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白日夢  作者: 881374
【ステージ2】『全知の書と全能の書』
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第四話

 そしてそれから、十数年が過ぎた。


 現在私(あま)つきは、大学卒業後そこそこ名の通った企業に就職して極平凡なOLとして自分の食いぶちを稼いでいるという、ありきたりながらも順調なる人生を歩んでいた。


 それに対して双子の妹のなたのほうはというと、何と唐突に大学を中退したかと思えば学生時代に知り合った友人たちとコンサルタント会社を設立し、若きやり手の女社長としてすでに我が国の経済界において注目の的となっていた。


 別に大学で経営学や経済学を学んだわけでもなく、それどころか中学生の時分からずっとぱっとしない成績しか収めておらず、大学も私の母校よりも数段落ちるレベルでしかなかったというのに、何ゆえ彼女が経営コンサルタントなんかの道を選びしかもちゃんとやりこなせているどころかすでに大成功を収められているのかというと、もちろんすべては例の祖父から授けられた純白のスマートフォンの姿を借りた、『全能の書』のお陰であったのだ。

 何せ日向がただ単にスマホに実現したいことを書き込むだけで、たとえそれがどのようなことであろうとも、本当に実現してしまうのである。

 確かに我が国の企業経営者の中には経営戦略上の重要な岐路において、密かに高名な占い師にどのように判断を下すべきか占ってもらっている者も少なくはないという話もよく聞くが、日向の有する全能の書による絶大なる効力は、占いなんかの比ではなかった。

 こう言っては何だが、企業のトップが占いなぞに頼っているのはけして絶対的な信頼感に基づくものなんかではなく、いわゆる『気休め』のようなものに過ぎないのだ。

 例えば、まったくの白紙の状態から重大なる商取引や新製品開発を行う上においては、本来なら無数の選択肢があり得るのだが、まずは現場の担当者によって絞り込みが行われ、現実的かつよりメリットのある選択肢が十数通りほどピックアップされた後に、更に部長級以上の幹部会議において更にほんの数件ほどに絞り込まれて、最後に社長等の経営トップによって二、三通りまで選択肢を絞り込んだ段階で、どうしてもこれ以上は判断がつかないといった状況になって初めて──つまりは、最終的に残った三つほどの選択肢のうちならどれを選ぼうが一応は構わないのだが、何と言っても商取引というものは水物なのでちょっとした不運によって大損失を被るかも知れないという恐れを払拭できないという場合においてのみ、いわゆる文字通りに『神頼み』そのままに占い師に占ってもらい、その()()()()()()()()()()──すなわち、けして占いの結果をそのまま鵜呑みにするのではなく、もう一度取締役会議等を開いて最終的な決断を下している、といったところではないかと推測する次第であった。

 そう。一言で言えば、けして『占いの結果=企業としての最終判断』となるとは限らないわけなのである。

 それに対して日向が主宰しているコンサルタント会社においては、顧客側に最終的に是非とも叶えたい『結果』を申告させるだけで、全能の書の力を利用することによって確実に叶えることができるのであり、その絶大なる実効性のほどは占いなどという不確かな気休めレベルの効果しかもたらせないものでは比較にもならず、有名企業の経営陣を始めとする有力な顧客が殺到するのも頷けよう。

 しかも顧客のどのようなオーダーに対しても達成率は常に100%を誇るものだから、その名声は天井知らずに高まっていくばかりで、今や我が国の経済界のトップ陣からの信頼度は並々ならぬものがあり、日向自身も一躍『時の人』として祭り上げられているといった有り様であった。


 ……こうなると当然のごとく、同じ双子の姉妹でありながら極平凡なOLに過ぎない私のほうは、いかにも妹に差をつけられてしまったようにも思われるところであろうが、私は私のほうでちゃんと、例の祖父から授けられた全知の書を使いこなしていて、日常的な仕事の場で存分に活用していっていたのだ。


 以前メアも言っていたが、この世の万物における無限の未来の可能性をすべて予測計算シミュレートできるからこそ全知の書は、全能の書みたいに必ず目標を達成できる道筋を一つだけピタリと言い当てることなぞできず、しかもそれ自体では即効性はなく、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」を旨としある意味思い切りのいい占いと比べてさえも、更に漠然とした参考意見アドバイスを与えることしかできなかった。

 一見「すべての未来への道筋を事前に予測できるのだから、成功に至る道筋だって見極めることができるのではないか?」と思われるかも知れないが、話はそんなに簡単なものではない。

