灰かぶり姫は魔法を知りたい ~王子様なんて興味ありません。わたしは貴方の弟子になります!~
これはおとぎ話ではない。
誰もが王子様との結婚を望むわけではないのだ。
侯爵令嬢のエリシア・グレイは、家庭で虐待を受けていた。実母が亡くなって、意地悪な継母と義姉ができてから、まるで使用人のように扱われて。
金髪碧眼の美しい容姿を、継母から妬まれたのだ。
いつでも暖炉の灰をかぶった薄汚い格好をしているから、灰かぶり姫――シンデレラと彼女は呼ばれていた。
王子の開く舞踏会にも、彼女は出席させてもらえず。
そんな少女には、魔法使いの魔法で華やかなドレス、かぼちゃの馬車、そして光り輝くガラスの靴が用意されるのがお約束。
彼女は舞踏会に出席し、その美しさを見た王子に求婚される。結婚した二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らした。
――とはならなかった。
そんな運命をエリシアは選ばなかったから。
彼女の目の前に黒髪の魔法使いがいる。優しそうで、顔立ちの整った少し年上の青年だ。黒いローブを身にまとい、赤い宝石の付いた樫の杖を持っている。
彼は困ったように、眉を上げる。
「何度も言いますが、あなたはこの魔法のドレスと馬車、そしてガラスの靴で舞踏会へ行くべきなんです」
「魔法使いさん。悪いんだけど、わたしは舞踏会には興味がないんです」
「なぜ? スカーレット王国第一王子アルフォンス殿下が主催される舞踏会といえば、女性の誰もが憧れる舞踏会だ。あなたほどの美しさがあれば、王子の心を射止めることも容易いだろう」
「あら、殿方から容姿を褒められるのは久しぶりですね」
くすくすっとエリシアは笑った。継母が家を乗っとって以来、エリシアは社交の場に出ることも許されなかった。
だから、男性と会話する機会もなかったのだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
目の前の青年が、自分の容姿を褒めてくれたのが嬉しかったのだ。
エリシアにとって、興味があるのは舞踏会でも王子でもない。
目の前の青年だった。
彼は――魔法が使える。
目の前にドレス、かぼちゃの馬車、そしてガラスの靴を一瞬で出現させた。
それはただの手品や奇術ではない。
ほんものの魔法なのだ。
「魔法使いさん。お名前を名乗ってくださらない?」
「クリストファー。クリストファー・マーロウです。ですが、私の名前などどうでもいいでしょう」
「大事なことですよ。王国に七人しかいない大魔法使いクリストファー・マーロウ。わたしはずっと貴方に憧れてきたのです」
エリシアはあえて名を問うたが、それはこの魔法使いの口からその名前を聞きたかったから。
名前自体はずっと前から知っていた。
クリストファー・マーロウ。
偉大な魔法使い。かつて王国の危機を救った伝説の人。
その活躍は多くの記録や物語で語られている。
そして、エリシアにとってはさらに特別な意味を持つ名前だった。
「貴方は私の師匠になる方ですから」
「は?」
目の前の魔法使い――クリストファーは口をぽかんと開けていた。
順を追って、エリシアは説明することにする。
「わたしはずっと魔法使いになりたかったんです。ずっとずっと」
「魔法使いなんて、素晴らしいものではありませんよ。かつて尊敬された職業ですが、科学の発展したこの時代、今では数えるほどしかこの国に魔法使いは残っていない」
「ええ、知っています。でも、わたしの母は魔法使いでしたから。知っていますよね?」
「そうですね。あなたのお母様――大魔法使いアーシャ・グレイは私の師匠だったのでね」
「母は亡くなる時、貴方と約束しました。『娘のエリシアが17歳になったとき、幸せだったら影から見守ってあげてほしい。もし不幸だったら貴方が幸せにしてあげてほしい』」
クリストファーは怪訝な顔をした。
「どうしてご存知なのです?」
「母の遺言に書いてありました。師匠であるわたしの母に対する恩返し、ということですよね」
