魔法少女は働かない・プロローグ
一人のサラリーマンが夜の道を歩いている。
街灯はほとんどなく、あるいは壊れ、満月があるおかげで辛うじて明るいものの、人通りも少ない、そんな暗い路地。そのサラリーマンは、少し酔っ払っていた。赤ら顔、少しだけおぼつかない足元。
そんな彼の背後に、怪しい影が一つ。
その影は、一瞬にして彼に肉薄すると、勢いよく飛び出した。
「我々は、悪の組織『ブライクニル』だ。お前を組織の実験体として攫ってやろう。」
指を突き付けて宣告する。
「なんだおまえら……?」
サラリーマンは酔っているせいが現状を正しく認識できない。
悪の組織を名乗る男が指示を出すと、全身黒づくめの部下たちが、どこからともなく現れた。迅速に動き、両脇からサラリーマンの身柄を拘束する。
今にもサラリーマンが連れ去られようというその時、
「待てーい!」
高く透き通った声が夜に響き渡った。
すぐ近くの壊れた街灯の上に、フリルの可愛らしい服を着飾った少女が一人。
「闇夜に紛れる咲く悪は、全部徒花にしてあげる!」
ロットを前に突き出してびしりと言い放った。くるりとそのまま一回転すると、フリフリのスカートがふわりと揺れる。
「何者だ!?」
街灯を見上げる悪党達。
少女は彼らに向かって言い捨てる。
「悪に名乗る名前なんて持ち合わせてないの。強いて言うなら…」
黒づくめの部下の一人がごくりと唾を飲んだ。
「ただの魔法少女ってとこかしら。」
そう言い放つと同時に彼女は跳躍した。
闇夜に明るい薄桃色が宙を舞う。
彼らに言葉をぶつけながらも、彼女は冷静に状況を把握していた。黒づくめは右に三人、左に二人。間にサラリーマンと、そして大柄の男。
右の黒づくめを踏み台にして奥に跳ぶと、ロットから黄色い光弾を放つ。光弾は、左にいた黒づくめの一人に当たると小さな爆発を起こし、昏倒させた。素早く地面を蹴って、その爆発に気を取られたもう一人を、掌底に加えて足を引っ掛けてで地面に寝かせる。
先ほど踏み台にされた黒づくめは、その衝撃で倒れている。
更に光弾を一つ放つ。光弾は地面に当たって爆ぜた。もう一つ、光弾を放って一人を倒したところで、大柄な男が慌てて部下に指示した。
「ええい、撤退だ!」
残りの部下がたったの一人では格好もつかないが、止むを得ないのだろう。その残った彼は、奇声をあげて大柄の男に従い、襲来した時の素早さをそのままに、彼らは跡形もなく消えた。
残されたのは自称・一介の魔法少女と、すっかり今の騒動で酔いが醒めたサラリーマンが一人。サラリーマンは事態を把握しきれないままに、自分を襲った相手と同じ質問をした。
「あの、ありがとう、ございました。」
「これくらい当然よ。」
前かがみになりながら頭を下げるサラリーマンとは対照的に、彼女は胸を張って答える。
「あなた、何者なんですか?」
彼の質問に、彼女は一拍の間を置いて、更に答えた。
「だから言ったでしょ。」
ほぼ唯一の照明であった月の光が、今はやけに明るく見える。光を背にした彼女はにこりと笑った。
「ただの魔法少女だって。」
・
二年生になった最初の日。始業式。私立奏星学園校門前。
桜は満開でも、春野真冬は憂鬱だった。
その物憂げな表情からは、その憂鬱さがどこから生まれているのかはわからない。桜を見上げてなにごとかを考え込んだり、ため息をついたり、と思えば首をぶんぶんと振ったりしている。
一見中学生にも見えるような華奢な体型に、ぱっちりとした大きめの瞳。肩にかかるかかからないかくらいのさらっとした黒髪。小さな鼻に小さな口。思い悩むその姿は小動物を思わせる。
やがて、なにかを決心した様に、校舎の方へと駆けていった。
始業式が終わった後、二年三組の教室はざわめいていた。
一年生の時に同じだった生徒、新しいクラスで初めて知り合った生徒、それぞれが様々な話題で盛り上がり、すでに教室のところどころに小さなグループができ始めている。
そんな教室の中に、真冬もいた。
「おーっす、ハルノ。今年も同じクラスだな。よろしくな。」
「うん。よろしくね、大和クン。」
「コラ、大和!一年の時みたいに真冬ちゃんにちょっかい出したらぶっ飛ばすからね!」
「白崎さんも、よろしくね。」
