第一話(2/3)「運命の出会いに伏線はない」
小学校では六年連続でクラスメイトだったにも関わらず、咲哉は小鳩と口をきいたことすらほとんどなかった。
別々の中学に進学し、高校で三年ぶりにクラスメイトになったのが四ヶ月前。
クラスで浮いた存在になってしまっていたところに手を差し伸べてくれたのが、唯一面識のあった彼女だった。止むに止まれず、三年ぶりにクラスメイトになった彼女と最低限のコミュニケーションを取る必要に迫られた、というわけだ。
高校入試の失敗を引きずり、不貞腐れ続けていた咲哉にとって、小鳩の存在はありがたくも煙たいものだった。どういうわけか、彼女が自分以外の人間に話しかけることや、話しかけられることもほとんどない。やや感情表現に乏しいものの、さほど性格やコミュニケーション能力に難があるようには思われなかったが、どういうわけか彼女もまたクラスで孤立していたのだ。
そのことがありがたくも、煙たかった。同じ立場だと思われているのかと思うと、その好意に、いや行為に、どうしようもなく反発を覚えてしまうのだった。
当初は移動教室とか小テストの範囲だとか、本当に事務的なことしか話さなかった。それ以外のことをぽつりぽつりと話せるようになったのは、夏休みに入る直前のこと。
それから一か月ぶりに再会したのは、学校の夏期講習の席。八月も後半、文化祭を控えた浮ついた時期にきちんと参加する生徒はごく少数派で、それもまた二人がクラスで浮いていることの証明でもあった。
講習中、咲哉は何度となく外を見てため息をついた。
(この夏もまた、無為に過ごしたまま終わりかけているな)
締め切られた窓越しに映えるのは、コントラストのくっきりとした、青い空と白い雲。漏れ聞こえるのは、ランニング中らしき、どこかの運動部の揃った掛け声。
冒険のように胸躍らせるイベントはやってこなかった。
自ら希求することも出来なかった。
そしてそのコンプレックスを成長のバネにすることさえ出来ず、自分はこうして机にはいつくばって、板書を眺めることしか出来ないのだ。
二時間の講習が終了した後、小鳩が何気ない調子で話しかけてきた。
「この一か月、どうだった?充実してた?」
「……嫌味かよ」
「私ね、友達四人と水族館に行ったの。男子二人、女子二人。全員小学校からの長い付き合いでね。そばの海も楽しかったわ」
淡々とした報告に、咲哉は舌打ちする。
「おい、本当に嫌味なのか?」
「そう語気を荒らげないでよ。嫌味だったらもっと楽しそうに話すから。……それでね、途中で気が付いたんだけど、私を除く四人がそれぞれカップルになってたの。五人で集まるのは半年ぶりだったのに、ね」
「……嘘だろ?」
「ちょっと、笑うところなんだけど」
小鳩は薄く口だけで寂しげな笑みを浮かべたまま、軽く伸びをしてその場にしゃがみ込む。はぁ、と短くため息を漏らした。
「一対一で会ったりすることは何度かあったけど、誰それが付き合うとか自分が付き合うとか、そんな話は誰からもおくびにも出なかった。グループラインでのやり取りにも、毛ほどもそんな素振りはなかったのに、私たちの知らないとこらで仲を深めていたのかと思うと、嫉妬というか、憂鬱というか。きっと夏休みを充実させるために急いでくっついたのね」
「そりゃ……災難だったな」
流石に、慰めの言葉が漏れ出た。
「見せつけられることもなかったし、バカにされることもなかった。でも、優しく気を使われることが、かえって堪えることもあるのね」
――その言葉、そっくりそのまま返すぞ。取り返しのつかない一言が脳裏をよぎって、立ち消えるのに時間がかかった。
ファーストコンタクトは、そんな雑談の直後だった。
ワンテンポ先に小鳩が空き教室を出たところ、彼女が待ち構えていた。
「……ライカ」
「やはり小鳩じゃないか」
カバンのチャックを閉じた咲哉が振り向くと、八頭身はゆうに超える少女が、長い髪をたなびかせながら立っていた。小鳩より頭一つ以上背が高いが、顔は伺えない。電気のついていない夏休みの廊下では、外が明るすぎるせいで、彼女の姿が逆光になってシルエットのように見える。
