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先生、おやすみなさい  作者: けもの
高校一年生
18/85

バレンタイン事件



 冬休みが明け、短い三学期が始まった。


 久しぶりのバスに乗り、学校へと向かう。

 休み前と変わらず、同じ制服の生徒が後ろのシートを埋めている。俺と同じ三旗中の生徒もいるが、知り合いではない。

 俺も変わらず前の方の吊革に掴まって、持田に勧めてもらった親世代のバンドグループの曲を再生した。

 歌詞に混ざる英語のスラングを気に留めながら、朝日を拡散させる光る雲に目を細める。

 年が明けて、あっという間に十日が過ぎた。これから二か月と少しでまた春休みが来て、次は高校二年生になる。恐らく体感ではひと月くらいだ。

 年々時の流れが速く感じられる。もう一年が終わるんだ、何があったんだっけ。

 勉強は順調だ。すでに二年の範囲に進んでいる。

 体力は落ちたけど、球技大会で優勝できたのは楽しかった。

 甲田とはちょっとやりあったけど、気の合う友達が三人もできたことは本当に嬉しい。

 女の子五人に告白されたけど、誰にもそんな気になれなくて、ゲイだという認識は強くなった。いや、もういい加減認めるけどさ。

 バスが停車して、車内が少し窮屈になる。

 運転手さんのアナウンスの後、またバスが動き出す。

 周りのみんなは青春を謳歌している。最近はそれを素直に羨ましいと思うようになった。

 何もかもを敵視していた中学の頃よりは、いくらか大人になったのかな。

 平和な日常に感謝もしている。きっと二年もあっという間だ。


 冬休み中に一度、孝一と顔を合わせた。

 前と同じくハンノキ公園で、前と同じくブランコに座って。

 寮生活は意外にも居心地がいいらしい。


「部屋は狭いけどさ、相部屋のやつが、あ、高橋ってやつなんだけど、すごくいいやつなんだ。普段お喋りなのに、俺が勉強してる時は凄く静かにしてくれるんだよ。いびきも掻かないし、一番ありがたかったのは綺麗好きってこと」

