82話 学園祭 四日目
「あー、よく寝た♪ でも、随分と小さい部屋だったわね」
「皇女様の部屋と一緒にするなよ」
「それもそうね」
アイリと俺は大きく伸びをしながら宿を出た。
外はちょうど太陽が昇り始めている。
朝の空気が気持ちいい。
そこへ明るい声が響いた。
「アイリさまー、迎えにきましたよ」
聞き覚えがある。
ついでにいうなら昨日からずっと近くに潜んでいた気配の人物だ。
なるほど。
護衛者の一人は、こいつだったのか。
「迎えありがとう。カミィ」
それはかつで士官学校の同級生で、今は軍の諜報部に所属しているカミッラ・ヴェーナだった。
どうやらアイリのお付きとして、リュケイオン魔法学園に来ていたらしい。
「…………なぁ、カミッラ」
「ちょ、どうしたの? ユージンくん」
俺がカミッラに近づくと警戒した表情になる。
俺は顔を近づけ小声で話す。
(アイリが来訪するなら事前に一報あってもいいんじゃないか?)
(えー、そのほうが驚いてくれるかなって)
(驚いたから言ってるんだよ!)
(いやー、ゴメンゴメン)
まったく悪びれてない顔で謝られた。
……こいつ。
呪いのこと忘れているのか。
「ねぇ、何をコソコソ話してるの?」
「なんでもないよ、アイリ」
「ただの雑談ですよー、アイリ様」
「ふーん、でもユウとカミィは仲直りしたみたいね。よかった」
アイリは満足そうにうんうん、とうなずいている。
そこへカミッラがすすすっと、アイリのほうへ近づいた。
「ふふふ、ユージンくんと熱い夜をお過ごしでしたね、アイリ様」
「暑い夜? 昨晩は涼しかったわよ」
「またまたー、とぼけちゃって。アイリ様ったら」
アイリが意味がわかっておらず、首を傾げている。
「ところで今日の予定はどうなってるかしら、カミィ」
「えっと、ちょっとお待ちを。アイリ様」
カミッラが赤い手帳を胸元から取り出し、ペラペラとめくる。
どこに入れてんだ。
「ええと……お昼にユーサー王との会食。その後、聖国カルディアの聖女様とのお茶会。最後に蒼海連邦のティファーニア王女との夕食の予定となっています」
「はぁ……今日はユウと一緒にいられそうにないわね。仕方ないわ、また会いに来るから」
「忙しいな。アイリは」
「そうなのよ、まったく嫌になるわ」
アイリの立場なら当然といったところか。
その割にお付きがカミッラ一人は少なすぎる。
未来の皇帝が随分無用心だと少し心配になったが。
俺は周囲を軽く見回した。
早朝のため人影はまばらだ。
その中に。
(こっちを観察している護衛者が……10人はいるな)
ほとんど気配を感じさせない。
全員が相当な手練れだ。
皇女殿下の学園祭巡りを邪魔しないように遠くから護衛をしているのだろう。
もしも不審者が現れれば、あっという間に捕縛されるはずだ。
心配は無用か。
「さて……俺は一度寮に戻るかな」
そんなことを呟いた時。
ゾクリと、背中に氷を入れられたように錯覚した。
(………………っ!?)
