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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
24/85

それぞれの胸の内


――中屋 櫂の胸の内


 ひと月が経って、新しく勤め始めた学校にも慣れてきた。

 受け持った新入生はみんな期待に満ちていて、見ているだけでこちらまで嬉しくなってしまうほど、毎日わくわくとした目をしている。

 色んな物事に熱心で、話しかければ二倍にも三倍にもなって返ってきた。

 公立の中学の生徒と大きく違うのは、殆どの子が発言することに慣れているという所だ。

 どういう理由かは様々なんだろうし、彼らだけを見ていたとしたら、当たり前のことのように思えた。

 前の中学の時は、話しかけただけで戸惑ってしまうような子がいた。なにも間違っていないのに、まるで悪さが見つかったかのように身を固くして口を噤んでしまう子もいた。今のクラスの生徒には、そういうタイプの子は見当たらなかった。

 建て増しされた新しい校舎は眩しいほどで、残業に追われていない先生方はいつもにこやかだった。

 いい環境だと思いながら、そっと目を凝らす。

 高瀬の時のように、もう何も見逃したくなかった。


 ゴールデンウィークに入ってすぐ、妻の一周忌の礼拝があった。

 特に知らせは入れていなかったが、幾人かの友人が顔を見せてくれた。姉も顔を出してくれて、義兄は鼻風邪気味の甥っ子と留守番をさせていると言っていた。

 母は前日に顔を見せていたらしく、妻のお母さんからお礼を言われ、まだ拗れている母とのことをやんわりと心配された。

 礼拝の後、軽食が振舞われている中、お父さんが俺を教会裏の公園に誘った。

 お母さんは随分と明るさを取り戻していたけれど、お父さんはまだ目に見えて落ち込んでいた。

 長く勤めた会社を早期退職した矢先の訃報だった。お父さんにとってこの一年は、俺には想像もできないほど辛いものだっただろう。俺は自分で精一杯で、二人のフォローまでは気が回らなかった。それどころか俺が助けられてばかりいた。

 一年間の自分の不誠実さを恥じ、お母さんが一番大変だったのではないだろうかと、今更強い後悔が襲った。


 広い公園の遊歩道に入って、ようやくお父さんが口を開いた。

 一足ずつ歩きながら、ぽつりぽつりと。

 きっと妻の絵美が生きていたら、これから先の長い付き合いの中で、酒でも飲みながら断片的に語られていただろうその話は、新しい職場や、高瀬との再会で誤魔化されていたメランコリーを引きずり出した。

 俺はそれを自分のメンタルのために聞かずにやり過ごすべきか一瞬迷ったが、さっき後悔した一年間を思うと、聞かない訳にはいかなかった。



「絵美は小さい頃から好奇心が強くて、目を離すと一人で何処へでも行ってしまうから、母さんは苦労してた。俺は仕事で平日にはあまり役に立たないから、子どもは絵美一人と決めて、絵美の好奇心を湧くだけ満たしてやろうって決めたんだ。休日には俺が何処へでも連れて行った。海も山も動物園も水族館も。俺も若い頃はアウトドアが趣味で、良く母さんを連れ回してた。母さんはテントの中で本を読むような人だったから、きっと無理して付き合ってくれてた。でも絵美が生まれて、絵美は俺がどこに連れて行っても大喜びしてくれたんだ。絵本でさえ外で読むようにせがまれたよ。だからきっと、絵美の性質は俺譲りなんだ。俺は山育ちで、小さい頃は毎日が冒険だった。絵美にもたくさん冒険をさせたかったんだ。母さんは心配して、女の子だし、もう少し落ち着くように訓練させたがったけど、発達には問題もなかったし、俺が嫌がって連れまわし続けた。楽しかった。すくすく成長して、気が付いたら俺が連れ回されてたよ」


 お父さんはもう一度、「楽しかった」と言って、それからしばらくの間、追憶に沈んだ。

 ベンチに座って沈黙に浸っていると、教会の庭でこちらを見下ろしているお母さんが見えた。

 手をあげようとした矢先、お父さんが口を開いた。

「櫂くん、絵美が帰ってこなくてごめん」

 俺はまだ繋がれたままの自分の両手を見て、それが涙で滲んでいくのを見つめた。

「お父さんのせいじゃない」






――菊池優太の胸の内


 始業式に熊田いじりでクラスを和ませた高瀬だったけど、あれからは必要な時以外、自分から声を発することはない。

 唯一何も知らない転校生の熊田が気軽に高瀬に話しかけて、俺と田中もそれに加わって、自然と四人で行動するようになった。

 高瀬はとても大人しいヤツだったけど、聞いていた通り運動神経が良くて、頭も良かった。身長も多分180近くあって、派手じゃないけど顔も整っている方だ。こりゃモテるわと納得した。


