第四話(4/4)「想いは決して重ならない」
長かった夏休みが終わり、二学期が始まった。
始業式の朝、駅前のロータリーの時計の針はまだ、午前七時を回ったばかり。
駅ビルの一階に入ったコンビニ、改札の前の売店、そしてホーム周辺で目に付くのは、ジャージやユニフォーム姿の学生だった。
三年生が引退して、一、二年は実質的に昇進したのもあるだろう。これから朝練に向かうであろう彼らは、妙に活き活きして見えた。
そんな若人たちを尻目に、咲哉は、改札のあたりをしきりに見回していた。
LINEもチラチラと確認しているが、昨晩のやり取りしか表示されていない。
『しばらく会えてないな 明日は一緒に登校しないか』
『明日は文化祭の準備で七時半集合なんですよ だったら駅は七時にはいないと』
『私はかまわない 待ってる』
彼女らしい、簡潔な返事だった。何度か見返したあたりで、彼女が現れる。
「おはよう、少年。早いじゃないか!私の方が出迎えるつもりだったんだが、偉いな!」
「先輩を待たせたくなかったんです。俺に出来るのは、それくらいですから」
「その見上げた心意気、ますます気に入った!」
こちらの消え入りそうな声を打ち消すみたいな、彼女の力強い声。今日も今日とて、この人は朝から元気いっぱいだ。
「自転車、本当に押していくんですか」
「そりゃ二人乗りでもしたいところだがな。近隣の住民から苦情の電話が来るのは本懐ではない」
たまにごく常識的なことを言い出すのが、今は怖かった。そもそも通学路が立ち漕ぎ必至の登り坂で二人乗りは……いや、彼女ならやすやすとこなしてみせるのだろう。
「どうしていきなり一緒に登校しよう、なんて言い出したんですか」
「皆まで言わせるな。少しでもお前といる時間を増やしたかった、それ以外の理由がいるか?」
「皆まで言ってるじゃないですか」
「……そういう歯が浮くセリフ、恥ずかしくないわけ」
ぶっきらぼうな声に振り返ると、いつにもまして仏頂面の野水小鳩がいた。
「お前、どうして……」
「サクと同じよ。文化祭の準備が遅れてるから、早く来て手伝ってくれって言われてるわけ。そしたらあんたたちがいたってだけのことよ」
「……イチャついてねえよ」
咲哉は低いトーンでそうつぶやく。
「で、恥ずかしくないの、そういうの?」
「これはまた面白いことを言うな。本音を話すのに、どうして恥ずかしがる必要があるというのだ?」
相変わらずの調子に、小鳩は内心ため息をつく。
(この人、やっぱりダメだ。相手の気持ちを見透かしているって言うけれど、見えているけど見えていない)
小鳩の懸念通り、二人は次第に、自然と、少しずつすれ違い始めた。
いずれのクラスも文化祭の準備が遅々として進まず、お尻に火が付き始めていたのがそれを後押しした。クラスでの立ち位置など関係なく、手隙でいると何かしらの仕事を与えられるようになった。
のちに知ることだけれども、ライカはよろず屋として様々なことを引き受けていた。何を頼んでも初めは面倒くさがるし、恩着せがましい余計な一言も付いてくるけど、いざ手を付けると何でも器用にこなしてみせた。馬力がある上に要領の良い彼女は、当然引っ張りだこだった。
自転車通学なのもあいまって、特に使いっぱしりとして重宝されていることとなった。いつもの競技用自転車ではなく荷台のついたママチャリで登下校するようになり、資材の調達のためホームセンターやディスカウントストアを何度となく往復させられた。最終下校時刻になってから「これを帰りに買って明日学校に持って来て」とメモを渡されることも多く、咲哉たちと帰りが一緒になることすらなかった。自分のことが第一で、サクのことが世界で二番目の優先事項、そううそぶいていた彼女だけど、周囲に頼られることが不快なわけではなく、それを突っぱねることは出来なかった。
咲哉も同じことに悩まされていた。名前を呼ばれ、共同作業を重ねる過程で、必要とされることに戸惑っていた。どうせ自分は小さな歯車の一つに過ぎないし、いなくなったからと言って誰か困るわけでもない。だが、裏を返せば歯車としてうまくはまって機能しているのだ。
彼にとってライカは変わらず魅力的だったし、自分の中の彼女に惹かれる感情はごまかしようがなかった。ただ、自らを救いようのないクズと再び規定してしまった咲哉にとって、それは肯定しにくい感情であり、咲哉は自ら行動を起こすことは出来なかった。
大きな出来事はなかったけど、心境だけは淡い絵の具を重ね塗りするかのように、少しずつ、しかし明確に変化していった。
昼休みに一緒に食事を摂る習慣も絶たれた。当たり前のように自分の教室を出ようとすると、
「どこ行くんだ?」
苗字しか覚えていない男子に咎められた。
「別に……その、何か打ち合わせでもやるの?」