 孝一の話をふんふんと聞いた。

 話したいことが溜まっていたのか、それとも高校生になってお喋りになったのか、孝一はひとつも間を作らずに話し続けた。

 部活の先輩は面白い人が多くて、練習はきついけど毎日楽しいだとか。進学クラスに運動部が自分だけで、一人だけ真っ黒で変に目立っているだとか。

 楽しそうでホッとした。

 親の噂など知らない人たちの中で、勉強やサッカーに熱中してる。

 一月の公園はさすがに寒くて、時々ブランコを漕いでみたりもしたけど、いよいよ耐えられなくなった俺は、腕を摩って立ち上がった。

「家に来ればいいのに」

 言われて、「ブランコが好きなんだよ」と返す。

 風邪をひく前に帰ろうと提案した俺を孝一が引き留めた。


「この後さ、サッカー部のみんなとファミレスで会うんだよ」


 ああ、そういうのってあるよな。

 三年間を共にした仲間たちと冬休みに再会。

 ドリンクバーで居座って、思い出話をするんだろう。

 みんなは高校でもサッカーを続けてるのかな。きっと色んなことが起こったんだろうな。一、二時間では足りないだろう。

「みんな祐に会いたいって言ってる。行かない?」

 孝一の顔が緊張している。

 いいよって言ったら、また笑ってくれるだろうな。

 行きたいという気持ちも微かにあったけど、行けないという気持ちの方が強かった。

 行ったところで語れることはない。サッカーを辞めるに値するような出来事は起こっていない。

 ぎこちない笑顔で、きっとまたたくさん嘘をつかなくちゃいけないだろう。

「行きたいけど、午後から予定があるんだ」

 嘘には慣れない。発せられた嘘からパージされた罪悪感というデブリが、きちんと身体のどこかに蓄積している。

 SFを読み過ぎたかな。

「そっか……」

 がっかりした顔の孝一と別れて、家までの道をゆっくりゆっくり歩いた。


 俺には孝一に聞いてもらいたいことがひとつもない。平和にやってるよ、それだけ。

 いつか孝一にとっても、俺はつまらない友人になってしまうんだろう。そう思うと涙が滲んだ。




 予想通り一月があっという間に過ぎて、二月になった。

 俺は冬休みが明けてから、松島さんと森崎さんに会わないように少しだけ日常を変えた。

 図書室の利用は止めて、図書館まで足を延ばした。

 うちのクラスに友達がいる森崎さんに会わないよう、お昼は教室を出た。

 鶴見や持田が付き合ってくれて、林さんも時々加わった。

 どこも寒くて、行く場所は限られていたけど、最終的にレクリエーションルームの暖房を勝手に付けてそこでお昼を食べた。

 絨毯敷きのそこは日当たりもよくて、カードゲームなんかをすることもあったけど、大抵は持田がいびきを掻いて眠った。


 気のせいかもしれない。俺のことなんて何とも思っていないかも。でも、周りがそうだと言うのならそうなんだろう。俺は人の気持ちに鈍感だから。

 何度か二人とすれ違って、そのうち何度かは気が付かないふりをした。


 人生には何かが起こる。

 俺の思春期で起きた一番の出来事は、孝一の部屋での勃起だろうと思っていた。

 でも衝撃度合いで言うとそれではなかった。

 俺の人生でさえこんなに色んなことが起こるんだから、何も起こらない人生なんてきっと存在しないんだろうな。




 バレンタイン。

 学校中がにわかにパーティーめいていて、持田に引き止められ、お昼休みにも教室に残った。

 林さんがチョコをくれて、クラスの女子も幾つかの義理チョコをくれた。俺たちも袋チョコやグミを女子に配った。


「普通ホワイトデーじゃない?」

 林さんが眉を寄せたので、「そうなんだけど」と三人で顔を見合う。

「一か月後に渡すって、返って恥ずかしいよなって話になってさ」

「一か月間ずっと心のどこかでお返ししなきゃなーって気持ちがあるのもモヤモヤすんだよ」

 持田がチョコとグミを一緒に口に放り込んだ。

「というわけでね」と、鶴見が妹と作ったという手作りクッキーを取り出した。

「私があげたものよりもいいものをくれた!!」

 林さんが驚愕して仰け反った。


 余ったお菓子をクラスの男子たちにも適当に配って、教室のごみ箱がお菓子の包装でいっぱいになった。

 お菓子パーティーが最高潮を迎えた時、教室に八戸くんが飛び込んできた。

「おい!! 裏で女子二人が掴みあってるぞ!!」

「なにそれ喧嘩?」

「誰、誰よ」

 クラス中の浮かれていたテンションが一瞬にして野次馬のそれに取って代わった。

「喧嘩かー」

 持田が悲しい顔をした。

 廊下を生徒が走って行く。

「女子でしょ? そんな酷いもんじゃないってー」

 林さんがグミを食べながらのんきに言った。

「バレンタインに喧嘩って、男の取り合いかな」

 鶴見がキシリトールガムをくれた。

「ありがとう」

 包みを開けていると、向こうで女子が声を上げた。


「松島さんと森崎さんだって!」


 えっとなって、三人が俺を見た。

 パチパチと幾つか瞬きを交わし、視線がうろうろとお互いの顔面で彷徨った。

「……行った方が、いくない?」

 持田が自信なさげに俺を見る。

「いや、関係ないでしょ……」

 鶴見が俺を気にしながら呟く。

「そう、かも、だけど」

 胸がざわざわとしてきて、腹筋に力がこもっていく。

 関係ない、俺には関係ないはずだ。

 だってちゃんと距離を取った。冬休みが明けてからずっと。だから——。


「なんかやばそう! 先生呼んだ!?」


 緊張感のある声が叫んで、俺は椅子に電気が流れたみたいに立ち上がった。


「見てくる!」


 人の波に乗って廊下を走った。三人もついて来ているのが分かった。

 人の流れが俺を迷わせなかった。場所は非常口から出た校舎裏らしかった。

 ドアが開けっ放しで、抜けると人だかり。その向こうに二人がいた。


 額が触れ合いそうなほどの距離で向かい合っている。両手でお互いの髪と服を掴んで、膠着状態のようだった。


「ごめん、ちょっと」

 人を押しのけて前に出てみると、みんな二人から距離を取って成り行きを見守っている。

 関わり合いにはなりたくないけど、見逃したくはないといった様子で、殆どは同級生。

 上級生は校舎の窓から見下ろしている。

 みんなスマホを手に持って、写真を撮る音や、既にカメラを向けている人ばかり。

 

