初夏
停留所でバスを待ちながら、何気なく、「おはよう」と孝一に送ってみた。するとすぐに返事が来て、丁度今週末に帰ってくると言われて会うことになった。
文面は明るく、朝練が終わってシャワーを浴びたところだったようで、これから制服に着替えて登校らしい。
とりあえず会うという約束をして、やり取りが終わった。
週末に孝一に会える。冬休みぶりの孝一はどうなっているだろう。
この間の電話の後、孝一と真結ちゃんのSNSをフォローした。
二人とも投稿は多くないけど、大体が部活の人たちとの写真だった。
孝一は日に焼けて、相変わらず白い歯を見せて笑っていた。身体の逞しさと共に顔つきが変わったように見えた。
監督やチームメイトたちもみんな体格が良い。強いチームなんだろうし、雰囲気も良さそうだった。結果しか知らないけど、去年は県大会の決勝まで進んだはずだ。
クラスメイトとの写真もあった。去年の体育祭や学校祭。孝一と並ぶクラスメイトはみんな小さく見えた。特に女の子は、まるで別の種族のようだった。
俺はつい自分を試すように、この中の誰かが孝一を好きだったりするのかなと考えてみた。
中学時代に孝一がモテていたかは知らない。クラスも違ったし、俺は女の子の話が始まると姿をくらましていた。でも付き合ったという話は聞かなかったし、好きな子の話も聞かされたことはない。
真結ちゃんと一緒に映っているのをお互いに上げている投稿もあった。
お父さんとお母さんの写真は無かったけれど、この年頃なら違和感はない。
身体も大きくなっているんだろう。まだ背は伸びているのかな。
孝一の目に今の俺はどう映るんだろう。青白くて小さくなったように見えるのかもな。
元気が無いなんて思わせないようにしないと。
その虚勢がどういう理由かは自分でも分からないけど、背筋を伸ばして、吊り革に掴まる腕に力を入れてみたりした。
揺れる車窓から見上げる空が青い。朝日が町並みにぶつかって、何かの暗号のように車内に光と影を繰り返し落としていた。
気持ちが浮ついてる。俺はまだ、孝一が好きなのかな。
水曜が終わり、木曜日もいつも通りだった。そろそろ冬服は暑い日が増えて、みんなの椅子の背もたれに脱いだジャケットが掛けられている。
金曜日は特に気温が上がって、みんなのネクタイが緩められ、覗く鎖骨や捲られた腕が目に付いて、そんな自分に気が滅入った。
廊下を行く女子の透けた下着や揺れるスカートの中は気にならないのにな。
ジッとしていても汗ばんでくる日差しの中で、1500m走のタイム測定が行われた。
六月には体育祭がある。最近ずっと距離を変えてのタイム測定が続いていて、そのタイムで体育祭の陸上種目が振り分けられる。
短距離の100、200、400。中距離の800は女子のみ、1500は男子のみ。
後はクラスリレーと、それに勝ったクラスでやる学年対抗リレー、それから学年対抗の選抜リレーもある。
なんでこんなに走るんだと一年の時には文句が噴出したが、先生から説明を聞くと直ぐに収まった。
実は全員が走らされるわけではなくて、クラスで一番タイムが速い男女一人ずつが選出される。どの種目も走るのは、全学年合わせて男子十八名、女子十八名。
各種目共いきなり決勝戦だ。学校一が決まるわけで、ハッキリ言ってもの凄く盛り上がる。
横並び一斉に十八人が走る光景はかなり面白い。200m走なんて100mで折り返させるんだから無茶苦茶だと思う。
その他の生徒はというと、仮装幅跳びや、借り物遠投、鬼ごっこ、と急に笑いを取りに行く種目に出ることになる。
「高瀬は去年何に出た?」
そばにいた熊田に聞かれ、「1500と選抜だよ」と答える。
「やっぱ脚速いのかー」
「熊田は?」
「俺の脚は超普通。多分選ばれないよ。てか鬼ごっこってどういうことなの?」
「鬼が各クラス一名ずつ六人居て、クラスから十人ずつ、六十人でトラックの内側で逃げ回る」
「なにそれ楽しそう! 勝敗ってどうつくの?」
「鬼が捕まえた人の鉢巻の数でポイントが入るよ。自分のクラスは捕まえるとマイナスポイント」
「へー! 鬼楽しそうだな!」
楽しそうだと思える熊田が素直に羨ましいと思った。俺は追いかけるのも追いかけられるのもごめんだ。
「人気あるから頑張ってね」
去年よりもタイムが少し落ちたのは予想していたから良かったが、走り終わった後の呼吸の戻りが遅くてショックを受けた。ランニングを続けておくべきだったと後悔した。
「高瀬やっぱり速いね、1500のスピードじゃなくない?」