 もちろんやろうと思えば、全知の書を使うことによって『成功への道筋』を予測計算シミュレートすることは可能である。

 しかしこれまで何度も繰り返して述べ続けてきたこの世界の大原則である『未来には無限の可能性がある』に基づけば、何とたとえ『成功への道筋』をきちんとたどって行こうとも、失敗する可能性はけして無くなったりはしないのである。

 極端な例を挙げれば、『最寄り駅に行く道筋で一番早く到着可能なルート』を、物理的かつ論理的に計算して弾き出すことができたとしても、例えば急な腹痛などの健康面に問題が生じたり、場合によっては暴走トラックが歩道に飛び込んできてはね飛ばされたりといった、いわゆる突発的要因によって、せっかくの計算シミュレート結果がまるっきり役に立たなくなる可能性もけしてないとは言えないのだ。

 実は全知の書はそういった事例までも事前に予測することが可能なのであり、だからこそ例えば職場で「絶対に成功するアイディアをひねり出せ」と言われたところで、「そんなことは不可能です」としか答えざるを得ないのであった。


 それでは結局のところ全知の書は全能の書とは違って、一般的な企業の末端の職場等の実際の現場ではまったくの役立たずなのかというと、さにあらず。

 使い方によってはちゃんと確定的な答えを弾き出すことができ、しかも全能の書なんかよりも効果的に役立たせることすら可能なのだ。


 無限の答えを算出シミュレートし得るゆえにただ一つの答えに絞り込むことが事実上不可能であるはずの全知の書に、確定した解答を弾き出させる方法──実はそれは、ある意味企業活動はもちろん軍事行動等においても最も重要なる事柄トピックスとも言い得る、『リスク対策』であった。

 全知の力で予測した『成功への道筋』の途上であろうとも必ず何らかのリスクが存在し得る可能性があるのだから、全知の書ではけして唯一絶対の成功へのルートを算出シミュレートできないわけなのだが、逆に言えば全知の書だったら考えられ得るあらゆるルートに潜んでいるリスクを洗いざらいすべて暴き出し、完璧なるリスク対策を講じることができることになるのだ。

 具体的な例を挙げれば、第一線の現場の職場のスタッフが上げてきた新規の商取引における十件ほどの選択肢に潜んでいるリスクをすべて浮き彫りにして、それぞれのリスクに有効な対応策があり得るか否かを考慮に入れながら選択肢同士を比較検討し、よりリスクの低いものはもちろんより容易にリスクへの対応が可能なものこそを『成功に至る可能性の高い選択肢』としてピックアップすることで、確かに全能の書に比べれば消極的かつ慎重過ぎる嫌いはあるものの、何よりも()()()成功を勝ち得る道筋を見極めることが可能となるのだ。

 そのため私の全知の書によるリスク対策の的確さは入社してすぐの早い段階から高い評価を得ることができ、社内随一の花形部署にして、企業における各種経営戦略や戦術の立案を専門とする、栄えある企画室へと配置されることとなり、まさしく水を得た魚そのままにこれまで以上に全知の書のリスク対策における絶大なる効能を存分に発揮させることによって、企画室の誇るエリート集団の中においても一目置かれる存在となったのであった。


 そう。まさにリスク対策は私にとっては、全知の書を有効活用する上からも、生まれついての性格の上からも、文字通りに天職とも言うべき職務であったのだ。

 それというのも、実は私は何よりも平凡であることこそを愛していて、たとえ事なかれ主義と言われようとも分不相応な望みを実現するためにリスクの大きな博打を打つことなぞけしてなく、常に石橋を叩いて渡るかのようにして、最もリスクの少ない道筋ばかりを選んで歩き続けてきたのであった。


 しかしそれも、長引く不況により下降の一途をたどる業績悪化を挽回するために講じられた、突然の社内の抜本的組織改編が断行されるまでの話であったのだ。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──駄目だ駄目だ、何がリスク対策だ。もうそんな時代じゃないんだ。これからは我々企画室こそが我が社の先頭に立って、攻めの一手で行くべきなのだ!」


 その時この度の組織改編によって異例の若さでありながらめでたく企画室の新チーフに抜擢された、実は以前より密かに思いを寄せていたあこがれの先輩男性は、私が提出した企画書を一目見るなり、怒気もあらわにまくし立てた。


