第五話(3/3)「これは決してハーレムではない」
明日起きたら加筆訂正するので、そのあと読んでもらえると嬉しいです。
【追記】
9/18 16;14 修正完了しました。
翌朝早く、咲哉は小鳩と一緒に登校した。彼女の家の前で待ち合わせし、並んで駅に向かい、同じ列車に乗った。
二人は来週に迫った文化祭について話していた。体育祭も終わり、一致団結のムードを保持したまま、いよいよ準備もラストスパートというわけだ。
末端のつかいっぱしりだからきちんと把握出来ていないかもしれないが、状況はかなりひっ迫している。
現状でもギリギリ間に合うかどうか。想定外のトラブルが発生したら、いったいどう対応するのか。
心配事について、ああでもないこうでもないと話し込むうちに、あっという間に車窓の景色は流れ去っていく。
業務連絡にいそしむ姿は、おそらく傍目にはあまり恋人同士には見えなかっただろう。
昨日の電話越しのやり取りは、夢だったのだろうかとふと思う。しかしスマホを開けば、LINEの一番上の段に、彼女との三十分以上に及ぶ通話記録が残されていた。
梅雨明けが遅かったとはいえ。まだまだ夏が終わりそうな気配はない。周りの学生が漂わせる空気も、夏休みの延長線上といった感じだ。列車を降り、生暖かい風が渦巻くロータリーを抜け、車通りの激しい交差点を渡り、マラソンなら地獄と形容されそうなダラダラ続く上り坂をダラダラ登り、汗が顎から滴るようになったころ、ようやく校舎が見えてきた。
「サク~~~~ッ!」
烏山ライカが自転車で回りこんで現れたのは、その直後だった。
あまりに嘘みたいなタイミングだった。吹き抜ける風に、外跳ねの髪が揺れている。前かごの中のロールケーキの入ったレジ袋も、ばさばさと音を立てていた。
軽やかなステップを踏む長い脚に、嬉しくってたまらないという喜色満面の表情。
ひときわ目を引くその姿が、今は本当に辛かった。
「やあ少年、今日も早いな。結構なことじゃないか!」
「……おはようございます。今日も元気そうですね」
「いやあ、眠い!疲れがまるで取れてないぞ!」
「全然そんな風には見えないけど」
「アドレナリンが出ているだけだな。昨日の打ち上げが三次会までもつれたんだ。いやー、このために頑張ったんだなと思えたな!」
「……ちやほやしてもらえましたか?」
「ああ!五時間褒め殺された!」
微妙なニュアンスを感じ取ることもなく、ライカはやっぱり胸を反らしながら、駐輪場に向かって歩き始める。
「ふふん、まあ私がいなかったら優勝はなかったからな。生まれて初めてお酌してもらったよ」
「えっ」
「もちろんソフトドリンクだぞ。この格好でアルコールを頼むほど、私も愚かではないからな」
「そう?なんだかんだで間が抜けてるところもあると思うけど」
「そうか?……そうかもな」
嫌味も受け流すあたり、なかなか上機嫌のようだ。
「昨日の集まりは文化祭の討ち入りもかねていたからな。士気も高まったんじゃないか?地頭の良い奴がやる気を出したらどうなるか……来週末はぜひお前たちも来るがいい。サービスしておくぞ」
それを聞いて、元から抱いていた感情とは別の感情がもたげてくる。
「……サービスはちょっと」
「私たち、審査員をやることになったのよね。サービスなんかされたらワイロってことになっちゃうわ。おあいにくさま」
「お前たち二人でか?初耳だぞ」
「昨日決まったばかりなので」
咲哉はその決まった経緯を思い出す。
昨日教室での打ち上げの最中、見慣れない上級生が姿を現したと思ったら、耳打ちされた実行委員が「審査員を決めたい」と言い出したのだ。おそらく忘れていたのだろう。
「審査員に選ばれたら、自分のクラスの手伝いは出来ないそうだ。全部のクラスを回るのが優先になる」
「じゃあ、私やりたい」
