163話 六章のエピローグ
「私の持つ全てを」
ユーサー学園長は全く躊躇わず、そう告げた。
俺たち全員はぎょっとした表情になる。
「ユーサー王! どういう意味ですか!」
第一騎士クレアさんが叫ぶが、ユーサー学園長からの返事はなかった。
黒い人影は指を口に当てて、考えるような仕草をする。
影から性別はわからないが、なんとなく女性的な仕草に感じた。
――うーん、たかだか百年足らずの人間の命を一つくらいもらってもねぇー。せめて千人くらいの魂があれば、ボクも力を貸すのはやぶさかではないんだけど
魔神は困ったように、恐ろしいことを言う。
しかし、誰もその言葉を指摘しない。
黒い人影が言葉を発するたびに、隣の幼馴染がびくりと肩を震わせる。
サラやスミレもずっと青い顔をしている。
クレアさんや、クロード、迷宮主ですら口を挟まない。
この黒い影の機嫌を損ねると『虫のようにすり潰されるのではないか』という恐怖がその場にあった。
「足りませんか? これでも」
学園長だけが世間話をするように会話を続けている。
黒い人影から赤い目が現れた。
それが意地悪そうにニヤリと歪む。
――おや? キミは……人間かと思ったけど…………そうかい。なるほどなるほど。地上の民にしては、随分と知識をため込んだようだねぇ~。キミのすべてというなら、対価としては及第点かな
「安心しました。寛大なお言葉感謝いたします。太古に封じられし知恵の女神ロ……」
――おっと、それ以上はいけないよ。僕は奈落の底に封印されているはずの忘れ去られた名もなき魔神だよ。いいね?
「失礼しました。それでは『タイカ』をお支払いします。どうか私の『ネガイ』を叶えてください。赤い竜を天頂の塔内部へと戻していただきたい」
ユーサー学園長は両手を広げ、魔神へ願いを告げた。
――いいだろう。『トリヒキ』は成立した。キミのすべてと引き換えに、その『ネガイ』を叶えてあげようじゃないか。…………最後に言い残すことはあるかい?
優しく語りかけてくる魔神が、ただ不気味だった。
ここでユーサー学園長が振り向く。
その表情は、いつも通り飄々としていた。
「皆、あとは任せた」
――では、キミのすべてを………………イタダキマス
そう魔神が言うと、「ニヤリ」と大きな口が三日月に開く。
そして……黒い人影の口が体全体に広がり、ユーサー学園長を丸呑みにした。
(く、喰われた……?)
「きゃあああ!」
「ユーサー王!!!!」
スミレの悲鳴とクレアさんの悲痛な叫びが響く。
…………ズン
その時、まったく微動だにしなかった赤い竜が立ち上がった。
明らかにこちらに害意を持っている。
「アイリ! 下がっていろ!」
俺は剣を抜くと、黒い人影と赤い竜の間に割り込んだ。
(今、赤い竜の攻撃を受けるわけにはいかない!)
ユーサー学園長が命を捨ててまで何かをしようとした。
ならそれを守らないと。
赤い竜の七つの鎌首が持ち上がり、こちらを見下ろす。
その威圧感だけで後ろに下がりそうになる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
対峙するだけで寿命が削れていくようだ。
十四の巨大な瞳に睨まれた時間は、数秒なのか十分以上なのかすら判別がつかなった。
そして…………
「おや、ボクを守ってくれているのかい? 勇敢な天使の子」
ぞわりと、首筋に刃物を添えられた気がした。
さっきまでとは同じ声なのに、何かが違う。
不気味さとも、強さとも違う。
強いていうなら威圧感が変わった。
俺の後ろに天まで届くような巨人がいるかのような威圧感だった。
赤い竜から注意を逸らさぬよう、声の主を目で追う。
「……え?」
違和感に気付いた。
音が消えている。
そして、世界が静止していた。
アイリが、サラが、クロードにクレアさん。
全員、ユーサー学園長が喰われた時の驚愕の表情で静止していた。
「…………ゆー……くん」
スミレが俺の名前を呼んだ。
(スミレ!)
俺は彼女の元に駆け寄ろうとして。
(動けない……!?)