癖の強そうな外ハネの髪型。そしてそれとは対照的な、すらりとした体形。腰に片手をあてる仕草で強調される姿勢の良さ。上履きの縁の色から、二年であることが確認できた。
「……なんの用?」
「聞き覚えのある声がしたから来たまでだ。どうした?嫌そうな顔をして」
「別に」
おや、と思った。
先輩に対して、随分な口の利き方ではないか。彼女も誰かを嫌ったりするのだろうか。
「そっちも夏期講習?」
「ああ、隣の飽き教室でな。お前と同じだ。案の定、授業の遅れをごまかすための方便だったがな」
そんなやり取りをする二人を無視して、咲哉は黙って通り過ぎようとする。
しかし、ライカはそんな少年視線を移す。
咲哉は視線に気づきつつも、挨拶もせずその場を立ち去ろうとしていた。
「待ちたまえ、少年!」
彼女はしっかりとした足取りで咲哉の前へと回り込み、手を広げて通せんぼをする。上履きに入ったラインから言って、二年の先輩のようだ。
でかい、歩幅も大きい。――でもその第一印象が薄らぐくらいの美人だ。
そう思ったのが先か否か、咲哉はいきなり両手を掴まれていた。
「……やはりお前だったか!夏休み返上で参加するとは見上げたものだな」
「内申のためですよ。っていうか、あの、どちら様ですか」
恨んでいる相手に対する口調ではなかった。むしろ、なんだか嬉しそうだ。見覚えのない人物からあからさまに好感をぶつけられて、少年は身体を硬直させる。
「サク……ライカと知り合いなの?」
「いや?部活も委員会も入ってないのに、知り合いがいるわけないんだよな」
「おや、覚えてないか?これでも結構目立つ方だと思っていたんだが」
確かに、なんとなく見覚えはあった。一学年六クラスしかない小さな高校だから、学年が違えど登下校や昼休みに自然とすれ違っている。加えて、彼女の一八〇センチをゆうに越える長身、そしてすっきりと整った顔立ちは忘れられるものではなかった。
「……そういえば」
極力人との関わり合いを避けていた少年は、焼き付いてしまっていたかつての情報を蘇らせる。
「思い出した。自販機の人ですか?」
半年近く前、入学当初のことだった。休み時間、あたり付きの自販機で見知らぬ女子におごってもらったことがあった。
「この学校には慣れたか?」
「部活動はやるのか?委員会に興味はないか?生徒会は?」
などと、親しげに声をかけてくれた先輩がいた。それが烏山ライカだった。
もっとも、そのときは彼女の名前も知らず、親切な人で大きな人だなとしか認識していなかったわけなのだけど。
「そうか、覚えてなかったか」
「ご無沙汰してます。あの節は、どうも」
「ふふ、あんまり仰々しいと慇懃無礼だぞ?」
言いつつも、足を揃えて頭を下げる咲哉に対して、彼女はどこか嬉しそうな表情。
「気にすることもない、恩を売りたかったわけではないからな。……それにしても、お前は小鳩と親しいのか?随分長いこと話し込んでいたが」
「別に、ただのクラスメイトですけど。小鳩はこの人と知り合いなのか?」
咲哉がそう尋ねると、ショートカットの少女は首元に垂れた毛先をつまんで、バツが悪そうな顔をする。
「確かに知り合いではあるわね。中学時代の先輩で……」
普段からあまり感情をあらわさない小鳩だが、このときばかりははっきりと戸惑いが見て取れた。歯切れの悪い言葉をライカが継ぐ。
「委員会やら何やらで、何かと一緒になることが多かったんだ。お前に憧れられる私でありたいというのも、当時は励みになったものだ」
ライカは自慢気に鼻を鳴らす。どことなく子どもっぽい仕草にキャップがあった。
「へえ……そうですか。それじゃ俺はこの辺で」
「待てと言っているじゃないかあっ!」
終わらせるために切り出した会話が、食い気味の自己紹介で寸断される。
それとなく離そうとした手が、強く掴み直される。