沈黙が数秒続いたのち、立候補したのは小鳩だった。教室中の視線が一斉に彼女に注がれる中、目でサインを送られていることに気づいて、咲哉はおずおずと手を挙げざるを得なかった。
今にして思うと、あれも計算のうちだったのだろう。
クラスメイトの中も、おそらくは二人が示し合わせたことに気が付いた者がいるだろう。そして咲哉が既に、縦に長い先輩と付き合っているらしいという噂を知っている者も。
「おそらく、先輩のクラスは嫌でも行くことになると思います」
「む、ということはあれか、私と回る時間は取れないか?」
「……」
「いやなに、いい加減二人きりになる時間をちゃんと作りたいと思ってな」
言いながら彼女は、自転車を駐輪場に停めた。ライカはレジ袋を提げたまま、昇降口へと戻る。二人もついていく。
「…………」
そう言えばライカと会うときは、いつもそばに小鳩(か三鷹)がいた。最近は何度か二人きりで話すチャンスもあったが、小鳩が横槍に入っていた。
「……ところで」
そう言ったきり、ライカは黙りこくった。
続きの言葉をしばらく待ってから、こちらが話し出すのを待っていることに気が付いた。
「どうしましたか?」
「どうしたもこうしたもないだろう。忘れたのか?今が"次の機会"じゃないのか、少年?」
その視線は、まっすぐ見下ろされていた。都合が悪すぎて記憶にフタをしていた事実が蘇る。
『とにかく、こちらにも気持ちの準備ってものがありますから、勘弁してください。次の機会にしましょう』
昨日、咲哉は確かにそう言った。普通に考えれば「次の機会」とは、なるほど次に会ったときという意味だ。しかしこのところ何日も会えていなかった咲哉が想定していたのは、数日後のことだ。当然彼女に対する返事は持ち合わせていない。いや、そもそも……。
「なあ、焦らすほど性悪のお前じゃないだろう」
無意味に周囲を見渡す。自転車通勤の生徒や、朝練にいそしむ運動部の面々の視線を感じる。
「もちろん場所は変えてもいいぞ」
もちろんそういう問題ではない。
返事を引き延ばしている自分が、不義理だということは最初から分かっている。だからと言って、持ち合わせてない答えが出てくるはずもない。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ」
小鳩が割り込む。
「そんなに直接好きだって言わせたいの?」
「ああ。ずっと聞きたくてたまらない」
「普通の人間は、急かされたってそんなこと言えないわけ。っていうか毎日毎日『明日には返事を聞かせてもらう』って何?焦ってるの?」
「お前には関係のないことだ」
「それはどうかしら。私たち、もう他人じゃないんだけど」
「どういうことだ?」
ライカはただキョトンとしていた。勘の鋭い彼女にしては、想定外の反応だった。
小鳩は鼻を鳴らしてうっすら笑っていた。
「昨日空き教室で聞かせたでしょ?スマホを買いに行くから付き合ってって」
「――ああ、まさかとは思ったが、私に見せつけていたのか。そうか、お前」
咲哉は思わず下を向いていた。足元に短い影が溜まって見えた。
自らの優柔不断が招いた修羅場を、正視することも出来なかった。
ライカは怒りも悲しみも示さず、ただ額の汗をぬぐう。
「とりあえず暑いし、中に入るか」
蛍雪高校の校舎はそれなりに年季の入ったものだ。教室にこそ冷暖房があるものの、窓の多い廊下は屋内とは別種の熱気に包まれている。
「だから最初に言ったじゃないですか。俺、救いようのないクズだって」
階段を上る途中、口をついて出たのは、本当に救いのない一言だった。
「少年、そのときと今とじゃ、意味が違うだろう?」
優しく諭すような口調に、追い打ちをかけられた。
「先輩の想像と期待をなにかしらの形で、悪い意味で裏切る。そういう予感はありましたよ」
言い訳にしても、開き直りにしても、最低の言葉だった。
自己嫌悪がつのったが、違うセリフは頭に浮かんでこなかった。