順番待ちの熊田が声を掛けてきて、隣に座って膝を抱えた。
「タイムは……落ちてるよ……あと……心肺機能も……落ちてる……辛い」
絶え絶えに言うと、近くにいた渡辺君が笑った。
「高瀬、去年ウチのクラスの陸上部の奴といい勝負してさあ、次は大差で勝つ! って言ってたよアイツ」
「本当に……大差つく」
「高瀬って1500に出なきゃダメなの? 短距離も速いじゃん」
熊田の質問に、まだ息の整わない俺の代わりに渡辺君が答えてくれた。
「走り慣れてないとペース配分が難しいんだよ、中、長距離はさ。だから長さ優先で振り分けられる」
「あーまあ確かに、始めどれくらいの勢いで走ったらいいか分かんないもんな。高瀬! 応援してるね!」
熊田が、にっこり笑って俺の肩をべしべしと叩いた。
長距離は誰も出たがらない。測定も初めから手を抜いて走っている。俺はまあ走るのは嫌いじゃないから構わない。走るのが嫌いだとサッカーなどやっていられない。
400までは観客も楽しく見られる。白熱すると言っていい。ただ、800、1500は別だ。妙に長いから見ているほうも途中で今が何周目なのか分からなくなって盛り上がり時を見失い、急に終わって拍子抜けする。400までにしたらいいのにと思う。
「熊田は鬼になって女子を捕まえるんだな?」
渡辺君がにやっと笑った。
「うわっ! そういう目で見られるのかよ!」
「気にするな、鬼はどのクラスもみんな男だ。な、高瀬!」
「去年はそうだったよ」
まだ少し心臓が速い。
「俺は仮装幅跳びにするわ」
心を決めた熊田に、「気にするなってー」と渡辺君が絡んだ。
結局今年も同じ種目に決まって、久しぶりにスポーツドリンクを飲みながら昼食を取った。
「意外と少食なんだね」
熊田が俺のお弁当を覗いて言う。
確かに、高校に入ってからは普通サイズのお弁当になっている。家の食事も普通の量になって、慣れるまで母さんが本当に足りているのかと心配していた。
「動かないとこれくらいだよ」
「ふーん」
頷く熊田の口がもぐもぐと動く。
「いつから背え伸びた?」
「中学二年かな、中一の時は小さかったよ」
ゲイの目覚めも中二だったよ、なんてね。
「何食べてたの?」
訊いてから、熊田は手にあったおにぎりを無理やり口に詰め込んだ。
「何でも食べてたけど、寝る時間は早かったと思う」
毎日くたびれて、九時ごろには眠ってしまっていた。その後に入る映画や、面白いテレビ番組の話には一切ついていけなかったっけ。
「やっぱり睡眠かあ」
お茶を飲みながらそう言って、熊田は唐突に、「寝よ」と机に突っ伏した。俺が笑うと、「俺も寝よ」と、そもそも眠そうだった菊池も机にうつ伏せた。
確かに眠るには丁度いい日和だった。心地よい疲労感。窓からの爽やかな風が吹き抜けて、魔法にかけられたようにクラスメイトたちが机に身を預けている。心なしか廊下もいつもより静かに感じた。
「高瀬はさ」
後ろから田中が声を掛けてきた。
眠るみんなを気遣ってか、田中の声は控えめで、俺は食べ終わった包みかけのお弁当を置いて身体を横に向け、自分もそっと返事をした。
「何?」
少し間が空いて、田中の目を見てそれを耐えた。
「……寝る?」
たっぷり間を取って言った田中に、噴き出してしまいそうになって口を押さえた。
「本当は、何を聞こうと思ったの?」
聞き返すと田中は肩を竦めて、「何でサッカー辞めた? って聞こうと思った」と目を伏せた。
「何で聞くのやめた?」
田中は俺をちらっと見てからまた目を伏せて、「監督にも誰にも言ってないって聞いて、そんなの俺にも教えられないよなって思って、しかもそんなことまで俺が知ってんのも嫌だろうなって思った」
「全部教えてくれるんだ」
「知ってるのを知らない方が嫌かなとも思うから」
難しい顔をしている田中に、ほわっと心が温かくなった。
「知ってるのを教えてくれてありがと」
温かくなった心でお礼を言うと、田中は、「寝よ」と言って、頭頂部を見せて寝たフリをしてしまった。
どうしたら良いんだろう。友人になろうとしてくれている人に、ちゃんと信頼してもらうには。
先生を思い浮かべる。
俺が先生を信頼してるのは、自分のことを知ってくれているから。そして、そのままでいいと言ってくれるから。
「いつか、言えたら言うね」
小さくそう告げると、田中の頭がうんと揺れた。
また優しい風が吹いてきて、俺はその風に乗せて、胸に詰まった何かを細い息で吐き出した。




