67話 大魔獣ハーゲンティ(後編)
「ユウ!!」
俺が返事をするより前に、幼馴染は俺の身体を片手で抱き寄せ天馬の背に乱暴に乗せると一気に飛翔した。
「アイ……リ。ありがとう」
俺はかすれる声でお礼を言った。
「それはこっちのセリフよ。ユウが最後まで逃げなかったから、帝国軍の被害は最小限で抑えられたわ。運命の巫女様を中心に新しい封印魔法が発動して、あとはよっぽどのことがない限りは封印は失敗しないはず……ありがとう」
アイリの言葉にほっと息をついた。
――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!
大魔獣の咆哮で大気がビリビリと震える。
「放て!!」
鋭い掛け声とともに、攻撃魔法が大魔獣に突き刺さる。
大魔獣のあまりの巨体に、未だ全てを結界魔法が覆えていない。
その隙間をぬって、攻撃魔法をしかける指揮をしているのは。
「ベルトルド将軍か」
アイリの婚約者だった。
大魔獣の結界ギリギリまで迫り、果敢に指揮する姿は勇ましかった。
「ふーん、頑張ってるみたいね」
「もっと応援してやれよ。婚約者だろ?」
「うっさいわね! ユウに言われたくないわよ! 人前で二人も女の子と……き、キスをするなんて、この破廉恥!!」
罵倒された。
この会話の感じが懐かしい。
その時。
「大丈夫か!? 帝の剣様と、剣の勇者様の容体はどうなってる!?」
「早く運べ!! 重症だ!!」
「くそっ! もしものことがあっては、帝国の一大事だぞ!!」
「えっ? お、親父がっ!?」
慌てて俺が振り返ると。
「大丈夫よ……、あの二人は作戦を無視して、結界魔法がろくに使えないのに大魔獣に自分から突っ込んでいって、瘴気を浴びて気絶しているだけだから」
アイリが冷静に教えてくれた。
「で、でも重症って……」
「そうなる未来を運命の巫女様と宰相様の『未来予知』でわかってたから、すでに回復魔法士団が待機しているわ。命に別状はないから問題ないわ」
「…………ソウデスカ」
確かに親父と剣の勇者様の助っ人は作戦になかった。
あの二人の暴走だったらしい。
「なにやってるんだ……」
「ジュウベエ様は『息子一人にいい格好させるか!』で、剣の勇者様は『ここでゆかぬは勇者ではない!』って言ってたわね。多分、あとで皇帝陛下から説教ね」
そう言いながらも、俺と幼馴染を載せた天馬はゆっくりと大魔獣から離れていく。
眼下では、大魔獣が大きく身体を揺らし苦しそうにうめいている。
封印にはまだ小一時間かかるだろう。
「アイリ、霊薬は持ってるか? 俺は大魔獣にふっ飛ばされた時に全て無くしたんだ」
「あるけど……、この先にユウのための回復魔法使いたちが待機しているわよ」
戸惑うアイリから受け取った霊薬を俺は一気に飲み干した。
疲労は取れないが、身体の魔力が満ちていくのがわかる。
俺は腰にある神刀をゆっくりと握りしめた。
大丈夫だ。
まだ、俺は剣を振れる。
「ユウ?」
俺の様子に訝しげな視線を向ける幼馴染。
「アイリ、俺を大魔獣のところに連れて行ってくれ」
「何を言ってるの!?」
予想通り幼馴染に驚かれる。
「作戦を続行する。運命の巫女様から、余力があれば大魔獣の核を砕くように、言われている」
「余力なんてないでしょ! ボロボロじゃない!」
アイリは俺の言葉を即座に否定する。
俺は首を横に振った。
「あるさ……、アイリが手伝ってくれるなら」
「ばっ、馬鹿言わないで! 私は手伝わないわよ!」
「皇帝に成るんだろ?」
「ユウを死なせて皇帝になって何の意味があるのよ!」
アイリが天馬の手綱を引き、拠点のほうに向かおうとするのを俺は手を掴んで止めた。
「ユウ……?」
「死なないよ。ほら、見ろよあれを。大魔獣は弱ってる。こんな機会はもう二度とないかもしれない」
俺が指差す方には、封印によって大魔獣が苦しげに巨体をよじらせている。
大魔獣の瘴気によってできた外皮は、ぼろぼろと崩れている。
