嘘をつかずに済んだだろうか。周りとの違いや、湧き上がる興味についてさえ不安を感じて、なにもできずに人知れず諦めてしまってはいないだろうか。

 初めは自分の孤独から目を逸らすためだった。次第にそれが癖になって、俺からするとあまりにも健気で考えすぎる高瀬が気になって仕方なくなっていた。

 中学時代は誰よりも大人びて見えたのに、今では心と体がアンバランスで、危うくて仕方なかった。俺が見ていてやらないとと思った。

 そんな風には絵美のことを気にかけていなかった。

 だって自立した女性だったから。俺は安心して目を離していた。毎日行ってらっしゃいとは言っても、無理をしないで、車に気をつけてと真剣には言わなかった。

 そのうち時がくれば父と母になるんだろう思っていた。

 そんな未来を描ける人と一緒に居られることが特別だと思っていなかった。誰もが描ける平凡な幸せだと思っていた。

 高瀬は言う。

「いつもありがとう、先生がいて良かった」

 時々泣きながら、自分に俺があることを感謝してくれた。それが嬉しくて堪らなかった。

 俺の独りぼっちの心のそばに高瀬だけがいて、信頼や感謝をくれた。高瀬のためなんかじゃない、俺がそばにいたかった。手放したくなかった。最近ではもう手に入れたいとさえ思ってあんなことまでしてしまった。


「当たり前に見える毎日にたくさん感謝して。終わりが来ると、あなたも私ももう知ってる」

 終わってしまった、絵美との毎日は。

「あなたが私みたいにならずにいてくれて感謝してるわ。でもできたら幸せでいてちょうだいね」

 あとお酒は止めなさい、と資源ごみの袋を見て眉をしかめた母さんを見送った。




 一人きりになった部屋で連絡の途絶えた高瀬を思った。

 いつの間にか日が暮れて、手元のお茶は冷えていた。

 母さんの言葉は胸に残ったけれど、俺にはまだ感謝というものに死の痛みを和らげる効果があるとは思えない。

 むしろ意識して日々を大切にした分、悲しみも深くなるような気がする。

 ただ、大切にできる立場にあることが当たり前じゃないという部分には深く頷けた。

 俺はまた失ってしまった。絵美の時は特別な立場にあることを忘れて、今度は欲張った。

 絵美を亡くした衝撃でできた空隙を、いつしか高瀬を思う気持ちが埋めて行った。必要とされる充実感に、求める気持ちを止められなかった。

 俺は高瀬に何をしてやれただろう、嘘をつくほどの意味のあることができただろうか。

 あの時出会えたのは良かったと思う。嘘も、あの時は必要だったと思う。

 色んな話をしてくれた。辛いことも、不安も。他愛ないような話題でさえも全てに意味がある気がして、メールでは拾いきれる気がしなくて電話をした。

 声を聞くと安心した。それでも泣いたり謝ったりされると会いに行きたくなった。電話でさえ酷く距離を感じた。

 目の前で泣かれた時は悔しかった。俺が目の前にいたのに簡単に傷付けさせてしまった。あの時の高瀬の言葉を、俺はもう思い出したくもない。

 一緒に食事をするともっと満たされた。

 咀嚼する姿を見て、ああ生きてるんだなあなんて当たり前の事に感動した。

 エビが好きなのかなとか、料理をする姿も想像した。知らない姿があるんだと思うと、もどかしい気持ちがした。

 最近は毎日が楽しいと言って、俺のお陰だと言ってくれたのが嬉しくて、でも少し寂しかった。

 友達ならずっとそばで話を聞いていられると思った。でもきっと友達と言った時から、俺の心ははっきりと曲がっていったんだろう。

 高瀬を出先で見かけた時、見知らぬ男性に連れていかれているように見えて、全身の毛が逆立つように恐ろしかった。怒りにも似て、無理を言ってバスから降ろしてもらった。

 結局見間違いだったけど、その後一緒に服屋へ行って、楽しそうにする高瀬を見ていると、自分の存在意義みたいなものが満たされていくのが分かった。

 何か証が欲しかった、今日という日の証。俺の存在を高瀬と高瀬の周りの人間に匂わせたかった。

 嬉しそうな高瀬を見て気分を良くする自分が、しょうもない人間になっていくのを感じた。

 高瀬の誕生日に、抱き寄せた腕を直ぐに離せかった自分が、教師や大人ではなく、ハッキリと下心のある気持ちで彼を思っているんだと分かった。それを不潔だときっぱりと追い払うことはできなかった。どこかで高瀬が俺を好きになってくれたらと思った。抱擁の先を求めてくれたらいいと。

 嘘を吐いて子どもをたぶらかす、さもしい男。

 拒絶が妥当だ。自立なんてずっと優しい言葉を貰っておいてショックを受けた。

 高瀬がいてくれたことに感謝しよう。おしまいだ。目を向けるんだ、自分の孤独な人生に。



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