空間怪盗は必要悪
初の短編です、よろしくお願いします。
数百年の長きに渡り、とある怪盗が世間を賑わせ続けている。
正体不明で神出鬼没のそいつは誰にも気づかれず忍び込み、まるで全てを見抜いているかのように見張りの目を掻い潜り、物理的にも魔法的にも堅牢な倉庫や隠し部屋や金庫から目的の物だけを盗み出していく。
ただし、この怪盗が狙うのは不正を犯している貴族や商人、同じ裏社会の人間でも仁義や矜持やルールを守らずに好き勝手している輩のみ。
さらに、盗んでいく物は大金でも高価な貴金属や美術品ではなく、そいつらが犯した不正行為や違法行為の証拠、それと調査費用という名目での幾ばくかの金銭だけ。
盗まれた証拠の品は犯罪者を取り締まる治安局へ届けられ、これにより多くの犯罪者や犯罪集団が捕まった。
これによって不正を犯す者は怪盗に狙われまいかと怯え、被害者は救いを求める一方で、怪盗に対する世間の評価は真っ二つに割れている。
正義を成す義賊、所詮は盗みを働く悪人、法の外の断罪者、犯罪行為を正当化しているだけの偽善者と。
それでも怪盗は行いをやめず、不正ある所へ現れてはそれを明かし続けている。
そして今夜もまた、不正が一つ暴かれた。
ノーリエル公国内で三番目に大きいと言われている町、交易都市エルメスに建つ、町の名前をもじったエルメスラ中等学校一年の教室。
そこでは同級生達がいくつかの集団になって、今朝の新聞の一面を飾った記事について喋っている。
「今回はこの町のアールド子爵らしいな」
「ああ。真面目な事業家の正体は、闇金融で暴利を貪る金の亡者だって書いてあったな」
「しかもお金を返せない人達を使って、何か変な事もしてたんでしょ?」
「それに関わっていた商人や貴族のリストも見つかったみたいで、大騒ぎになっているんですって」
俺もその新聞には目を通してきた。
怪盗の出現やアールド子爵が行っていた悪事について、三面くらい使って大きく取り扱っていたな。
「おっ、ユージン。お前見たか、今朝の記事」
「当然だ。怪盗がまた出たんだからな」
ユージン。それが俺の名前だ。
いずれは代々続く、老舗の喫茶店を営む実家を継ぐ予定でいる十三歳の青少年だ。
自分で言ってれば世話ない? ほっとけ。
「今回も姿すら見られず、不正の証拠を盗んだんだってな」
「そうそう。そんで過去の手口と同じで、忍び込まれたことにも証拠を盗まれたことにも気づかなかったんだってよ。証拠もいつの間にか、治安局に届いていたって話だし」
初等学校からの付き合いがある友人が言っていることは、全て記事に書かれていた。
目撃情報は無く、誰も傷つけず、証拠を隠していた秘密の倉庫にこじ開けた様子は無く、盗み出した証拠を治安局にすら気づかれずに届ける。
あまりの鮮やかな手口に、一部では芸術的犯罪だとか盗みの理想だとかいう物騒な話題すら挙がっている。
「どんな奴なんだろうな、その怪盗って」
「外見の想像図なら、いくらでも出回っているだろ」
「あれってほとんど願望混じりの妄想じゃねえか。参考になるかっての」
外見に関する目撃情報が全く無いから、外見どころか年齢や性別も想像に任せるしかない。
そのせいか外見については、色っぽい女だとか、ダンディな年配男性だとか、修羅場を括り抜けてそうな傷だらけの男だとか、様々な憶測という名の想像が飛び交っている。
分かっているのは、不正を犯したり違法行為をしていたりする貴族や商人、それと犯罪組織だけが狙われているということ、数百年に渡って活動している点から個人によるものではなく、代々後継者へ怪盗の技と意思が受け継がれているということ。たったこれだけ。
どんな人物なのか分からず手口も全く不明と謎だらけなこともあり、一部では貴族や裏社会の犯罪者を検挙するために組織された、国の秘密機関によるものなんじゃないかという推測も出ている。
「俺としてどんな奴なのかより、いつの時代もそういった悪党がいることが嘆かわしいね」
「ああ、分かるぜ。真面目に仕事してるのがバカらしくなるぜ」
お前仕事してないし、勉強もあまりしてないだろ。
そう言うんなら、実家の雑貨屋を手伝うか勉強しろよ。
この前うちの店に来たおばさんが、家を継ぐ気があるのかって愚痴っていたぞ。
「だからって、不真面目に生きて良いってことじゃないからな。そこは勘違いするなよ」
「分かってるって。真面目にやってりゃ、怪盗に狙われることはねぇからな」
「そういうこった」
尤も、この怪盗以外には狙われるかもしれないけどな。
見境の無い泥棒とか強盗とか、そういうのに。
「つうわけで、五日後のテストに備えて真面目に勉強しておけよ。追試の常連客」
「それを言うなって! ていうか、五日後にテストあったっけ!?」
そこからかよ。
「この前の授業で先生が言っていただろうが」
「やべぇ、今度追試になったら小遣い半額なのに……」
「嫌なら頑張れよ」
仮に駄目だったとしても、自業自得だ。
「あああ、いっそ怪盗がテスト盗んでくれねぇかな」
「んなもん、普通の泥棒でも盗まんわ」
「そうね。盗むとしたら、あなたみたいに不真面目な奴だけね」
