第二話(2/3)「傷つくことは怖くない」
二年A組教室で行われていたのは、文化祭の準備だった。
どうやらコスプレをした生徒が軽食を出しつつトランプをする、という緩めのコンセプトらしい。もちろんこの日はまだ大半が制服やクラスTシャツ姿だった。大枠が決まり、デモンストレーション用の生徒を欲していたところをライカが二人を連れてきたのだった。
「ねえショーネン、どうだった?」
そう尋ねたのはライカではなく、別の女子生徒だ。確かツグミと呼ばれていただろうか。ライカが度々咲哉のことを「少年」と呼ぶのを面白がっているらしい。先日烏山ライカがどんな奴なのか、丁寧に教えてくれた生徒でもある。
「いや、どうと言われても……」
まだ彼女に圧倒された余韻が脳裏を離れず、咲哉は口ごもる。
「ライカが強すぎないですか?」
小鳩が苦言を呈した。口を挟まれたことに咲哉は例によって怪訝そうな表情を浮かべたものの、彼女は無反応。
指摘はもっともだった。ババ抜き、大貧民、ダウト、その他一通りプレイしたものの、ライカが毎回一位。運が良いというだけでは説明がつかないだろう。
「あいにく接待プレイは性に合わないんだ。それに今は――サクが私の手のひらで踊る姿がたまらないからなぁ。抑制が利かないのだ」
そのサディスティックな笑みに、彼女のクラスメイトたちはドン引き、とまではいかないまでも明らかに困惑していた。
「うっすら感じていたけど、やっぱりあんた、変態ぶりに磨きがかかっているわね」
「何を言うんだ。多少は下品かもしれないが、ほんの少し、お前より自分に正直なだけだ」
「それを変態って言うんでしょ」
「ちょっと、そういうのはヨソでやってよ」
ツグミが割り込む。
「こっちは出し物を出来る限り面白くするために本気になっているんだから。今がみんなの意見をフィードバックさせる、最後のチャンスなんだからね」
目の前で繰り広げられるコントのようなやり取りが、咲哉の頭にはあまり入ってこなかった。
初対面のとき、確かライカはこう言った。
『目を見れば、何を考えているのか分かる』、と。
先ほどは『私の素晴らしさを実感させてやる』とまで豪語した。
ハッタリとしか思えないレベルの力強い言葉は、全てが有言実行だった。
そしてそれが自分に向けられていることが、今の少年にとって純粋に嬉しく、高揚させられていた。
この瞬間、「なぜこんな綺麗な人が」「なぜ自分なんかに」という戸惑いはあっという間に薄らぎ、ずっと胸の中でつかえていた言葉が、再び暴れだしそうになる。
(先輩、俺は――)
気がつけばヒグラシの鳴き声響く、昇降口の前に立っていた。
甘い夢から覚めたときのような得も言われぬ虚脱感に、不安に襲われる。
「どうしたの」
聞き慣れた抑揚の乏しい声に振り返ると、ローファーを手に持った小鳩が、けげんな表情で首をかしげていた。
「なんだ、小鳩か」
「なに、ぼーっとして。大丈夫?」
「……なんでもねえよ」
不意に鋭く走った不快感が、咲哉を覚醒させていく。
頭の中を一直線にひっかかれたような痛みが走る。もちろんそれは錯覚に過ぎない。だが、次の瞬間に感じたいら立ちは、残念ながら本物だった。
「ねえ、どうしたの」
「なんでもねえつってるだろ」
素っ気ない拒絶だった。それを口にして彼女に背を向けた瞬間、本当に目が覚めた。
ライカを慕うあまり、相対的に小鳩を邪険に接してしまった。
そんな幼稚なことが、許されるわけがない。
彼女の「大丈夫?」というセリフに、あざける意図がないことくらい分かる。分かっている。
なのに、どうして頭はそのようにとらえてしまうんだろう。
「おい、靴がないのか?」
なかなかやってこない後輩たちに業を煮やして、ライカがやってきた。そして、何とも言えない冷えた空気を感じ取ったようだ。
「なんかあったのか?」
咲哉は何も言えなかった。改めて彼女の整った顔立ちを見て、また胸をいっぱいにすることしか出来なかった。
「別に、大丈夫だから」
小鳩のそれは「構わないで欲しい」という意志表示に過ぎなかったが、ライカはそれ以上彼女を追及しなかった。
そして何を思ったのか、咲哉の前に回り込んで、かがんで目線を合わせてくる。
「サク、お前はどうなんだ?」
「えっ」
初めて見せた仕草に、普段と異なる穏やかな微笑み。
錯覚に過ぎないのだろうが、本当にかっと胸が熱くなった。
「言いづらいことなら先輩にだけ、そっと耳打ちしてみるがいい」
口調もいつもとは別人のように穏やかだ。高笑いなど、生まれてこの方一度もしたことなさそうにさえ思えてくる。
「…………」
「…………」
間が続く。いつもは彼女の方からいくらでも話を振ってくれるのに、どういう風の吹き回しなのか、今はかがんだまま、少年の言葉をじっと待っている。
突如として、全く関係ない思考に脳内が襲われた。
「……ありがとうございます」
唐突なその言葉に、ライカはきょとんとする。
「どうした、急に」
「あのですね、ちゃんとお礼を言ったことがないなと思って」
「恩義に感じてくれていたのか?」
「もちろんですよ」
一度も頭の中で言語化したことなかった気持ちを、即興で組み立てていく。
「入学以来……俺は周りの人間を見下したり、あるいはねたんだりしてばかりいました。ずっと弱くて、カッコ悪くて、情けなくて。だから他人とも上手く付き合えなくて。もちろん特別進学クラスなんてみんなやっかみの対象でした。そんな呪縛から俺を解き放ってくれたのが、先輩でした」
「……そうか」
「あの日付き合えって迫られたときから、少しずつ世界は良いように違って見えました。それはもう、間違いなく先輩のおかげです。そしてその矮小な自分と向き合えているのも、烏山ライカさん、あなたのおかげだった。それは揺るぎない、確かな真実です」
ライカはいつの間にか、いつもの表情に戻っていた。
「やはり、たまにはお前に喋らせるべきだな。下手な告白より、よっぽど身に沁みる言葉だったぞ。――まあ、そもそもお前はクズでもなんでもないがな」
自分と釣り合うとか釣り合わないとか、どうでもいいのかもしれない。
あと少し、ほんの少し背中を押されたら、ずっと言えなかった返事が出来るのかもしれない。
ほんの少しの勇気と、「今言うしかない」という覚悟。その向こう側に、全てを受け入れられた未来が待っているのかもしれない――。
自らを鼓舞するよう、確かに握りしめられた少年の拳を見て、小鳩が面白くなさそうな表情を浮かべていた。
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