高校一年生
親友に初恋をした中学時代が終わり、俺の人生は高校生という次のステージに移行しようとしていた。
一番の特技だったサッカーを捨て、ゲイという特性を携えた俺は、春休みを楽しむ同級生のSNSを眺めながらむやみに不安ばかりを生成していた。
新しい制服、卒業記念の日帰り旅、期間限定の奇抜な髪色。ピアスを開けたり、私服の高校だからと、服を大量購入してる人もいる。
「はぁ」
いや、なんでため息だよ。楽しそうなのは何よりだよ。
「はぁ」
それでもため息は止まらない。
もしもゲイだと分かっていなかったら、そうじゃなかったら、性格的に投稿はしなかったと思うけど、彼らの写真のどこかに自分も写っていたのかな。
今は開くこともしないチームメイトのSNSに登場して、楽しそうな自分を何年も見返しては、こんなことあったな、なんて。
指先がフォローリストを開いて、一つ一つチェックを外していく。
まっさらになったSNSを閉じて、ため息を吐く代わりに大きく息を吸い込んだ。
「よし!」
心機一転、高校生だ!
気合いを入れた俺は、うららかな春休みを新しい特技を得るべく高校の予習に費やした。
ところが入学式を終えていざ高校生活が始まると、生き生きとしたクラスメイトや同級生の姿に当てられて、すぐさま不安感がぶり返した。
二年前までマイノリティという言葉が自分に当てはまる日が来るとは思っていなかった。俺は大多数の一人だったし、そこに居て違和感もなかった。
孝一に勃起してからだって、適度な距離さえあれば、みんなと同じように振舞えていたと思う。
でも高校生になって久しぶりに馴染みのない人たちの中に身を置くと、中学時代に違和感なくそこにいることができたのは、無自覚だった時期があったからだと分かった。
一年を共にするクラスメイトの正体を探ってやろうとする視線が、俺の表層を四方八方から撫でていく。
にわかに身を震わせながら、自分も同じように正体を探ろうと周囲を見渡した。
グリーンと銀の斜めストライプの男女共通のネクタイとリボン。薄いブルーグレーのシャツ、銀糸で縫われた校章の付いた紺地のブレザー。
制服は一見、俺たちを統一して見せていた。けれど——。
漂う香水、流行りの髪型、女の子の化粧。スマートフォンを覗き合い、囁き合う声。
みんなが蝶を呼び寄せる花のように何かを醸している。その正体を俺は直ぐに察した。
春休みに予習しかしてこなかった俺からは、みんなの内側から溢れ出す『期待感』が明らかに出ていなかった。
俺だけ趣旨を勘違いしているような焦りが湧いて、急にネクタイが息苦しく感じた。
高校一年生、新学期、新しい制服、新しいクラスメイト。
色々と声色を変えて頭の中で今の状況をワクワクさせようと試みるけど、どれもしっくりこない。だってしっくりこない状況だ。慣れない場所で、見慣れない人たちと、着慣れてない服で座らされている。
彩度が違う。明度が違う。教室の真ん中で、自分だけがブラックホールみたいに全てのものの光を失わせる何かであるような気がした。
こんなことで三年間も大多数の中に紛れていられるんだろうか。
ああ、不安の種を芽吹かせてしまった。
ジッと目を閉じて、心に光を当てないようにしないと。
みんなの輝きを見てはいけない。大多数との対比が、俺の不安を育てる栄養になる。
今まで通り過ごせばいい。甘酸っぱい青春のあれこれは望んでいない。学生らしく勉強をして、人当りは良く、清潔に。
けれど、いきなりそれが間違っていた。
今までと変わりなく生きようとしているのは少数派だった。
引き続き成長期真っ只中の同級生達は皆、中学生の頃よりももっと積極的に経験を得たいと考えているようだった。
中学生というのは自分ばかりが主役で、思春期に変わり始める自分が周りからどう見えるかが主眼になっていたように思う。
そして高校生になった今、それなりに自分に折り合いをつけ、今度は他人と関わろうとしている。
中学時代は、異性とちょっと仲良くしているだけでからかわれたし、いわゆるジャンル分けもハッキリしていた気がする。けれど、高校ではそういった垣根が取り払われて、一見すると健全な空間に感じられた。でもよくよく見ていると、やっぱり皆、自分らしくいられる居心地のいい場所がある。その居場所から異文化交流さながらに、かつては交わらなかった人たちと関わろうとしているようだった。
自己を確立して、他者を受け入れる。
集団が同じように成長してる有様に感心した。そしてやっぱり不安になった。
自己の確立?
