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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校二年生
23/85

クラスメイトの菊池君



 校長のなげえ話が終わって教室に戻ると、朝と同様によそよそしい空気が流れている。二年の初日だからとも言えるけど、数人の視線が高瀬を見ているのが目に付いた。つられて自分の視線も高瀬に向かう。

 五十音順で並べられた、『菊池』の俺の斜め後ろに座る高瀬は、どこを見るともなく大人しくしていて、みんなの視線に気が付いているのかいないのか、表情からは分からない。


 バレンタインのあの事件の後、女子の一人は停学になって、もう一人は転校していった。停学は開けたみたいだけど、今日もまだ学校には来ていないらしい。

 中学時代のファンを弄んで取り合いになった末の流血沙汰だと、そんな噂が流れてはきた。でも、クラスの女子の情報によると、森崎という子は高瀬へのプレゼントを返されていたらしいし、そもそも高瀬は、二人が自分のファンだとは知らなかったという話だった。

 野次馬であの現場に行ったとき、高瀬は遠目から見ても顔色が真っ青で、酷くショックを受けた顔をしていた。

 高瀬はそれまでにも仲が良かった女子を何人か振っていたこともあって、女にだらしないという噂も根強かったけど、あの顔を見た俺は、何となく高瀬は悪くないんじゃないかと思っている。

 同じクラスになったことだし、タイミングを見て話しかけてみようとは考えている。

「あ、ごめん」

 突然、後ろのやつが何かを落として、それを高瀬が拾った気配がした。

「熊田くんって、転校生?」

 高瀬が喋った! 俺は心の中で叫んだ。多分クラス中がそう思ったはずだ。

「なんで分かったの?」

 後ろの熊田という奴は少し声がデカい。

「熊田って苗字は聞いたことがなかったから」

「そうなんだよね、よろしく!」

 後ろの奴は転校生だったのか。高校で転校してくるなんて珍しいな。

「よろしく」

 二人のやり取りは明瞭に聞こえた。何故なら他のクラスが騒がしいのに、うちのクラスだけ静まり返っているからだ。

「どこから来たの?」

 高瀬、意外と喋る。

「北海道だよ!」

 へー! 北海道かあ。いいな、一度は行きたい! 夏とか!

 心の中で会話に参加する。これは小さい頃にうるさいと言われ続けた末の俺の癖だ。

「北海道のどの辺?」

「めちゃくちゃ田舎だよ、牛の方が人間より多いとこ」

「……道東?」

「分かるの?」

 北海道の東は人よりも牛の方が多いのか……ってどういうことだよ! それはもう牛の世界だろ!

 俺は頭の中で牛の世界を想像した。ステーキが食いたい。

「父さんの親戚が函館に居るから、聞いたことがあって」

 高瀬は淀み無く転校生の熊田と会話を続けた。

 教室は相変わらず静かで、みんなが耳を傾けている気配がする。二人は自分たちしか会話をしていないのに気が付いているのかな。多分後ろの熊田ってやつは気付いてない気がする。

「函館は都会だなー、ウチからはめちゃくちゃ遠いわ」

「そうなんだ、車だとどれくらい掛かるの?」

「車? んー高速で九時間かー……もっと掛かるかなあ」

 くくく九時間!!! 北海道でっか!!!

「……」

 おい熊田! 高瀬が黙っちゃってるぞ!

「そんな驚かないで、空港もあるよ」

「ごめん、でっかいどうだね。地元を離れるのは寂しくなかった?」

 さらっとでっかいどうって言っちゃう高瀬! 危なく笑うとこだった!

「離れる時は少しね。でも、スマホでいつでも友達と話せるから、意外と平気」

「そっか」

 そうか、よかったな熊田。

「そういやこの間さ、友達の家の牧場に熊が出てさ」

 ヒグマ?!

「ヒグマ?」

「そう、足跡がめちゃくちゃでかかったらしくて、しばらく親に送ってもらうって言ってた」

 めちゃくちゃこええな! さすが試される大地! しばらくってかずっと送ってやれ親!

