第二話(1/3)「『私は決してワガママなんかじゃない』」
空き教室はエアコンこそつけているものの、部屋の電気は切ったままだった。
太陽の光がカーテン越しだというのにいやに眩しい。わずかな隙間が見せる鋭い光線、その上では塵が泳いでいた。
三人分のコンビニのビニール袋が、机の上に置かれる。いそいそと隣の机を回転させて、向き合うようにくっつける。今やおなじみの光景だ。
「こうしてみると、すっかりクラスメイトにでもなったみたいだな」
「だったら良かったんですけどね」
そう言いつつ、ライカと咲哉はどっかと腰を下ろした。小鳩も椅子だけ引っ張り出してきて、二人の間に腰かける。二つの机に、三人の調達した食料が並んでいる。
身長百八十センチオーバーのライカには机が小さすぎたようで、足がこちらまで伸びてくる。上履きがかすかにぶつかっただけで、少年は過剰に反応し、足を引っ込めてしまう。
手を合わせてから、三人は食事を始める。かれこれ一週間近く経ったが、三人でいることに対するぎこちなさは未だに拭えなかった。
今日は金曜日。自由参加の夏期講習も、咲哉と小鳩は始業式直前まで続くものの、ライカは一足先に今日でおしまい。
来週には二学期が始まり、再来週には体育祭。そしてさらにその翌週には文化祭が控えている。蛍雪高校の生徒たちが、一年で一番忙しい時期が間もなくやってくる。
初めて会った空き教室で、咲哉たちは三人で昼食を食べるようになっていた。ライカが誘ったのは咲哉だけだったが、小鳩が割り込んできたのだ。
「私、心配なのよ。特にライカ、あんたが何を言い出すのか心配で」
「どういう心配だ?」
「中学時代の"お付き合い"で大体理解したつもりだけど、あんたって……あまりにも自由奔放じゃない」
長い間から、精一杯オブラートな表現を探しました、という意図が強く感じ取れた。
「あんたからしたら、私たちはみんな些細なことで傷つく繊細な生き物なのよ。不用意な言動や行動にサクが傷つけられるんじゃないかって、一クラスメイトとして本当に心配なわけ」
「後輩にそのようなことを心配されるとは、ハハ、情けない限りだな」
「サク、あんたも胆に銘じておきなさいよ」
「別に……俺にはそこまでワガママとかには思えないけどな」
「分かっているじゃないか、少年。そうだ、私は決してワガママなんかじゃない。言うなれば、他人より少し意志が強いだけなんだ!」
「それをワガママっていうのよ!」
「そんなこと言うのはお前だけだっ!」
「みんなあんたに気を遣ってるだけだから!」
終始こんな調子だったが、別に小鳩は水を差してくるだけの存在ではなかった。
そもそも二人きりだったら、頭一つ大きい先輩との会話などとても弾まないだろう。
共通の知人であるところの彼女は、まさしく潤滑油のような存在だった。
この頃になると、本人の自己紹介や小鳩の説明、そしてうわさ話から、この先輩の大まかな人物像が見えてきた。
烏山ライカ、七月一〇日生まれ。
蛍雪高校二年A組、特別進学クラス在籍。
わずか四十名の精鋭の中でもひときわ目立つ人物のようだ。
それはもちろん、百八十センチを超える身長だけの話ではない。初対面で大体見当はついたものの、とにかくやたら自分に自信があるらしい。確かに目を引く美貌の持ち主であったが、ほぼ初対面の咲哉に対してこのうえなく積極的に迫って押し切ろうとしてくる。まったく下手に出ることがないのだから大したものだ。
ただ実際にすごいのだから、単なるナルシストではない。
テストは毎回上位、口は達者で頭もキレる。昨年度は生徒会に在籍していたそうだ。
身体能力にも恵まれており、かつては多くの部活動に勧誘され、助っ人を頼まれることもあったものの、最近はお呼びがかからない様子。今年はどこにも所属していないのがそれを物語っている。クラスでも少し浮いた存在だが、それを気に留めることもないようだ、とは自称クラスメイトの談。
……そう、彼女に告白されてからというものの、その事実は夏休みだというのにあっという間に学校中に広まってしまっていた。
一人で歩いているときでさえも、咲哉は名前も知らない人間から視線が集めたりするようになっていた。
告白の翌日、空き教室で話し込んでいたところを、彼女を捜しに来たクラスメイトが乗り込んできたのも大きかっただろう。慌てず悪びれずもせずに教室に戻るライカを尻目に、その女子は訳知り顔でライカについて語ってくれた。「まさか君みたいな子が、いや、そもそもライカが他人に興味を持つなんて」と大層驚いていた。