「ああ、なるほど。そのとおり。私はエリシア様を幸せにするために、今日、この日、貴方の誕生日を待ってお迎えに上がりました。本当はもっと早く参上したかったのですが、17歳までは見守るようにとのお約束でしたので」
「もっと早く来てくれてもよかったのに。わたしはこの日を待ちわびていました。貴方の弟子になれる、この日を」
「ちょ、ちょっと待ってください。私はたしかに貴方を幸せにすると約束しました。だから、王子と結ばれるように舞台を用意した。予言に従えば、貴方は私の言う通りにすれば、王子殿下から見初められ、幸せな結婚を手に入れられます」
「すごいわ! 予言なんて高度な魔法も使えるの!?」
「私もアーシャ・グレイ様の弟子なので。ともかく、あなたはこのカボチャの馬車で宮廷へと向かうべきです。あなたの幸せはそこにある」
「わかっていませんね、魔法使いさんは」
「はい?」
「王子様との結婚なんて、わたしはごめんこうむります」
「しかし――」
「母は貴方と約束しました。私を幸せにする、と。その方法は決められていません。私の望みは母のような偉大な魔法使いになることなのです」
「……魔法使いになることは、幸せなこととは限りません」
「そうですね。でも、幸せは自分で掴むもの。そうでしょう?」
エリシアの言葉に、クリストファーは天を仰いだ。
結局のところ、魔法使いは灰かぶり姫の提案を断れなかった。
その日。クリストファーはエリシアをさらい、エリシアは魔法使いの弟子となった。
☆
「午前零時で魔法は解けるのではなかったのですか? 魔法使いさん」
エリシアがそう問いかけると、クリストファーは肩をすくめた。
「私の魔法はそれほど生半可なものではないということです」
クリストファーが用意したドレスは、ばっちりエリシアが着ていた。
本当なら舞踏会に着ていくはずだった服だが、もったいないので使うことにした。
着飾った自分は我ながら別人のようだ、とエリシアは思う。客観的事実としてエリシアはいわゆる美少女――それもたいていの貴族令嬢より美しいに違いない。
灰かぶり姫なんて呼ばれることはもうないだろう。
「せっかく綺麗に着飾ったエリシア様のお姿を、舞踏会の参加者にご覧になっていただきたかったのですが」
「あら、見てくれる人がいますよ。魔法使いさんのために、わたしは着飾っているのです」
そうエリシアが言うと、クリストファーは少し顔を赤くした。
照れているのだろうか。
エリシアは少しからかってみたくなった。
「可愛いとおっしゃっていただけないと、すねてしまいますよ?」
「……その口調、あなたのお母様そっくりです」
「あら、そんなに?」
「はい。……とても美しいですよ、エリシア様」
クリストファーが小声で言う。エリシアは自分で言ったことなのに、気恥ずかしくなって頬が熱くなるのを感じた。
憧れの魔法使い。彼の家へとエリシアは向かっていた。
カボチャの馬車は、エリシアを王子の妻とするためでなく、魔法使いの弟子とさせるために、夜の道を駆けていた。
行き場のないエリシアは、クリストファーと一つ屋根の下で暮らすことを選んだ。
クリストファーに迷惑ではないかと心配になったけれど、クリストファーは快く受け入れてくれた。
むしろ、少女であるエリシアが男のクリストファーと同居することを不安でないか、気遣ってくれた。
でも、クリストファーは優しい人だと母の遺言にも書いてあった。
憧れの魔法使いの家に住めるのだから、異存はない。ちょっとドキドキするけれど、それは良い意味でのドキドキだ。
やがて王都の郊外。
小さな街の端っこ。こじんまりとした家に到着した。
「ここが魔法使いさんのお屋敷なの?」
「そうですね、屋敷という規模ではありませんが……それに、若い女性が住むには少し散らかっているかもしれません。ご容赦ください」
クリストファーの言葉どおり、家は荒れ放題だった。
いたるところに蜘蛛の巣がかかっている。
どうにか比較的きれいな屋根裏部屋に、布団と毛布を置く。
そこがエリシアの部屋になった。
クリストファーは申し訳無さそうな顔をする。