得意だったサッカーを失った俺には所属する場所がない。無所属のゲイ。共有はできないから、はた目にはただの無趣味な人間だ。
こんな俺に居場所なんか見つかるんだろうか。やっぱりなにか部活に入った方がいいのかな。同性との触れ合いが一切ない部活に。
幸い、と言っていいかわからないけど、うちの高校にはサッカー部がなかった。どうやら人数が足りず、最近解散したらしい。
中三で身長が170後半になった俺のところへ色々な運動部が勧誘にきた。けれども熱心に迫られるほど気持ちは後ろ向きになって、結局帰宅部に落ち着いた。
春休みに予習を済ませていたお陰で、授業は聞いていなくても良かった。かと言って授業中は勉強以外にやることもないから、俺の勉強は入学早々教科書の後半に突入した。
自分とみんなとの齟齬がないか、いつも少し不安だ。
自然と言葉数は少なくなったけど、中学時代に孝一を真似て培った、穏やかで善良で清潔感のある俺は、一応滑らかに高校生活をスタートできたと思う。
女子によく話しかけられた。
男子よりも早く大人になっていく彼女たちは、会話の始め方が上手い。理由やきっかけなど一切見当たらないのに唐突さがない。ねえ、と一言。このトーンが絶妙で、まるでプリントでも渡されるのかと思うくらいの気軽さで俺を振り向かせる。
振り向かせた後も気まずい間なんかは一切なく、「実は高瀬君の中学の〇〇さんと友達なんだよね」とか言われて、俺は顔も思い出せないくせに、「そうなんだ、何組だっけ?」なんて言いながら、いつの間にか連絡先を交換して、スマホを介した他愛のない会話が学校外でも繰り返されるようになり、気がつくとお互いの家族構成や、昨日見たテレビで笑ったポイントさえ把握しあう仲になっている。
そこまで積極的ではない女子もいる。彼女たちは連絡先までは聞いてこない。いつの間にか近くにいて、いつの間にか会話をしている。
俺が中学時代サッカーをやっていて、そこそこの実力だったと何故か知っていて、どうして辞めてしまったのかと訊ねてくる。俺は、「将来のことを考えて」と簡潔に嘘で答える。彼女たちは大仰にうなずいて、「しっかりしてるんだね」と笑う。
女の子は居心地がいい。会話中に否定しないし、妙なノリもない。
俺は終わりのない会話に特に疑問も抱かずに、気が合う友人が出来て良かったな、なんて思ってホッとした。
髪を切れば似合ってるねと言ってくれる彼女たちに、俺も同じように返す。
薄々気が付いていたけれど、男子といるよりも女子といるほうが穏やかでいられる。男子よりも装飾が多くて話題に事欠かないところもありがたいし、女の子とは女の子のいやらしい話をしなくて済むからそれも安心だ。
頻繁に上げられるSNSにいいねをして、俺も何か投稿したらと言われるけど、何も投稿することがないからそれだけが申し訳ない。
一緒に流行りの動画を撮ろうと言われることもあるけど、幼少期にヒーローに変身出来なかった俺にとってカメラの前で踊るのは、ゲロを吐く方が簡単に思えるくらいハードルが高い。
色々とできないこともあるけど、それを彼女たちは許してくれる。こういう時男だと、「ノリが悪い」とバッサリいかれる。いや、中学時代に佐野さんに、「つまんねえな」と大声でバッサリいかれたことがあったか。女子にもよるんだろう。
問題が無いと思っていたのが間違いだと気付いたのは、友人の荒生さんが髪を明るくし過ぎて生活指導の先生に怒られて泣いたことがきっかけだ。
うちの学校は染髪に厳しくない。でも一応規定があって、荒生さんの髪はきちんとその規定に違反していた。指導室で荒生さんを泣かせた高岡先生は、「今日は縛っておきなさい!」と最後まで厳しく言いつけた。
「まあ、確かにかなり明るいもんね」