チクチクと刺すような視線。
沸騰したお湯のような怒気。
それを発する相手を目にした時――
「おはよう。ユージンくん。いい朝だね☆」
「あらあらあら。恋人宿から出てくるところに居合わせるなんて偶然ね、ユージン」
俺はそっと目をそらした。
スミレとサラが立っていた。
二人はつかつかと大股でこっちへ歩いてくる。
「なぜここに?」とは聞かない。
学園祭の警備のため、いたるところに監視用の魔導具が放たれている。
警備の名目で生徒会室には多くの中継装置が設置されている。
俺の行動は筒抜けだったのだろう。
「ユージンくん、こっちを見なさい」
「恋人が二人もいて浮気するなんていい度胸ね」
「…………はい」
スミレとサラの柳眉が逆だっている。
カミッラは「あちゃー」という顔をし、アイリはきょとんとしている。
「ユージンくんって意外に女関係はだらしないよねー」
「まぁ一方的な決めつけは運命の女神様の教えに反するわ。ユージン、言い訳はあるかしら?」
「……ありません。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
返す言葉もない。
これは二人からの折檻だなと思っていると。
「ねぇ、カミィ。どうして彼女たちは怒ってるの」
「アイリ様、マジで聞いてます?」
俺の後ろからアイリとカミッラの会話が聞こえた。
スミレとサラの表情がますます険しくなる。
「だって私とユウは、一晩中士官学校や剣術の話をしていただけよ? それくらい別にいいでしょ」
「「「え?」」」
カミッラだけでなく、スミレとサラもアイリのほうを振り向き目を見開く。
「ど、どーいうこと、ユージンくん!」
「恋人宿に入って、おしゃべりだけってなんの冗談?」
「う、うそですよね! アイリ様 ユージンくん、本当のことを言って」
三人に聞かれて、俺は昨晩のことを正直に話した。
「アイリの言う通り昨夜はずっと昔話をしてたよ。話疲れたらアイリが先にベッドで眠ったから、俺はソファーで睡眠を取った」
ただ、恋人がいる身で他の女性と恋人宿に入ったのは間違いない。
スミレとサラが怒るのはもっともだし、俺が完全に悪い。
「まったく二人用って案内されたのにベッドが一つしかないなんて、酷い宿よね? ユウ。帝国だとあんな雑なサービスは許されないわ」
ぷんぷんと、アイリがズレたことで怒っている。
(あれはダブルベッドだから二人用であってるんだよぁ)
帝国のアイリのベッドは、一人用でも遥かに大きいのだろう。
まさか二人用であんなに小さいとは思わなかったらしい。
「アイリ様アイリ様」
「なに? カミィ」
「ちょっと耳をこちらへ」
ごにょごにょごにょ……、とカミッラがアイリの耳元で小声で何かを説明している。
「え? ……昨日私とユウが泊まったのは……え? ……そういう目的の場所だったの!?」
アイリの顔がみるみる真っ赤になる。
どうやら恋人宿の意味をやっと知ったようだ。
「ねぇ、ユージンくん。もしかしてアイリちゃんって世間知らず?」
スミレが歯に衣着せぬ言葉を発する。
次期皇帝陛下をちゃん呼ばわりは度胸があるな。
「二年前はそうだったけど……今でもそうみたいだ」
「なるほど箱入りのお姫様なのね」
サラの言い方も容赦ない。
国際問題になるぞ。
「ちょっと、あんたたち! 好き放題言ってくれるわね!」
俺たちの会話を聞きつけたアイリが真っ赤な顔のまま詰め寄ってきた。
「落ち着け、アイリ」
「ユウ!!! どうして昨夜教えてくれなかったのよ!」
「知ってると思ったんだよ」
「知るわけないでしょ!」
怒られた。
「教えてたらどうしてたんだ?」
「え?」
何気なくした質問に、今度はアイリが固まる。
「そもそもアイリには婚約者がいるし」
「んなもん、とっくに破棄してるわよ!!」