 ゴールデンウィークが明けた初日の朝、朝会が終わって、溝口先生が高瀬を呼んで何処かへ連れて行った。

「高瀬なにかな」

 一時間目の教科書を出しながら、誰宛とも言わず口にすると、前の席の片瀬が振り返った。

「森崎さん、今日から来るらしいよ」

「マジ?!」

 俺より先に向こうで渡辺が反応した。

 あっという間にクラス中にざわめきが溢れた。

「森崎さんって?」

 一人事情を知らない熊田が後ろから俺をつつく。振り返った俺は、斜め後ろの田中と苦笑いを見せ合った。

「ちょっと問題起こして、停学になった女子」

「高瀬、なんか関係あんの?」

 当然の質問に、しばし口を噤んだ。

 何も知らない熊田に、わざわざあの話をするのは、高瀬には嬉しいことじゃないはずだ。でも、もう何かがあると知ってしまったわけだし、それなら早いうちに話しておいた方がいいよなと自分を納得させた。

「バレンタインに高瀬を取り合った女子なんだ。二人とも流血して、一人は停学。もう一人は転校」

 俺がかいつまんで言うと、「ええっ?!」と熊田はでかい声で驚いた。

「高瀬も流血?!」

「いや高瀬は大丈夫、二人が勝手にやりあった」


「えー、本当に関係ないのかなあ」


 割って入ってきた声に顔を向けると、ちょっと化粧が派手な女子が疑わしそうにこっちを見ていた。

 確かえーと、新田だ。

 俺は反射的にムッとした。

「だって高瀬は停学も何もなってないだろ」

「そうだけどさあ」

 明らかに疑っているトーンで、肘をついた両手に顔を乗せている。

 なんだ感じ悪いなこいつ。

「あー、一年の時、高瀬君と同じ中学だった子がいたんだけどさ」

 後ろの席の大川さんが口を開いた。

「本当にサッカーが上手で、確かにファンも居たらしいんだって。でも付き合ったりは無かったみたいだし、悪い噂も聞いたことないって言ってたよ」

「ホラ」と何故か俺が胸を張って新田を見る。

「俺も同じ中学のやつに聞いたけどさあ、野頭校から特待生の話があったらしいけど断って、三年の途中でクラブも辞めちゃったんだって」

「ええ?! 野頭校ってめちゃくちゃサッカーの強豪じゃん! なんで?!」

「さあ? なんか誰にも理由は言わなくて、監督にも言わなかったらしい」

「ホラ、なんかあんのよ」

 今度は新田が俺を見る。

「性格悪いよ新田」

 片瀬が言って、そうだぞと俺が乗っかると、「自覚はある」と謎の開き直りをして余計にむかついた。

「だって完全に関係無いとかある? 流血沙汰だよ?」

「別に刃物とかじゃないじゃん、押し合っての擦り傷だろ! 大袈裟なんだよ」

「いや自分でも言ってたじゃん」

「まあ言ったけど!」

「でも和田ちゃんも、自分は普通に振られただけで、高瀬はいい人だよって言ってたよ」

「ああ、あれ俺も見てた。甲田がめちゃくちゃ高瀬に嫌な感じで絡んでてさあ、でも高瀬が和田さん庇って甲田を黙らせたんだよ。あの時は他人事ながらスッキリした」

 町田さんと山内から情報が出されて、「その噂もあったよね」と新田が頷く。

「和田さんって流血沙汰の相手?」

 こそっと熊田が聞くので、「別で何人か振ってるのよ高瀬」と解説した。

「へえーモテるなあ、背え高いし頭もいいもんな。サッカーもそんな上手いんだ。何で辞めちゃったんだろ、勿体無い」

 熊田が相変わらず素直に疑問を口にした。俺もそれは本当に謎だ。

「まあー、突っかかってはみたけど、今のところ凄く静かだよねえ、まだ落ち込んでるのかな」

 新田がいきなり気遣う口調になって、俺はずっこけそうになった。

「なんなんだよ急に……」

「だってみんな気になってたじゃん? 噂がいいのと悪いのとふたつあってさ」

「そんなことがあったんじゃあ落ち込むよなあ」

 熊田が不憫そうな顔をした。

 結局全員が高瀬をどう扱えば良いのかよく分からない空気まま、予鈴が鳴って、日本史の細川先生と一緒に高瀬も教室に戻ってきた。


 そして俺はその日一日中、ちょっとだけ緊張することになった。熊田も田中も緊張していたと思う。わかんないけど。

 なんでかって言うと、今日から登校してきたという森崎さんが高瀬に接触してくるんじゃないかと思ったからだ。そんな緊張感を勝手に感じるくらい、あの時の掴み合いはインパクトがあった。今時男だってあんな喧嘩はしない。


 移動教室で廊下を歩いているとき、俺の勝手な緊張はピークを迎えた。

 熊田でさえ何かを感じて、俺たちは自然と高瀬を囲うように歩いた。歩きながら、変だなとも思った。

 高瀬は俺たちの中で誰よりも背が高く、運動神経だって勝てそうにない。なのに不思議と守ってやらなきゃと思わせる雰囲気があった。

 何かがあっても、何もせずにただ被害者になってしまうような、無気力な気配があった。

 それは、あんな事があったせいかもしれないし、あんな事があったせいで、俺がそう思ってしまうだけかもしれない。

 高瀬の意識は今日も内側に篭っていて、警戒も不安も見せない。普段通りの無表情で、斜め下を見ながら歩いている。前を歩く田中の踵を踏まないことだけにしか意識を向けていないように見える。わかんないけど。