友人との会話に不機嫌な表情の女子が割って入ってきた。
彼女は学級委員長のロサリー。
初等学校からの知り合いの彼女は、せっかくの美人なのに真面目すぎ、固すぎ、厳しすぎの三拍子で損をしていると男子の間では囁かれている。
そんなロサリーが朝から不機嫌な理由は、大抵怪盗に関する事だ。
経験上、こういう時はそっとしておくに限る。
「また親父さん達が怪盗にしてやられたからって、そんな顔するなよ。その怪盗のお陰で、悪い奴を捕まえられたんだからさ」
こいつも初等学校からロサリーと知り会いなのに、どうして学習をしないんだろうか。
しかもそんな煽るみたいな言い方したら、どうなっても知らないぞ。
「だからなに? 悪行を暴いているからって、犯罪行為を見逃せっていうの? 怪盗を捕まえようと頑張っている、お父さん達が悪いっていうの!」
「ああいや、そういうつもりじゃなくてだな……」
「じゃあ、どういう、つもり、なの!」
ほら見たことか。
鋭い目つきで問い詰められてタジタジになりながら、視線で俺へ助けを求めてくる。
こうなるのは分かっていたのに、軽口を叩いたお前が悪いんだから諦めろ。
両手を交差させてバツ印を作って無理と伝えたら、頼むよと口パクで伝えてきた。
だから、無理。
「ほら、言ってみなさいよ。どういうつもりなの」
「ええと、それはその、ほら、あれで……」
目を泳がせて必死に言い訳を考えるのは気の毒だけど、これもさっきと同じで自業自得だ。
学習しない友人を問い詰めるロサリーは、怪盗を快く思っていない。
というのも、彼女の父親はこの町にある治安局の支部に勤めている捜査官で、犯罪者を取り締まるために日々働いているからだ。
それなのに怪盗を捕まえるどころか手掛かり一つすら掴めず、さらには自分達が捕まえるべき犯罪者の物的証拠を悉く提供してもらっている。
犯罪者を捕まえられず、犯罪者に検挙を助けてもらっている今の状況は、強い正義感を持って仕事に励む父親を尊敬している彼女にとって耐えがたい屈辱なんだ。
だから怪盗の記事が出た日の朝は、必ず機嫌が悪い。
「でもよ、ほら、怪盗のお陰で結構な数の犯罪者を捕まえたんだろ?」
「その怪盗自体が犯罪者なの! 不法侵入と窃盗をしているの! いくら犯罪者を暴くためとはいえ、犯罪に手を染めていいわけがないわ!」
完全に押されてる友人を少し気の毒そうに見ていると、少し迷ってから俺の方を向いた。
「な、なあ。ユージンはどう思う? 怪盗は犯罪の証拠を暴いているんだから、良い奴だよな!」
この野郎、強制的に俺を巻き込む気か。
「いいえ、犯罪をしているんだから悪い人よ。そうでしょ、ユージン君」
返答を求める二人からは逃れられそうになさそうだ。
溜め息を吐きたくなるのを堪え、俺なりの考えを述べる。
「そうだな。俺は怪盗のことを、必要悪って考えてる」
「必要……」
「悪?」
そっ、必要悪。
良くないことなんだけど、組織や社会とかにとってやむをえず必要とされること。
「なあロサリー、悪い奴は必ず証拠を隠すよな。それこそあの手この手を使って」
「そりゃそうでしょうね」
「対する捜査側は法に乗っ取った手順を踏んで、法の範囲内でしか捜索できない。いくら証拠を探すためとはいえ、確証も無しに壁を壊して隠し通路とか隠し金庫とか探せるか?」
「……無理ね。そこに隠してあるって明確な根拠が有るならともかく、無いなら無暗にできないわ。無かった場合は、こっちが家屋破壊で訴えられる可能性があるから」
そうなんだよ。
いくら国家権力であろうと法の番人であろうと、捜査のためだからって何でも出来る訳じゃない。
確固たる証拠や証明がないかぎり、やれることには法による限界が生じてしまう。
「一方で怪盗の方は手口こそ不明だけど、法を犯して検挙に必要な証拠を盗み出してる。やっていることは犯罪行為だけど、結果として多くの犯罪者を捕まえることに繋がっている。だから必要悪」
盗んででも証拠を押さえなかったら、もっと被害者が出ていただろうからな。
それが怪盗に対する俺の認識だ。
「なるほどな。必要悪か」
「その考え自体は理解できるわ。でも犯罪者が必要というのには、どうしても納得できないわね」
腕を組んで納得しながら頷く友人に対し、ロサリーはやっぱり納得できていない。
性格を考えれば当然の反応だけど、相変わらず固いな。
もうちょっと気軽に考えてもいいと思うぞ。
「どんな理由であろうと窃盗は窃盗よ。犯罪の証拠だけでなく、お金まで盗んでるんだもの」
「金ってあれか? 調査費用とかいうやつ」
「他に何があるのよ。違法な手段で集めたお金とはいえ、盗んでいい理由にはならないわ」
「でも確か、そんなに大金は盗んでいないはずだろ?」
友人が言うように怪盗が盗んでいるのは毎回少額で、加害者がよほどの浪費をしていない限りは被害者への返金、罰金や慰謝料の支払いにさほど影響は出ていない。
怪盗の支持者の中には、そこを評価している人達が少なからず存在している。
「盗んだ時点で金額の問題じゃないでしょ。ならあなた、盗んだのが少額なら犯罪じゃないとでも思ってるの?」