小鳩は何も言わず、後ろをついてきた。ただ引き続き、微笑みを絶やすことはなかった。
人気のない空き教室に入りかけてから、ドアから手を放し、彼女は振り返る。
「何か誤解しているようだから言っておくが、サク、私はなんとも思ってないぞ」
「え……」
「私はサクのことを好きだし、サクは私のことを好きだと確信している。それだけだ。別に小鳩がお前に何をしようが、お前がそれにどのような反応をしようが、さして興味はない。小鳩を恋泥棒などと罵る気持ちもさらさらない。過程はどうあれ、最終的に私を選ぶ結果になれば同じことだからな」
「それ本気?私たち、昨日はずっと一緒にいたのよ」
彼女はスマホを取り出すと、画面を見せつける。
「これを買ったあと二人でご飯を食べたし、別れてからもラインで喋ったりしたわけ。あんた、これまでサクと二人きりでいたことってどれだけある?」
「ほう……聞かせてもらうが、それでお前は何回好きだって言ったんだ?」
「え……」
「私は何十回もサクを口説いている。顔と顔を突き合わせてな。なんとなくいい雰囲気になったからと言って、恋人になれるものではないだろう?」
「回数が何だって言うの?私だってそんなのこれから、いくらでも言えるわよ……」
ポケットの中が連続して震えた。スマホを開くと、謎の小動物が「LOVE!」と叫んでいる謎のスタンプが大量に送られてきていた。
「いや小鳩、お前……」
恋とは、人をかくも愚かにするものなのだろうか。
「スタンプなど無価値だ。少なくとも直接言葉を交わさない限りは、サクの心に届かない」
「そんなのあんたの決めつけることじゃない。裏を返せば、今まで何十回口説いても無駄になってるってことなんだから。とにかく、あきらめるのはあんたの方よ」
「この際お前の気持ちなどどうでもいい。お前にサクのことを嫌いになれと言ったころで、何の意味もないからな」
ライカはひざに手を置いて、咲哉と視線を合わせる。
「少年、この際率直に聴かせてくれないか。小鳩にあって、私になかったものがあるというのか?」
「それは……」
「恋愛は優劣で決まるものではない。だが、私はステータスにおいても、お前に対する感情においても、いずれも小鳩を凌駕しているつもりだ」
咲哉が視線を下に反らしたのを見て、ライカは胸に手を置く。
「なるほど、確かにここは負けているかもしれないが」
冗談とも本気とも知れない一言に、小鳩は舌打ちをする。
「あんたも大概でしょ」
らしくもない返事だった。本気でいら立っていなければ真に受けはしないだろう。
「私は胸を張って歩くよう努めているから、そう見えるだけだ。猫背気味のお前とは違う」
感情表現に乏しい小鳩が、はっきり表情を曇らせたのを、咲哉ははっきりと確認した。
「……逆なのよ。あんたが余計なものを持ち合わせていたのよ」
「余計?それは……私がかっこいいだとか、A組だとか、足が速いとか……そういう話か?」
「その通りです」
返事が食い気味になる。
「確かにお前には私や会長は、立派な人間に映るのかもしれない。だが、それで卑屈になるのは違う。前にも言っただろう。会長を追いかけたお前が、そして二人の人間が恋焦がれる人間が、卑屈になる必要などどこにある?お前には、文字通り唯一無二の長所がある。私はそれを知っている」
「唯一無二……?」
「ああ。そうだ、私と小鳩、同時に交際すると言うのはどうだ?私は自分の感情をお前ひとりに注ぎたいだけで、別に独占しようとは思わないからな」
あっけらかんと言い放つ少女の両肩を、咲哉は無言でつかむ。
そして、全体重をかけて押した。
「お、おい」
自分より重たいであろう少女が、力なくよろよろと交代していく。
「それ、小鳩にも言われました。二股で良いって。でも俺は、一人の人間から愛されるだけで許容量いっぱいなんです。劣等感じゃなくて、本当に劣っているんですよ。俺はダメな方向に凄い奴ですから」