 この一か月、いつも一緒に行動してきた。高瀬は無口だったけど、話しかければきちんと答えてくれた。一緒に弁当を食べて、体育ではペアを組んだ。四人で連絡先を交換したけど、発言は必要最低限。まあ殆ど俺と熊田で下らない話をしているせいかもしれないけど、それでもまだ、全く距離が詰まっている実感はなかった。

 正直ちょっとだけモヤついてるけど、やっぱりあんなことがあったんだし、しょうがないよな。


 そして問題は最後の最後に起きた。俺がSPだったら確実にクビになっただろう。


 放課後の生徒でごった返す廊下で事は起こった。

 職員室にノートを届けに行っていた高瀬と森崎さんが出会ってしまったのだ。

 俺はその頃、勝手に感じていた緊張感から解放されて、ぼーっと箒を動かしていて、急に静かになった廊下に気がついて、なんだろうと顔を出した。そして瞬間、目が丸くなった。

 高瀬と森崎さんが顔を合わせていた。

「話しかけちゃダメだって言われたじゃん!」

 隣にいる女子が森崎さんを引っ張っているが、森崎さんは今にも泣きそうな顔で微動だにせず、周囲の緊張感が高まる中、「本当にごめんなさい!」と勢いよく頭を下げた。

 俺は心底ホッとした。

 ホラやっぱ高瀬は悪くないんじゃんと思って、高瀬が何を言うのかとその横顔を見た。

 高瀬は……声が小さくてなんて言ったのか全然聞こえなくて俺はつんのめったけど、廊下の空気がホッとしたように変わったから、多分優しい言葉をかけてあげたんだろう。

 こちらに歩いてくる高瀬に、なんと声を掛けようかと身を乗り出したが、斜め下を向いたまま、階段への角を曲がった高瀬は、あの事件の時のように辛そうな顔をしていて、俺の心はしゅんとなった。

「高瀬くん、やっぱ悪くなさそう」

 いつの間にか横に新田が居た。

「高瀬がなんて言ったのか聞こえた?」

「もう気にしないで、だって」

「地獄耳だな」

 聞いておいてそう言うと、新田はニヤッと笑った。





――田中瑞樹の胸の内


 高瀬が俺の前の席に座った時から、話しかけてみようと決めていた。

 クラス中が高瀬の様子を窺っているのが分かったし、その視線は後ろに座る自分すらも不快にさせた。

 ただ噂を出し合うと、それほどみんなも高瀬を悪く思ってはいないようだった。あの事件が衝撃的過ぎて、どんなスタンスで接して良いのか分からないみたいだった。


 高瀬はいつも凄く静かで、感情が見えない。

 転校生の熊田と俺と、俺と同じように高瀬に構いたいらしい菊池で輪を作っているが、高瀬がそれを望んでいるのかは分からなかった。

 話を振れば返ってくるし、そうでなくても俺たちが会話をすれば耳を傾けているのは分かる。でも、自分からは絶対に口を開かなかった。

 そこに居させてもらっているみたいな遠慮を感じて歯がゆい気持ちになる。そのうち席替えでもあったら、この関係が終わってしまっても仕方がない、そんな執着のなさがもどかしかった。

 でもそれはきっと高瀬の自衛だ。一緒に行動したらわかった。

 学校中が高瀬を見ていた。教師でさえ高瀬を見る視線に意味があるように感じた。当事者でもない俺ですら、手で腹の中を掻き回されているような、初めて味わう心地になった。

 これを高瀬は一年のおわりから感じ続けていたのか。

 可哀そうだな、何も悪くないのに。

 そう思うと、腹を襲う違和感は怒りに変わった。

 もっと学校がちゃんと高瀬の無実を明確にしてやることはできなかったんだろうか。あの二人がいないせいで、どうしたって視線は高瀬に集まる。本来ならあの二人が負うべき視線だったはずだ。災難だったなと慰められこそすれ、どうしてあんなに影を薄めて毎日を過ごさないといけないんだろう。だから新田のように、高瀬にも非があったんだろうと思うやつが出てくるんだ。


 高瀬が悪くないと俺はもう初日に判断していた。

 クラス中が自分を盗み見る雰囲気の中で、高瀬は熊田に話しかけた。

 今こんなに無口な高瀬が、あの時だけ口数多く熊田に話しかけたのは、耳を赤くしてでも下らない質問をしたのは、転校生の熊田への気遣いだったと思う。俺にも熊田がそわそわしているのは見えていたから。

 そして一番個人的な理由を明かすとするなら、高瀬は何となく、少し前に遠距離が原因で別れた彼女に雰囲気が似ていた。

 人には言わないが、それも俺が高瀬を気にする理由だった。


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