「エリシア様。後悔していませんか? いまどき貴方の寝床は、宮廷の天蓋付きベッドだったかもしれないのに」
「言ったでしょう? 王宮での生活に興味はない、と。わたしが興味があるのは貴方の魔法だけです」
そう言うと、クリストファーは目を見開き、そして微笑んだ。
「そうでしたね。明日から魔法を教えて差し上げます。今はゆっくり休んでください」
「はい。あと、魔法使いさん。わたしも多少はお役に立てますから」
「へ?」
「わたしが灰かぶり姫と呼ばれている理由、ご存知でしょう?」
次の日、魔法の授業の前に、エリシアは家の大掃除をはじめた。
継母たちから使用人のように扱われていたので、エリシアは家事万能だった。
(この家には使用人が一人もいないし。わたしが魔法使いさんの身の回りの世話をしてあげないとね)
母に対する恩返しという理由はあるとはいえ、エリシア自身が何もせずに魔法だけ教わるのは申し訳ない。
一週間かけて、家を完璧に磨き上げて、手料理も振る舞うとクリストファーはとても恐縮していた。「エリシア様にそんなことをさせるわけにはいかない」と彼は言い張ったのだが、エリシアは無視してどんどんと家事を進めてしまう。
途中から、クリストファーも諦めていた。
クリストファーは仕方なさそうに笑うと、「ありがとうございます、エリシア様」と何度も礼を言ってくれて。
料理も美味しい美味しいととても喜んでくれた。
実家では誰からも感謝されなかったから。
そんなちょっとしたことがエリシアには嬉しくて。
その一方で、クリストファーによる魔法の授業も始まった。
夜の部屋。テーブルを挟んで二人は椅子に座っている。
「魔法の原理は単純です。この世界の<裏側>にはエーテルと呼ばれる物質が満ちています。それを表の世界に引き戻し、人間の目に見える形に直す。それだけです」
「わたしのドレスも、カボチャの馬車も、ガラスの靴も、みんなエーテルが形を変えたものということですね?」
「はい。技術としては、エーテルを媒体――宝石付きの杖を用いて変換することで成立しています。理屈ではいろいろとあるのですが、百聞は一見にしかず、ですね」
クリストファーが部屋の明かりであるガスランプを消した。
部屋が真っ暗になり、エリシアは慌てる。
クリストファーと二人きりで、真っ暗な部屋。ちょっと緊張する。
しかも、クリストファーが突然、エリシアの手の上に自分の手を重ねたので、エリシアはますますびっくりした。
「ま、魔法使いさん……」
心臓がドキドキするのを感じる。クリストファーの吐息だけが聞こえる。
「少しお待ち下さい。目をつぶって」
「で、でも……心の準備が……」
「何の話ですか?」
そうだ。魔法の勉強中だった。
目をつぶり、二十秒ほどが経つ。
クリストファーの手の暖かさだけが感じられる。
すると、突然、世界が明転した。
ふわふわとした真っ白な空間に、青い光が浮かんでいる。
そこにはクリストファーがいて、微笑んでいる。
「これが世界の裏側です」
「なら、この青い光がエーテル」
「察しがいいですね。そのとおりです」
これが魔法の根源なんだ、とエリシアは思った。
わたしが見ていた世界。日常の風景。そのすべてが相対化される。
クリストファーがぱちんと指を鳴らすと、一瞬で元の部屋へと意識が戻った。
明かりが再び灯され、クリストファーの手が離れる。少し残念だ。
「これが魔法使いの力の理由、魔法使いだけが見られる世界です」
「わたしはこの世界を使いこなさないといけないのですね」
「そのとおりです。ですが、正確には世界を使いこなすのではなく、裏側の世界と一体化すると言った方が正しいでしょうか。世界とエーテルはあなたのなかに常にあります」
小宇宙と大宇宙。無と有。そのあともクリストファーによる魔法原理の講義は続いた。
エリシアは優秀な生徒だった(と自分では思っている)。クリストファーは「飲み込みが早い」と褒めてくれた。
「今日の授業はこれでおしまいです」
「ありがとうございます。早く魔法を使えるようになりたいです!」
エリシアが目をきらきらと輝かせて言うと、クリストファーもふふっと笑った。
