160話 最終迷宮の異変 その2
――黄金の魔法陣から現れた巨大な赤い怪物の腕。
それを見た時、言いようのない恐怖感に襲われた。
「ゆーくん……」
ぎゅっ……、とスミレが俺の腕を掴む力が強まる。
「ユウ……」
アイリも不安そうにこちらへ身体を寄せてきた。
俺は剣の柄に手をかけ、いつでも引き抜けるよう構えた。
だが赤い腕の怪物の大きさに対して魔法陣は小さすぎるように思えた。
(あの魔法陣じゃ、こっちにはこれないんじゃないか……?)
一瞬、楽観的な考えがよぎる。
それを否定するかのように……ビシリ、と空間に亀裂が走った。
亀裂が大きく広がっていく。
空が割れるように、ゆっくりとひび割れていく。
「そんな……馬鹿な……」
レベッカ先輩の呟きが聞こえた。
「レベッカ先輩、あれは……?」
「異界から転移をせずに、世界の壁を直接壊してこちらに渡ってこようとしているように……見えるけど。駄目だ、僕にも魔法術式が読み取れない。人間に扱える魔法じゃない」
みるとレベッカ先輩が小さく震えている。
ビシリ……ビシリ……ビシリ……
ゆっくりと空全体が卵の殻のようにひび割れていく。
世界が壊れていくような、そんな不安を覚えるような光景。
俺たちだけでなく、その場にいる全員が現実離れした光景を呆然と見つめている。
ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ、ガラ……!
空が破片となって崩れていく。
空中に巨大な穴が広がった。
――そして、『それ』は現れた。
……ズン、と大きな音と共に地面が揺れる。
現れたそれは一言で表すなら『火のように赤い大きな竜』だった。
七つの頭を持ち。
十本の角がある。
その頭に七つの冠をかぶっていた。
以前に見た神獣ヒュドラに似ているが、それよるもずっと大きく威圧感がある。
目の前に鎮座しているだけで、息が止まりそうなほど。
スミレが倒れそうになったのを俺が支えた。
アイリは膝をついている。
ぱっと見回したところ、気を失っている探索者もちらほらいるようだ。
(この神獣はいったい……)
「これって……神代学で習った……終末の赤い竜なんじゃ……」
アイリが呆然と呟いた。
「これが……?」
女神教会の教えに出てくる『堕落した人々を罰するために地上を火の海に変える』と言われている神獣。
言われてみると教会の壁画に似た絵を見たことがある気がする。
天使の軍勢と戦う赤い竜の壁画を。
「「「「「「「………………」」」」」」」
七つの首からは唸り声ひとつあげず、静かに佇んでいる。
俺たちはそれを見上げていた。
「迷宮組合総員! 結界を張れ! 『あの竜』に絶対に手を出すな!! B級以下の探索者は、民の避難を誘導! 学園生徒も全て避難させろ!!」
よく通る声で指示を出すのはユーサー学園長だった。
普段、考えられないほど緊迫感のある声で叫んでいる。
「はい!」
「わかりました!」
「急げ!!」
迷宮組合職員が、ばたばたと散開していく。
赤い竜を中心に巨大な魔法結界が生成されていく。
(……妙だな)
天使さんによる『神の試練』の開始の声がない。
すでに神獣は現れている。
いつもなら天使の声による神の試練の確認があるはずなのだが……。
その時だった。
「ま、待って! あんたはこんなところに来ちゃいけないの!!」
迷宮主アネモイ・バベルが空間転移で現れた。
取り乱している様子だ。
これは……もしかして。
いや間違いなく。
「……ねー、ゆーくん」
「……ねぇ、ユウ」
スミレとアイリが、気だるそうにこちらを見た。
今回も迷宮主のやらかしだ。
「迷宮主さん! どうなってるんですか!!」
俺は大声で彼女に聞いた。
「なんで……! なんで、こんなことに……!」
が、アネモイさんから返事はない。
代わりに答えてくれたのは別の人物だった。
(ユージン、まずいわ)
「エリー?」
魔王が珍しく焦った声で話しかけてきた。
(こいつ……、冥府の底で鎖に繋がれてるはずなのに、なに地上に現れてんのよ……!)
