球技大会
八月の終わりに開催される球技大会は、卓球とドッチボールとソフトバレーボールが女子の種目で、バレーボールとバスケットとサッカーが男子の種目だ。
「高瀬はサッカーやってたんだろ? 怪我したんじゃないんだよね? サッカーでるの?」
席の近い持田が、質問を三つ並べた。俺は二つ頷いた。
「別に何でもいいよ、バレーが少ないならバレーやるし」
持田はバレー部所属なので、有無も言わさずバレーに名前が書かれている。
バレー部だが、持田の背は高くない。リベロというポジションで、守備の要らしい。
「一緒にやるのは楽しいだろうけどさあ、でも勿体ないよな」
「球技大会で勿体ないも何もないよ。勝ちたいの?」
「そりゃ負けるよりは勝ちたいでしょ」
横から林さんが口を挟んできた。頬がぷくっとして、中でコロコロと飴を転がしている。
「そういうもんか」
とはいえサッカーは一番人気だった。二十分ハーフで、フィールドも縮小されているし、交代には制限がなくて、自由に入れ替われる。その点ではバスケも同じだが、フィールドにいる人数が違う。どう考えても五人でやるバスケはさぼれない。バレーはタイムアウトが無いし、だから大体の人間がサッカーに群がった。
「鶴見は何やるのー?」
持田が林さんの前の席の鶴見に話を振った。
席替えがあってから、この三人とよく行動を共にしている。三人は、俺にとって一番大切な『距離感』が丁度よかった。
「俺はサッカーだとありがたい。指怪我したら嫌だし」
鶴見はピアノを長く習っているらしい。三人で、「ああー」と納得する。
「もしバレーになったら、俺がガチガチにテーピングしてやるよ」と、持田が親指を立てた。
「経験者はできたら経験のある競技に出てくださーい」
実行委員の松林さんが言って、パラパラと手を挙げた人たちが収まっていく。
「ほら高瀬」
持田に促されて、しょうがなく手を挙げた。
「高瀬くんは、サッカーだよね」
「うん」
俺の名前をもう一人の委員の佐々木君が書き込んでいくのを見ていると、「お前結局なんでサッカー辞めたの」と、突然一番前に座っていた甲田が俺を振り返った。
俺もぎょっとしたし、クラス中もぎょっとした。なにせあれ以来、目も合わせていなかったから。
「別に、やる気が無くなったからだよ」
静かな教室で嘘を吐いた。
甲田は一瞥をくれ、急に興味が失せたかのように返事もせずに前を向いた。
クラス中が妙な顔で俺と甲田を交互に見ている。
俺は、自分もよく分からないという顔で首を振り、甲田の後頭部をチラっと見た。
なんなんだあいつは。
そして週末の金曜日、球技大会が始まった。
ジャージ姿のみんなは、朝からそわそわしていたけど、久しぶりにサッカーができるのに、俺の心はのんびりとしていた。
練習中、クラスメイトにパスを出しても大抵追いつけない。だからもう少し近くに出すとカットされる。今度は浮かして届かせるが、胸で受けることも足で受けることもできないから、変なところに当たって変なところへ飛んでいく。
どうしたもんかと思っていたけど、始まってみると、それはどのチームも一緒だった。
とにかく致命的だったのは、うちの高校にはサッカー部が無いことだった。
去年だか一昨年にはあったらしいが、人数不足だったらしく、入学した時には影も形もなかった。
始めのうちは、せめてあと二人くらい経験者がいたらな、なんて思ってたけど、慣れてくると、全員が素人だとそれはそれで別の楽しさがあった。
ポジションも何も無く、ふざけながらも全力でボールに群がって行く男たち。どたばたと土煙が上がって、乱暴な数的有利で奪取したボールがてんてんと俺のところへ転がって来る。俺はそれを一人で運んでゴールした。
サッカーと言うよりはラグビーに見えなくもない。
相手にもサッカー経験者はほとんど見当たらなかったし、キーパーだってもちろん素人だ。やる気のないクラスもある。
結局うちのクラスはそれを戦術として、二つ勝って決勝に上がってしまった。
「高瀬ー!! がんばれー!!」
持田の声がして、俺は振り向いて手を振った。
バスケは一年同士の予選で敗退したが、バレーは学年対抗にまで行ったらしい。
バレー部の先輩が二人いる三年生に負けたと、持田は悔しそうにしていた。