それでも滅んではいない。
大魔獣の額にある第三の眼――『核』が無事だからだ。
「そ、それなら! 私も一緒に行く! 一人でなんて行かせない!」
「駄目だよ。さっき俺を助けてくれた時も無理をしたんだろう? アイリの鎧がぼろぼろだ」
七色の魔力をもつアイリは、当然結界魔法も使える。
しかし、俺のように大魔獣の瘴気を無効化できるほどじゃない。
今だって、大魔獣に近づきすぎて少し苦しそうだ。
「そ、それなら。攻撃はどうするっていうの! ユウの魔力じゃ、攻撃できないじゃない!」
アイリの言う通りだった。
俺の魔法剣は、『攻撃力ゼロ』。
誰も倒せない。
だから……。
「アイリの魔力を分けてくれ」
俺はアイリに手を伸ばした。
「え……?」
もしかすると『選別試験』の時も、俺とアイリが距離を取る必要はなかったのかもしれない。
俺たちはあの時うまくできなかった。
でも、今なら。
リュケイオン魔法学園で教わったことを使って、帝国のために力を振るえる。
「アイリ、頼む」
俺がもう一度お願いをすると。
「こ、ここでキスしろって言うの!?」
なにやら勘違いをしているアイリが、顔を真赤にした。
「いや、魔力連結は手を握るだけでもいいんだけど……」
「あ、そうなんだ……」
アイリがなんとも言えない表情に変わる。
さすがに婚約者がいるアイリにキスしろとは言わない。
「しょーがないわね!」
アイリがふぁさ!っと金髪を掻き上げならが俺の右手を掴んだ。
長年剣を握り続けたその手は、力強くそれでいてその指は細く柔らかかった。
――魔力連結
もしかすると上手くいかないんじゃないかと心配したが杞憂だった。
アイリの魔力が俺の身体に流れ込んでくる。
灼熱のマグマのような炎の神人族の魔力。
爽やかな新風のような聖女候補の魔力。
どちらとも違う、春の日差しのような暖かな魔力。
そして何よりも特徴的なのが……
「これが虹色の魔力……」
神刀が淡く七色に輝いていた。
帝国史上でも数名もいない希少な魔力。
「……ん」
アイリが眉をしかめた。
「大丈夫か? アイリ」
「へ、平気だけど……いつまで吸い取る気!?」
「ああ、もう大丈夫」
俺はぱっと手を話した。
「はぁ……はぁ……」とアイリの息が荒い。
俺も動悸が早まっているのを感じた。
(なんだ……、スミレやサラの時とは少し違う……)
俺が戸惑っていると。
(あー、長い間ずっと『両思い』だと魔力連結って過剰になっちゃうのよねー)
魔王のつまらなそうな念話が聞こえた。
(え?)
(ユージンってば、私って女やスミレちゃんやサラちゃんみたいな愛人二人も作っておいて、まだ初恋を忘れてないんだー)
(いや、エリーそれは一体……)
「どうしたの? ユウ?」
アイリに顔を覗き込まれて、息を呑む。
「いや、なんでもないよ、アイリ」
俺は表情を変えずに答えた。
(まずは……目的を果たす)
ごちゃごちゃ考えるのは、そのあとだ。
俺は七色に輝く神刀を両手でしっかりと掴んだ。
「……綺麗。それに七色の魔力を同時に纏わせるなんて……、帝国の神鉄の剣ですら耐えられなかったのに」
「神獣の牙を素材にしたおかげだろうな」
七色の魔力は、神族の魔力と言われている。
人間でそれを扱えたのは、千年前に大魔王を倒したと言われる伝説の大勇者アベルだけだ。
それを人の身で扱えるのは、……この神刀のおかげだろう。
もっとも、刀身に纏う魔力は陽炎のように儚く、安定しているとは言い難い。
持つのはおそらく一振りだけと予想した。
俺とアイリは、大魔獣の頭上の上空へとやってきた。
「ねぇ、ここからどうする気? 飛行魔法は使えるの?」
アイリが言う前に、俺は背中から翼を出現させた。
だいぶ、扱いにも慣れてきたな。
「ありがとう、アイリ」
俺は天馬の背にゆっくりと立ち上がった。
「死んだら許さないからね。絶対に生きて戻りなさい!」
「ああ」
皇帝陛下と似たようなことを言われ、やっぱり親娘だなと感じた。
「じゃあ、行ってくるよ」