身体が空中に固定されたかのように動けない。
「悪いけど時間を固定させてもらったよ。奈落の底から出ていることが天界にバレると、あとあとやっかいだからね。この場で意識があるのはそっちの天使の子と古代神人族の女の子と……迷宮主ちゃんかな?」
声の主の姿は後ろ側にいるため見えない。
振り向こうにも身体が動かない。
けど、それが幸いかもしれない。
俺はこの声の主を直視して、正気を保てる自信がない。
「貴女様は……そんな……」
迷宮主の声が震えている。
彼女は動けるようだ。
「さて、時間もないことだしさっさとやってしまおうか。ボクができるのは赤い竜を塔の中へ戻すことだけ。そのあとのことは迷宮主ちゃんの仕事だよ?」
「は、は……い」
迷宮主の弱々しい返事が聞こえた。
「さて……、せっかく地上に出てきた赤い竜ちゃんは可哀想だけど、…………帰ろうか?」
(くっ……!)
魔神の声に混じる瘴気と悪意。
聞いているだけで、頭がおかしくなりそうだ。
「「「「「「「オオオオオオオオオ!!!!!!」」」」」」」
七つの頭の赤い竜が咆哮した。
地面が割れ、周囲に無数の竜巻が現れる。
――我ガ放ツハ、終末ノ業火……
七つの竜のアギトが開き、黒と赤の混じった炎が目を焼く。
さっき学園校舎を崩壊させた、最初の『竜の咆哮』の比じゃない。
これは迷宮都市が吹き飛んでしまう……。
しかし。
「あはははっ……、ダメダメ。今さら抵抗したって。でも、好き勝手暴れられても面倒だし……、何か縛るものが欲しいな……、うん。あれかな。猫の足音、女の髭、山の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾液と混ぜ合わせて…………て。ほら、できた。えい☆」
魔神の可愛らしい声とともに、白い細い紐が赤い竜の身体に巻き付いていく。
「「「「「「「オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!!!!!!」」」」」」
赤い竜がもがき暴れる。
地面が割れ、暴風が巻きおこる。
それでも赤い竜にとっては糸のようにしか見えない、白い紐は切れない。
「それはキミには切れないよ。じゃあ、天頂の塔へお戻り☆」
魔神の声に応えるように、白い紐は赤い竜を天頂の塔へと引っ張っていく。
「「「「「ギャア"ア"ア"ャ"ャ"ャ"ャ"ャ"ャ……ャ………………」」」」」
赤い竜はなおも暴れつつも、その巨体がどうやっても入らないような天頂の塔の入口にするりと入ってしまった。
「これでボクの仕事は終わりかな。1600万年ぶりの地上だったけど、なかなか楽しかったよ☆ 1秒もいられなかったけどね。じゃあ、あとはよろしくねー☆」
最後まで心臓を鷲掴みにされたような威圧感と存在感のまま……魔神の声は消えた。
最後まで姿を見ることはできなかったし、見えなくてよかったと思う。
魔王が正気を保てないと言っていた意味がわかった。
「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」
やっと身体が動くようになった。
「スミレ!」
他の面々も心配だったが、唯一俺と同じく魔神の声を聞いていたであろうスミレに駆け寄る。
「ゆー……く……ん」
顔色が悪い。
身体が冷たい。
「精神回復」
錯乱した人や、恐怖で気を失った人を落ち着ける魔法を使った。
徐々にスミレの顔色が良くなってくる。
「ねぇ! ユウ! 赤い竜がいないわ!?」
「赤い竜が……いなくなってる……?」
アイリとクロードがきょろきょろと周囲を見回している。
二人からすると、いきなり赤い竜が消えたように見えただろう。
――グオオオオオオオオォォォォォ………………
天頂の塔から低い唸り声が響いた。
「なぜ……こんなことに……?」
魔神が時を止めていたことによって事態を把握していないクレアさんが混乱している。
あの時、魔神の言葉を聞けていたのは三人だけ。
そのうちの一人であるスミレは、魔神を直視してしまい弱っている。
けど、回復魔法で少しましになったはずだ。
「サラ、スミレのことを頼む!」
「え、えぇ。いいけど、ユージンはどうするの?」
「俺はやることがある!」
そう言って、スミレをサラに預け俺は呆然としている迷宮主のところへ向かう。
「迷宮主アネモイ・バベル。ユーサー学園長と魔神の言葉を聞いていたでしょう。早く天頂の塔の扉を締めて、赤い竜を封印してください」
「わ、わかってる……わかってるんだけど!!」
なぜか迷宮主はずっとオロオロしている。
その様子に……、俺は思わず怒鳴ってしまった。
「じゃあ、はやくしろ!! 学園長が命をかけて赤い竜を塔に閉じ込めたんだぞ! もし魔神が拘束した赤い竜が解放されたら全てが無駄になる!」
「そ、そうなんだけど……わ、私一人のちからじゃ一階層の扉を閉められなくて……」
「なんだって……?」
あんたは迷宮主だろう。
「め、迷宮主が探索者に直接関与できるのは500階層より上層からで……、間接的であっても下層にいくほど迷宮主は関わることができなくって……、特に99階層以下はほぼ手出しができないの……」
「復活の雫が使える階層だな……」
ユーサー学園長が探索者の死亡率を下げるために、初心者用としていた階層だ。
迷宮主が手出しできないからだったのか。
確かに99階層以下で迷宮主を見たという噂は、ほとんど聞いたことがない。
とはいえ。
「だったら! 天頂の塔の入口で神獣を召喚するような真似もできないはずだろ! そもそもの今回の原因は迷宮主だぞ!」
「わ、わかってるわよ! で、でもそれは時間をかければであって……、今の状況は」
「……時間がない、か」
――グオオオオオオオオォォォォォ………………!!
