90話 学園祭 最終日 その4
――百万を超える魔物の群れ。
言葉にすると一言だが、そんなものを見たことがある者はこの世にいないだろう。
あるとすれば、それは千年前。
世界を救った伝説の大勇者アベルが、立ち向かった大魔王の軍勢が百万を超えていたと言われる。
要するにおとぎ話だ。
現実の話じゃない。
(あら、私はその時に現場にいたわよ?)
魔王から横槍が入った。
そういや君は、千年前も現役だったな。
(大勇者アベル様は、どうやって百万の魔王軍を倒したんだ?)
(……思い出したくもないわ。忌々しい)
毎回、この話をすると詳細は伏せられる。
良い思い出ではないらしい。
百万の魔王軍が、数名の勇者パーティーに敗北した逸話なのだから当然か。
「探索者、諸君! これを見よ!」
第一騎士クレア・ランスロット様の声で現実に引き戻された。
第一訓練場の演台の後ろ。
最終迷宮の中継装置によって、天頂の塔の1階層が映し出された。
「うげ……」
「なんだありゃ……」
「おいおい、獅子鷲や毒鶏蛇がうじゃうじゃ……」
「見たことねぇ魔物もたくさんいるぞ」
「魔物たちが共食いしてないか……」
「えぐいな」
中継装置には地獄絵図が映し出されていた。
「現在、天頂の塔の1階付近から民の避難は完了している。近々、魔物暴走が起きるという情報を迷宮組合が得ていたため、事前に対処することができた」
おそらくそれは、俺が迷宮主アネモイ・バベルから聞いた内容を伝えた情報だろう。
「そして、ここに映っている魔物の数は約5万体だ」
……ざわ、と探索者たちに動揺がはしった。
すでに見たことがないほどの魔物の大群だが、それでも5万体。
「先ほども言った通り、ユーサー王の予知によると天頂の塔にあふれる魔物は今もなお増え続けている」
そんな……、という絶望的な声があちこちで聞こえた。
隣のスミレが青い顔をしている。
アイリも厳しい表情だ。
「だが、絶望する状況ではない。現在、天頂の塔の周囲を『王の盾』ロイド殿の指揮のもと、広域戦術結界魔法で魔物の群れが街に侵入することを防いでいる」
おぉ……! と探索者たちから感嘆の声が漏れた。
「しかし、結界魔法で魔物をいつまでも閉じ込めているだけでは事態は解決しない。そのため……」
「グリフォンだ!! 結界から抜け出している!」
誰かが指差すと確かに上空を大きな魔物が横切っている。
「太陽魔法・黄色い閃光」
おそらく探索者の誰かが放った魔法が、グリフォンの翼を貫いた。
魔物は悲鳴を上げながら落下していった。
「ねぇ、ユージンくん! 魔物が逃げ出したってことは結界が壊れちゃったんじゃっ……」
「それはまずいわね」
スミレとアイリが真剣な表情を見せるが、俺はこの状況に覚えがあった。
結界魔法の講義を受けていない二人が知らないのは無理がない。
「多分、結界の外にわざと魔物を逃してるんだ」
「わざと?」
「どういうこと? ユウ」
「これから第一騎士様から説明があるよ」
俺の予想通り、第一騎士クレア様の声色は落ち着いていた。
「さきほど獅子鷲が結界の外に逃げていた様子を諸君も見ていたと思うが、あれは結界が破られたのではなくわざと一定数の魔物を外へ逃しているためだ。広域戦術結界魔法の内部には、10万を超える魔物を収容できる計算だが、当然100万の魔物を閉じ込めておくことはできない。そのため、弱い魔物や結界が破られた時に討伐が困難になる飛空系の魔物を積極的に結界外に誘い出し、討伐をしている」
おお……! という探索者たちお声が響く。
大規模な魔物暴走への対処法として結界魔法の授業で習ったことがある。
ただし、これはあくまで一時的な策であって……。
「じゃあ、あとはちょっとずつ魔物を倒していけばいいんだね!」
「そうかしら? そんなに上手くいくとは思えないけど……」
