ナースコール
これは、以前勤めていた職場の同僚から聞いた話です。
そこは個人経営の、入所者は100人もいないような小さな施設でした。入所者のほとんどが近所の住人で、時々、遠くから入所される方もいたように思います。
そこに勤めているとき、私が担当していた入所者のひとりに、Nさんと言う人がいました。
Nさんは元々、関西出身。お上品な関西弁のおばあちゃんです。阪神・淡路大震災で家を失い、こちらに住む娘さんを頼って移住してきたのだと聞きました。
良い家の奥様だったNさんにとって、施設での生活というのはよほど窮屈に感じられたのでしょう。Nさんのワガママに、職員はしょっちゅう振り回されていました。
ワガママといっても、用もないのにナースコールを押して、やってきた職員を「なにしに来たん!?」と叱りつけるのが関の山で、ただただ忙しい時間を邪魔する困ったおばあちゃんでした。
そもそもNさんは、自分の習慣を乱されなければ激怒することはない人です。信心深いNさんは、夕方のお参りの時間を邪魔されることが大嫌いでした。けれど、それ以外ときのNさんは、話しかけるといつもにこにことお話してくれました。
そんなNさんですが、私が辞める少し前から徐々に体力が落ちてきていて、熱を出すことが増えていました。
紙パンツをオムツに変えることを何度も検討しましたが、どうしても、オムツではおしっこが出ません。プライドもあったのでしょう。トイレに行くことに拘る彼女のために、施設はポータブルトイレをベッドの横に設置しました。
そこまでは、私も知っていることです。
間もなく私は施設を退職し、今の職場へと移りました。それでも、仲良くしてくれていた人との縁は切れず、この話をしてくれた人とも、年に一、二回は会ってランチをする仲です。
施設を辞めて、二年ほど経った頃です。なんの拍子にだったかは忘れてしまいましたが、Nさんの話になったのです。
「そういえば、Nさんはお元気ですか?」
Nさんは高齢で、百に手が届きそうだったので、そんな話をしたのかもしれません。ところが、彼女から返ってきたのは、
「Nさん?ああ、ポータブル使ってた人でしょ?一年くらい前に亡くなったよ」
という言葉でした。
あんなにお元気だったのに……と、私は少し寂しい気持ちに浸りました。
「そういえばさぁ」
しばらくして、彼女は思い出したように言葉を続けました。
「Nさんが亡くなってしばらく、ナースコールが鳴ってたの」
彼女が言うには、Nさんが亡くなってからしばらく、ナースコールが頻繁に鳴っていたらしいのです。それも決まって、昼食や、おやつで入所者のほとんどが食堂に集まっている時間。あるいは深夜、誰もが眠っているはずの時間に。
鳴る場所は決まっていなくて、トイレだったり、お風呂場だったり。何度かはスイッチの切ってあるはずの、誰も使っていないベッドからのコールもあったとか。
もちろん、見に行っても誰もいません。
業者に依頼して見て貰いましたが、特に壊れてはいなかったそうです。お兄さんは首をかしげながら帰っていったと、彼女は言いました。
そんなことが一日に何度もあっては、職員の方もまいってしまいます。ナースコールが鳴るようになって、一月半ほどが経った頃、耐えられなくなった若い女の子が配置換えを希望しました。
その子の配置換えが済んだ頃を見計らったかのように、ナースコール騒動はピタリと収まったのだとか。
これも後で聞いた話なのですが、その子は勤務態度が良くないらしく、しょっちゅうNさんに指摘を受けていたそうです。
それにしても、なんでこんなにピタッとナースコールが止まったのか。友人は、同僚たちと話の種に少しばかり考察したのだそうです。そのうちの、誰かが言いました。
「そういえば、鳴らなくなったの、Nさんの四十九日の日じゃなかった?」
「え?」
「あ、ほんとだ……」
指折り数えて確かめた友人たちは、これ以降この話を職場でするのを止めたそうです。
「でもね」
友人は、最後に声を潜めて言いました。
「実はその後も鳴ったのよ。今年のお盆の三日間、毎日一回ずつ」
それは、新盆を迎えたNさんのただいまの合図だったのではないだろうかと、彼女は苦笑していました。
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