 へえ、と驚いた高瀬が、「熊田くんって……」

 ふと何かを言いかけた。

「ん?」

 熊田が返事をして、俺も一緒に何を言うのかと待つ。

「……いや、なんでもない」

 高瀬は恥ずかしそうにして言うのを止めた。

 いやそれ無理なやつ。言えよ気になる。俺聞いてるから! 多分みんなも聞いてるから!

「……いいよ、言って」

「いや、ちょっと馬鹿みたいだったから」

 馬鹿みたいなこと? 何だよ余計に気になっちゃうってー!! わーっ!!

 心の中で騒いでいると、一年の時も出席番号が俺の前だった片瀬美希が背中を震わせている。

 ほら聞いてるやついた。

「いいよ言って、多分百回くらい言われてるやつだから」

 熊田は高瀬の言いたいことをすでに悟っているらしく、続きを言うように勧めた。俺も早く言えと念じた。

「えっと……熊田くんって、熊に会ったら……」

 若干声を震わせている高瀬に、俺もようやく意味が分かって、俯いて噴き出すのを堪えた。

「そりゃくまだーっ!! て言うよ!!」

 熊田がやけくそ気味に言って、「本当にごめん」と消えそうな声が謝る。

「いいよ、クマが出るたびにいじられるからさ。てか俺の前の席も笑ってんだよね」

 つんと背中を突かれて、俺は堪えられずに噴き出した。

「いや今のは高瀬が一回ためらうから悪い!」

 思い切り振り返って言い訳をした。見ると顔を赤くする高瀬の後ろで、去年も同じクラスだった田中も突っ伏して笑っている。

「田中! おめーも笑っちゃってんだよ!」

「くだらねーこと聞くなよ」

 田中が高瀬の背中をどついた。

「本当にごめん」

 耳まで赤くして謝る高瀬に、クラス中の視線が戸惑っていた。けれど、それはさほど悪くない戸惑いに思えた。







 転校生に変なこと言っちゃった。なんであんなこと言ったんだろう。恥ずかしすぎる。

 上靴を外履きに替えながら、今日が終わったことにようやくホッとした。

 新学期は思ったよりもずっと気軽に始まった。視線は感じた。ビシビシ感じた。


――いや今のは高瀬が一回ためらうから悪い!