赤い竜の獰猛そうな鳴き声が聞こえる。
あの怪物はまだ外にでることを諦めていない。
「どうすればいい!?」
「え?」
「あんた一人の力じゃ無理なら、俺が手を貸す! 何をすればいいか言ってくれ!」
「天頂の塔の扉を閉める手伝いをして欲しいの」
「そんなことなら……」
「扉は……内側から、閉めないといけない」
そんなことをのたまった。
(こいつ……)
欠陥迷宮だろ、これ。
「赤い竜は、古いめが……魔神様に拘束されているとはいえ、今も暴れている。そいつを大人しくさせながら、入口の扉の鍵を抑えておかないといけない……。赤い竜が地上への脱出を諦めてくれるまで、いったいどれくらいかかるのか……。十日以上か、一ヶ月か……それ以上か…………わからない。そんな無茶な手伝いをしてくれるやつなんて……」
俺は迷宮主の言葉を聞きながら、目眩がした。
そして、ユーサー学園長の言葉を思い出す。
「このあと苦難の道が続くと思うが……がんばれ」
まさか、こんな直後だとは思ってなかったよ! ユーサー学園長!!
けど、約束しちゃったからなぁ……。
聖原家の家訓は『約束を守る』。
何があろうとも、絶対に。
命をかけても。
「アネモイ・バベル。俺が手伝う。一緒に天頂の塔に向かうぞ」
「えっ! でも、あんたそんなことしたら……死」
「大丈夫だ。俺の『種族』はわかってるんだろ。さっき魔神にも言われたから。俺なら赤い竜がいつまで暴れても、諦めて帰るまで封印に付き合ってやる。だから……行くぞ」
天使化すれば、何日でも活動できる。
食事をしなくても。
睡眠をとらなくても。
ただし、成長はできないが。
「う、うん……ありがとう。ユージン・サンタフィールド」
まだ信じられないような表情で、迷宮主が頷く。
「待ってよ、ユウ!」
「待ちなさいよ、ユージン!」
当然、仲間たちから止められた。
流石に黙って行く気はない。
俺は振り返り、口を開いた。
◇スミレの視点◇
まだ、頭がぼーっとする。
さっきの恐ろしい『ナニカ』を見た影響だと思う。
思い出すだけで身体が震えてしまう。
サラちゃんが「大丈夫? スミレちゃん」と言いながら、得意じゃない回復魔法をかけてくれている。
ゆっくりと意識が戻ってくる。
が、ゆーくんの言葉で私は頭を殴られたくらいの衝撃を受けた。
「アネモイ・バベル。俺が手伝う。一緒に天頂の塔に向かうぞ」
う……そ。
なに言ってるの、ゆーくん。
ダメだよ。
死んじゃうよ。
あんな恐ろしい怪物が閉じ込められている天頂の塔の中に一緒に入るなんて。
「待てよ、ユージン! おまえ、何を言ってるんだ!」
「クロード。誰かがやらなきゃいけないんだよ。学園長の行動を無駄にしないために」
「……っ! だけど!」
クロードくんがゆーくんを説得しているけど、できていない。
「ユージンくん! キミがそんな重荷を背負う必要はない! 私が行けば……」
「ダメですよ、クレアさん。貴女にはユーサー学園長から頼まれていることがありますよね。クレアさんの代わりができる人はいません。貴女は残らないと」
「く……」
クレアさんの声にもゆーくんの決意は揺らいでいない。
「馬鹿言わないで、ユウ!! 貴方が犠牲になる必要だってないでしょ!」
「違うよ、アイリ。犠牲になるわけじゃない」
「生きて帰れるわけ無いでしょ!! あの赤い竜にどれだけの迷宮都市の人たちが殺されたか……!」
「俺の結界魔法なら防げる。ヒュドラやケルベロスと戦っても生き残ったのは知ってるだろ。俺よりも結界魔法が上手い使い手は、迷宮都市だとユーサー学園長だけだった。だからこれは俺が適任なんだ」
「「…………」」
アイリちゃんとサラちゃんが怒った顔でゆーくんに詰め寄ってる。
けど、最後はゆーくんの言葉に黙ってしまう。
私はふらふらしながら……ゆーくんに近づいた。
「ゆーくん」
「スミレ」
優しい顔で、ゆーくんは私のそばに来てくれた。
「行かないで」
まだうまくろれつが回らないまま、それでも私はなんとか気持ちを伝えた。
「スミレ、ごめん」
ゆーくんの口から出たのは謝罪の言葉だった。
「なんで……一緒に……探索して……くれるって……」
気がつくと両目から涙が止まらない。
私は相棒じゃなかったの?