「その劣等感は錯覚に過ぎない。もう一度考え直してくれないか」
「先輩は、本当にすごい人です。すごい魅力的な人だと思います。初めて会った時から、ずっとそう思っていました。今でもその気持ちは変わりません。でももう、先輩に近づくことに、これ以上仲良くなることに、もう無理が生じているんです。だから――ごめんなさい」
空き教室に飛び込んだ咲哉は、ドアを締めた。彼女は最後まで何か言いたげな表情だった。それを見送る自分の表情がガラスに映る。
なぜか笑っているように見えた。
これで良かったんだ。自分にそう言い聞かせることしか出来なかった。
扉に背を向け、少年はその場にうずくまる。
しばらくしてから、レジ袋とカバンを持ち上げる音がして、足音が遠ざかっていった。
その後、静かに扉を開けて小鳩が入ってきた。
「ねえ、立ってくれる」
言われたとおりにすると、彼女は背中から抱き着いてきた。
「お前……」
予想外の行動に面食らった咲哉は、硬直することしか出来ない。
「ねえ、これが昨日私が見た、ライカが抱き着く構図なんだけど。胸、当たってない?」
「……」
「聞いてるんだけど」
「思いっきり当たってます。昨日も思いっきり当たってました」
その言葉を聞いて、ようやく小鳩は少年を解放した。そして今度は咲哉の肩をつかんで座るよう促すと、少年の背にもたれかかった。
「一体どういう精神状態になればあんなことが出来るのかしら。色仕掛けのつもりだったのかしら?今のサクには、ただ傍でそっと寄り添うのが一番良いって、そう思うんだけど」
「……そうだな」
自分が欲していたものが何なのか、分からなかった。そもそも何も求めていないのかなと思っていた。でも今この瞬間、ある種の充足感が満たされているのは確かだった。
それでも刹那、ライカの顔が脳裏をよぎった。
いつも自信満々だから、フラれるというのが想像できないからああいう態度なのだと思っていた。
そして、最後に見た彼女の表情。戸惑ってはいたが、ちっとも恋人を奪われた人間のそれには見えなかった。まさか本気で、ここから咲哉の心を取り戻せると思っているのだろうか――。
それからの時間は、あわただしくもあっという間に過ぎ去っていった。
クラスで孤立している人種にとって、一致団結することを求められる学校行事とは恐ろしいことのように思われていたが、案外そうでもないということに、咲哉はこの頃になってようやく気づかされた。
教室で手持ち無沙汰にしているのは、暇であるというアピールに他ならない。
咲哉と小鳩は雑用係として、様々なことを頼まれた。消耗品の調達、内装の打ち合わせ……気が付けば、各種申請の確認やミーティングなどにも参加させられていた。部活動の出し物やらステージでの有志の出し物やら、クラスの出し物にかまけていられる生徒ばかりではないし、ましてや審査員に選ばれた以上、当日は手伝えそうにないのだから当然のことだっだ。
一度も話したことなかった名前もあやふやなクラスメイトにも、避けられず必要とされていることが嬉しかった。
小鳩と一緒に、二人ぼっちだったのも大きかっただろう。
お互いに確認しあったり、一言二言相談したりできることが、状況を円滑にしていた。他人と接点を持たないことに拘っていた、ほんの少し前までの自分を叱りたく、励ましたくもあった。
忙しさは、会いたい、話したいという気持ちにつながった。夜になるとそれを埋め合わせるかのように、小鳩とラインで会話するようになった。
ライカとは、すれ違う機会すらなくなった。ラインも音沙汰なしだった。逆にそれが不気味だったけれど、あの日背中越しにいた、今は電話越しにいる、ずっとそばにいる少女の存在が、全ての輪郭を、曖昧にぼかしていくのだった。
そして、文化祭の初日を迎えた。
毎日更新したいと思います。
頑張ります。