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私とストーカーの365日  作者: カラメル子
2/2

春-1

 






「おーい、幸。ちょいと来てくれー」


おじいちゃんに呼ばれ、私--宮本幸は、まだ起きたばかりの頭を抱えながら自分の部屋を出る。


廊下に出て障子を開けると、多い雲の隙間から、太陽が真上にあるのが見えた。


どうやらもう昼間のようで、ああ、寝過ぎたなと思う。



「おはようおじいちゃん、何ー?」


大きな欠伸と伸びをしてふと向かいの縁側を見ると、汗をかきながら荷物を運んでいる姿があった。



「もうおはようじゃないだろ。もっと早く起きて境内の掃除手伝わんかい。お前の母さんが働き者だから良いものの…」


「朝は苦手で…」


「一人前の巫女になるにはまだまだじゃな」


やれやれ、と首を竦めるのは、私のおじいちゃん。

もう神主は私のお父さんに継がせて引退し、余生を楽しく過ごしているらしい。



「むむ…休みだから良いじゃん別に…で、何なの?」


「おおそうじゃった。今日この後暇じゃろ?ちょっと様子を見て来て欲しい場所があるんじゃ」


「様子を見て来て欲しい?」


ボサボサの頭をシュシュで適当にまとめながら、私はサンダルを引っ掛けておじいちゃんの足元にある荷物を持ち上げる。



「桜公園の側の交差点の、男の子のことじゃ」


「桜公園の交差点って、あの見通しの悪い?」


「あそこに地縛霊がいるのは知ってるじゃろ?」


「ああ…あの男の子ね」


脳裏に浮かぶ、小学校低学年くらいの男の子。

もちろん体は透けていて、青白い肌色の、あの男の子。


確か数ヶ月前からあの交差点の地縛霊になっていたはず。



「何かあったの…?」


「いや、子供の霊は悪霊に狙われやすいからな。わしもなるべく様子を見に行くんだが、今日はあいにく別件がある。これから雨だというし、悪霊も増えるじゃろ。心配でな」


「なるほどね。じゃあ悪霊避けの札を入れ替えてくればいいの?」


「さっすが幸、その通りじゃ」


おじいちゃんは満足気に笑うと、荷物はこっち、と私を誘導する。


箱の中には、私が昔よく遊んでいた人形やおもちゃがたくさん入っていた。



「うっわー!懐かしい!何これ、どうするの?」


「場所を移動させるだけじゃ。ほとんどお前のなんだが、お前の部屋に置けんか?」


「げ、この量は無理だよ…」


「せめて一箱!倉庫が片付くまで頼む!」


「え〜」


私が許可を出す前に、おじいちゃんは勝手に私の部屋にあがって箱を置いた。

いや、二箱じゃんか、それ。



「いやあ助かるわい。じゃあよろしくな」


「…はーい」


良いって言ってないのに、という言葉を飲み込み、私は着替えるからとおじいちゃんを部屋から追い出した。



タンスから服を引っ張り出し、ふと今部屋にやって来た箱を見やる。



「うわ〜懐かしい、よく遊んだなあこれ」


おままごとで使った小さなキッチン用具や、プラスチックの食べ物達。どれも薄汚れていたけれど、それすら微笑ましい。


わー!これも!これも!

と、次々と箱から出てくる懐かしいおもちゃ。


ミニチュアハウスや、縄跳びや、お絵描き用のチョーク、よく分からない箱。


そして、幼い子が描いたと思わせる似顔絵達。

丁寧に紐でくくってあるその一番上には、しわしわの私の似顔絵があった。



「ふふ、目の位置が変だし」


顔の横に大きく"さち"と書かれている。


そしてその下には、"いつきより"と続いていた。


いつきって子が描いてくれたんだ、これ。



そういえば小さい頃、近所の子供はほとんど私の神社に集まって毎日のように遊んでたなあ。



「うわ!これ超流行ってたよな!懐かしい!」


「あ、ほんとだ!もう回し方覚えてないよー」


目の前の、ふよふよと浮いている小さい独楽。

これを回して、対決させたりなんかしてたなあ。

あれ?でもこの独楽って、ふよふよ浮くっけ?


…ふよふよと?