「そ、そんなわけないだろ」
睨まれて詰め寄られた友人が、情けない声で否定する。
余計なことを言わなければ、そんなことにならないのに。
「不正の証拠を盗んで提供してるんだから、これくらいの報酬は貰ってもいいって考えているのよ、きっと」
「俺もそう思うな。というか、金を貰って行く点に関しては怪盗の気持ちも分かるかな」
また友人から巻き込まれないよう、自分から首を突っ込んでみた。
さっきみたいにロサリーの追及から逃れるため、俺を巻き込みそうな流れだったからな。
「どうして?」
「家が飲食の自営業だからかな、こう考えてる。手間賃とか技術料とか、証拠を提出した仲介手数料」
「盗みに関する手間賃とか技術料なんて、私は認めないわ! 盗んだ物に関する仲介手数料もね!」
だろうよ。ロサリーならそう言うと思った。
「ロサリーはどうしても怪盗を悪人にしたいんだな」
「犯罪者なんだから、悪人なのは当然でしょ!」
「ひいぃぃっ。分かった、分かったから落ち着け」
また余計なことを口にしてロサリーに怒鳴られる、学習しない友人には呆れるしかない。
思わず溜め息を吐いた直後に、後ろを通過した女子生徒が隣に座った。
「おう、トゥーチェ。おはよ」
「……ん、おはよ」
挨拶を交わしたのは、ロサリーと同じく中等学校に入ってから知り合ったトゥーチェだ。
見た目はそれなりに整っているのに、表情の変化が一切無くて決定的に愛想が無いのが残念だと男子の間では囁かれている。
彼女とはそれなりに交流しているけど、学校では常に無表情で微笑む程度の愛想すら見たことが無い。
「ね、ねえ、トゥーチェさんは怪盗をどう思ってる?」
友人が新たな逃げ道を見出そうとトゥーチェに声を掛けた。
彼女はいつもの無表情な顔を友人へ向けて呟く。
「人間らしい人」
「はっ? 何それ」
「人は自己満足をしたがるもの。だから怪盗も自己満足をするため、犯罪で犯罪を暴いて僅かでもお金を手に入れてる。だから人間らしい人」
なるほど。第三者視点での善か悪かじゃなくて、怪盗という個人そのものを考えたのか。
内容もなかなか深いな。
「んん? どういう意味だ?」
「分かるまで考えてれば」
言葉の意味が分からない友人を一言で突き放したよ。
そりゃないよとブツブツ文句を言う友人には悪いけど、今のくらい理解しろ。
そうこうしている間に担任が来て、全員が慌てて着席して授業が始まった。
座学と魔法と体育の授業を受け、休み時間は仲の良い連中と会話して、バカをやった友人が正座で説教されている姿を呆れながら半笑いして眺め、昼は食堂でエルメスラ名物のよく分からない謎ドリンクの一つを飲みながら食事をして、午後も授業を受けたら帰る。
そんないつも通りの学校での時間は終わり、所属している意味不明な同好会に向かう友人を見送り、一人家路に着こうとしていたらトゥーチェが話しかけてきた。
「ユージン君。今日は図書館に寄ってから行くから、いつものよろしく」
「ああ、分かった。用意しておく」
要望に返事をしたら、なんか前の席のロサリーがこっちを向いた。
しかも顔がちょっと怖いぞ。
「二人とも、今のはどういう会話かしら? まさかとは思うけど、不純異性交遊かしら?」
妙な勘繰りをしないでほしい。
そんな風に言うから、残っている同級生達から好奇の視線が集まってるじゃないか。
しょうがない、隠すようなことじゃないから正直に説明するか。
「違う違う。こいつ、うちの店の常連でさ」
「そう。ユージン君とこの喫茶店は静かで読書や勉強がしやすいし、それと甘くしてくれるココアがとても口に合うから、二年前から五日に一回ぐらいのペースで通っている」
だけど初等学校は違うところに通っていたから、実際に喋ったのはここに入ってからなんだよな。
うちの店は静かな時間を過ごしてもらうのがコンセプトだから、両親も俺もあまり自分から客へ話しかけず、話しかけられた時も必要以上に喋らないようにしている。
だからトゥーチェとは二年前からの知り会いではあっても、注文と会計の時以外は喋ったことが無かった。
入学式で顔を合わせた時に初めて掛け合った言葉は、「喫茶店で働いてる人」と「いつも甘いココアを頼んでるお客さん」だ。
「……本当に?」
「証人はうちの両親と他の常連客」
「別にそこまでは求めてないわよ。まあ、不純異性交遊でないならいいわ」
「生憎とその手ことには、現状興味無しだ」
実家の仕事が忙しいからな。
「……のに」
うん? トゥーチェ、何か言ったか? 声が小さくて聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「早く用事を済ませて、甘いココア飲みたい」
「了解。帰ったら準備しておくように伝えとく」
よろしくと言い残して図書室へ向かうトゥーチェを見送り、鞄へ教材を詰めたらさっさと退散。寄り道せず一直線に帰宅する。
普段ならたまに寄り道もするけど、さっき予約注文を受けたから今日は無しだ。
というか、これを切っ掛けに今後も予約注文を受けることになるんだろうか。