「え、そうなんだ?」
ベルくん婚約破棄されちゃったのかー。
まぁ、彼はアイリの異母姉弟だからどのみち結婚はできなかったわけだけど。
「ほらほら、アイリ様。エカテリーナ宰相閣下がお待ちですから戻りますよー」
カミッラがアイリを引っ張っていく。
「まってカミィ、もう少しユウと話を!!」
「学園祭はまだ数日続きますし、あとで時間はとれますよ。じゃーねー、ユージンくんー。ご学友のみなさんー」
カミッラは語尾を伸ばすゆるいしゃべりのまま、アイリを引っ張っていった。
アイリも抵抗する素振りをみせつつ、大人しく引っ張られていった。
(もし時間が合えば話に行くか)
久しぶりに昔に戻ったようで楽しかった。
俺は小さくなって見えなくなるまでアイリのほうを見ていた。
背中からは痛いほどの視線を感じながら。
「ユージンくん~?」
「ユージン、こっちを向きなさい」
決して現実逃避をしていたわけじゃない。
「ごめん! サラ、スミレ!!」
俺は振り返り二人の顔を見る前に頭を下げた。
てっきり叱責か体罰が飛んでくると思ったが、なにもない。
「…………?」
そっと二人の顔を見ると、サラとスミレは冷たい表情で俺を見ていた。
「どうしますー、サラ会長?」
「微妙なところですねー、スミレさん」
二人の口調がいつもと若干違う。
なんか怖い。
「他の女と恋人宿に入るのはアウトだよねー」
「でも、手を出してないってことですから。ぎりぎり免罪かしら」
「サラちゃん、やさしー。さすがは聖女サマ」
「スミレちゃんはどう思う?」
「浮気者は火炙りだよ、火炙り」
「「怖っ!!」」
俺とサラの声が被った。
「どうせユージンくん、火魔法は効かないし」
「あ……結界魔法は使って良いのか」
ほっとした。
「さすがに結界魔法なしで火炙りとか言わないって」
「火炙りって私の本国で行われる刑罰の一つだから冗談にならないわよ、スミレちゃん」
「うそっ! 本当にあるの!? サラちゃんの地元激ヤバ!!」
なんかいつもの会話に戻った。
これは……許された?
その時、拡声魔法が校内に響いた。
――生徒会長のサラ・イリア・カルディアさん。聞こえていましたら生徒会棟までお戻りください。繰り返します。生徒会長の……サラ会長!! どこをほっつき歩いてるんですか! さっさと戻ってきてください!
「この声って」
「庶務のテレシアさんだね。怒ってるね」
「わ、私は戻るから! ユージン! 次はないわよ!」
そう言うやサラは、自身に俊足魔法をかけて一瞬で走り去っていった。
俺とスミレがあとに残る。
「スミレ、このあとは……」
「あー、そろそろ体術部の手伝いに行かなきゃ! じゃあ、ユージンくん! もうアイリちゃんと恋人宿に行っちゃダメだよ!!」
「あ、あぁ、わかったよ」
えらくゆるい制限だった。
「じゃーねー!」
スミレはパタパタと走っていった。
こうして、俺一人になった。
あとで二人にはもう一回謝ろう。
(じゃあ、時間が余ったし寮に戻……)
改めてそう思った時。
――ずきん、と。
「……痛っ!」
突然、頭部に痛みが走った。
同時にどうしようもないほどの寒気が身体全体を覆う。
(これは……呪い……に近い。『彼女』の機嫌が……悪いのか)
久しぶりの感覚だった。
寮に戻っている場合ではない。
俺は例の場所へと急いだ。
◇
「……エリーさん~?」
第七の封印牢にやってきた俺は、最奥にある魔王エリーニュスの牢に入り、恐る恐る話しかけた。
「…………」
返事はない。
「エリー、寝てるのか?」
と聞きつつも寝ていないことは気配でわかった。
……ズズズ、と濃い瘴気が牢屋内に充満する。
結界魔法がなければ、魔物ですら気を失うほどの。
「あーあ、最近のユージンは女をとっかえひっかえ楽しそうねー」
やっと返ってきたのは思いっきり不機嫌な声だった。
