プロローグ
"それ"は、新しい一年が始まるあの日。
頬に刺さる氷のような靄の中から姿を現した。
「宮本さん、本当にありがとうございました!」
「いいえ、私は何も…」
「また何かあったらよろしくお願いしますね!」
そう言って、近所に住んでいるどこかのおばちゃんは境内から鳥居を出てもう一度私と背中にある本殿に頭を下げたかと思うと、足取り軽く石階段を降りて行った。
その背中を見送って、ふう、と息をつく。
高校を卒業して、実家の神社の巫女になったこの春、特に忙しくもなく、暇なわけでもない穏やかな毎日を過ごしている私。
「おーい、さちー、早くこの封印解いてくれよー」
いや、忙しくないわけじゃないな…こいつのせいで。
「別にそのままでも、私は良いんだけど」
「そんな冷たいこと言うなって!」
やれやれと振り返った先には、社務所の入り口の札を指差して喚いている奴がいる。
どこか遠くから聞こえるような声。
青白い肌色。
側にいるだけで、なんだか空気が冷えてくる。
「分かってんだろ?これがあると、俺が近付けないってさー」
「分かってますとも」
「頼むよー頼むよー!」
「うるさいな!分かったわよ!」
このままだと面倒くさいことになり兼ねないので、嫌々ながらも札を剥がす。
剥がした途端、遠くの方でパンッと何かが弾ける音がした。
「サンキュー助かった〜」
そう言ったそいつは、両手を上げて、嬉しそうに建物内に入っていく。
私はその背中を見送った後、一人溜め息をつき、微動だにしなかった古めかしい引き戸を開けてそれに続いた。
「なあ、今日はもう依頼ないんだろ?俺と遊んでー」
「い、や、だ」
私は疲れた肩を揉みながら、机の上にあったお煎餅に手を伸ばし、畳の上にだらしなく足を投げ出す。
ああ疲れた。やっぱり依頼は一日に2件が限界だなあ。
やれやれと2枚目のお煎餅に手を伸ばす私の肩に、ひやっと冷気が寄ってきた。
「じゃあ肩揉んであげようか?」
「いい、寒くなるだけだから」
「じゃあお茶を淹れてしんぜよう!」
「余計なこともしなくていい」
私の言葉に、後ろからシュンとした雰囲気。
振り返ると、肩の上にその青白い顔があった。
やっぱりなんだか寒気がする。
「はーなーれーて、生気が奪われるっ」
「俺は悪霊じゃないから、そんなことしねぇって!」
「信用ならん」
そう、どこか遠くから聞こえるような声。
青白い肌色。
透き通っている体。
側にいるだけで、なんだか空気が冷えてくるこいつの正体は…
「俺は善良な霊ですー」
私のストーカー。
そんな二人の365日。