「そうでした。魔法を使えるようになる前に、魔法の原理を教えるよりも先に、一つお伝えしておかないといけないことがありました」
「何でしょう? 素敵な女性の口説き方とかですか?」
「それを貴方に教えても意味がないでしょう……」
「知っているんですか?」
「知りません!」
クリストファーはごほんと咳払いをする。
「つまり、です。魔法使いであることに一番大事なことは何だと思いますか? 魔法使いが持っていないといけないものと言い換えても良いです」
「そうですね……。魔法の知識でしょうか」
「惜しいですね。それは二番目に大事なものです。一番大事なものは職業倫理です」
「職業倫理?」
「|魔法は公共の利益に奉仕する《Magic engages in the public interest.》。平たく言えば、魔法は人のために使うものだということです」
「それは……魔法でボランティアをせよ、ということでしょうか?」
「無償奉仕という意味ではありませんよ。公共の利益に奉仕する。その上で、魔法使いも職業なので、その報酬をいただきます。その報酬は金銭であることもあるし、形のないものであることもあります」
「魔法使いさんが、わたしに魔法をかけたのも同じですか?」
「はい。報酬は、形のないものですが、ちゃんといただいていますよ」
クリストファーは柔らかい笑みを浮かべた。
その言葉の意味がエリシアにはわからなかった。
家事をやっていることだろうか。でも、少し違う気がする。
「もし魔法使いが倫理を忘れて、自分のためだけに魔法を使うようになったとき、忌まわしき<魔術師>へと堕ちます。かつて多くの魔法使いが迫害された原因もそこにありました。どうかエリシア様はそのことを忘れないでください」
エリシアはクリストファーの言葉にうなずいた。
☆
「すごーい! エリシアお姉ちゃん!」
「そうでしょう、そうでしょう」
エリシアは幼児の前でえへんと胸を張っていた。そして、その女の子フィラに魔法でつくった人形をあげる。
魔法使いクリストファーの家での同居生活を送って、半年。
エリシアはそれなりに魔法が使えるようになっていた。
つまり、ちょっとしたおもちゃ……木でできたおもちゃの家とか、鉄道の形をした鉄の模型とか。
そういうものは作り出すことができる。でも、クリストファーみたいに魔法を使うことはできない。
カボチャの馬車を作るなんて、とてもとても力が及ばないのだ。
魔法を学ぶ人間がいなくなったのは、習得にたくさんの時間がかかるのに、それほど役に立たないからだ。そうクリストファーは言った。
実際、魔法を習ったところで、才能のある人間以外は大成しない。魔法使いになれるのは一握り。
しかも、魔法の多くはこの時代では科学で実現可能だ。
明かりをつける魔法は、ガスランプが代わりに。
風景を一瞬で絵に起こす魔法は、カメラと写真が代わりに。
王様のために設けられた魔法の道は、鉄道が代わりに。
魔法の特権性はしだいに失われている。そのうち、空を飛ぶ魔法だって、科学で代用可能になる。
それでも、エリシアは魔法が好きだった。
母であるアーシャが愛した魔法を、素敵だと思ったから。師匠であるクリストファーが愛している魔法を、美しいと思ったから。
それに、エリシアの魔法で喜んでくれる人がいる。いまはまだ、小さな子どものフィラたちだけだけど、いつかクリストファーのようにみんなの役に立てる魔法使いにきっとなれる。
エリシアはそう思っていた。
義姉のマーガレットがこの街を訪れたのは、そのときだった。
「久しぶりね、エリシア」
着飾ったドレスのマーガレットは、ずかずかとクリストファーとエリシアの家に上がり込んだ。使用人たちも一緒だし、なぜか王家の衛兵たちもいる。
今、クリストファーは王都へ用事で出かけている。
エリシアは硬直した。フィラがエリシアの服の袖を引っ張った。「この人、誰?」というフィラの問いに、エリシアは「わたしの姉」と短く答える。
マーガレットは眉を上げた。
「あら、あたしは一度もエリシアを妹と思ったことなんてないわ。みすぼらしい、みじめな灰かぶり」