店の売り上げに貢献してくれているから構わないけど、誤解を生んで生徒指導室へ呼び出されないことを願う。
そんな事を考えながら、昔ながらの商店が並ぶ通りを抜けていく。
古めの建物が並ぶその通りに建つ、喫茶店ピースタイム。そこが俺の実家だ。
「ただいま」
裏に回って住居側から入って帰宅を告げる。
店の出入り口はお客のためにあるのであって、日常生活の中で使うのはよろしくない。
お客が常連客ばかりでも、お客がいなかろうと関係無い。それが商売をやっている家のルールだ。
「あら、あおかえりなさい」
「ただいま、母さん」
こっちに用事でもあったのか、たまたまこっちにいた母さんが出迎えてくれた。
年齢は三十半ばなのに、見た目は二十代に入ったばかりくらいに若々しい。
その見た目もあって、客の中には母さん目当てで通う男性客もいるくらいだ。
重要だからもう一度、三十半ばなのに。
「うん? ユージンってば今何か失礼なこと考えなかった?」
「いや、別に」
危ない危ない。いつも変なところで鋭いんだよな。
返事を聞いた母さんは、そうとだけ言い残して店の方へ向かった。
俺も荷物を置いて制服から普段着になり、余計な装飾の無いシンプルなエプロンを付けて店の方へ行く。
「父さん、店入るよ」
「ああ、おかえり」
ちょっと厳つい顔つきの父さんが、顔に似合わない穏やかな口調と微笑みで出迎えてくれた。
「ちょうどいい、あっちのテーブルを片付けてくれ」
「分かった。その後は洗い物?」
「そうだな、頼む」
「了解。ああそれと、この後でトゥーチェ来るからよろしく」
「あの甘いココアの子か。分かった、用意しておく」
伝えるべき事を伝えたら、腕まくりをして皿とカップを回収。洗い場へ運んで、溜まっていた他の食器と一緒に洗っていく。
単に汚れを落とすだけでなく、洗剤が残らないように丁寧に洗うべし。
でないと次に出す料理や飲み物に洗剤の味と匂いが移り、台無しになるからだ。
それを知るためだと、わざと洗剤を洗い残した食器で飲食をさせられたから、どれだけ影響が出るのか身に染みてよく分かっている。
あれは本当に不味かった。
「あなた。カフェモカとカフェオレ、それとホットケーキね」
「ん、分かった」
母さんの注文を受けた父さんの手つきへ目を向ける。
厳つい顔つきとは裏腹に、手先が器用で繊細で鮮やかな仕事は何度見ても凄い。
実はその手際の良さと厳つい顔つきに、女性客のファンが付いている。
尤も、父さんへ色目を使おうとしたら母さんの氷の視線が飛んでくるけど。
勿論、逆のパターンもある。父さんの場合は氷の視線と言うより、刃物を突き付けるような視線だけどな。
「いらっしゃいませ」
ホットケーキを焼く父さんの挨拶に、洗い物へ向けていた目を来店した客へ向けると、小さく会釈したトゥーチェが目の前のカウンター席へ座った。
「いつものを」
「はい。少々お待ちください」
常連だからこそ通じる、「いつもの」。
それを聞いた父さんは手早くホットケーキを仕上げて母さんへ渡すと、手際よくココアを作っていく。
「お待たせしました」
「どうも」
待っている間に読んでいた本を一旦置いたトゥーチェは、淹れたてのココアに数回軽く息を吹きかけて少しだけ啜る。
今日も口に合ったようで、表情が和らぎ小さな笑みを浮かべた。
学校では常に無表情で愛想が無いトゥーチェが、ココアを飲んだ時にだけ見せる安らぎの表情。
それを真正面から見られると、なんだか自分だけしか見れない物を見た気になって得した気分になる。
「ユージン、これ追加ね」
おっと、母さんから洗い物の追加だ。
ちょっと惜しいけど、いつまでも見ている訳にはいかないから仕事しないと。
「そうだユージン。昨日お前に付けてもらった帳簿のことで、ちょっと伝えたいことがある」
帳簿、ね。
「なに? どこか計算間違ってた?」
「いや、間違ってはいない。ただ、一つ教えておきたいことがある」
「分かった。急ぎ?」
「急ぐようなことじゃない。閉店後に教える」
「ん、了解」
今の父さんとの会話は、単に店の帳簿や家計簿についての話じゃない。
だからといって、裏帳簿のようなやましい話でもない。
お客がいる前でそんな話をするはずがないし、我が家は脱税とは無縁な優良納税者だ。
じゃあ何かって? それは後で。今は洗い物をして、それが片付いたらテーブルの片づけをしないとな。
「ユージン君、もう帳簿付けてるの?」
「まあな。付け方自体は初等部の頃から教わってる」
「へえ、凄いね」
「まだまだ父さんの確認が入る程度だけどな」
「だとしても凄い。パチパチ」
飲んでいたココアを置いて小さく拍手されると少し照れる。
ただ、口でパチパチ言うのは初めて見聞きしたぞ。
「ユージン。友達とのお喋りが楽しいのは分かるが、仕事はちゃんとやれ」
「やってるじゃないか、ほら」
全ての食器を洗い終え、今は水の拭き取りをしている皿を見せる。
「そうか。鼻の下を伸ばしてガールフレンドとの会話に夢中になって、サボっていないならいいんだ」
「誰が鼻の下伸ばしてるって!?」
心外だ、名誉棄損だ、冤罪だ!