「俺ももう回せる自信ねーな」


はっと声の方を見ると、そこには指先で独楽を操る奴がいた。



「って!何勝手に部屋に入って来てんのよ!」


「ええ?だって俺の隠れ家でもあるんだから、別にいつ入ってもいいだろ?」


「そういう問題じゃなーい!ここは可愛い女の子の部屋なんですー!」


可愛いって一体誰のことだ?みたいな顔をしている奴は、私のストーカー。もちろん生きてはいない。


かといって、守護霊とか、そんな良いもんじゃない。

本当に、いつでも私に引っ付いてくる、正真正銘のストーカーだ。


こいつがやって来たのは、数ヶ月前のお正月。


元旦、目が覚めたら目の前にこいつの顔があって、人生の中で一番の発狂をしたのは記憶に新しい。



あの日以来、なぜか私にまとわりつくこの霊。

霊感がある人にはなんとなく視えるみたいだけど、おじいちゃんや両親と話す時には、いつの間にかいなくなっている。


そりゃそうか、ストーカーなんてバレたら除霊されかねないもんね。



「ていうか前から聞こうと思ってたんだけど、あんたが死んだのっていつなの?」


「え〜覚えてねえな。気付いたらこの神社にいたし…でも、このおもちゃ知ってるぜ。あ、これも!」


箱の中に残る、いくつかの懐かしい物を見て、奴は声を上げる。これらを知っているということは、私と同世代なのかも。



「早く未練なくして、成仏しなさいよ」


「未練ねえ…その未練が何かも思い出せないから、どうしようもないな!」


「開き直るなし…」


こうやって彷徨う霊は、決して少なくない。

特にここは神社だし、困った霊がたまに訪れたりもする。


私の家は、先祖代々そういった霊を助けて来た一族でもある。

それはそれは素晴らしい仏のようなご先祖様だったようで、どんな霊でも受け入れ、成仏させるために奔走したとか。


そんな噂を聞きつけてか、この街では何か不吉なことが起こり、そこに霊的なものが関与しているとなると、まずうちに相談に来るのが定石になっている。


この間のおばちゃんもそう。

肩が重くて重くて仕方ないからなんとかしてくれと言うから視てみたら、あらまああなたの昔の恋人の霊が肩にどっしり乗っかってるじゃないの、ってことで成仏出来るように手助けをした。



こいつの未練も何か分かれば、成仏させられるのに…どうやら思い出せないらしい。つまり、気付いたらこの神社にいて、未練も思い出せなくて暇だから私のストーカーでもやってようって感じらしい。多分。



「そういや、なんかおじいちゃんに頼まれてなかったか?」


「あ!そうだった!」


あの男の子!