「何のご用ですか? マーガレットお姉様」
言ってから、エリシアは大きく深呼吸する。
心を落ち着けるためだ。
実家での酷い扱いはエリシアの心に傷を残していた。たとえばマーガレットはエリシアを奴隷のように扱い、食器が少しでも汚れていれば、食器をエリシアに投げつけ、鞭で打った。
クリストファーの前では強がって平気なフリをしていたが、今、マーガレットを前にすると、胸がざわつく。
マーガレットはふふっと笑った。
「あんた、魔法を使えるんでしょ? 戻ってきて、あたしの役に立ちなさい」
「なんでそんなこと……」
「あたしは第一王子殿下の婚約者になったの」
エリシアが行かなかった舞踏会。そこでマーガレットは第一王子アルフォンス殿下に見初められたのだという。
だが、宮廷は陰謀だらけ。侯爵令嬢といっても、連れ子の身分から王子の婚約者となったマーガレットは、妬み嫉みに悩まされた。
そこで、魔法使いを雇うことにした。
科学ではできない、魔法でできる数少ないこと。その一つに<呪い>があった。
人の不幸を願う魔法。自ら手を下さず、証拠も残さず、他人の人生をめちゃくちゃにする魔法。
マーガレットはそれをエリシアに使わせるつもりらしい。
「わ、わたしにはそんな難しい魔法は使えません」
「今は使えなくてもいいの。王都の魔術師があんたにやり方を教えてくれるわ。役立たずの灰かぶりも、魔法の才能はあるみたいだしね。でなければ、大魔法使いクリストファー・マーロウが弟子にしたりしないでしょうから」
「わたしは魔法使いさんの……クリストファー・マーロウの弟子です。他の人の、それも魔術師の弟子になるつもりなんてありません」
魔術師。それは魔法使いとは異なる。蔑まれ、忌まれる魔法の使い手。他者に破滅をもたらす存在。
エリシアが目指すものとは異なる。
だが、マーガレットは馬鹿にしたように笑った。
「あたしはあんたのために言っているのよ。世間で大魔法使いなんて呼ばれても、こんなみすぼらしい家にしか住めないわけでしょ? 割に合わないわ」
「でも――」
「それに、あんたの母親だって魔法使いなのに、惨めに死んでいった」
エリシアの胸に棘が刺さる。そう。
母アーシャは下級貴族の娘であり、誰よりも賢くて美しい少女だった。成長してからは才気と自信に満ち溢れ、魅力的な女性となった。
そんなアーシャは魔法使いとして有名になり、一方で、侯爵、つまりエリシアの父に見初められた。
けれど、最初は愛されて結婚したのに、アーシャは晩年には侯爵から疎まれていた。
高名な魔法使いであり、自分より優秀で人望の厚いアーシャは、侯爵にとっては煙たかったのだ。
アーシャは身体を壊してからは、幽閉同然の身となった。そして、寂しく死んだ。
マーガレットの言うことは事実かもしれない。
でも。
「わたしはお母様を尊敬していました。それにお母様は幸せだったと信じています」
アーシャはそう言っていた。
そして、クリストファーもそう信じていた。
マーガレットがはあっとため息をつく。
「やっぱりあんたはとんでもないバカね。あとで知ったけど、あんた、魔法使いに舞踏会に行くように言われてたんでしょ? そうしてれば、あんたもまあ、王子殿下とは言わずとも、手頃な下級貴族の妻にはなれていたかもしれないのに」
「わたしは――」
「さあ、来なさい。エリシア。あんたはあたしの道具になってもらうわ」
マーガレットがエリシアの腕をつかもうとする。嫌な記憶が蘇る。
実家のいたころの記憶だ。
反抗すれば、殴られ蹴られ、食事を抜かれ。
今でもマーガレットに歯向かうのは、怖い。
それでも、エリシアはマーガレットの手を払いのけ、言った。
「わたしは今が最高に幸せですから。ここを去るつもりはありません。わたしは魔法使いの弟子なんです」
「へえ、そう。なら、力づくで連れ戻してあげる。衛兵たち! 多少痛めつけてもかまわないわ」
王家の衛兵たちがアーシャを取り囲む。
本当に強引に連れて行くつもりらしい。
このままだと二度とこの家に戻れないかもしれない。
(助けて……魔法使いさん……クリストファーさん!)