 あれは、菊池君。後ろから俺に突っ込んだのが田中君。

 あんな風に有名になったお陰で、みんなが俺の名前を知っている。それは憂鬱にもしたけれど、自己紹介の手間が省けていいと強がることにした。


「大丈夫だよ」


 心が不安に傾きそうになる度、先生の声が俺を励ました。

 大丈夫、大丈夫。言霊を全力で信じる。

 長い人生のひと時のフォーカス。みんなにはみんなの人生がある。いつまでも俺を注目し続けるような暇な奴はいないよ。大丈夫。

「高瀬!」

 ギクッとして振り返ると、持田と鶴見がいた。

「あ……」

 驚く俺の元へ二人が駆け寄って来た。

 胸に出現する、温かさと罪悪感の重み。

 休み中、結局一度も三人とのチャットグループに発言を入れなかった。気を遣ってくれて、他愛ない話題ばかりだったのに。

「久しぶり」

 持田が俺の腕をつついてきて、「久しぶり」と返す。

 なんとか笑って見せることができて、二人も笑ってくれる。

「ごめん、ずっとお礼も言わずに」

「何のだよ」

「先生に話しにいってくれたんだよね?」

「だって、高瀬は悪くないから」

 持田が口を尖らせて、鶴見も頷いてくれた。

「……それと、そばに居てくれてありがとう」

 お礼の詳細を明確にすると、二人は照れ臭そうに「うん」と笑った。

「新しいクラスはどう?」

 鶴見がそっと聞いてくれる。

「まだ分からないけど、まあ、あれ以上は悪くはならないよ」

「それもそっか」

 持田が言って、鶴見が「おい」と突っ込んだ。久しぶりのやり取りに、自然と笑みが溢れる。

「嫌なことがあったらいつでも言えよ!」

「ありがとう。林さんにもお礼を言わなきゃ」

「林キレてたよ、一人くらい同じクラスにしてよ! って」

 持田の口ぶりが林さんによく似ていて、「似てる」と笑った瞬間、すれ違う同級生がチラッと俺を見た。

 どうしてか、咎められたような気持ちになった。

 ホッとした心も、笑顔も、優しくされることさえ不相応だと感じた。今すぐ孤独に浸らなければ許されないような焦りに駆られる。

「この後は真っすぐ帰るのか?」

 持田に聞かれて慌てて二度頷く。

「どっか寄り道していく?」

 鶴見がお店の多い方を指した。その後方で、玄関から出て来た生徒たちが俺を見て何か言い合うのが目に入って、自然と首を横に振っていた。

「また今度にする。声かけてくれてありがとう、またね!」

「あ、高瀬──」


 胸が苦しい。森崎さんと松島さんの顔がチラついて、耳の中にざわめきが再現する。

 せっかく話しかけてくれたのに。そう後悔した瞬間、録画ボタンが押される音が聞こえた気がして、ハッとして辺りを見回した。

 ──気のせい。

 右手で左の合谷のツボを強く押して、信号が変わるのをじっと待った。 

 噂が落ち着くまではまだ時間が掛かる。もう少し一人で頑張ろう。居た堪れないのは俺だけでいい。大丈夫、俺には先生がいる。



 夕食後に孝一にメールを入れた。

『真結ちゃんのSNSに俺のことで嫌な書き込みがあったよね。本当にごめん』

 少しして電話が鳴った。孝一だ。

 体温が上がったのが分かって、小さく深呼吸して通話ボタンを押した。

「もしもし」

「祐? 久しぶり!」

 ああ、孝一の声だ。

 いまだに嬉しく思ってしまう自分を首を振って追い払う。

「ごめん、さっきの話、本当は二月には分かってたんだけど」

 一体どう話せばいいんだろう。あの事を自ら語る勇気は見当たらない。

「俺と真結も、書き込まれてすぐ気が付いたんだけどさ、知らないアカウントだし、放置してた。ああいうのは誰にでもあるから」

「そうなの?」

「うん」

 軽い返事。

 本当にそういうものなのか、疎い俺には分からない。トラブルがあるとは中学の授業で教えられていたけど、あんなことが誰にでも起こるのかな。見ず知らずの人から、あんな酷い言葉を書き込まれることが。

「真結の学校に祐の学校から連絡が来たみたいだよ」

「そうなんだ」

「うん、本当は直接謝罪したいって言われたらしいんだけど、真結が断った。二人からの謝罪の手紙をもらって、書き込みも削除されたって」

「そうだったんだ。本当ごめん、真結ちゃんに迷惑かけた」

「祐のせいじゃないよ」

 写真を上げると言われた時に真結ちゃんのアカウントを探していたら、俺もすぐ書き込みに気が付いて、ああなる前になにかできていたのかな。いや、それよりも俺が真結ちゃんをフォローしていたら、そもそも書き込まれなかったかも。

 俺が探すのをためらったからだ。SNSを始めるほど充実した孝一の高校生活を見る勇気がなかったから。

「お前こそ、大変だったな」

 トーンを落とした孝一の声に、心臓がしゅっと縮んだ。

「……聞いたんだ」

「祐は関係ないからって、そっちの学校からも、手紙にも書いてあったって」

「そっか……」

 関係ない、俺は、関係ないのか。

「でも祐は気にしてるだろうと思った。こっちから連絡しようかと思ったけど、書き込みよりもそっちの方がおおごとだっただろうし、少し時間を置こうって真結と決めたんだ」

 やっぱり、気を遣ってくれていた。

「祐のことだから、ちゃんと連絡が来るって分かってたよ。真結も俺も、あれくらいのこと気にしないって分かってたろ?」

 そっと震える息を吸い込む。

「そっか、ありがとう」

 ううん、そんなことない。関係無いなんて俺には言えない。俺のせいで真結ちゃんを傷付けたんだから、嫌われたかもって思ったよ。凄く怖かった。何でもないやり取りも終わってしまうって思った。もう、繋がりもなくなってしまうって。

