第一話(1/3)「尊大な彼女は卑屈な僕を落とせない」
烏山ライカは、こちらの想像を超えてくる人物だった。
「改めて伝えよう、少年。私の恋人になるがいい」
そう言われながら差し出された手のひらは、まっすぐこちらに伸びていた。
「お前のことは、初めて見たときからずっと強烈に惹かれていた」
「……」
「お前にとっては突拍子のない話だというのは自分でも分かっている。だが、これはずっと言う機会がなくて、私の中でずっと抱え込んでいた感情なのだ」
自分のことは、自分が一番愛しているものだと思っていた。
つまり、自己嫌悪を募らせることがあまりにも多すぎる地点で、他人から告白されることなんてありえないはずだった。
(でも、ひょっとしたら違うのだろうか)
少年・桜尾咲哉がそう考えさせられたのはある夏休み、分厚いカーテンの降りた空き教室で、一学年上の先輩・烏山ライカに情熱的に口説かれているときのこ
「……冗談ですよね」
「決して冗談でも冷やかしはない。いま私の中にある、痛切な感情だ」
烏山ライカは胸元で握り拳を作って、低い声で、しかし高らかに宣言する。窓の外も廊下も静かなものだった。
三五度を超えると、セミも活動を停止するという。ただエアコンの効いた部屋で首筋から汗が止まらないのは、その猛暑が理由ではなかった。
「お前のことを、もっとよく知りたい。そのためなら、大概のことは厭わない。私はそういう人間だ。なんでも言ってくれたまえ、その度にきっと、私はお前の想像を超えて応えてみせよう」
彼女は一歩、じり、と距離を詰める。身長差の関係上、より見上げることとなる。
咲哉は改めて、ライカの全身を見渡した。
自分も一七〇センチあるから、決してチビではないほうだ。
しかし彼女の方が頭半分……いや、ほぼ頭一つ大きい。百八十センチでは確実に済まないだろう。
そしてそれと同じくらい印象に残るのが、外向きにふくらんだ、ボリュームたっぷりのロングヘア。いやにツヤツヤしている。シャープな輪郭に、切れ長の瞳もあいまって、さながらオオカミのような印象。ふてぶてしい態度といい、少女という形容はおよそふさわしくないのかもしれない。
「どうした少年、舞い上がって声も出ないか?」
「……ホントもう、勘弁してくださいよ」
余裕たっぷりで芝居がかった口調に気圧されて、咲哉はまた一歩後ずさってうつむいた。
「俺はどうしようもないクズですから、やめといた方が良いと思いますよ」
「サク、目を見て話すんだ」
そう指示された瞬間、前を向いていた。その言葉に逆らえなかったわけではなかった。ただ彼女と正対し、身長差の分見上げたその瞬間、冴えない自分の姿を映す彼女の大きな瞳に、身も心も吸い込まれそうになる。 心の中に築き上げていた壁に、確かにひびが入っていくのが分かった。
ライカはささやくように、しかしはっきりと告げた。
「その瞳が本音を語っているぞ。お前もまた、私のことを知りたくてたまらない、とな」
「……!」
「遠慮はいらない。なにせ私の方から好きになったんだからな。
悪いようにはしない、私は嘘もお世辞も言わない、着飾らない人間だからな。
大胆になって良いんだぞ。私はお前に傷つけられるほど、やわではないからな」
甘い言葉に重ねて差し出された、長い腕の長い指先は、何かしらの力と光を帯びているように見えた。
「……すごい人だ……」
思わず詠嘆の言葉が漏れる。
少年が導かれたかのように、彼女の手首を掴もうとした瞬間だった。
「はい、そこまで」
二人の手のひらは、別の腕にさえぎられる。
事務的な口調で淡々と割って入ったのは、二人を結び付けたはずの少女・野水小鳩だった。
後頭部を簡単にまとめたショートヘアに、学校指定のモスグリーンのベスト。ロングヘアにぱりっとしたワイシャツ一枚のライカと対照的で、童顔なのもあって垢抜けていない印象を受ける。
「何をするんだ、小鳩!?」
小鳩は、冷めた目でライカを見つめる。
「あれ、私の気持ちは見透かせないの?あんまりのいたたまれなさに、黙って見ていられなかったんだけど」
「なっ……」
「さっき話したこと、忘れたの?サクにこんな風に迫っても逆効果だって」
(……確かにそうだけど、なんでお前が言い切れるんだ?)