「エリー、あの神獣のことを教えてくれ」
(ユージンだって知ってるでしょ。かつて神話時代に聖神族に戦いを挑んだ古い神々のうちの一つ『竜の神』の一族よ。世界を滅ぼす赤い炎の化身。神話代からの古の神獣……)
「けど、天頂の塔に召喚された神獣だろ? 冥府の番犬や九首竜と何がちがうんだ?」
(気づいてないの? ケルベロスちゃんやヒュドラちゃんは、天頂の塔の召喚システムによって『神の試練』の封印処理をされて喚ばれてるの。でも、今回の赤いやつは……)
「封印されていない本来の力を持った神獣……か」
いや、しかしそれなら以前戦ったヒュドラは、迷宮主のポカで封印が解かれていたはずだが。
(ヒュドラちゃんは、手加減してたしあくまで『神の試練』として戦ってくれた。けど、この赤いやつは……)
「目的はわからないけど、自らこっちへやってきた。『神の試練』とは関係なく……」
(だから……逃げたほうがいいと思うわ)
珍しくエリーの助言が慎重だ。
ただ、現れたあとの『赤い竜』は大人しい。
ずっと静かに、まるで石像のように止まっている。
ばたばたしているのは、周囲だけだ。
警鐘を鳴らし続ける迷宮都市。
普段と様子が違うユーサー学園長。
慌てふためく迷宮主。
「そもそも『赤い竜』はなんで突然現れたんだ……?」
神話学の記憶では、古の神々の戦いに敗れたという神話がある。
そして、人々が神への感謝を忘れ、堕落した時には赤い竜の封印が解かれるとも。
そんな伝説の怪物が、突然リュケイオン魔法学園の隣に現れる理由がない。
(私が天界に居た頃は、天頂の塔の管理に深く関わっていなかったら曖昧な記憶なんだけど……)
エリーが考えるように、言葉を区切った。
(私の記憶だと……赤い竜は900階層に出現する神獣よ)
「900階層!?」
思わず大声で聞き返した。
その声が聞こえたからか、ぱっと真隣に空間転移でユーサー学園長が現れた。
「ユージン、今の話は本当か?」
「聞こえてましたか。魔王の話だとあの赤い竜は900階層に出る神獣だと」
「やはりバハムートと同じく、天頂の塔上層の試練の神獣か……。つまり900階層を経由して地上へ降臨したということか」
ユーサー学園長が唸る。
そして、空中でオロオロしている迷宮主に視線を向けた。
パチン、とユーサー学園長が指を鳴らす。
すると、目の前に迷宮主が現れた。
空間転移で移動させたらしい。
「はっ!? な、なによ? あんた、なにするのよ!」
「迷宮主アネモイ殿。あの神獣は貴女が意図して呼び出したわけではありませんよね?」
「あ、当たり前でしょ! そもそも呼べないわよ! 私なんかの力じゃ」
「ですが、現実にここにいる」
「そ、それは……」
「なにやらかしたんです? 迷宮主さん」
「ち、ちがうわよ! 私じゃないの!」
俺が尋ねると、首を横にふる迷宮主。
代わりに答えたのは、ユーサー学園長だった。
「おそらくだが……、最近始まった天頂の塔の0階層へ神獣を召喚する仕組みに抜け穴があり、上層で待っているはずの神獣が抜け穴を通ってきたのだろう。正規の召喚ではないため、神の試練用の封印がされておらず、また自動で神の試練も始まらない。今起きている事象はおそらくそんなところだろう……」
「…………」
迷宮主は黙ったまま返事をしない。
そうえば0階層の神の試練を行う時、裏口を作ったとか言ってたっけ?