そして他の常連客の皆さん、生暖かい視線と笑みを向けないでください。
トゥーチェも気まずそうに視線外してるし。
「確かに褒められて嬉しくはあったけど、鼻の下は伸ばしてない!」
「別に年頃なんだから、伸ばしていても気にすることないだろ」
「友達相手にそんな反応したら、今後の付き合い方に悪影響が出るって」
特にトゥーチェは同級生な上に席が隣同士だから、気まずいったらありゃしない。
「友達……か。うん、そうだね。友達だもんね」
もしもしトゥーチェさん、そんな反応をされると俺達が友達じゃないように思うぞ。
そうなったら俺達の関係は学校で席が隣なだけの知り合い、または席のお隣さん、それか店員とお客になってしまう。
「えっ、俺達って友達じゃないのか?」
「ううん、友達」
だよな、友達だよな。
ああ良かった、今後の付き合い方に支障が出るかと思った。
安堵しながら洗った食器を拭いていく最中、なんか母さんがトゥーチェに耳打ちする。
そうしたらトゥーチェの顔が真っ赤になって、俯いてしまった。
「母さん、何吹き込んだのさ」
「べっつにー」
楽しそうな表情を浮かべているけど、なんか怪しい。
まあいいや、それよりも向こうの席の空き皿を回収して、洗っておかないと。
******
夜が深まり、外を出歩く人たちの目的が食事や帰宅から、夜の娯楽へ移る頃。
閉店作業を終えたら、住居側のリビングで父さんと向き合う。
ここからは店とは別の、もう一つの仕事の時間だ。
「で、帳簿の件って何かあったの?」
あの時に言っていた帳簿とは、こっちの仕事に関する符号だ。
ただし同じ言葉ばかり使う訳にはいかないから、時々変化はつけている。
「ああ。逮捕されたアールド子爵なんだが、奴にはリストにあった貴族や商人とは別に、もう一人繋がっている人物が王都にいた」
リストに無い人物、ということは……。
「黒幕か共犯者?」
「どうやら後者のようだ。今回の標的はそいつだ」
「了解。そいつは誰?」
「副宰相のワイルズ侯爵だ。アールド子爵の寄親であり、金主で金庫番でもある」
金主ということは闇金融の資金源ってことか。
加えて金庫番ってことは、荒稼ぎした金の大半はそいつが保持していると見ていいだろう。
寄親なら、度々訪問したり贈り物をしたりしても怪しまれないしな。
「アールド子爵は、稼いだ金は事業開拓や遊ぶ金に使ったと主張しているそうだ」
「だけど実際はワイルズ侯爵の下に預けて、発覚した時に備えておいたってことか」
「そうだ。そうやってワイルズ侯爵との関係と預けた金を秘密にすることで、釈放後の面倒を見てもらう、ということなんだろう」
見返りは秘密を守った報酬として現金と、その後の仕事の斡旋というところだろう。
ワイルズ侯爵としても下手に手を切って告発されたら困るから、それなりの対応はするはずだ。
釈放後、秘密裏に殺めるという選択肢もあるけどな。
「治安局はこの件は?」
「寄親として侯爵から話は聞いているそうだが、実態の把握はしていない」
だから急ぎじゃないのか。
怪しまれていないのなら、すぐに証拠隠滅するような真似はしないだろうからな。
「分かった。今夜実行する」
「すまないが、よろしく頼む」
「了解」
席を立ち、自室へ戻って仕事着へ着替える。
余計な装飾は一切無い、動き易さだけを追求した黒一色の服を纏い、同じく黒で滑りにくい素材の手袋を嵌め、口元には黒い布を当てて後頭部側でしっかり結び、最後に足音が出にくい素材の黒い靴を履く。
用意を整えて部屋を出ると、両親が待っていた。
「じゃ、行ってくる」
「気をつけてね」
「くれぐれも変な正義感は出すなよ」
「分かってるって。俺達は非合法な手段で悪人を日の下にさらけ出す、必要悪の怪盗だからね」
そう、長年世間を騒がす怪盗とはうちの一族のことで、俺はその末裔として当代の怪盗を務めている。
うちは少々特殊な魔法が使える一族で、ご先祖様はそれを使って怪盗となり、それが現在まで引き継がれている。
盗みに入るのは悪人の下のみ。
盗むのは証拠と幾ばくかの金のみ。
決して人を殺すな、犯すな。
必要なのは正義感に有らず、必要悪という自覚のみ。
そういったいくつもの守るべきことを守りながら、うちの一族は代々怪盗として活動し、悪党を白日の下へさらけ出してきた。
そして今夜もまた、俺は怪盗となって悪事を暴きに行く。
「行ってきます。空間転移」
空間転移の一言で一瞬にして視界が変化する。
家の廊下はそこになく、あるのは遠く王都の町並みを見下ろせる、教会の屋根の上。
これがうちの一族のみが使える魔法、空間魔法。そしてその中の一つ、どんな遠くへでも行ける空間転移だ。
行ったことがある場所にしか行けないけど、既にこの魔法で国内のほとんどの場所へ行ける。
勿論、自分で直接行ったんじゃなくて、先代の父さんが空間転移で連れてきてくれた。
そうやって行ける場所へ次代を連れて行き、転移先を引き継ぐのも大事な仕事とのこと。
「さて、いきますか」
最新の王都の地図は既に頭に入っている。