「アイリの言う通りだ。広域戦術結界は魔力の消費が激しい。おそらくもって半日だけど、増え続ける魔物には対応できない」
「えっ!? じゃあ、どうするの……?」
スミレの問いに、俺は応えられなかった。
通常は結界を張っている間に退避をするのが基本だ。
ただし、ここは迷宮都市のど真ん中。
守るべき都市を見捨てては、意味がない。
俺は第一騎士様の言葉を待った。
「無論、結界魔法だけでは根本解決にはならない。大量の魔物を一気に『鎮圧』できる手段が必要だ。そのために現在、ユーサー陛下が準備をして……」
「またせたね、クレアくん」
「ユーサー様!」
第一騎士様の言葉の途中で、突如演台に現れたのは大柄な体格に派手なマントを身に着けたユーサー学園長だった。
空間転移で現れたのだろう。
ユーサー学園長の隣には、巨大な魔導兵器らしきものがドン! と存在感を放っている。
(あの魔導兵器……確か封印の第七牢で見たことがあるような……)
ずっとホコリを被っていたので、てっきり壊れているのだと思っていた。
「ここからは私が説明しよう。ここにある魔導具は、『広域平和兵器』というものだ。古い魔道具だから知らぬ者も多いと思うが、大量の魔物を一気に鎮圧することができる」
おおおおー!!! と探索者たちが歓声を上げる。
「へぇ! すごいね、ユージンくん!」
「あれが……」
素直に感心するスミレと、何か含むところがありそうなアイリの表情。
もっとも帝国士官学校で『広域平和兵器』については俺も習っている。
いわく500年前に、南の大陸で起きていた『大戦』を強制的に終わらせた兵器。
ユーサー学園長は『魔物にだけ効果がある』ような表現をしたが、もともとは対人間用の魔道具だ。
――曰く、『広域平和兵器』を用いればどんな生物からも『敵意』を消去できる。
『敵意』を失った生物は、しばらくの間『何をされても』無抵抗になるとか。
天頂の塔の第一位記録保持者クリストが最終迷宮より持ち帰った『絶対平和兵器』。
しかし、使い方次第では敵国をあっさりと無力化できる恐ろしい魔道具。
歴史に登場したのがたった一度だけのため、すでに紛失しているとか壊れているというのが通説だったが。
(リュケイオン魔法学園で保管されていたのか……)
帝国民であるアイリと同様に、神聖同盟、蒼海連邦の関係者の一部もその価値を知っているものは表情が険しくなっている。
今後、三勢力から迷宮都市へのちょっかいがますます強まりそうだ。
「さて、この便利な『広域平和兵器』だが」
そんなことは百も承知であろうユーサー学園長の口調は軽い。
「残念ながら、発動に三時間必要だ。すでに魔法術式は起動してある。それまで広域戦術結界を維持しなければならない」
その言葉に探索者たちの空気が少しだけ弛緩した。
「三時間……」
「それならなんとかなりそうね」
「ああ」
スミレとアイリの言葉に、俺も頷く。
「よし! では、ユーサー陛下のご指示通り残り三時間、結界を維持するためここにいる新人以外の探索者は、十二騎士の指揮下に入るように。リュケイオン魔法学園生徒に関しても、『英雄科』およびA級とB級の探索者も同様だ。それ以外の者は市民の避難や取り逃した小さな魔獣が街に紛れ込んでいた場合の駆除を頼む! 生徒たちのとりまとめは、サラ生徒会長と生徒会執行部にお願いしたい。申し訳ないが、教師陣は我々と共に戦闘に参加してもらう」
「わかりました! お任せください」
演台の端にしたサラが力強く返事をした。
その周囲にいる生徒会執行部の面々も、緊張した面持ちだ。
(サラは生徒たちの誘導か……)
危険な魔物と戦う役目ではなくてよかった、と思う。
俺が安心していると、サラがこちらに気づいたのか目があった。
(なんでユージンがここにいるの!?)