 震える唇を噛んで、膨らみそうになる感情をなだめる。

「元気でやれてるのか?」

 低い声が電話越しに俺の耳の縁を撫でていく。

 心が、少し良くない角度で傾いている。

「まあ、今日は新学期初日だし、みんな様子見だよ」

 意識して呼吸を整える。そうしないとやっぱりまだ心が揺れる。

 そうかと孝一は笑って、「寮だからあんまり長く電話できないんだけど――」

「あ、ごめん!」

 時計を見ると、もうすぐ八時だ。

「俺が掛けたのに、なに謝ってんだよ」

 笑い交じりの声にまた胸が締め付けられた。だめだ、早く切らなきゃ。

「また連絡するわ!」

「うん」

 元気でねと電話を切って、速い鼓動を急いた気持ちで落ち着ける。

 友達。良かった、まだ友達でいられる。

 スマホに視線を落とすとメッセージが来ていた。宛名を見て安堵する。先生だ。

『新学期はどうだった?』と、五分前に届いていた。

 孝一の声を思い出さないよう、手早く返事を作成した。

『まあまあ。友達にお礼も言えたし、孝一にも真結ちゃんのこと謝れた』

 送ると、少しして既読になる。

『高瀬は悪くないからね』

『でも迷惑かけたから』

 俺は悪くないと言ってくれる人はいる。でも先生の言葉は違う。悪くないって、そう思って良いんだって思える。嘘が無いからかな。

『まだ学校での注目度は高いまま?』

『うん、でも大丈夫』

 嘘って思われるかな。でもそう言うしかないし、嘘なわけではない。

 ベッドに仰向けになって天井を見る。まだ少しだけ心臓が速い。通知が鳴って、スマホを持ち上げた。

『実は俺も今日から新しい学校だったんだ』

「え?」

 驚いて声が出た。

『どういうこと?』

 慌ててうつ伏せて、手早く文字を打った。

『次咲中学校に転職したんだよね』

「次咲?」

 隣の市だけど、距離的にはここから俺の高校よりも少し近いくらいの場所にある、有名な私立の中高一貫校だ。

「言ってよ!」

 思わず文句を口にしたが、俺が自分の話ばかりしていたせいかと反省した。

『転職するからイメチェンしたの?』

『そうかもね』

「かもってなに」

『女子の中高一貫校だよね? 人気集めるつもりでしょ』

『俺がそんなんだった記憶ある?』

『無いけど笑』

 先生は人気があったけど、どちらからというと男子に気安く絡まれるタイプだった。でも、久しぶりに会った先生は、少し痩せ過ぎてるようにも見えたけど、メガネを外して、少し長めに伸ばされたヘアスタイルが中々格好良かった。

『次咲は去年から共学になったんだ。それで教師が不足してたから、俺みたいのも採用してくれたんだよ』

 自虐的な文面に、そんなことないと呟く。

『先生はいい先生だったよ』

『嬉しいな』

『人気の先生になってね』

『頑張ってみるよ』

 先生とのやり取りの途中で、持田たちとのグループから通知が来た。

 今日二人と話したから、きっと林さんが何か言ってるんだろう。

 俺には友達がいる。孝一がいて、そして先生がいてくれる。

『先生ありがとう気にかけてくれて』

『うん』

『おやすみなさい』

『おやすみ、また明日』

 こんな俺にも明日があって、明日何があっても先生が話を聞いてくれる。

「よし!」

 気持ちを上げて、チャットルームを切り替えた。



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