俺はとりあえず、じゃんけんでバレーになってしまった鶴見の指が無事だったことにホッとした。
女子は三種目とも学年対抗にまで進んだけど、決勝には残れなかった。つまりサッカーだけがうちのクラスの決勝戦だ。
バスケは経験者が多く、かなり質の高い試合をやっているらしい。同時刻にやってる決勝戦のギャラリーはそっちに多く流れているが、バレーと一緒にやっているため、体育館のキャパの問題で入れない人たちがサッカーを見に来ていた。
俺はあの『わちゃわちゃ戦術』が、これだけのギャラリーに見てもらえると思うと少し楽しみになった。
俺の負担が大きいと思ったのか、途中で大場君が小学生までサッカーをやっていたと白状し、トップに入って俺のパスを受けて幾つかゴールを決めてくれた。
パスをきちんと受けてもらえるというのは、こんなにもありがたいことなんだとしみじみ思った。
決勝の相手は二年生だった。
今までで一番きちんとパスを回してサッカーをするチームで、三人ほど経験者なんだろうなと思う生徒がいた。
前半、俺たちは堂に入ってきたわちゃわちゃ戦術で一点を取ったが、向こうには三点入れられた。
五分間のハーフタイムに入って、汗だくのみんなに、「今の戦術を封印しよう」と提案した。
みんなはきょとんとした。
まあ、あれが戦術だったとは誰も思っていないか。
汗を拭く俺に、「どうするの?」としゃがんでいた大場君が見上げてくる。
「えっと……」
どうしても経験者とはポジショニングで勝てない。経験者と思われる人に、クラスでも動きのいい人をマッチアップさせて、他のみんなにもそれぞれにマークする相手を明確に指定した。
身体を入れる位置や向きを簡単に説明していると、「もう少し詳しく」と言われて、顔を上げてみんなを見た。
するとみんなも俺を見ていて、どうもやる気が漲っている。
つい嬉しくなる口元をTシャツを引っ張って誤魔化した。
「ボールを持たれてる時は、自分のマークする相手にパスが来ないように身体を入れて、ボール保持者に近い時は積極的にボールを取りに行って。でも行っても二人。味方が持ってる時にはフォローに入って」
「どうやって点取るの?」
大場君はとても真剣な顔だ。勝ちたいらしい。
「俺がもらってパス出すから、大場君頼むね」
「わかった!」
頼もしい返事をくれて、俺の胸にも少し欲が湧いてきた。
「ボールを受けたらとにかく前に、届きそうなら俺の方に高く蹴って!」
「うおーっ!!!」
気合を入れて、みんながフィールドに散っていった。
みんな勝ちたいんだ。なんだかちょっと笑ってしまった。
前半のわちゃわちゃが素人然としていて好感を持たれたらしく、観客はこちらを応援してくれていた。クラスメイトが大声で声援を送ってくれて、なんだか懐かしい。
サッカーをやっているのも楽しかったけど、こうして応援をしてくれる人が盛り上がってくれるのも嬉しかったなと、あの頃を回想した。
初めは上手くいかなかった、いきなりやり方を変えたのだからしょうがない。
それでも一点を入れられた所で、なんとか堪えられるようになった。みんな勘がいいなと感心したし、点差が付いてもやる気が落ちていない所にも感動した。
ボールも俺の方へ飛ばしてくれるようになって、俺はそれを前に運んで、よく走る大場君に丁寧に繋いだ。
大場君はマークを外すのが上手く、続けて二点を入れてくれた。
残り五分と少しになると、向こうは守りに徹することにしたようだった。
今まで同点はじゃんけんだったけど、決勝はPK戦があるらしい。でも勿論そんな練習はしていない。運任せのPKは昔からあまり好きじゃなかった。
引いた相手に前がかりで、さらに素人が多いとなると、当然接触が増える。変なところでクラスメイトが倒されて、「ピー!」と自信のなさそうな笛が鳴った。
ファウルは妥当だったから、向こうからも文句は出なかった。
「大場君蹴る?」
「無理! 遠すぎ!」
大場君はぶんぶんと首を左右に振って、壁の方へ走って行った。
「ふむ」
大場君に合わせてもいいけど、キーパーは素人だ。これともう一点入れて、PK戦をせずに勝ちたい。
そう決めて蹴ったボールは、思ったよりも曲がったけれど、きちんとゴールのネットに刺さった。
背後から歓声が上がって、「うまーーっ!!」と持田のでかい声が聞こえた。
俺は心の中で、「少し曲がりすぎたけどね」と言い訳をした。