知ったような口ぶりに咲哉は神経を逆なでされたような錯覚を覚えたが、すんでのところで表情に出さずに済む。
「俺は……」
我に返った少年は、伸ばしかけた自分の手をじっと見てから、力なく引っ込めた。
「俺は今、先輩の優しさの前に、恐ろしい罪を犯してしまうところでした」
「何を言う、素晴らしい選択の間違いだろう!?」
「はいはい、その辺で。ところで、いい加減戻った方が良いんじゃない?さっきクラスの人が、いかにも人を捜してますよって様子ですぐそこまで来てたけど」
ライカはスカートのポケットから取り出したスマホを一瞥すると、彼女は嘆かわしいとばかりに額に手をやる。いちいち仕草が大仰だ。
「こういうときに限って……間が悪いものだな」
かすかに表情を曇らせた少女は、また次の瞬間には不敵な表情に戻る。
「サク、残念だが今日はここまでのようだ。だがしかし、再び会う日は近いだろう。覚えておくがいい!」
「そんな捨てゼリフみたいなこと言ってないで、あきらめてくださいよ」
「捨てゼリフなどではない。小鳩はああ言ったが、私は今、お前がはっきり心をぐらつかせたのを見た。そうだろう?」
「……」
「その沈黙が何よりも雄弁に物語っているぞ。お前にとって、私の登場は突然だったかもしれない。だが私にとっては、募らせた思慕が臨界点を越えたがゆえの行動だったということをゆめゆめ忘れてくれるなよ?また会おう!」
本日一番の会心の笑みを見せて、彼女は嵐のように教室の外へと姿を消していった。
あとに残された二人は、お互いに困り顔で机に腰かける。
「どこから聞いてたんだ」
「ほとんど最初からね」
「もっと早いタイミングで止めてくれよ」
「だって、あの話しぶりなんだもの。……ね、すごい人だったでしょ?」
「なんだかよく分からないけど、とにかくすごい自信家みたいだったな」
「言えてる」
咲哉は自分の手のひらをじっと見る。
「……でも、自分の方が怖かったな」
「え?」
「なんて言えばいいのかな。やっぱり俺は救いようもないクズだからな。他人に興味をもたないことをモットーに、これまでずっとやってきた」
「うん」
「だけど、ライカ先輩に……突然現れたあの人に、俺はあっという間に惹かれてしまっていた。小鳩が止めてくれなかったらどうなっていたか……」
「止めて良かったの?」
「ああ。結局のところ、クズの中のクズだからな。邪念を捨てることが出来なかったんだ。誰とも関わり合いを持たないっていう誓約すら守れなかった」
「別に良いんじゃない、それは」
顔を上げると、小鳩の当然という顔があった。その表情に、ふいに咲哉はイラッとする。
「確かにあいつは変わり者だけど、悪い人じゃないし。向こうが好き好き言ってて、こっちもまんざらじゃないなら、別に」
「ダメだって、そんなの」
咲哉は強い語気で、彼女の言葉をまるであしらうように遮って立ち上がる。
「どうして?」
「どうしてもこうしても、とにかくダメなんだ。まったく、こんな俺のどこを気に入ったんだか」
「あんたが自分でも気づいていない魅力があるんじゃないの」
「そんなわけねえって」
また、刺々しい口調。
小鳩は何も言わず、眉一つ動かさなかった。
そのことが救いであり、辛くもあった。熱いものと冷たいものが胃の中で混ざり合うような、じっと耐えるしかない不快感が胸の中を満たしていく。
やがて二人もまた、教室へと戻っていった。
夏休みが終わるまであと二週間の、昼下がりのことだった。
出来るだけ毎日更新したいと思います。
頑張ります。