とサラの目が訴えている。
やべ、負傷者として退避しているはずなんだった。
俺はさっと目をそらした。
手遅れだが。
「もう!」というサラの視線を感じつつ、俺は第一騎士様の続く言葉に耳を傾けた。
「そして第一騎士である私とS級以上の探索者は、これから広域戦術結界の中に向かう」
……ざわ、と今日一番のざわめきが探索者たちに広がった。
「どういうこと!? ユージンくん!」
「いや、わからない」
魔物暴走の中に飛び込むのは自殺行為。
学園生徒のみならず、探索者なら誰もが知っている常識、なのだが。
「今回の魔物暴走だが、現象としてはむしろ『魔物の巣窟』に近い。今映っている天頂の塔の第一階層。その中央に魔物が湧き出る魔法陣が設置してある。我々はそれを破壊する必要がある」
その言葉に、俺を含めた探索者たちは中継装置に映る画面に視線を向けた。
ぎっしりと魔物が押し合っている中、魔法陣はまったく見えない。
「あの中に突撃するなんて正気かしら」
アイリの言葉に俺も同じ意見だった。
しかし、もし魔物が魔法陣から湧き出ているなら確かにそれを破壊しない限り、魔物暴走は止まらない。
「心配している者も多いだろうが、我々も死にに行くわけではない。十二騎士やS級探索者パーティーには『空間転移』の使い手がいる。基本的には、一撃離脱をして魔法陣を破壊するだけだ。ユーサー王のように日に何度も『空間転移』を使えるものはいないが……」
なるほど。
それなら危険を最小限に減らせる。
よくみると学園祭実行委員長であるレベッカさんの姿もあった。
たしか、彼女も空間転移の名手だったはずだ。
転移先の精度はやや乱暴だったが。
「あとはいざとなれば私も魔法陣破壊チームに参加すれば……」
「「「「ユーサー王は、『広域平和兵器』の起動に専念してください!」」」」
ユーサー学園長のつぶやきを、壇上の全員がツッコんでいる。
「ユーサー様しか『広域平和兵器』は扱えないのですから、万が一があっては困ります」
「……むぅ、しかたあるまい」
学園長は不承不承という感じで頷いた。
とにかく、これで説明は終わりのようだ。
役割は明確になった。
「ねぇ、ユージンくん。私たちは『A級』探索者だから十二騎士さんの指示で動けばいいんだよね?」
「そうだな、スミレ。アイリはどうする?」
「そうね。じゃあ、ユウとスミレを手伝うわ。帝国民も迷宮都市には大勢住んでいるし」
「決まりだな」
俺とスミレとアイリは小さく頷く。
隣のカミッラは、やや苦々しい表情だったが反対しても無駄と悟ってか何も言わなかった。
アイリが言い出したら頑固なのはよくわかっているのだろう。
それに結界から外に出された弱い魔物ごときに、『天騎士』のアイリがどうにかなることはないだろうし。
「探索者諸君! それは各自、自分の役割を……」
「……クレアくん。残念なお知らせだ」
「ユーサー様?」
第一騎士クレア様の言葉を、ユーサー学園長が遮った。
いつも飄々としているユーサー王の声が固い。
珍しい。
しかし、迷宮都市に住む者なら知っている。
――ユーサー学園長の魔法実験の失敗で農場が更地になった時。
――ユーサー学園長の魔法実験生物が、街に逃げ出した時。
だいたい、悪いニュースが迷宮都市全般に拡声魔法で周知される時のユーサー学園長の声だ。
つまりは、これからろくでもない情報がお知らせされることを迷宮都市の民は知っている。
「予知魔法が発動した。これから五分後……、第一階層に『神獣』が出現する」
「「「「「「「「「!!!!!」」」」」」」」」」
探索者たちに衝撃が走った。
壇上の十二騎士たちや生徒会執行部、教師陣も驚愕している。
「ユーサー様、出現する神獣の名は……?」
第一騎士クレア様の声はそれでも落ち着いている。
さっき説明したばかりの作戦が無に帰す可能性もあるのに。
が、次の言葉で、誰もが冷静を保てなかった。
「出現する神獣の名は『ヒュドラ』。九つの首を持つ毒竜だ」
「なっ!」
第一騎士が絶句するのを初めてみた。
他の十二騎士や上位探索者たちの驚きはそれ以上だ。
「ねぇ、ユウ。九首竜って確か……」
「すごく強い神獣だよね……? ユージンくん」
「ああ、現役探索者で倒せた者はいないよ」
迷宮都市外に住むアイリや、天頂の塔について勉強中のスミレもよく知っている伝説の神獣。
ちらっと壇上のレベッカ先輩の顔を見ると、複雑な表情をしていた。
皆が絶句する中、ユーサー学園長がぼやく。
「九首竜……、以前倒したのは『赤の魔女』ロザリーくんだったか。あの時は階層ごと焼き払って担当天使に叱責されたものだ。……懐かしいな」
(懐かしんでる場合か!!)
と探索者たちの誰もがツッコんだと思う。
もっともユーサー学園長の声にも力がないし、それは無理もなかった。
リュケイオン魔法学園の探索者教科書に明記してある。
最終迷宮『天頂の塔』の第九位>記録保持者――ロザリー・J・ウォーカー。
三百階層にて『試練の獣』である神獣ヒュドラを撃破する、と。
百年以上前の記録である。