心の中でエリシアが叫ぶ。
その場を風が吹き抜けたのは、ほぼ同時だった。
「えっ?」
マーガレットも衛兵たちも周りを見回す。
突然、エリシアとマーガレットの正面に、一人の男性が現れた。
大魔法使いクリストファー・マーロウその人だ。
いつもは優しい表情の彼が――怒っていることにエリシアは気づいた。
それも激しい憤りの色が浮かんでいる。
「ご無事ですか?」
「ええ」
「」
「ここは魔法使いである私の屋敷です。たとえ王族といえども、許可なく立ち入ることはできない。そういう特権を与えられています」
「な、なによ! 魔法使いのくせに生意気な! 衛兵! こいつも捕まえちゃって!」
衛兵が剣を振りかざす。だが、十人の衛兵全員の剣が次の瞬間には粉々に砕け散っていた。
驚愕と恐怖の表情で衛兵たちはクリストファーを見つめる。その魔法の杖が赤く輝いた。
「まだやりますか? 次に『壊れる』のはあなたたち自身ですよ」
衛兵たちは顔を見合わせると、一目散に逃げ去った。
使用人もそれに続く。
マーガレットのみがその場に立ち尽くす。
そして、じりじりと後ろへと下がる。
クリストファーが杖を振りかざす。
「私の弟子を――大事な人を傷つけようとした罪を償ってもらいますよ」
エリシアはクリストファーの服の袖を引っ張った。
クリストファーがびっくりして振り返る。エリシアは微笑んだ。
「わたしのことを心配してくれてありがとうございます。でも、もういいんです」
「しかし――」
「魔法は他人のために使うもの。そうでしょう?」
クリストファーは目を見開く。
たとえ相手が意地悪なマーガレットだとしも、クリストファーの魔法で人が傷つくところをエリシアは見たくなかった。
クリストファーがふふっと笑う。
「弟子に教えられてしまいましたね。――お引取りください」
マーガレットはよろよろと歩き出した。
そして、家から出るとき、エリシアを振り向いた。
「あたしはさ、王子殿下の婚約者になっても、ちっとも幸せじゃないの。王子は浮気ばかりで、あたしは惨めで……こんなはずじゃなかったのに」
だから、マーガレットはエリシアを連れ出そうとしたのかもしれない。自分の幸せじゃない境遇を変えるために。
そして、幸せそうに見えるエリシアを許せなかったから。
エリシアは微笑んだ。
「わたしは人を呪ったりする魔法は使えません。でも、いつか幸せを願う魔法が使えるなら、お姉様にもその魔法を使います。お姉様にも……幸多からんことを」
エリシアの言葉に、マーガレットはうなずくと馬車へと消えた。
執事らしき男性が一人だけ戻ってきて、マーガレットの世話を焼いていた。彼女にも味方がいるらしい。
その味方を素直に大事にできると良いのだけれど。
エリシアの味方は、すぐそばにいる。
上目遣いにクリストファーを見ると、彼は安心させるようにエリシアの肩を叩いた。
「そういえば、魔法使いさん。さっき、わたしのことを『大事な人』って呼んでくれましたよね?」
「あ、あれは……弟子を大事にするのは師匠として当然ですからね。それ以上の意味はありません」
クリストファーの頬がちょっと赤いのを見て、エリシアはくすくすと笑う。
この憧れの魔法使いを、動揺させられたのがちょっぴり嬉しい。
「わたしにとって貴方は師匠以上に大事な人ですよ。クリストファー」
エリシアは歌うように魔法使いの名を呼んだ。
(わたしは……偉大な魔法使いに、お母様みたいに、クリストファーみたいに、なれるんだろうか?)
その答えは誰も知らない。でも、自分のこと、未来のことは変えられる。
クリストファーがいる限り、エリシアの夢は叶う気がしたのだ。
「貴方がわたしを幸せにしてくれるんですものね。魔法使いさん」
エリシアはふふっと笑うと、クリストファーはぽんとエリシアの頭を軽く撫でてくれた。
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