最終話(1/2)「尊大な彼女は卑屈な僕を……」(前編)
早くも後片付けを終えたクラスの生徒たちが、そこかしこに座り込んで談笑している。大きな声で騒いでいるようで、数時間前の賑わいと比べると大人しいものだ。
結局、あの時あの場所で、とうとう咲哉は手を取れなかった。そのままお互い黙って別れた。
ただ、こちらの気持ちの変化は通じたのか、彼女は満足げな表情をしていた。
小鳩は教室に戻ってきた咲哉を一目見て、大体何があったのか察したらしく、詳しくは聞いてこなかった。
「今更だけど、今日は急いで回ってくれて助かった。先輩といつ合流できるか、本当にぎりぎりまでわからなかったのにな。ありがとな」
「別に?私、そこまでサクのことを好きじゃなかったのかもしれないし」
「え?」
「……ううん、ごめん、違う。好きって気持ちは確かだけど、ライカみたいにそこまで執着出来なかったっていうか。正直他人を押しのけてまで、っていう気持ちにはなれなかったのよね」
「先輩は、小鳩は一人でも頑張れる奴で、俺はライバルなんだって言ってた。俺をライバル視しないと頑張れない、対等ではないけどライバルなんだって言ってた」
「……ふ~ん、あいつも他人を買い被ったりすることあるのね」
彼女は後頭部に手をやって、天井を見上げた。
「クラスメイトの延長線上でじわじわ好きになった人間と、運命感じちゃった人間の違いかしら」
やがて片付けも終わり、生徒たちは今日も薄暮の体育館へと向かっていく。
後夜祭の前に、表彰があった。咲哉と小鳩のクラスのお化け屋敷、ライカのクラスのコスプレボードゲーム喫茶はいずれも圏外だった。
「ライカのクラス、あんなに行列してたのに。三鷹さんが勝手に助っ人に入ったんでしょ?そのせいで減点されたのかしら?」
「お前は二-A、何点付けたの?」
「五点満点の三点。ある意味本当に楽しませてもらったけど、客を楽しませるって部分がないがしろにされてるように思えてならなかったのよね」
「同感だな、俺も三点にした。先輩はなんのかんのと言ってたけど、負かすのありきの商売ってのはな。敗北感を植え付けられるのは俺だけで十分だ」
「せっかく体育祭でぶっちぎりで優勝したのに、可哀そうね」
優勝した三年D組の生徒が、かわるがわる胴上げされている。
「ねえ、ライカって今何してるのかしら。こんな広いところ見当たらないってことは、もしかして帰ったの」
「さあな。あの人は何考えてんのか本当に分かんないからな」
「今でも分からないの?」
「ああ……あの人は常に、想像の斜め上を行くからな。きっと完全に理解するのには途方もない時間がかかるんだろうな」
「っていうか、本人も自分のことを理解しきれてないんじゃないの」
「言えてる」
そのままの流れで、後夜祭が始まった。
昨日の中夜祭で倒れた人がいたと噂に聞いて、クライマックスであるところの今日の後夜祭は、最低救急車が乗り込んでくるものかと思われたが、壇上の演者たちのパフォーマンスは大人しく、座ったままの観客たちは、しっとりとしたボーカルや頑張れば誰でも出来そうな大道芸にまばらな拍手をしていた。
二人はそんな様子を最後尾から遠巻きに、体育座りで、やはり他人事のようにぼんやり眺めていた。
「みんな燃え尽きちゃったのね」
「ああ……」
「ね、話は変わるけど、昨日私の幼馴染と会ったじゃない」
「そういや『今度一緒に遊びに行こう』とか言ってたな」
「別に、それは社交辞令みたいなものだと思うけど。あんた私に向かって『流石俺の彼女』とか言っちゃったでしょ」
「そうだったかな」
「多分『カレは同い年?』って聞かれて、それで勘違いしたと思うんだけど、私、サクのことを彼氏って紹介してたわけじゃなかったのよね。単に仲の良いクラスメイトとしか話してなかった」
「そうだったのか?」
「別に『これから確定的な事実になるから良いか』って思ってたから、特に訂正しなかったけど。正直あのときは、このまま私が付き合えるもんだと確信していたわ。いくらでもなんでも、こっから逆転されるわけないって」