それを神獣側に使われてしまったのか。
「神獣の目的は何でしょう? ユーサー学園長」
「そうだな……。それは相手に聞いてみないことにはわからぬ。ただ封印されていない神獣に暴れられると迷宮都市が吹き飛んでしまう。できれば穏便におかえりいただきたい」
ここでユーサー学園長が、迷宮主に強い視線を向けた。
「なにか方法はありますか?」
「そ、それは……」
その時、ぽん! と空中に黄金の魔法陣が浮かんだ。
そして二つの人影が現れる。
「やばっ! 赤い竜っすよ、マリエル先輩! 奈落の底にいるはずの……」
「えぇ~……、これどうするの~? 『神の試練』の開始を宣言……しないほうがいいわよね? リータちゃん」
100階層と200階層を管理している天使の、リータさんとマリエルさんだった。
二人とも様子を見に来たようで、神獣を見て困惑している。
「天使様!!」
ユーサー学園長が大声で叫ぶ。
「私たちっすか?」
「……どうしました?」
二人の天使の視線がこちらに向く。
「『神の試練』の開始は絶対に止めていただきたい! 今の赤い竜は、神界規定により地上で力を振るうことができない。それを貴女たちが宣言をしてしまうと、試練によって地上への干渉が許可されてしまう!」
「わ、わかったっす!」
「そうね……。この件、女神様に報告したほうがよさそうですね~」
「マリエル先輩、私行ってきましょうか?」
「うん、急いで。リータちゃん」
「了解っす!」
そう言ってリータさんは、空間転移で消えた。
「ユーサー王! 天頂の塔付近の民の避難は完了しました!」
「リュケイオン魔法学園の生徒もほぼ、退去済みです!」
「迷宮都市への門を一時的に封鎖完了しました!」
迷宮組合の人が、次々に報告を上げる。
ユーサ―学園長が、その報告を聞いて細かく指示をだしている。
迷宮主さんは、ずっとオロオロしたまま。
天使のマリエルさんは、『赤い竜』の様子を観察、というより監視している。
学園長の命令で、探索者たちは神獣から距離を取っている。
この場にいても、やれることはなさそうだ。
(結局、この神獣は何をしに来たんだ……?)
さっきからまったく動かない赤い竜に視線を向けた時
――ぞわりと、背筋が凍った。
七つの首の竜が嗤っている。
赤い竜の七つの口が、ゆっくりと、言葉を発した。
「「「「「「「ワレハ……コノ地ノ民ニ……」」」」」」」
「学園長!!」
俺が叫ぶと、ユーサー学園長も気づいたようだ。
「「「「「「「神ノ試練ヲ……開始スル」」」」」」」
天使のマリエルさんが、ぎょっとした表情になる。
「う……そ」
迷宮主が、ぺたんと地面に手をついた。
「まさか……、天使の宣言がなくても神の試練を強制的に開始できるとは」
ユーサー学園長が苦々しい
「ユーサー王! 避難が完了次第、我々十二騎士が集結して次の作戦を……」
第一騎士様が現れる。
「ありがとう。クレアくん。しかし、どうやら時間切れだ……」
「え?」
……ズズズズズ、
地面が揺れた。
これまでずっと大人しくしていた赤い竜の七つの首がゆっくりと鎌首をもたげる。
――第一ノ……神罰ノ炎
七つの竜の頭の一つが、大きく口を開く。
その奥から禍々しい赤い光が輝きを増していった。
――ユーサー王の名で命じる。迷宮都市にいる者は今すぐ避難行動を。
ユーサー学園長が、拡声魔法で迷宮都市全体に聞こえるよう警告した。
「スミレ! アイリ!」
俺は二人を抱えると、空歩でその場を離れた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!
目が眩むほどの炎。
そして、熱風と爆風が吹き荒れる。
「きゃあああああ!」
スミレの悲鳴と。
「くっ!」
アイリの小さく呻く声が聞こえた。
俺は二人を抱えたまま。
瓦礫と共に空中に飛ばされながらも、なんとか体勢を直して地面に着地した。
「…………」
スミレは、ぐったりとして気絶している。
「はぁ……、はぁ……!」
アイリの息が荒い。
幸い二人とも、擦り傷はあるようだが大きな怪我はしていない。
(随分、飛ばされてしまった……)
俺は今の場所を確認した。
「なっ……」
周囲を見回し、絶句した。
――リュケイオン魔法学園が消し飛んでいた。
■大切なお願い
『面白かった!』『続きが読みたい!』と思った読者様。
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次回の更新は、3月30日(日)です。
3月25日には、信者ゼロの更新があります。
■感想返し:
>ネームドキャラ大集合のレイドボス戦からしか得られない栄養がある…
>お話作る側からすると物凄く大変そうだけれども、物凄くこういうの好きなので頑張ってください!
→がんばります!
>巨大な赤い怪物…なんだろ?
>色的に鬼とかなのかなっていうのは安直かな?有名どころに当てはまりそうなのいないよなぁ
→赤だけだとノーヒント過ぎましたね。
今回のボスのモデルは『ヨハネの黙示録』に出てくる赤い竜です。
もう少しだけ特徴を描写してもよかったかなと、あとで思いました。
■作者コメント
とうわけでリュケイオン魔法学園が無くなりました。
>第六章 『卒業』編
→生徒全員が強制卒業となってしまいました。
※本来の卒業とは意味が違っているのは承知です。
(再掲)3月25日に信者ゼロのコミック9巻が発売
■その他
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