と、喜んだクラスのみんなが俺の方に走ってきているのに気が付いて、一瞬にして全身に鳥肌が立った。
「早く戻って! もう一点!」
慌てて声を掛けて、みんなは軌道修正をしてポジションに戻っていった。
「危なかった……」
「君、上手だね」
ホッとする俺の背中をぽんと誰かが叩いた。
振り返ったけど、どの二年生が言ったのかは分からなかった。
残りが何分かは見なかった。俺の心は相変わらず凪いでいた。
見渡したクラスメイトが勝ちたいと思っているのが分かった。胸がじんわり染みるように暖かくなった。
少しだけ感傷的だ。名残惜しさは、やっぱり残っている。
ゆっくりと世界が動いているように感じた。もう少しだけ、サッカーがしていたかった。
相手の始まりのショートパスに大場君が走りこんだ。交わされて、ボールはポンポンと最終ラインまで簡単に運ばれてしまった。ああ、と思ったが、そこで少し遠めから放たれたシュートを、この試合、一度もゴールを防ぐことができていなかった平野君が、大きく横にジャンプしてキャッチした。
身長だけで選ばれた彼は、自分でもびっくりした顔で手の中のボールを見た。
歓声が上がって、みんなも飛び上がって喜んだ。
さらに世界がゆっくりと回りだす。
真結ちゃんの演奏を聴きに行った時に見た、ステージ上の管楽器みたいに、みんながキラキラと輝いて見えた。その眩しい光が、プラネタリウムみたいに揃ってこちらへ走り出してくる。
青空が濃く、丸く感じる。
平野君が俺目がけて振りかぶって投げた。
コントロール良くこっちに飛んでくる。クラスメイトが頭に当てて、もう一度上へと上がったボールが、俺の頭を僅かに超え、脚を目いっぱい伸ばして自分のものにした。
まだハーフラインだった。でも、ゴールはそう遠く感じなかった。
何度も通った道をたどるように、二人を交わした。少し脚が重たくて、きっと明日筋肉痛になるんだろうなと思いながら大場君を探した。けれど視界には入らなくて、気が付くとキーパーと一対一になっていた。
一番気持ちがいい股を抜こうかと考えて、相手が素人だと思い出し、肩口を抜いてゴールした。
「高瀬の動画がバズってる」
「は?」
俺が間抜けな声を出すと、林さんがスマホを寄こした。
体育祭での俺のプレーが上手に編集されて、キラキラフィルターに音楽まで付いて流れていた。
「これって、俺の許可は取ってもらえないの?」
俺は眉を寄せてスマホを林さんに返した。
「顔は映ってないからなー」
林さんが、分からないという顔をしてスマホを持田に回す。
「ならいいか」
俺は一瞬でどうでもいい気持ちになった。
「コメントにはがっつり高瀬って書かれてるけどね」
「おいおい」
言われてまた引き戻される。
「これ誰のアカウントなの?」
持田の質問に、「三年の緑川さーん」と林さんがおちゃらけて歌った。
「あー、なんかちょっと有名な人だよね」
鶴見も知っているらしく、自分のスマホで検索し始めた。
「可愛いとちょっと踊ったりするだけで有名になるよねえ」
林さんが、羨ましいんだかなんだかよく分からない調子で鼻で笑った。
「じゃあ俺がバズったんじゃなくて、そもそもその人が人気があるだけか」
「いや、明らかにいつもよりもいいねが多いよ! お金請求してこい高瀬!」
持田が急かしたが、俺は「どうでもいいよ」と笑った。
球技大会を優勝して、みんなが喜んでくれた。
案の定バックレた甲田たちは知らん顔をしていたが、観戦してくれていた担任の溝口先生は、「みんなでサッカー部作るかあ!」と盛り上げた。
大場君は久しぶりのゴールがとても気持ちが良かったらしく、「あんなにいいパス来たの初めて! 楽しかったー!」と俺の手を強く握った。
「大場君、トップ上手だったよ」と、感想を告げると、笑ってしまうほどグネグネになって照れていた。
「最後の高瀬、ボールが友達って感じだったよ」
鶴見が動画を見ながら穏やかに言って、「古すぎない?」と返すと、鶴見はきょとんとした顔になった。
「え、本当にそう思ったってこと?」
半笑いの林さんが訊くと、鶴見が首を傾げたので、声を上げて笑ってしまった。
優勝した時の集合写真を林さんが送ってくれて、俺はそれを孝一に送ろうか迷って、結局止めた。
球技大会が終わって、季節は秋に向かった。