レコメンドされたくない
夏の期末テストで学年順位が初めて一桁に乗り、俺は試しにスマートフォンをねだってみた。するとすんなり買い与えられた。
おかしいな、みんなは買ってもらうのに苦労していたのに。
欲しがったら買おうと思っていたと言われて、うちの親が俺に甘いのを思い出した。
うちの中学は、学校にスマートフォンを持ってくること自体は禁止していなかった。
授業中に使っていたらもちろん没収されたけど、正しい利用の仕方の授業もあって、トラブルに対応してくれる先生も置いていた。
夏休み直前の終業式にスマホを持っていくと、みんなが色々と教えてくれた。
主要なSNSや、流行ってるゲーム、スケジュール管理のアプリや、勉強のために入れたけど使ってないアプリなんかを教えてくれる。
無知な俺は言われるままほいほいと幾つかのアカウントを作り、みんながどんどん承認していく。
「これって何するの?」
隣の席の佐野さんにアプリ画面を見せると、「歌ったり、踊ったり?」と首を左右に傾けた。
「しないんだけど」
「見るのも楽しいよ。二組の山田ちゃんのアカウントとか面白いよ」
「二組の山田」
確か小柄でメガネのショートカットの女子だ。歌ったり踊ったりするようなタイプには見えなかったけど。
リンクを送ってくれたので開いてみる。
「誰これ」
「凄いよね!」
佐野さんが机に身を乗り出して笑った。
アニメキャラみたいなかわいい女の子が、強い訛りで流行りの曲を歌って踊っている。歌詞は知っているはずだけど、なんて言っているか全然分からない。
「小さいころ海沿いで育ったんだって。親戚が漁師らしくて、浜訛りが凄いんだってさ。あの子は普通にしゃべれるんだけど、面白いかなと思ってって言ってた。多分うちの学年で一番フォロワー多いよ」
「へー才能だね。化粧も凄い」
「ねーかわいいんだよあの子。高校生になったら化けるね。高瀬もやればいいよ、リフティングとかさ」
「面白いかな」
「凄い技ができれば人気出るんじゃない? あ、うち学校の敷地内で撮影したやつを上げるのは禁止だから、そこだけ気を付けて」
「やらないよ」
俺が断ると、佐野さんは口を尖らせて文句を言う顔になった。
「つまんねーなあ!」
大声で煽られて笑ってしまった。
「佐野さんはやってるの?」
「友達とちょこちょこね、まあ思い出に?」
「へー後で見てみよ」
「いいねしてね!」
「いいね、ね」
家に帰ってから佐野さんのアカウントを開いた。
言っていた通り、クラスメイトや妹との動画ばかりだ。耳馴染みのいい曲に簡単な振り付けで上手に踊っている。時々顔に変なフィルターが掛かっていたりして面白い。
ポチポチといいねボタンを押しながら短い動画を見ていった。
途中でメッセージが入って、開くと佐野さんからだった。
『全部にいいね押さなくてもいいよ』
『ごめん』
『めちゃくちゃ通知きて笑った』
『ほんとごめん』
通知が行くのか。そりゃそうか。
新しいことをやると失敗があるのは分かっている。けど、恥ずかしい。
ベッドで横になって、部屋のエアコンの風量を落とした。うつぶせに寝転がって、教えてもらった別のアプリを開く。
なんとなく孝一のお母さんを検索した。お母さんは実名でやっていて、すぐに出てきた。