「そういうわけじゃなかったんだが、折角だがやっとくか。――おい!」
余計な一言だった。結局、その日は小鳩だけが空き教室へ向かった。
その翌日こそ、衆目をかいくぐり一度は教室を出た。廊下で小鳩が別のクラスメイトに話しかけられていることに気づいた。何やら相談をされているようだ。
一緒に昼食を摂っていることは知られたくなかったため、元からお互いバラバラのタイミングで向かうよう示し合わせていた。何となく彼女のことを気に留めたまま教室を出て、人気のない方向へと向かう。ほどなく目的の空き教室が見えてくる。
立て看板、大道具、用途不明のベニヤ板や段ボール……この時期は廊下に様々なものを置くことがまかり通っている中、そこだけがすっきり広々とした空間だった。
次の瞬間、不思議なことが、本当に不思議なことが起こった。
目の前のドアまでわずか二メートルのところで、足が釘付けになったのだ。
まるで接着剤でも踏んづけたかのように、両足はびくともしない。
いくら文化祭が近いとはいえ、もちろん床に強力な接着剤が落ちていたわけではない。潜在意識がそうさせているのだということは、いかに愚かな咲哉でも分かった。
中から人の気配がする。
始業式の日以降、彼女はいつもこの部屋で待ち構えている。
こちらがどんなに急いできても、悠然とした態度で待ち構えている。
今日も中で待っているはずだ。待ちわびているはずだ。
それなのに、どうしてもドアが開けられない。
棒立ちになっていたのは、それでもほんの数十秒くらいだろうか。数秒だったかもしれない。
やがて咲哉は壁に張り付くようにして、ドアの窓の死角から、こっそりと中の様子をのぞき込んでいた。自分は何をやっているんだろうと思いつつ、身体はそのようにしか動かない。
ライカは机に腰を下ろしたまま、今日もロールケーキを頬張っていた。色から言ってチョコ味だろうか。退屈そうに足をブラブラさせながら、身体はこちらに向けている。完食したら視線はこちらに向かうだろう。
入らなきゃ、入らなきゃ、と思いつつ、足は根を張ったように動かない。
小鳩が来てくれればなし崩し的に入れただろうだけど、こういうときに限って彼女はやってこない。
気が付けば、ライカが視界から消えていく。足がずるずると後退していたのだ。
いや待て、このままだと彼女に待ちぼうけを食らわせることになる。彼女を避けるなら避けるで「今日は都合が悪い」とか言い訳しなきゃ。
そういえばスマホはカバンの中だ、いま手元にはない。
じゃあ彼女に直接言わなきゃ、謝らなきゃ。
行けよ。
ほら、行けよ自分。
自らを鼓舞すればするほど、天邪鬼みたいに身体は後退していった。
やがて完全に背を向けて、咲哉は自分の教室に戻っていた。自分の席でクラスの女子が我が物顔で弁当を食べているのを無視して、小鳩の方へ向かう。先ほどとは違う女子と話し込んでいた。
「どうしたの」
戻ってきた自分の姿に、少女は一瞬驚いた顔を見せる。
「いや、先輩いなかったわ」
真っ赤な大嘘だった。
その直後、スマホでライカに連絡を入れた。予期せず文化祭の打ち合わせに巻き込まれてしまったと、再び嘘を重ねた。
『気にするな 次にすっぽかすのは私かもしれない』
そこから一週間、とうとう二人はライカと全く会うことが出来なかった。彼女の方も忙しいようで、向こうから先に『今日はいけない』と連絡が来ることもしばしばだった。
朝、駅前で待ち合わせするのも続かなかった。
しかし咲哉は、そのことをあまり寂しいとは感じなかった。
忙しさに流されて思考を停止させることが、こんなに楽だとは思わなかった。むしろ今まで毎日会っていたことが無理で不自然だったように思われたし、ある種の緊張から解き放たれて心中は穏やかだった。
一方ライカの方は、人知れずフラストレーションをため込んでいた。
これまでずっと「明日にはサクを落とす」「次会った時にこそ、完膚なきまでに篭絡してみせる」と宣言し、実際にそういうつもりで行動してきた。だが実際には、何度となく手を振り払われ、会うことすらかなわなくなった。ふてぶてしい笑みを見せる機会も、少年を見下ろす機会をなくしてしまった。
だが、焦りはなかった。揺るぎない自信だけがあった。だからLINEは最低限の事務連絡のみに使い、スマホでコミュニケーションを取ろうとは思わなかった。
(明日は体育祭だ。文化祭の準備からも解放される。今度こそ、お前の本音を引き出してみせよう。そして来週の文化祭の時には、必ず)
頭上には星、足元には等間隔の街灯が瞬く街道を一人自転車で下りながら、烏山ライカは軽やかな軌跡を描き、今日も一人帰路に着くのだった。
毎日更新したいと思います。頑張ります。
【9/14追記】
あまりにも文章が支離滅裂だったので大幅に推敲いたしました。申し訳ありません。