目標のワイルズ侯爵家がある方角へ向けて宙へ飛び出すと同時に、別の空間魔法を発動。
「空間疾走」
小声で呟いて発動させた魔法により、何もない空中に足場を作り出して走れるようになった。
これによって空中を疾走し、一直線にワイルズ侯爵家の屋敷へ向かう。
下には人が行き交っているものの、暗い中で空中高くにいる黒ずくめの俺には誰も気づかない。
そうしてワイルズ侯爵家まで近づき、門番や庭を見回る私兵の遥か上空を通過し、音も無く屋敷で一番高い屋根の上に降り立つ。
ここで空中疾走を解除し、屈んで屋根に手を触れて次の魔法を使う。
「空間把握」
魔法の発動により、屋敷内における全ての構造が頭の中へ流れ込む。
どんな隠し部屋も隠し金庫も、この魔法に掛かれば一発で存在を知ることができる。
覚えたての頃は情報の多さに頭が痛くなったけど、今はそんなことはない。
そうして屋敷の中を調べると、一階の一室の地下に不自然な空間を発見した。
食料貯蔵庫にしては厨房らしき部屋じゃないし、その空間の扉が床下に隠されているのも不自然だ。
さらに二階の一室にも、一ヶ所だけ壁に埋め込まれた小さな空間を発見。
おそらくはこの二ヶ所のどちらか、あるいは両方に証拠があると見ていいだろう。
後は忍び込んで証拠を探せばいい話だけど、その前にもう一つ調べておくことがある。
「空間探知」
屋根に触れたまま別の魔法を発動。
これは空間内にいる生物の位置を知ることができる魔法で、怪しい部屋に人がいるかどうか、その部屋の近くにどれくらいの人がいるのか、どこの部屋に何人いるのか、見回りはどれだけの人数でどこを移動しているのかが分かる。
調べたところ、謎の空間がある部屋に生物の反応は無し。
周辺の部屋にも特に反応は無く、廊下を移動する反応は二階に一つだけ。
となると、問題は廊下を移動しているのは誰かということだ。
もしもこれが私兵なら、侵入時に注意が必要だ。
「侵入するなら……ここにするか。空間直結」
屋根を伝って廊下に反応が無い三階のベランダへ移り、窓に手を触れて魔法を発動。
空間直結は、触れている壁や窓や扉を厚さに関係無く通過できるようになる。
これを使って窓をすり抜けて室内へ進入し、扉に鍵が掛かっていないのを確認して静かに廊下へ出る。
辺りの気配に気を遣いつつ、先に空間把握で調べた図面を思い出しながら下の階へ繋がる階段へ向かい、息を潜めて廊下を動く反応が通過するのを待つ。
やがてやってきたのは、ランプを手にした年配のメイドだった。
どうやら戸締りの確認をしているようで、窓の鍵をチェックしている。
私兵じゃないのは助かった。
とはいえ、油断は禁物だ。
メイドが通過したのを確認したら、まずは二階にある目的の部屋へ向かう。
足音に気をつけながら素早く廊下を移動し、目的の部屋に到着したら鍵の掛かった扉を空間直結で通過して、室内への進入に成功。
置かれている調度品や本の量からして、どうやらここは書斎のようだ。
「隠し金庫らしき空間は確か……この辺りか」
壁に埋め込まれた隠し金庫らしき空間の前には、大きな本棚がある。
念のために再度空間把握を使って確認すると、目的の場所は本棚の後ろにあるようだ。
だけどこれだけ大きな本棚を動かすのは一苦労だし、下手をすれば大きな音を立てかねない。
でもそれは、ワイルズ侯爵も同じこと。
わざわざ壁に埋め込み、本棚で隠す以上はよほど重要な物が収められているはず。
それの存在を万が一にも見つからないようにするため、いちいち本棚を動かす真似はしないだろう。
つまり、何か仕掛けがある。
「調べさせてもらうぜ。空間詳細」
自分がいる空間の詳細を調べる魔法により、壁や調度品や本棚の情報をくまなく調べていく。
その結果、思ったよりも単純な仕掛けであることが分かった。
「なんだ、この程度か」
隠し金庫の高さにある段の本を一部だけ取り出して、その奥にある本棚の背に手を伸ばす。
指先で探ると指を引っかけられる箇所があり、そこへ指を掛けて横へスライドさせると、隠し金庫の扉が現れた。
「侯爵家だから複雑な仕掛けかと思ったら、とんだ拍子抜けだ」
空間詳細によると、特に罠が仕掛けられている様子も無いからサクッと中の物をいただこう。
空間直結で金庫の扉を無視して手を突っ込み、一先ず中身を全て取り出す。
中にあったのは数枚の書類と数冊の帳面。
月明かりで内容に目を通すと、アールド子爵との繋がりを証明できる契約書と、金のやり取りに関することが記載された裏帳簿だった。
しかもご丁寧に、これから調査しようとしていた一階の隠し金庫の開け方を書いた、メモまで挟まっていた。
これも一緒に治安局へ届けておこう。
「空間収納」
これらは大事な証拠だから、生物以外なら何でも入れられる空間収納の中へ入れておく。
そしてスライド式の隠し扉と本を元の位置へ戻し、空間探知で廊下の様子を確認。
あのメイドは戸締りを確認し終えたようで、廊下には誰もおらず、一階の廊下にも動きのある反応は無い。
「よし、行くか」
入って来た時と同様に空間直結で扉を通過し、廊下を音も無く駆けて一階へ移動して次の目的の部屋へ。