あれから行っていなかった家は夏仕様になっていた。爽やかなアイスブルーと白を基調としたテーブルセッティングに、まるでお店みたいな彩のいい料理。ひらひらしたワンピースを着たお母さんの自撮り。最近買い足したコスメ。
色んな投稿にいいねがたくさん付いていた。コメントも『素敵』だとか、『憧れます』だとか、誉めそやされているものばかりだ。
俺は何とも言えない気持ちになった。
嘘はない。孝一のお母さんは料理が上手だし、写真も加工されていない。職業が元モデルなんだから、こんな投稿も変ではない。でも俺は孝一と真結ちゃんのあの表情を見てしまっている。だから何とも言えない気持ちだ。
何度かスワイプすると海の写真になった。『バカンス』と書かれたそれは、どう見ても国内ではない。
投稿日時を見て、俺は何とも言えない気持ちを終了することになった。
日付はクラブの休み期間だった。でもその日、俺は孝一と真結ちゃんと一緒に映画館に行った。
二人は何も言っていなかった。悲しそうでも、怒ってもいなかった。楽しく映画を見て、フードコートでご飯を食べた。
バカンスの写真は幾つかあった。贅沢なホテルの窓から望む青い海と青い空。トロピカルなドリンクがふたつ、あるように見える。
仕事の撮影かもしれないし、友だちと行ったのかもしれない。二人はもう大きいし、留守番くらいできるんだから、夫婦で行ったのかも……いや、それはないか。
息を吐いてアプリ画面を閉じた。天井を見上げて最近の孝一を思い出してみる。
変わらない、いつも通り。
今も外に避難する程の聞いていられない言い合いはあるんだろうか。
バカンスから帰ってきたおばさんを二人はお帰りって笑顔で迎えたのかな。おじさんは何を言うんだろう。
考えながらゴロゴロとベッドで転がった。
こうして時々孝一の近況を想像してみたりする。でもそうすると孝一に触れたいと思ったあの肌のざわつきまで蘇ってきて奇声を上げたくなる。だからいつもはそこで全てを頭から追い出すけど、今日はあの日の孝一が見せた、疲れた笑顔が消えてくれなかった。
孝一は相変わらずだ。きちんとやるべきことをやって、正しい努力を続けている。そしてその姿に俺はひっそり心を打たれる。
最近どう? 無理してない?
そんな言葉を掛けるタイミングはない。俺が微妙な距離を取っているから。二人にならないように気を付けているから。
ふと、手の中にスマートフォン見つけた。
そうだ、これを手に入れたんだ。時間もそこまで遅くないし、孝一に連絡を入れてみようか。目の前に居なければ動揺も気取られない。
クラブのみんなのグループチャットに入れてもらったから、多分そこから孝一と繋がれるだろう。
起き上がって画面を起動しアプリを開く。チャットメンバーの一覧を開いて孝一の名前を探した。
画面に指を滑らせながら、どうしてか気持ちが重たくなってきた。
一体なんて話しかけたらいいんだろう。
そもそも俺は何が気になってる? おじさん達との関係? 孝一と真結ちゃんの近況? それを知ってどうする?
話を聞いても俺にできることなんて何もない。ただ聞いてやるだけ。聞いてもらいたいと思っているかも分からない。そっとしておいてもらいたかったら? それなのに詮索されたら、俺に知られたことも後悔するかもしれない。孝一の正しさに周りはきちんと黙っているのに、俺が踏み込んでどうするんだ?