ゆっくりとエリーのほうに近づくと。
「い、いやとっかえひっかえってわけじゃ……痛っ!」
「えい☆」
蹴られた。
可愛らしい声だったが、ゴブリン程度なら即死しそうな凶悪な一撃。
ガン!!!! と。
俺は檻の端までふっとばされた。
なんとか受け身を取る。
「危ないな」
「ユージンなら怪我もしないでしょ。ほら、こっち来なさいよ」
「もう蹴らないでくれよ」
手招きする魔王にゆっくり近づく。
エリーのすぐ隣に座る。
「捕まえた」
「えっ!?」
突然、目の前が真っ暗になった。
それが魔王の黒い翼に覆われたからだと気づく。
黒い翼が牢屋いっぱいに広がっているように見える。
(幻覚だ……)
恐ろしく強力な幻覚魔法。
現実と区別がつかないほどの。
精神防御魔法で幻覚を振り払った時、俺は魔王に押し倒されていることに気がついた。
赤い目を爛々と輝かせ、俺の上に跨っている。
「ユージンには誰が正妻かわからせないといけないみたいね」
「待てエリー。何を言って……」
「だまりなさい」
待ってもらえなかった。
◇
「じゃあ、俺は上に戻るよ。そろそろ武術大会の本戦が始まるから見ておきたいんだ」
「仕方ないわねー」
思ったよりも長く拘束されなかった。
一回、怒りをぶつけたら気が済んだらしい。
(本気で不機嫌な魔王、怖かったな)
正直、百階層の試練の時より怖かった。
会いに行くのは七日に一回の約束だが、たまに頻度を増やしたほうがいいかもしれないと思った。
「今度はエリーの好物を持ってくるよ。赤ワインとチーズと生ハムだよな」
「あら、良い心がけね。果物がぬけてるわよ。柘榴もお願い」
「……わかったよ」
季節外れだから今高いんだよなー、と思ったのは口に出さない。
俺が牢の鍵に手をかけ出ていこうとした時。
「ユージン。天頂の塔に注意しなさい。そろそろ面白いことが起こるわよ」
意味深なことを言われた。
「面白いこと?」
魔王のエリーが面白がること。
つまりは厄介事だ。
とびっきりの。
「ふふふ、楽しみね☆」
「あぁ、忠告ありがとう」
俺は礼を言って、牢を出た。
(天頂の塔で……何かが起きる……か)
気にはなるが、俺の足は武術大会の本戦会場へ向けられていた。
大会優勝者は俺の対戦相手だ。
こちらも無視はできない。
予選を勝ち上がった者の名前はチェックしたが、できれば一通りの戦い方を見ておきたい。
そう考えていた。
わー! わー! という歓声が聞こえてくる。
遠目に巨大な円形闘技場が見えてきた。
学園祭実行委員が、突貫で作ったらしい。
「あんなもん作るから予算がなくなるのよ!」とサラが怒っていた。
しかし、出場者の士気は上がるだろう。
観客の気分も。
入り口が近づいてきた。
円形闘技場の入場は有料なので、門番がいる。
俺は当日入場チケットを買おうとした時。
「ユージンちゃん」
後ろから声をかけられた。
気配はなかった。
背後をあっさりとられたことを驚きつつ、振り返るとそこには人影はなく一匹のトンボが飛んでいた。
ただのトンボではなく、羽が金属でできている『メタルヤンマ』。
最終迷宮の魔物だ。
こんな蟲の魔物を扱うのは。
「カルロ先輩。どうしたんですか?」
生物部の先輩しかありえない。
「まずいことになったよ、ユージンちゃん。今すぐ天頂の塔に来て」
「一体なにが……」
俺が尋ねると端的に答えが返ってきた。
「魔物暴走が発生したよ。大規模の」
まだ……しばらく起きないって言ってませんでした? カルロ先輩。
■感想返し:
>え、アイリとも致しちゃうの?
>さすがに次期皇帝の操は問題にならないかな?
→今回はおあずけです。
実はアイリは奥手です。
■作者コメント
攻撃力ゼロから始める剣聖譚2巻 10月25日発売です。
しばらく書籍化作業に追われます。
 