「意地悪をしないでくれ、少年。お前なりの駆け引きか?」
「何のことですか?俺にも何か用があるんですか?」
「ああそうだ」
「……」
「まだ名乗っていなかったな。私は烏山ライカ。二年A組だ」
「……A組ですか」
「いかにも」
「つまり、特別進学クラス在籍と」
咲哉たちの通う蛍雪高校は、一学年六クラス。A組からF組まで存在する。
唯一クラス替えと無縁なのがA組。入学試験の中から選抜された彼らは、学校の評判を担う存在だ。
「言い換えれば、エリート候補生」
「ふふふ、言われて悪い気はしないものだな」
「もうそろそろ進路とか決める時期ですよね。A組は大変だろうなあ、尊敬しちゃいます」
「……ああ!お世辞と分かっていても、心地よいものだな」
見た目や待遇での区別はないし、尊大にふるまう者も少ない。今のライカの名乗りだって、別に威張ろうというニュアンスはなかったはずだ。
だが、普通クラスの咲哉は一方的に引け目を感じていた。
「今はとりあえず、手を離してもらえませんか」
そう言いつつ、咲哉の方から強引に引きちぎる。滲んでいだ手汗をズボンでふき取る。
「これは失敬、なにぶん嬉しくてな。こうして久しぶりに話しかけるきっかけが出来るなんてなあ」
癖になっているのか、ライカはまた手を掴もうとして、彼の腕が背中に回されていることに気づくと、今度はそのまま長い腕を伸ばして肩をつかんできた。
「あの……」
「サクと言ったな。苗字なのか?」
「あだ名ですね。桜尾咲哉っていうんですけど」
「ほう……韻を踏んだ素敵な名じゃないか」
「ありがとうございます。そんなこと、初めて言われました」
「褒められついでに少年、話したいことがある。決して悪い話じゃない。今日はもう夏期講習は終わったんだろう?少し付き合ってくれるか」
ライカはそのまま流れるように、肩を抱くようにして咲哉を連れて行こうとする。
「……ちょっと待って!」
少し慌てたような口調で、小鳩が割り込む。
「どうした?」
「私……」
いつも仏頂面で素っ気ない彼女が、口ごもっている。
言いにくいことを、頑張って話そうとしている。なかなか珍しい光景だった。
「私、あんたが何を言うのか分かっちゃった。なぜそんなことを言うのかは、皆目見当もつかないけど」
「ほう」
「それを踏まえたうえで言うけど、ライカ……止めておいたほうがいいわよ。っていうか、止めて」
「どういうことだ?」
「今、警戒されてるって分からない?サクは初対面の人に心を開いてくれるような人じゃないから」
「初対面ではないと言っただろう」
「とにかく、もっと段階を踏まないと……そうでしょ?」
「あ、ああ……」
曖昧にうなずきつつも、そのあまりに的確なフォローに、咲哉はまたしてもささくれ立った感情の芽生えを自覚する。
「ご忠告感謝する。だが、案ずるな!」
そんな空気を悟ることもなく、ライカは堂々と言い放つ。
「目を見ればだいたい分かる。彼が私のことをどう思っているかくらいな」
この人は一体何を言っているんだろう。
俺は今、何を聞かされているんだろう……?
鈍感な少年の戸惑いをよそに、彼女は飽き教室へ舞い戻り、ちらりと一瞥した。
「脈がないのなら、このようなことなどしないさ。私には見えている、少年が私に、心を許す姿がな」
その一言ですでに、咲哉はドキリとさせられていた。言葉の意味を頭で理解するより先に、胸がどうしようもなくさざめいてしまう。
「サク」
小鳩に呼び止められ、彼は振り返る。
「気を付けてね」
「なんだよそれ。っていうかあの人、何者なんだ?」
「中学の時の先輩」
「それはさっき聞いた。俺が聞いてるのはそう言うことじゃなくて」
「分かってるわよ。……そうね、私がタメ口をきいているあたりから何となくわかると思うけど」
しばらく押し黙った末に出てきた寸評は、以下の通りだった。
「褒めるところはたくさんあるけど、あの人自身は尊敬できない……端的に言うと、そういう人ね」
出来るだけ毎日更新したいと思います。
頑張ります。