止めよう。余計なことはしない方がましだ。
「ハァ」
溜め息と同時に電子音がして通知が届いた。佐野さんが何かをアップロードしたらしい。
佐野さんの通知をタップしようとして手が止まった。
もし、もしも俺が女の子だったら、後ろめたいばっかりのこの気持ちを思い切って打ち明けて、付き合ったりできたら、孝一と今よりももっと身近な関係になれるんだろうか。
ためらいもなく頻繁に連絡を取って、溜め込んだ思いを話してもらえるんだろうか。
寄り添ってキスをしたり、身体を触りあうことで、俺には知ることのない気持ちを共有出来るんだろうか。
「あぁ」
下半身に違和感を感じて、ほとほと情けない気持ちになった。
ほらね、心配していたのは見せかけだ。俺も周りのみんなと同じ。興味がある話題に自分を導いただけ。
枕にうつ伏せて、じっと息を殺す。
一体どこですり替わったんだろう。初めは確かに友達と思っていたはずなのに。
長身を羨んで、立ち振る舞いに感心して手本にした。
どこで何が変わってしまったんだろう。
息苦しそうな股関を無視しながら、こんなことをしているのも全部ひっくるめて自分が間抜けな生き物になったような気がした。情けなくて、腕を掻きむしりたいほど恥ずかしい。
ピン
また通知音が鳴った。松永だ。
クラスで一番やかましい松永からの通知画面を開くと、どこかへのリンクが貼られている。俺は不用心にもそれをタップしてしまった。
「うわっ」
それは動画へのリンクだった。
流れ出す流行りのポップミュージック。彩度の高い快晴のプールサイドで、カラフルな水着の女の子たちがスロー再生で水を掛けられながらカメラに向かって飛び跳ねている。
どの子も楽し気に笑ってるけど、画角の中心はどう見ても胸だ。弾け飛ぶ水飛沫が光を跳ね返して白々しいほど眩しい。
『高瀬のタイプどれ? 今のところは白い水着の子が一番人気!』
急に変なもん送ってくるな! と心の中で喚いて、俺は肩を落とした。
『その子がいいんじゃない』
動画を見返しもせずに返信した。
股間は平静を取り戻していて、それが突然の通知のせいなのか内容のせいなのかは考えないようにした。
何気なく次の動画に移動すると、やっぱり同じような動画が再生された。次も、次も、その次も。
水着の女の子に水を掛ける動画が世界的に流行っているのかも。夏だからかな。
きっとこの動画を見せられた普通の男は、股間がグッとくるんだろう。くるんだろうことは理解出来る。でも俺は来ない。全然。可愛いなって思うくらい。胸が大きいなとか思うくらい。ただの感想として。出るのは溜め息。
唐突に性的指向を認識させてくれてありがとう松永。今凄く落ち込んだよ。君には理解できないだろうけど。
むっときて、空しくて、呆れる。
この女の子たちは楽しいのかな。きっと撮影後は髪も顔もずぶ濡れだ。せめていいお金が貰えるんだといいなと、ベッドに寝転びながらどうでもいい事を思った。
おすすめの一覧に戻ると、さっきの動画に似たサムネイルで画面が埋め尽くされていた。
水着、女の子、プール、いかがわしい雰囲気の男女。
「なんで?」
呟いてからハッとした。
動画を見ると、それを記憶して同じような動画をおすすめされるようになる──。
「レコメンド機能」
どうしよう、リセットボタンはないのかな。
どこまでスクロールしても、水着やいやらしく絡み合う男女や女の子たちの動画が並んでいる。
「なんだよこれ!」
焦ってそうじゃない動画をスクロールして探した。
ああどうしよう、俺は今顔を歪めている。嫌な気持ちだ。でもきっと松永やあれを送られたクラスの男子たちのアプリは俺と同じようにレコメンドされている。みんなと同じ。それでいいはずなのに、俺はこんなに慌てている。
探すのを止めなきゃ、これでいいんだ。だってみんなこれに興味があるんだから。
「!」
四角く切り取られた沢山の画像の中に男同士のキスの動画があって、手が止まった。
筋肉質なブラウンヘアーの白人男性が、褐色で黒髪の筋肉質の男性に寄り添って唇を合わせていく短いムーブが繰り返されている。
不安がっていたはずの心臓がドキドキしていた。
「なんだよそれ」
みんなの言う具体的なきっかけを探すためにこれを手に入れたはずなのに、やっぱりそれは俺を怖がらせるだけだった。
たくさんの女の子の露出された肌よりも、目に留まるのがそれだなんて。
もう分かってたけどさ。
「あーぁ」
枕に顔を伏せて、真っ暗な画面を爪で叩き続けた。
──自分とは何か、何を求めて、何になっていくのか。
先生、俺は何になっていくのかな。