「やめなよー」「先生まだ?」「アレ何やってんの?」「お前止めて来いよ」「森崎負けるな―」


 ざわめきはどれも二人を焚きつけようとしているものばかりが大きく聞こえた。

 たくさんの囁き声と電子音が合わさって耳が痛い。

 集団が、劇的な展開を今か今かと待ち望んでいる。

 止めなくちゃ。

 早く早くと脳内で響くのに、俺が関係していたらどうしようという不安で前に出ることができなかった。

 耳の中で痛いほど鳴っている心臓が、今にも口からズルリと出てきそうだ。

 その時、誰かが俺にぶつかった。


「あ、ごめん!」


 勢いで前に出た俺に、松島さんが気付いた。


「高瀬君っ!」


 顔を真っ青にした松島さんに呼ばれて、息が止まった。

 周りの生徒が松島さんの視線をたどって、俺を見る。

 森崎さんも俺を見つけて、そこでようやく二人の顔にべったりと血が付いているのに気が付いて、全身がぞっとした。


 なに? 俺なの?

 二人で俺を取り合ってるとか、そういうこと?

 二人とも怪我してるよ? 松島さんのメガネが地面で粉々に割れてるし。

 ねえ、俺のせいなの?

 脚が、動かないんだけど……。


「高瀬君! この女が嘘付いてるの!!」


 甲高い松島さんの声が中心で響いた。

 途端に辺りが静まり返り、どこかで録画が開始された。


「嘘つきはお前だろーが!! ふざけんなクソ女!!!!」

「あたしじゃない!! あんたが言い始めた!!」


 聞いたことのない口調で罵りあって、二人の髪が千切れそうなくらいに引っ張られている。

 濡れた血が光って、怖くて目を逸らしたいのに身体がいうことを聞いてくれない。

 嘘? 嘘ってなんの?

 猫が唸るような声がどちらかから聞こえて、全身が震えあがった。


「いいもん! 嘘じゃない! 私の方が中一から高瀬君のファンだった!!」

 松島さんが涙を流しながら森崎さんに食ってかかる。

「目えつけたのが早いとかどうでもいいんだよ!! 古参アピールうざいわ!!」


 ファン? なにが? 俺の?

 前から俺を知ってたってこと? そんなの言わなかったよね?


「お前なんか高瀬くんと付き合えるわけねーだろ地味女!!!」

「チビでブスのくせにうるさい!!!」


 視界の外側が暗くなってきた。目眩がくる。

 病気は良くなったと思ったのに。水が足りてなかったのかな。最近運動をサボってるからかな。


 すぐそばでシャッター音がした。

 視線を上げると、向こう側の生徒がみんなスマホをこちらに向けている。

 カメラが、掴みあう二人と俺を捉えている。

 俺にも詳細ははっきりしていないのに、周りは俺をこの騒ぎの中心の一人だという目で見ている。

 俺から距離を取って、俺をあちら側にする。見えない後ろからの視線さえ感じるくらいに、耳の中にざわめきが侵入してくる。

 無数の人さし指が体中に押し付けられているような幻覚がした。


 俺が原因。

 俺が原因でこうなってる。だから俺が止めなくちゃいけない。

 早くあそこに行って、二人に割って入って、俺にはそんなつもりはないって言わなきゃ。

 どっちとも付き合うつもりはないって。友達だって。だって俺は——。

 

 ゲイだって言ったら……止めてくれるかな。

 

 思った途端、つむじを起点にサーッと血の気が引いていく音がした。


「やめなさい!!!」

 バタバタという足音の後、あっという間に数人の先生が二人を引き剥がした。

 急に酸素が肺に届いて、大きく吸い込んだ途端、強い眩暈にふらついた。

「高瀬!」

 鶴見と持田が身体を支えてくれた。

「ヤバい、真っ青だ」

 全力で鳴る心臓が、頭の中で半鐘のように鳴っている。

「俺のせいなのかな」

 声が浴場にいるみたいに響いて聞こえる。

「違う」

 林さんの声がして、小さな手が俺の腕を摩った。

「でも、俺が」

「今はとにかく落ち着いて。座ろう? 一緒に」

 支えられて植え込みに座った。

 視界が暗い。頭痛がする。

 重たい頭が左に傾いて、二人が校内に連れていかれるのが目の端に映った。

 残った生徒に、先生が構内へ戻るよう促す。

 通り過ぎる生徒が、ひそひそと何かを呟いていた。

「高瀬やるねえ」

 甲田の声が聞こえて、「うるさいよ!」と林さんが言い返した。



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