私は慌てて着替えをひっ掴み、着ていた寝間着のTシャツを脱ごうとする。



「…ちょっと」


「ん?」


「着替えるんだから出てってよ」


「何を今更〜この数ヶ月一緒にいたのにそんなこと気にすんなよ〜」


「……。」


もうこのやり取りも何回目だろうか。

相変わらずな態度に、私は無言で除霊用の札を取り出す。



「…ちっ」


奴は私の指に挟まれた札と、白けた視線を背に、すっと障子をすり抜けて行った。


全く、油断も隙もありゃしない。



私は奴の気配が近くにないことを確認し、素早く着替えた。めんどくさいからジーパンでいいや。



でも地元の誰かに会ったら気まずいので、一応軽く化粧はしていく。なんだか毎日生気のないものと接しているからか、私も顔色が悪い気がしてならない。



「あとお札と、傘か」


廊下に出ると、開けっ放しだった障子の隙間からどんよりとした雲が見えた。


もうすぐ降り出すだろう。



「いってきまーす」


私はお腹を適当な物で満たした後、おじいちゃんから悪霊退散と書かれた札を貰い、ショートブーツのようなレインシューズを履いて外へ出る。もちろん、傘も持って。



「トカーいるんでしょ」


「はいはいよーっと、お呼び?」


「別に呼んでない」


石段を降りながら誰もいない空間に呼び掛けると、さっき追い出した奴が再び現れた。


玄関からずっと気配が着いて来ていたので、後をつけられるよりは堂々と一緒にいた方が良い。


そんな私の考えを、多分こいつは理解している。

理解しているし、利用しているとも思う。

厄介なストーカーだ。



長い石段を降りて、桜公園に向かう。


じめじめした風が、私の前髪を揺らす。


早く降るなら降って欲しいのに、雨雲はなかなか頑固なようでまだ雫を落とさない。



「で、どこ行くの?」


「桜公園の所の交差点。そこに少し前から地縛霊の男の子がいるの」


「男…?まさかさっちゃん、俺という存在がありながら浮気…!?」


「ばーか」


「嘘です冗談ですすみません」


「その子、おじいちゃんが今面倒見てるんだけど、今日は行けないから、私が代わりに」


ふーん、と奴は相槌を打つ。



「にしても、お前のおじいちゃんもお人好しだよな。ほぼ毎日その地縛霊の様子見に行ってるんだろ?」


「そうみたい」


「成仏させないってことは、何か事情があるのかね?」


「うーん、その辺は特に聞いてないけど…」



そんな会話をしながら、雨の足音を感じてか、人通りが少ない道を歩く。


私の家から桜公園までは、歩いて15分くらいだ。


春にはその名の通り、桜が満開に咲き誇る公園。


その公園のある十字路は見通しが悪く、昔から交通事故が多い。


特に、公園の桜の葉が生い茂る夏はかなり危険だ。

今は五月。そろそろ最も危険な時期がやってくる。


でも、桜の木を切るわけにもいかないらしく、なかなか見通しは改善されない。



「そんなところの地縛霊になるっつーことは、そこで交通事故に遭ったんじゃねえの?」


「でも最近あそこでは小さい事故ばっかりで、大きい事故はなかったはずだけど…」


地縛霊ということは、もう生きてはいないということ。

でも、あの交差点で死亡事故はここ数年起きていないはずだ。


もし数年前にそこで事故に遭っていたとしても、地縛霊になったのは最近だし、その間彷徨っていたとしたらいつ悪霊に襲われてもおかしくなかっただろう。


悪霊は、子供の霊を特に襲う傾向にあるからだ。



「じゃあ、その小さい事故とやらにまきこまれたんじゃねーの?」


「いや、死亡者は出ていないはずよ?歩行者を避けようとして、公園の斜向かいの家の壁に車がぶつかったっていう事故が数件あっただけで」


「ふーん、その家の人は傍迷惑な話だな」


トカは頭の後ろで手を組み、歩くのが面倒くさくなったのか私の周りをふよふよ浮きながら回る。



「ま、直接本人に聞きゃあ解決するよな」


「そうね…ちょっと、前見えないから離れてよ」


「え〜この移動方法結構楽なんだよ」



なんて会話をしながら、公園に続く曲がり角を曲がろうとした時だった。





キキーッ!!!





ドッシャーン!!