恋人にしてくれたんじゃなかったの?
そりゃ、恋人は私だけじゃなかったけど。
でも、私のことを大切に思ってくれたんじゃなかったの?
「スミレ」
ゆーくんが私を抱きしめた。
「な……に?」
これが最後なのかな?
もう、ゆーくんに抱きしめてもらえない?
ゆーくんは、責任感が強い。
ユーサー学園長が命をかけて守った迷宮都市を守るために、きっと自分ができることなら何だってするだろう。
だから、私が止めてきっと無駄だ。
ゆーくんは行ってしまう……。
「必ず戻ってくる。待っててくれるか?」
ゆーくんはまっすぐ私の目を見て言った。
その目は見覚えがあった。
天頂の塔の20階層。
泣きじゃくる私に、「500階層へ連れて行く」と約束をしてくれた目。
私が好きなった人の目。
私が好きになった目。
その目で見られると、…………断れない。
「わかったよ。待ってるよ、ゆーくん」
私は言った。
「ありがとう、スミレ」
そう言って寂しそうに微笑むゆーくんは、とてもかっこよくて、少し腹が立った。
「ちょ、ちょっと! スミレ! いいの!?」
「ダメだって、ユウ!!! 行っちゃダメ」
サラちゃんとアイリちゃんが慌てている。
けど、二人もきっと本当はわかってる。
――グオオオオオオオオォォォォォ………………!!
怪物の声が三度、聞こえる。
地面が大きく揺れた。
「悪い、アイリ、サラ。これ以上ゆっくり話す時間はなさそうだ。クロード、しばらく訓練はお預けだな」
「「「…………」」」
ゆーくんに声をかけられた三人が全員、押し黙った。
「じゃあ、行ってくる。いくぞ、アネモイ」
「ええ、行きましょう」
ゆーくんと真っ赤なローブの迷宮主は、天頂の塔の入口へと消えていった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
天頂の塔の入口に巨大な扉が、地面からせり上がってきた。
そして、「ガチャン!!!」と巨大な音が響く。
それが鍵の音だったのかもしれない。
静寂が訪れた。
さっきまでの赤い竜の脅威が、うそだったかのように。
でも、リュケイオン魔法学園の校舎は、吹き飛ばされた。
迷宮都市は半壊している。
ユーサー学園長も、ゆーくんもいない。
全部、現実だった。
「ゆーくん……」
ぽつりと、口から名前を呼ぶとまた泣きそうになった。
「スミレちゃん……」
サラちゃんが私を抱きしめた。
慰めてくれてるのかな? と思ったらサラちゃんが泣いていた。
その近くでアイリちゃんが、声を殺して泣いている。
クロードくんは向こうを向いていて、表情は見えない。
けど、肩が震えていた。
クレアさんはまだ呆然としている。
多分、私もだ。
今、私が強く想っていることは一つだけ。
(待ってるからね、ゆーくん。ずっと……ずっと)
こうして。
私が異世界にきて最初に優しくしてくれた人は、いなくなってしまった。
■大切なお願い
『面白かった!』『続きが読みたい!』と思った読者様。
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次回の更新は、4月20日(日)です。
■感想返し:
>それともここからユーサー王無事に済むのかな?
→食べられちゃいましたね。。。
>あっちの書籍版でマコトがユーサー王に会ってることからこの時点では無事なのは既に決定
→クレアさんが変身した姿ですね。多分。
>ランプ魔神の口調がナイア様っぽい
→口調似てますが、別神です。
■作者コメント
これにて六章は終了です。
次回から最終章『剣聖』編スタートです。
漫画版の9話、公開されました(4月11日)
お風呂シーンもあるよ
https://comic-gardo.com/episode/2550912965280971092
しばらく掲載。発売は4月25日
■その他
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