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のん

作者: 唐揚げ

「これなんだろう」


 帰宅して早々に、夫が葉書を差し出しながら聞いてきた。

 葉書を受け取ると、その葉書には宛先も、差出人も特に不明であり、ただ、表面というか白地の面に短く


 のん


 と、だけ二文字が書かれていた。

 私は心当たりがない、と頭を振った。夫としては、このような葉書を送ってくるような知り合いに思い当たる節がなく、それであれば、私であればあるかもしれないと思ったそうである。しかし、私の周囲にも葉書を送るような知人はいない。正直に言えば、スマホの連絡アプリケーションで事足りるので、わざわざ葉書を送る事はないはずだ。

 そんな風にして葉書は、ゴミ箱へと捨てることになった。という形で、私の記憶からその葉書についての記憶は消えて行った。

 だが、ある日、出勤前にマンションの正面玄関にある集合ポストの中を見たとき、葉書があった。

 何の気もなく、その葉書を手に取ってしまい、ぱっと見たときに同じような二文字があり、はっと短い悲鳴が口から出た。同じように宛先もなく、差出人もない。一度だけならば少しのいたずらとして受け流すのもできたが、流石に不気味であった。

 夫に相談すると、葉書を神妙に見ていた。


「何の目的があってなんだろうね」


 そう二人で頭を抱えながら、いくら考えても答えが出る事はない。

 と、その時、玄関の呼び鈴が鳴った。出れば、上の階の住民夫婦、たしか唐澤という苗字をしていたと思う夫婦が申し訳なさそうな顔で立っている。

 訳を聞くと、普段うるさくして申し訳ないと詫びを入れに来たらしい。が、特に心当たりがない。すると、唐澤夫婦は驚いた顔をして、一枚の葉書を見せてきた。いやな予感がしながら私は、その葉書を手に取ると、そこには、のん、と同じように書かれていた。


「この葉書を入れられていて、もしかしたら、下の階からの苦情かなって思ったんです」


 と、唐澤夫人が言った。

 私たちは普段、どのように思われているんだと思いながらも、違うと否定する。

 そうすると、隣の部屋の住民、勅使河原がひょいと顔を出してきた。


「あれ、その葉書」


 と、勅使河原が私の手にある葉書を指差し、一旦、顔をひっこめるとすぐに葉書を手に廊下に出てきた。


「チラシとか迷惑なんで必ず電話で怒るようにしてるんすよ、それで残していたんですけど、良かったですわ」

「もしかすると、みんなの所に来てます?」


 誰が言うでもなく、そんな言葉が口から出てきた。

 ここまでくると、このマンションの住民全員に来ていることになるのではないか。


「あっと、これ消印無いんですよ、ってことは、直接にポストに入れに来ているってことですよね」

「確かにそうかも」


 夫たちがそう言う風に言い始めた。確かに言う通りであれば、マンションの防犯カメラに葉書を投稿している瞬間が写っているはずだ。そう考えると、マンションの管理運営会社に電話をかけはじめ、防犯カメラを確認してほしい、というように訴えを出した。

 すると、防犯カメラの映像を運営会社は見せてくれた。正直に言うと、少しばかり強引な方法だった。もしも、早急に防犯カメラの映像を見せてくれなければ、マンションの住民として大勢が退去するという脅しにも近い文句を突き付けたのだ。実際の所、それは効果があったようで、すぐに映像をCD媒体で送ってくれた。


「見ようか」


 と、夫が近隣の住民と共に映像を再生した。

 何気ないマンション出入り口の、集合ポストの様子がずっと続く。


「あ」


 集合ポストの前に立ち、葉書を投函していく人影があった。見れば、このマンションでも高齢者の部類に入る森という老婆である。一人暮らしの老婆で、子供たちが遠くへと越して行ってしまったそうだ。つまり、寂しい老人による悪戯。

 で、済む話ではない。特に勅使河原は、葉書だのチラシだのを入れられて困っているというのもあり、文句を言わなければ気が済まない、と息巻いているが、ともかく、大挙として事情を聞くのもダメだ、と夫は冷静さを務めた。そこで、夫と私、そして、勅使河原と唐澤夫妻で伺うこととした。

 森が住むのは、私たちより一つ階層が下のフロア、その角部屋だ。

 あまりマンションの他のフロアに入るという事はないので、少し新鮮な気持ちになりながらも、森の部屋へと向かう。


「森さん。いませんか?」


 呼び鈴を押し、扉を叩きながら夫が言うも、応答はない。

 勅使河原が、舌打ちをしながら、扉のノブを回す。


「おい、開いてるぞ」


 嫌な想像が頭の中を駆け巡る。孤独老人、孤独死。

 私は携帯電話で映像をとりながら扉を開けて入る勅使河原と夫に続いた。その後ろを唐澤夫妻が続く。老人の家特有の臭いと、それにに使わない化学薬品の刺激臭がする真っ暗な部屋の中、電気のスイッチは我が家と同じ間取りであるのですぐにわかった。ぱちっとスイッチを入れると、後ろの唐澤夫人が悲鳴を小さく上げた。

 遮光カーテンの閉め切られた部屋の中には誰もいなかった。しかし、それは問題ではなかった。

 壁紙が黒いのだ。

 マジックペンでびっしりと塗りつぶされたように黒いのだ。


「こ、これ」


 私は壁紙に近寄ると、それが何であるか理解した。


 のん


 と、書かれているのだ。びっしりと、大きさも太さも異なるものが、ひたすらにびっしりと書かれているのだ。

 ともかく、私たちは一旦、部屋から逃げるように出て、森老人が帰ってくるのを待ったが、どれほど待っても森老人が帰ってくることはなかった。管理組合に連絡をとって、森老人が行方知れずであると伝え、警察や民生委員にも電話で連絡を取ったが、行方は知れなかった。

 ともかく、もう葉書についてはもう悩まされることはないだろう。

 そう、思っていた。

 だが、そうでなかった。


 騒動から三月とした後に、また、葉書が届き始めたのだった。



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