一年生の時に同じクラスだった二人が率先して話しかけてくれたことで、真冬の心が少し和らぐ。そこへ一人、男子生徒がやってくる。
「おお、夏樹。」
「やぁ、智也。」
大和は、夏樹と呼ばれた男子生徒を紹介した。
「コイツ、秋原夏樹。一年の時に同じ部活だったんだ。途中で辞めちまったけど。」
「よろしく。」
簡潔に夏樹が挨拶をする。
爽やかな短髪に、涼しげな目元。男子にしては細めの眉に、筋の通ったやや高めの鼻。やや色白な肌は、部活を辞めてしまったからだろうか。
「大和、何部だったっけ?」
白崎が尋ねると、大和は不服そうな顔をした。
「野球部だよ。期待のエース様だぜ?忘れんなよな~。」
「自分でよく言うよ。」
大和は一年生の時からベンチ入りしていた。期待のホープで、一年の時はサードをやっていたが、それはエースに遠慮していたからだ、と本人が言っていた。
「でも大和は実際スゴいよ。一年でベンチ入りだけでも大変だし。」
遠慮がちに夏樹が言う。大和曰く、奏星学園の野球部はそこそこ強い、とのことらしい。
「秋原くん、こいつのコトあんまり褒めちゃだめだよ?調子乗るからさ。」
「なんでだよ!」
この二人は一年生の時からいつもこんな感じだ。このいつも通りのやりとりも、真冬を安心させてくれる。
「あ、そうだ!」
大和が急に叫ぶ。
「今日さ、他のやつにも声かけてカラオケとかいこーぜ!今日は部活もないしさ。」
「大和にしてはいいこと言うね。初対面のヒトもいるし、ちょうどいいかも。秋原くんも来るっしょ?」
「うん。いいよ。楽しそうだし。」
「ハルノも行くよな?」
そう言われて真冬は固まった。
「えっと、あのボク、今日は……」
うつむいて、なにかを言い出そうともじもじする。
「なにかあるの?」
夏樹がきょとんした様な顔で尋ねる。
「えっと、その。」
「ああ、そうだよ。仕方ねぇよ!」
言いよどむ真冬を見かねたか、あるいは単に悪気なくか、大和が思い当たった様に言い放った。
「ハルノ、魔法少女だからさ!」
「……魔法少女?」
魔法少女。魔法を使って事件を解決したり、あるいは事件を起こしたりする、アニメやゲーム、おとぎ話やファンタジーの中の存在。その存在の唐突な登場に、流石に夏樹も怪訝そうな顔をする。
更に白崎が付け加える。
「真冬ちゃんちね、代々魔法少女の家系なんだ。国公認の。で、たまにそのために早めに家に帰ったりしなきゃいけないってわけ。一年の時も何回かあったんだよ。」
「国、公認?」
話を飲み込みきれていない夏樹をよそに、思い出話に花が咲く。
「最初先生から説明されてビックリしたよな~。」
「あの、そうしないと、ちゃんと早退できないからって、先生が…。」
「ま、家のことなら仕方ないっしょ。部活的には大変だと思うけどね。」
真冬は陸上部に所属している。たまに家の用事に休まなければいけない、という事情はあるものの、可もなく不可もなくといった感じで部活をこなしている。大会に出られるレギュラーになれるかどうかは今年にかかっているので、むしろこれらの事情が影響してくるならこれからだろう。ちなみに真冬の専門は短距離だ。
もちろん、家の事情に関しては、陸上部でも認知されている。
「あー、でもカラオケどうしよっか。真冬ちゃんが来れないなら別の日にする?」
「ボクはいいよ。みんなが楽しんできてくれれば。」
「ハルノが来れないなら別の日がいいかもな。でもな~俺が部活空くかな~。」
頭を抱える大和と白崎に、申し訳なさそうにオロオロとする真冬。
「あのさ。」
そんな三人に、声をかけづらそうにしていた夏樹だったが、
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「なんだよ、夏樹。」
「遠慮せずに聞いてくれていいからね。」
その言葉を受けて、真冬と同じくらいに申し訳なさそうに、言いづらそうに、聞いた。
「あのさ、春野…さんってなんで男子の制服、着てるのかな?」
ポカンとする大和と白崎。顔を真っ赤にしてうつむいている真冬。
聞いてよかったのかと申し訳ない気分になってきている夏樹に、大和が答えた。
「そりゃあ、だって、ハルノは男だぜ?」
春野真冬。性別:男。職業:高校生、および魔法少女。