「!?」


曲がり角の先で、何やら不吉な音がしたのは。



私とトカは顔を見合わせると、急いで角を曲がり走る。

この先にはあの桜公園がある。


まさか、また事故が起きたのだろうか。


だとしたら、すぐに救急車を呼ばなくては…でもまずは現場を確認しないと。



変に冷静な頭で考えながら、目的地であった桜公園の前の交差点に辿り着く。


目の前では、予想していた通りの光景が広がっていた。



「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」


「は、はい…」


「運転手さんの方は!?」


「なんとか無事です!」


既に近所の人が数人集まっていて、尻もちをついている女子高生と、介抱する人、救急車を呼んでいる人などがいた。



「これって、さっき幸が言ってたような事故か?」


「う、うん…」


「この事故、流行ってんの?」


「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」


軽自動車を運転していた人は幸い怪我はないようで、後部座席から脱出していた。


それにほっと安堵の息を漏らすと、私は周囲に目を走らせる。


現場をよく観察すると、公園の斜向かいの家の塀に軽自動車が突っ込んでいて、公園の前には女子高生が尻もちをついている。


おそらく、公園の影から出て来た女子高生を避けようとして、軽自動車があの塀に突っ込んだのだろうと予測出来た。



「やだ…またあのお家に突っ込んだの?」


「本当だ。なにか取り憑かれてるんじゃないの?」


そんな会話が後ろから聞こえてきて、私は思わず振り返る。

会話の主である主婦二人は、そんな私にびっくりしたのか、目を大きく見開いた。



「あ、あの…またあのお家って、最近起きてる事故も、あのお家が巻き込まれてるんですか?」


「え、ええ、そうなのよ。あそこのお家、お年寄りのご夫婦が住んでて…あまり出歩かない方々だから、いつか巻き込まれるんじゃないかってみんな心配してるのよ」


「ついこの間も、歩行者を避けようとして軽トラックが突っ込んでいたし…似たような事故が増えたわね。今まで怪我人が出てないのは奇跡としか言いようがないわ」


「……。」



私は二人にお礼を言うと、一旦その場を離れて公園の中に入る。


なんだか胸騒ぎがした。



「おーい、幸!」


ざわざわする胸の前でぎゅっと両手を握りしめていると、上からそんな声がしたので頭上を見上げる。


そこには、透き通った体をしたいつものあいつと…



「あ!」


もう一人、小学校低学年くらいの男の子がいた。


二人はふわっと地面に降り立つ。



「ええっと、もしや…」


「はい、宮本のおじいちゃんにお世話になってるヒロです」


「交差点の電柱の影にいたから、連れてきた」


この公園内は、ギリギリ地縛霊である彼の活動域らしい。彼の腰に巻かれている鎖は長く伸び、あの事故現場付近へと繋がっていた。



「トカも、たまにはやるのね」


「だろ?もっと褒めて!」


「ヒロくん、こんにちは。私、宮本幸。おじいちゃんの孫です。ちゃんと会うのは初めてだよね?」


無視かよ!と隣で騒ぐトカに構わず、私はヒロくんに笑顔を向ける。


ヒロくんは少し照れながら、控えめに微笑み返してくれた。



「今日はおじいちゃんが来られないから、私が代わりに来たの。悪霊除けのお札って、いつもどこに貼ってるの?」


「ええっと、僕がいつもいる電柱の裏です。本当に、いつもありがとうございます」


「坊主、小学1年生くらいだろ?すげーしっかりしてんのな」


「あ…僕、こう見えてもう5年生なんです…」


「「え!?」」


驚く私達に、ヒロくんはまた照れたように笑った。


もともと体が弱くて、ほとんど病院暮らしだったから、あまり体が成長しなかったと説明される。

そっか、男の子の成長期を迎える前に、ヒロくんは…



「あ、あの、気にしないでください!慣れっこなんで!」


明らかに落ち込んでしまった私達に、ヒロくんは慌てふためいている。

そんな彼を見ていると、こうして落ち込んでいるのも失礼な気がして、私は力強く頷いて見せた。



「じゃあ、お札を貼りに…って思ったんだけど、事故があったから人が多いわね。もう少し待とうか」


「お、救急車も来たみたいだな」


先ほど、近所の人が呼んだ救急車や、警察が来たのを確認し、私たちは公園の奥へと進む。

事故の瞬間を見ていない私は、いても役に立たないだろう。



奥にある屋根付きのベンチに腰掛ける。

向かいにヒロくん、私の隣にトカが座った。



「なあ、お前ここの地縛霊ってことは、ここで事故に遭って死んだのか?」


「ちょっと、そんな単刀直入に聞かなくても!」


「幸さん、いいんです。僕、もう死んでますし」


いやいや、そうだけども…!そんなもんなの?幽霊同士の会話って…



「僕は生まれた時から心臓が悪くて、ずっと病院で入退院を繰り返していたんです。でも、もう限界だったみたいで、長い入院生活の果てに、そこで息を引き取りました。だから事故じゃないですよ」