石川さんに髪をまとめてもらいながら、荒生さんはハンカチに目を押し当てている。
「うん。美容室の人が間違えて、頼んだのよりもかなり明るかったんだよね」
「え、そうなのぉ?」
「時間なくて染め直し出来なくて、明後日染め直してくれる予定だったけど、先生は今日中にやれって」
「自分でってことでしょ? 美緒の髪長いし、上手く染まるかなあ」
石川さんが困った声で言い、布に包まれたヘアゴムで髪をお団子にまとめた。
「そういう事情は話したの?」
俺が聞くと、荒生さんは首を横に振った。目が赤く、メイクも取れている。
「言えなかった」
「そっか」
俺は一応聞いてみるだけと思って、中休みに高岡先生の所に行って美容室側のミスだという事を伝えてみた。すると美容室にそれを認める書類を提出してもらえるなら、明後日まで待つと言ってもらえた。
「良かったね、ちゃんとプロに染め直してもらえるよ」
教室に戻って報告すると、荒生さんがまた泣き出して俺は慌てた。
俺のおかげで明後日まで待ってもらえることになったと、ヒーローのように扱われた。本当に女の子にとって髪は命の様に大事らしい。
高岡先生がどんな風に怒ったのか分からないけど、話をした時驚いていたから、注意される前に申し出ておけばよかったのにと思ったけど、それを言うと荒生さんを責めることになるのかと考えて、言わないことにした。
泣き止んだ荒生さんは、売店でエクレアを奢ってくれた。
「ただ確認しただけだよ」と言ったけど、嬉しそうにしていたからありがたく頂いた。
それから何かが変になった。
荒生さんはいつも俺の横にいたし、石川さんや牧さんは俺たちから離れて二人で行動していた。そして別のグループの仲が良かった瀬尾さんは、急に俺に寄り付かなくなった。
何かしたかと思って声を掛けると、「荒生さんと付き合ってるんでしょ?」と言われて、「付き合ってないけど」と驚くと、向こうにも驚かれた。
どうしてそんな風に思われたんだろう。本当に分からなかった。でもそれを荒生さんに確認するのもなんだか違う気がした。
「俺たち付き合ってないよね?」って? いやいやそんなこと聞けないよ。
当事者の俺にそんなつもりがないんだから、わざわざ確認する必要はないと結論付けた。
ただ意識してみると、そう言われてもおかしくないくらい行動を共にしている気がする。移動教室も、お昼ご飯も、夜も必ず電話が来た。内容は今までと変わりはない。
相変わらず流行りものに疎い俺は、彼女の話をふんふんと聞いて、昨今の流行というものをなんとなく吸収する。ちょっとした情報番組みたいな感覚だ。
男女の恋人同士が何を語らうのかは俺には永遠に知る由もないけど、そのような甘味の含まれたやり取りに変化したとは感じられなかった。
これは友達なのか? 友達だよな。だって付き合おうと言われたわけでもない。
誤解の解けた瀬尾さんからも連絡が来るようになって、これで今まで通りなんて思って、思いつつ、違和感が拭えず、スマホで『友情』と検索した。
結果、男女の友情についての論争は未だに決着がついていないようだったけど、俺はゲイなわけだから、その論争には巻き込まれないで済む。
明確なガイドラインはなかったけど、今のところ友人の定義からは逸脱していないことを確認して、その日は眠った。
何度か荒生さんに、放課後に寄り道をしようと誘われた。俺はそれを家の用事があると断った。
友人と学校帰りに寄り道をするのは問題ないように思ったけど、どこかで線引きをしなければいけないと俺の直感が言っていた。
俺は荒生さんと一緒に居過ぎないように少しだけ気を付けた。
昼休みは男子とバスケをしたし、先生の雑用を積極的に引き受けた。
ただやっぱり男子と近い距離にいるのは違和感が拭えなくて、早めに切り上げて図書室に逃げ込んだ。