やたら扉が頑丈な上に鍵も厳重だけど、空間直結であっさり通過。
どうやらここは金庫兼倉庫のようで、中には現金が入った袋や値打ちのありそうな物が置かれていた。
だからこそ、金を持ち運んでも不自然じゃない。それが裏金だったとしても。
早速金庫の位置を把握して空間直結で中身を拝見、と言いたいところだけど、今回はさっき入手したメモの手順で開けよう。
万が一にも、あのメモの手順が間違っていたら困るからな。
そういう訳でメモを取り出し、そこへ書かれている通りに目印の傷がある床板を開け、小箱くらいの空間に隠されていたダイヤルをメモ通りに回して床の仕掛けを開錠。
床板の一部が両開き式の扉のように僅かに浮き、それを開けると隠し金庫の扉が出現。
そっちもメモ通りにダイヤルを回して開錠して開けると、相当な量の金貨が詰め込まれていた。
中には銀貨や白金貨もあるけど、金貨が圧倒的に多い。
「一体何枚あるんだか……」
数える気はしないから、とりあえず金庫を閉じ、倉庫内の現金から調査費用として金貨十枚くらい貰っておく。
空間収納を使えばいくらでも盗めるとはいえ、忍び込んだ目的は金じゃない。
俺はあくまで非合法な手段で悪人を懲らしめる必要悪であって、調査費用は控えめにしておくのが代々伝わるルールの一つだ。
「そんじゃ、こいつを届けてやるか」
隠し金庫と床の仕掛けを閉じたら、人の気配に注意して侵入した三階の部屋へ移動。
そこから空間直結でベランダへ出て、空間疾走で深夜の上空を駆け抜ける。
庭にいる私兵や門番は誰も気づいておらず、そもそも侵入にすら気づいていない。
「本当にこの魔法、使い方次第じゃ暗殺のやり放題だな」
ポツリと呟いた内容は俺だけでなく、父さんやご先祖様も幾度となく思ったことだろう。
ごくまれに目覚め、その一族しか使えない血統能力。
公表されているのは両手で数えられる程度だけど、様々な理由でうちにみたいに秘匿されている能力を加えれば、どれだけの数があるのかは分からない。
空間魔法という血統能力に目覚めたご先祖様は最初こそ公表しようとしたものの、潜入調査のようなことならともかく、暗殺のために利用されたり、それにより逆に命を狙われることを恐れて公表を止めたそうだ。
だけどこの空間魔法を世の為に使いたいと思い、悪事を暴く怪盗として活動をするようになった。
自分自身が直接評価されなくとも、世間から批判されようとも、世のために空間魔法を役立てるために。
「まっ、俺も暗殺なんかよりこっちの方がまだいいな」
最初こそ盗み出すのに躊躇はあったものの、今では必要悪と割り切って仕事をしている。
ロサリーには悪いけど、こうした必要悪をしなくちゃ暴けない悪事は、いくらでもあるんだから。
そんなことを考えながら空中を駆け、治安局の向かいにある建物の屋上へ到着。
気づかれなように屈み、空間収納から取り出した証拠品とメッセージカードを麻袋に詰めていく。
メッセージカードの内容は、初代の頃から変わりない。
今宵、悪事の証拠をお届けに参上
どうかこの悪事の被害に遭った方々の無念を晴らしていただきたい
なお、調査費用は既に悪人より頂戴した
これが私の最後の仕事になることを、切に願う
内容を確認し、必要なものを入れた袋を足下に置き、空間魔法で治安局内へ送る。
「空間転送」
範囲内の狙った空間内へ物を送り込むこの魔法により、麻袋は消えて治安局の出入口の内側へ一瞬で移動する。
近くにいた治安局の職員がそれに気づき、回収して中にあるメッセージカードに気づくと、慌てた様子で駆けて行った。
こっちはこれで良し。
次は文面の違うメッセージカードを、報道機関へ届けに行かなくちゃ。
相手の地位や立場次第では、国の機関である治安局が動きにくいこともある。
だから権力に屈しない報道の力や、それを見聞きした民衆の声を借りられるようにしておく。
報道と民衆による影響は、決してバカに出来ない。
そういう訳で王都の各報道機関を回り、空間転送でメッセージカードを送り、治安局に新たな悪事の証拠を送ったことを教えてやる。
さあ、これで今宵の仕事は終わりだ。
「空間転移」
視界が一瞬で自室前の廊下へ移る。
無事に帰って来られたと分かると、肩から力が抜けた。
「ふぅ……」
父さんとこの仕事をやるようになって三年。
一人で仕事をやるようになって一年。
その間にいくつもの仕事をこなしたけれど、何度やっても緊張する。
慎重に慎重を重ねて、油断することなくやっているとはいえ、もしも見つかったらと思うと気が気じゃない。
父さんからは緊張感無く仕事をすれば、必ず痛い目に遭うと教わり、その緊張を絶対に忘れるなと言われている。
過去に何かあっての教訓という訳ではなく、見境の無い同業者がそうやって何人も捕まっていることから、そういう教えを代々伝えているらしい。
こっちの仕事でそれを実感する訳にはいかないけど、表向きの仕事では数枚の皿やカップを割って、それを実感したことが何度かある。
「さて、父さんに報告してくるか」