「そうなんだ…ヒロくんの心臓も、頑張ったね」


「えへへ、ありがとうございます」


こういう時、正直何て声を掛けたら良いのか分からない。

ご遺族ならまだしも、亡くなった本人には、なんて言うべきなのだろうか。

今、口をついて出た言葉が正しかったのか、私には分からなかった。



「事故じゃないなら、なんでここの地縛霊に?」


そんな私の葛藤なんかお構いなしに、トカはヒロくんに質問する。

お前にはデリカシーってもんがないのか。



「それは…、」


ヒロくんは、一度そこで口を噤むと、俯いてしまった。



「ちょっと、言いたくないことくらいあるんだから、そんな踏み込まなくてもいいでしょ?」


「だって、成仏させてやりたいじゃん。じゃあ幸は、こいつが地縛霊のままで、いつか悪霊になるのを黙って見てるのかよ」


「…、」


「幸も、お前…ヒロも分かってるだろ?一年以上地縛霊やってると、悪霊に飲み込まれやすくなるって」


「そう、ですよね…」


確かに、地縛霊になってから長く時が経つと、悪霊除けの札で回避していたとしても、自分の意志とは関係なしに悪霊に惹かれていって、自ら悪霊になる道を選ぶことになる。

そんな末路を辿った霊を、実際に私も視たことがあった。



「…それは、駄目だよ」


悪霊は、成仏が出来ない。

魂ごと、この世から消すことになってしまう…だからその前に、成仏させてあげたい。

それが、私の仕事でもあった。



「ヒロくん、良かったら、ヒロくんが成仏できるようにお手伝いさせてもらえないかな…?」


魂を消すなんて、そんな悲しい光景、もう見たくない。



「幸さん…でも、僕が成仏できない理由を話したら、きっと…」


ヒロくんは、ぐっと唇を噛む。その眼には、涙が見えた気がした。


彼は、何かに怯えているように感じた。



「…ま、今日はとりあえず、札貼り替えて解散しようぜ。幸のおじいちゃんにも相談したほうが良いと思うし。いよいよ雨も降ってきたしな」


トカの言葉に顔を上げると、やっと雨雲が気を許したのか、静かに雫を落とし始めたところだった。


自然と周囲も薄暗くなる。遠くのほうから悪霊の足音が聞こえている気がした。





事故現場に戻ると、雨が降り出したこともあってか、人はだいぶ少なくなっていた。

警察と、近所の人が数人いるだけの現場の隅で、私はこっそり札を貼り替える。


いつも思うけど、他の人にはトカもヒロくんも視えていないのだから、傍から見たら、私が一人で喋って一人で怪しい行動をしているようにしか見えないんだろうな…


そんな雑念を振り払い、私はヒロくんの額に手をかざすと、こっそり念仏を唱えた。


ピリッとした感覚が私の手を媒介に、ヒロくんの額と札を繋ぐ。



「よし、これで大丈夫」


「ありがとうございます!」


「じゃあ、今日はこれで帰るね。おじいちゃんにも相談して、また明日来るね」


「あ、はい…あの、」


人目を気にして小声で話す私に、ヒロくんは申し訳なさそうに口を開く。



「あの、僕も、話せるように勇気を出したいので…頑張ります。またよろしくお願いします」


そう言って頭を下げる彼に私はほっと微笑むと、また明日、と背を向けた。






「なあ、どう思う?」


「どう思うって?」


角を曲がってヒロくんの姿が見えなくなると、一連の流れを黙って見ていたトカが、私の横にすっと並ぶ。



「あいつ、ヒロ。なんか匂わねえ?」


「匂うって…怪しいってこと?どこが?」


悪霊の気配はしなかったし、別に、普通の男の子だったけど…


そう言った私に、トカは、ふーんと相槌を打って、それから何か考え事をし出したのか、いつもより口数少なく私の後を歩いていた。


何をそんなに引っかかることがあるのか…まあ、幽霊同士の何かがあるのかもしれないし、変に口は出さないけど。




気が付いたらもうじき夕方だ。

家に帰って、夕飯の支度を手伝わないと…お母さんに怒られる。


急ぎ足で家に帰り、おじいちゃんの帰りを待ちながら、夕食の支度を手伝った。


今日は豚の生姜焼きだ。


ちなみに幽霊は空腹感はないらしく、食事の時にトカに恨めしそうな目で見られるということはない。


それに…



「幸、巫女になって2ヶ月くらいか…どうだ?調子は?」


「うーん、普通だよ」


「幸は霊力が多いんだから、悪霊に狙われないように気をつけなさいよ」


「分かってるってー」


両親の前では、トカは必ず姿を消す。

私の両親は視える人だから、傍にいたらそりゃあ丸見えでしょうがない。



「体調管理にも気を付けるのよ。体や気が弱っていると、あっという間に飲み込まれるわよ」


「うん…そうだよね。気を付ける」


「ま、いざとなったら駆けつけるから安心しろ」


頼もしいお父さんの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。


私はまだまだ未熟だから、大きい悪霊なんて相手に出来るわけがない。