俺は片手をあげ、上空から身を投げた。
◇
ゴウゴウと、耳元を風を切る音が響く。
背の翼を使って、減速することはできたが大魔獣に気づかれたくなかった俺は自由落下に身を任せた。
しばらく落ち続けたあと、
「くっ」
全身を刺すような殺気が襲った。
大魔獣に気づかれた。
ぶわっ! と無数の黒い棘がこちらへ迫りくる。
大した速さではない。
が、今俺の手にある虹色の神刀は一振りで力を失ってしまう。
ここで使うわけにはいかない。
――弐天円鳴流『林の型』猫柳
四方を敵に囲まれた時に対処する剣技。
それでも数百の黒い棘の全ては避けきれない。
俺の腕を、肩を、足を小さな黒い棘が貫いた。
「……っ!」
それでも止まらない。
ただ、下へと進み続ける。
「ギギギギギギギギギ……ギギギギ……ギギギギ…………ギギ……ギギギ!!!」
歯ぎしりのような不協和音が響く。
もしかすると、大魔獣が恐怖しているのかもしれない。
鈍く血の色に輝く第三の眼が、こちらを視ている。
ガシン!! とこれまで俺の方に向いていた黒い棘ような瘴気が、一斉に第三の眼を守るように集まる。
黒曜亀の甲羅のように、厳重に弱点である目を守っている。
俺はそこに向かって、一直線に落ちる。
刀身の七色の光は徐々に弱まっている。
(間に合えっ!)
俺は石のように硬化した瘴気で守られる大魔獣の『核』へ、神刀の刀身を突き刺した。
その刃は、絹に針を通すようにすっと刺さった。
「ギャオアアアオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアオオ!!!!!!」
耳に届いたのは、割れるような断末魔だった。
次の瞬間、身体を吹き飛ばす爆発に巻き込まれ俺の身体は宙を舞った。
結界魔法で、自身の身体を守る。
結界魔法は砕け続けたが、俺は魔力が続く限り結界を張り直す。
空を飛んでいるのと錯覚するほど長い時間、宙を彷徨い地面にたたきつけられたあと毬のように地面を跳ねて転がり続けた。
(し、死んだ……?)
運命の巫女様……、大魔獣の弱点をつくと爆発するなら事前に教えて欲しかった。
彼女も知らなかったのかもしれないが。
「……ユウ! ……ユウ!」
遠くで俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、それを確認する前に俺は意識を失った。
◇
目を覚ました。
天井には勝利の女神様が、古い女神に勝利する神話の見事な壁画が描いてある。
もちろん、見覚えがあった。
「えっとエインヘリヤル宮殿の救護部屋か……」
昔、宮殿に迷い込んできたハグレ飛竜に俺とアイリが挑んで、二人して大怪我をした時に運び込まれたベッドだった。
起き上がると、全身が痛い。
「まぁ、痛いのは生きている証拠か」
んー、と身体を伸ばす。
どれくらい気を失っていたんだろう?
時計を探している時。
ぎぃ……、と音を立ててドアが開いた。
親父か、アイリか、スミレか、サラか……、と思ったがその誰でもなかった。
「ユージン・サンタフィールド。目を覚ましたか」
「ベルトルド将軍?」
なぜ、彼がここに……?
と疑問に思った瞬間、一つの解を得た。
(まさか……俺を暗殺しに?)
あり得ないことではない。
婚約者の元恋人(?)かつ、今回の件で手柄を立てた俺を苦々しく思っているであろう野心あふれる将軍。
なら、俺が弱っているこのタイミングを狙ったとしても不思議はない。
(武器は!?)
慌てて探すが、手元には見当たらない。
くそ!
かつて俺は寝る時ですら刀を手放さない親父に呆れていたものだが、親父は正しかったのだ。
かくなるうえは、弐天円鳴流の無手の奥義で応戦を……と覚悟を決めた時。
「これまでの数々のご無礼、申し訳ありませんでした!!! ユージンさん!!!」
「…………え?」
俺はあっけにとられた。
そこには身体を直角に折り曲げ俺へ頭を下げるベルトルド将軍の姿があった。