ひた隠しにしようとは思っていなかったけれど、このままではなあなあの関係に留めているにも関わらず、全校生徒公認のカップルになるのは火を見るより明らかだった。
ライカはあっという間に弁当を完食すると、今度はロールケーキを頬張り始めた。
「……それ、昨日もおとといも食べてましたよね」
「好物だからな」
指についた生クリームを舐めとりつつ、彼女は大きく口を空けてかぶりつく。ライカの懐には、ビニール袋に入った菓子パンがあと二つ待機していた。
「カロリーが高いぶん、腹持ちも良いというものだ。私の唯一の欠点は、燃費が悪いことだからな」
手のひらサイズの弁当を惜しむようにつまんでいた小鳩が、面白くなさそうな顔をする。
「欠点って、それっていくら食べても太らないってことでしょ。私からしたら普通にねたましいんだけど」
「誉め言葉として受け取っておこう」
そんなやり取りを聞きながら、咲哉は容器に口をつけて残りの牛丼をかっこむ。彼女とは直接話すより、他人と話しているのを遠巻きに見ていたほうが自然な気がした。
そんなことを考えていたのが伝わったのだろうか、食後、ライカは新たな行動に出る。
「このあと時間はあるか?少し付き合うがいい」
付き合ってくれるか、ではなく、有無を言わせぬ命令形なのが彼女らしい。
昇降口と逆の方向へ向かうので、一体どこを目指しているのかといぶかしんでいたが、彼女が後輩二名を引き連れたどり着いたのは、自分の教室だった。
「諸君、お客様を連れてきたぞ」
中に何人か生徒がいることに気づいて、咲哉は足がすくんでしまう。
(一体ここに何の用が……?)
振り返ったライカが当たり前のように咲哉の手を取ろうとして、少年はそれを振り払ってようやく歩みを進めた。
「サク――そろそろお前には、私の更なる魅力を実感してもらおうかと思ってな」
たかがトランプと言えど、少年にとってはただの遊びではなかった。
咲哉の両手には、二枚のカードが握られている。
向かって左側が、ハートのクイーン。右側がジョーカー。
ライカは長い指をゆっくり伸ばして、迷わずハートのクイーンをつかもうとした。
「――待ってください」
咲哉は慌てて腕を机の下に降ろすと、シャッフルしてから再び構える。視線の動きや表情で悟られないよう、瞳は閉じたままだ。
「少年、それはマナー違反だ。目を開けるがいい」
その言葉に従い、咲哉はおそるおそる手札を確認する。裏をかいて、再び右側がジョーカーだ。
「ああ、いいぞ……私の手のひらで踊らされていることを承知の上で、悪あがきをするさま。実にいじましいじゃないか。ゾクゾクするくらいだ」
ライカはニヤニヤしながら長い上半身を乗り出して、咲哉の顔をじっと見た。
「なるほどな」
「……ハッタリは止めてください」
「いいや、顔に書いてある」
そう呟いてから、ジョーカーに指が伸びていく、そう思った次の瞬間、彼女は手を翻してハートのクイーンを迷わず抜き取った。
「よし、あがり」
持っていたスペードのクイーンを同時に場に出し、少女は不遜な態度でガッツポーズを決める。嬉しくってたまらないという様に、小鳩が苦笑いする。
誰よりも先に上がれると確信していた咲哉は、あっけにとられる。
「な、なんで……」
「私がジョーカーをつかもうとしたとき、完全に空気が弛緩していた。気配でバレバレだ」
「気配って」
涼しい顔でとんでもないことを言ってのける。
「ババ抜きはババを引かない限り、理論上絶対負けない。こんなゲームで私を出し抜こうとすること自体、土台無理な話だったな」
そもそもこの人は、もう一方がジョーカーってことまで確信していたというのか。
刹那、ゾクッという感覚がこみあげる。
「すごい……すごいですよ先輩!」
思わず漏れた驚嘆の言葉に、彼女はニンマリ。
「たまらない、という表情だな」
「ええ。悔しいけど、敵わないな、って思いました。」
仮にそう思ったとしても、なかなか本人に直接言えるものではない。彼女の前では、プライドを捨て去ることすらたやすいことだった。
彼女に対する遠慮という気持ちが、強烈な被虐心へと裏返った瞬間だった。
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