これまで受けた依頼も、比較的善良の霊を相手にすることが多かったし、両親もそういう仕事を私に回してくれる。


今はまだ、地道に修行を積んで行くしかない。


いつかは私も、あらゆる霊を成仏へ導く立派な巫女になれるのだろうか。




「ただいま〜」


「!、おかえり!」


食器を洗いながらそんな思いに耽っていると、待ちわびていた声が玄関から聞こえた。


私は泡のついたスポンジをシンクに放り投げ、玄関へ走る。



「おじいちゃん!ちょっと聞きたいこと…が…って、どうしたの!?」


「おお幸、悪いがちょっと肩貸してくれ」


走ったその先には、全身が泥で汚れ、右手に包帯をぐるぐるに巻いたおじいちゃんが立っていた。



「ちょ、お義父様何事ですか!?」


私の素っ頓狂な声を聞きつけたお母さんも、玄関へ駆けつけるなり似たような声を上げる。



「いやあ、ちょいと悪さする奴がいてな。懲らしめようと思ったらかなり暴れおって…雨でぬかるんでたもんだから、滑って転んだだけじゃ」


「転んだって…その手、まさか折れてるの…?」


「いや、打撲じゃ」


「病院に行ったんですよね?どうして家に連絡入れてくださらないのですか!?」


お母さんのその問いかけに、おじいちゃんはこれだから嫌だったんじゃ、と小さく呟いた。



「と、とりあえず何か拭くもの…いや、このままお風呂行った方が良い?」


「そうじゃな。幸、肩貸してくれ」


お母さんはお父さんに知らせに行くのか、バタバタと廊下を駆けて行く。


その隙に、おじいちゃんは私とそそくさとお風呂場へ向かった。



「お前の父さんにバレるとうるさいからな…」


「うるさいって、心配してるんでしょ。おじいちゃんもう引退してるんだから、無理しちゃ駄目だよ!そもそも今日はどこに何しに行ってたの?」


「むむ…内緒じゃ」


「…まさか悪霊退治に行ってたんじゃないの」


「おお、さっすが幸、鋭いのお」


おじいちゃんは最初から隠す気はなかったようで、ははっと笑った。


悪霊退治って…つまり、魂を消しに行っていたってことだ。



「……。」


「幸、そんな顔するな。悪霊も、ずっとこの世に残るよりは、消えた方が幸せなこともあるのじゃ」


「そう、なのかな…」



悪霊になったら、もう元には戻れない。

どんどん負の感情を取り入れて大きくなり、この世に留まり続けるか。

私達の手によって、魂を消し去るか。


そんな二択しかないなんて、やっぱり私は受け入れられない。



「幸。お前はお前の思うようにやりなさい。何も悪霊も悪い奴ばかりではない。みんな、悪霊になりたくてなってるわけじゃないからな。ただ…その身に宿る負の感情から解放されたいと願ってる悪霊もいるということだけは、覚えておきなさい」


おじいちゃんの言葉の意味をゆっくりと噛み砕いていた時、ドタドタと廊下を歩く音が聞こえて来た。



「父さん!また無茶したんだって!?」


「げ、面倒くさい奴に捕まったのう…」


「そんな手で除霊なんか出来ないだろ!治るまで暫く外出禁止だからな!」


「散歩くらいさせてくれよ」


親子のそんな口喧嘩を聴きながら、私はお父さんにその場を任せて、自分の部屋へと戻ることにした。


布団に伏せて、視界を闇で覆う。



「解放されたい、か…」


成仏が出来れば、きっといつか転生出来る。

でも、魂が消えてしまったら…もう二度と、この世に戻ってくることは出来ない。いや、戻ってくるという言葉すら使えない。

だって、全てが消えてしまうのだから。



「私はまだ、よく分からないや…」


「分からなくて良いんじゃね?幸はまだまだこれからなんだから」


「うん…」


頭にひやっとした感覚。



「また勝手に入って来たな…」


「何を言う。俺はずっとさっちゃんの傍にいるよ。これからもな!」


「…ずっとって」


あんただってこのまま成仏出来ないでいたら、いつか悪霊になっちゃうんだよ?

そんなことになったら…悲しい終わりしかないんだよ?



私の言いたいことが伝わっているのか、トカの触れる冷気は優しい。


考えすぎてショートしそうな私の頭には、その温度が心地良かった。


私はそのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
























触れているのに、感覚がない手。

感じることができない温もり。


俺が人間だったなら、今すぐにでも安心出来るように包み込めるのに。



「幸」


寝息を立てるその背中に、意識を集中させて動かした布団を掛ける。


小さい背中。

その背中に、一体どれだけの重たい物がのし掛かっているのだろう。


いつか、その重荷が少しでも軽くなるように、俺は祈ることしか出来ないけど。



時間が許す限り、この子の傍にいたい。

世界一優しい、この巫女の傍に。





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