それが終わったらさっさと寝よう。明日も学校だし。
******
それから五日後の朝刊の一面に、副宰相が治安局に逮捕された記事が載っていた。
彼こそが先日逮捕されたアールド子爵による闇金事件の黒幕で、その証拠が怪盗により明かされたとある。
国の要職にある人物の不正と逮捕の記事に、周囲は困惑気味であると同時に、これを見抜いて証拠を見つけ出した怪盗を話題に盛り上がっている。
「あの子爵の件に王都の侯爵、しかも副宰相が絡んでいたんだってさ」
「侯爵を副宰相に推薦したのは宰相様なんだろ? 何かしらの責任を取るんじゃないか?」
「王様も頭が痛いでしょうね」
「国の重鎮が、裏であんなことをしていたんだものね」
逮捕された人物の地位と役職もあってか、教室は先日以上にざわついていた。
「おうユージン、今朝の新聞見たか? まさかあの事件に黒幕がいたなんてな」
「見たよ。副宰相に就いている侯爵家が絡んでいたから、王都は大騒ぎだろうな」
とはいえ、それに関しては特に干渉するつもりはない。
事件を暴いておいて無責任かもしれないけど、不正な手段で証拠を入手した怪盗にとっては、これ以上踏み入るのは危険だ。
後の事は司法に委ねるしかない。
「しっかし、ついこの前にこの町で不正を暴いたと思ったら、今度は王都か。怪盗はどういう情報網を持ってるんだ?」
「そんなの俺が知るかっての」
俺は実行役であって、情報は父さんが仕入れている。
いずれは情報の仕入れも任せてもらえるんだろうけど、まだまだ先の話だろうな。
「やっぱさ、裏社会とかから仕入れてるのかな?」
「だとしたら猶更、変に気にしない方がいいだろ。触らぬ神に祟り無しだ」
「分かってるって。危ない橋は渡りたくねぇよ」
「それが一番だって」
よほど深くて危ない根に絡まなければ、いきなり殺されるとかは無いだろうけど、興味本位で探るな程度の警告と脅しはあるだろう。
友人がそんな目に遭うのは、そっち側の人間である以前に友人として避けてもらいたい。
下手な事をしなければ何もしないとはいえ、無関係でいられるのなら、それに越したことはないからな。
「……おはよう」
「ああ、おはよう」
今朝の記事のこともあって、ロサリーがメッチャ不機嫌だ。
触らぬ神に祟り無し、黙って気が晴れるのを待とう。
「おう、今日はいつにも増して不機嫌だな。あの日か」
このバカ友人、ついさっき危ない橋は渡りたくないと言っておきながら、危険な橋に勢いよく飛び乗ったよ。
直後に女子から冷たい視線が集まり、胸倉を掴んだロサリーから往復ビンタが浴びせられた。
それを誰も止めることはできず、止めようともしない。だって自業自得だから。
「ふんっ!」
数十発の往復ビンタを浴び、うつ伏せで床に倒れた友人を放置してロサリーは席に着いた。
これはもう、怪盗の話題すら出さない方がいいな。
「なあユージン。俺、何か悪いこと言ったか?」
真っ赤になった頬を押さえ、ヨロヨロと立ち上がる友人の発言には呆れるばかりだ。
「むしろ、それを分かっていないことに驚愕だよ」
「どういう意味だよぅ……」
この友人はひょっとしたら、一生独身かもしれない。
モテるモテない以前に、相手への気遣いや心遣いの問題で。
「とりあえず、その頬を冷やして来いよ。腫れてきてるぞ」
「そうする……」
ヨロヨロと教室を出て行く友人と入れ替わりで、トゥーチェが来て席に着いた。
「おはよう」
「ん、おはよ。今日の放課後、お店行くからよろしく」
今日は注文予約どころか、朝から来店予約か。
「分かった。だったら一緒に行くか?」
「行く」
「お、おう……」
なんか無表情のまま、身を乗り出して乗り気をアピールしてきた。
特別なことを言ったつもりは無いのに、どこか上機嫌そうに見える。
登校前に何か良い事でもあったんだろうか。
「放課後デート……放課後デート……」
何かブツブツ呟いているけど、声が小さ過ぎて聞き取れない。
というか無表情でブツブツ呟く姿が、ちょっと怖いぞ。
「うおぉぉぉいっ、ユージーン!」
「うわっ、どうした!?」
頬を冷やしに行った友人が、顔を濡らしたまま戻って来た。
なんだ、何かあったのか?
「今思い出したけど、今日ってテストじゃねぇかっ!」
「いや、五日前にも言っただろ。ていうか顔を拭け!」
「どうすんだよ、勉強やってねぇぞ!」
「それこそ自業自得だ」
こいつの場合は周囲を油断させるんじゃなくて、本気でやってないから頭を抱えている。
「ああ、どうか怪盗様、今すぐにでも今日のテストを盗み出してください」
膝を着いて両手を組んで祈る姿は見苦しい。
そしてそんな事を言うから、ロサリーが凄い顔で睨んでるぞ。
大体、いくら詰まれようとも目の前にいる怪盗はそんな物を盗まない。
盗めるけど盗まない。
諦めて追試を受けるんだな、それと顔を拭け。
それからほどなくして担任が登場。
予告通りにテストが始まった。
どうして盗んでくれなかったんだと恨み言を口にする友人に告ぐ。
(怪盗には、盗む物を選ぶ権利があるんだよ)
さあて、次はいつどんな悪事の証拠を盗むことになるのかね。