「俺もそう思ってたし、っていうか誰でもそう思うだろ」
「ポーカーで負けたときはちょっと揺らいだけど、今朝シフトを抜けられないって言われたときは、もう本当の本当に覆らないって思ったのに……。どれだけ追い込まれても『サクは自分を選ぶ』ってサクを信じて、自分を信じてそれを現実にしてしまうなんて。やっぱりムカつくけど、本当にすごいってことのなのよね」
「世界はあの人を中心に回ってるのかもしれないな。先輩は俺のことを主人公って言ってたけど、あの人のほうがよっぽど……」
「ねえサク」
「なんだよ」
「辛くなったら、いつでも私のところに逃げてきてね」
「……」
「なんてね。うまく続いたほうが、私も素直に祝福できるけどね」
……なるほど、似た者同士かと思っていたけど、そうでもないのかもしれない。
小鳩は達観していて、考え方も大人びている。
自分にもライカにもないものを兼ね備えている。
これが先輩のいう「一人で成長出来る強さ」というやつなのかと、咲哉は納得していた。
午後七時過ぎ、後夜祭を終えた全校生徒が、一斉に校舎を出る。
一年で一番昇降口が混み合う時間帯に、見覚えのある上級生が話しかけてきた。ライカのクラスメイト、ツグミだった。
「ねえ、ライカ見なかった?」
「いえ……文化祭が終わる直前に別れたっきりですね。てっきり自分のクラスに戻ったのかと思ったんですけど」
「一度は顔を出したのよ。それで助っ人の三鷹さんと入れ替わって元に戻って。後片付けをしてる間に行方不明になっちゃったのよね」
「あの、タカさんは大丈夫でしたか?」
「トラブルもなかったし、タレコミもなかったわ。スリルがあって楽しめたけど」
この人も大概、胆が据わっているようだ。
「打ち上げに来てくれると良いんだけど。何か連絡があったら私にも教えてちょうだい」
そう言って、連絡先を交換する。
「ねえ、もう大体分かってると思うけど、ライカと付き合うのって大変じゃない?」
「ええ、でもきっと何とかなると思います。憧れてますから。そういう、強い意志がありますから」
口にしてから気が付いた。
先輩、俺もうとっくに、あなたに憧れてちゃってますよ。
打ち上げの会場に選ばれた駅前のビルの最上階にあるレストランは、彼女との初デートで行ったところでもあり、矮小な少年はそのような自慢話を必死に胸の奥にしまい込む必要があった。
思いのほか会話が弾んだ。共通の話題があるというのは大きいものだ。ほんの一か月前まで、ほぼ全ての人間に対して、俺みたいなクズに話しかけないで欲しいと強烈に思っていた。そういう陰惨なオーラをあえてまき散らしていた。そのことを思うと、劇的な変化だった。嬉しくてたまらないというオーラが隠せなかった。
それでも慣れないことをしばらく続けていると段々むずがゆくなってきて、どうにかして席を外したいなと考えていたところ、テーブルの上のスマホが震えた。
それとなく確認する。
『どうしよう 俺の画像が流出してる』
アルバイトの夜勤に向かう三鷹からだった。
思わず吹き出してしまい、ちょっと連絡入れてくるわ、と席を立つ。
彼が貼ったリンクを開くと、SNSの高校の公式アカウントの『第〇〇回文化祭閉場しました!ご来場ありがとうございました!』という投稿に、ディーラー姿のイトコがピースで移りこんでいた。
『思いっきりカメラ目線じゃないですか』
『広報の人を無視するのも不自然だろ こんな不特定多数が見るところにすぐ貼るなんて』
『結局気づかれませんでしたね 仮にも去年の生徒会長なのに』
『影が薄かったのかな 俺』
どんな言葉で慰めるべきだろう、としばらく考えてから、咲哉はこう送った。
『去年見られなかった姿を見られて 俺は良かったですよ』
やや間があって、コメントが返ってくる。
『そういや結局 ライカと付き合うことになったのか』
素直に返事を打ち込みかけて、慌てて消す。
その言葉は、最初は彼女に言うべきだろう。
『またの機会にしましょう』
そしてまた元の席へ戻ろうとしたとき、新たな着信があった。
いよいよ明日完結予定です。
頑張ります。