「しかし先輩──いえ、チーフ。今回の企業買収計画は、あまりにリスクが大き過ぎます。調査によると先方さんの年間収支実績は毎回赤字続きだし、首脳陣に至っては派閥争いに明け暮れていてまともな経営方針も立てられないという体たらくであり、それにそもそもこの企業の専門分野は我が社の業務とは直接関わり合いのないものばかりなのであって、ただでさえ我が社自体が収益低下に困窮している現状で、巨額な資金を投下して買収するメリットなぞまったく無いではありませんか?」

 そんな私の至極もっともな申し分に対しても、目の前の上司の青年は銀縁眼鏡に覆われたいかにも神経質そうな顔を真っ赤に紅潮させながら、更に激昂するばかりであった。

「我が社がこれまで手をつけていない分野をこれから開拓していく上からも、このように大枚をはたいてまで他業種の企業を買収する意味があるんじゃないか? それに先方の現経営陣や収益に問題があることは、むしろ望むところだ。それを逆手にとることによって強気で買収交渉に臨めて、よりこちらに有利な条件で契約を締結することが可能となるからな。何、買収後はただちに我が社の有能なる職員を派遣して各部署の指導に当たらせれば、すぐに業績も向上するさ」

「そんな、あまりにも見通しが甘過ぎます! それはすべてにおいて、こちらの予想がうまく行った場合の話でしょう? そのように何もかも都合よく行く保証なんてあるのですか? リスクは常にあらゆる場面に存在しているのですよ⁉」

「口を開けば、リスクリスクとやかましい! もうそれは聞き飽きた。どうやら君はこの買収プロジェクト──いや、私の新体制の企画室には必要がないようだな。ちょうどいい。この際私のチーフ権限で、今すぐ配置換えをしてやろう」

 なっ⁉

「配置換えですって? こう見えても私は、まさにそのリスク対策の腕を買われて、取締役会の肝いりで企画室に配属されているのですよ? それをチーフとはいえ一社員に過ぎないあなたの一存で、配置換えなぞできるものですか!」

「いったいいつの取締役会の話をしているんだい? 今回の抜本的な組織改革によって、そんな日和見主義の弱腰取締役どもは一掃されて、今や社内一丸となって『攻め』の姿勢で統一されているのだ。──それに、自他共に認める優秀なる君の穴埋めについても、心配御無用。何せ社外から君など比較にならないほど有能──いや、()()()()アドバイザーを雇うことになったからな。おや、ちょうどいい具合にお見えになったようだから、君にも紹介しておこう。『彼女』こそが、君に代わって新たにこの企画室に採用された、世間でも評判のアドバイザー氏だよ」

 ──え? ま、まさか、あの子って⁉

 チーフの視線を追うようにして振り返ってみれば、いつしかドアが開かれていた入口の手前には、意外な人物がたたずんでいた。

 見るからにけばけばしい蛍光ピンクのブランドスーツに包み込まれた、二十代半ばほどのいかにも女性らしいほっそりとした肢体。

 そして不敵でありつつもどこか妖艶でもある笑みを浮かべている、毎日鏡の中で散々見飽きていながらも、我ながら結構整っていると自負している小顔。

 そう。それは紛う方なく、私の双子の妹その人であった。

「まさか、なたなの? どうしてあなたが、我が社の企画室なんかに……」

「そりゃあ決まっているでしょう? そこのチーフさんにそれは熱心に請われたから、スカウトに応じてこの会社の専属アドバイザーになることにしたのよ」

「専属って、コンサルタント会社の経営のほうは、どうするつもりなのよ?」

「ああ。あれはもう、やめることにしたの」

「や、やめるって──」

「もう十分に業界中に名前を売ったし、ここが潮時と思ったの。それにお歳を召された有名企業のトップの方々のお相手をするのも、飽き飽きだしね。そこでタイミングよく私に接触してきたこの会社の将来有望な若き企画室のチーフさんに、御希望通りに専属することにしたってわけよ」

「名前が売れたからもう十分とか、顧客の顔を見るのを飽きたからとかといった理由で、せっかく自ら設立した現在も好成績を収めている会社を放り出すなんて、本気なの⁉」

 我が妹ながら、そのいい加減極まる性格には、めまいを覚えるほどであった。

 しかしその一方では、非常に納得いくところでもあった。

 顧客である企業経営者のどんな願いでも叶えることができると評判の日向が、我が社の企画室の専属アドバイザーになるともなれば、取締役会も諸手を挙げて大歓迎だろうし、この際私ごときをお払い箱にしようが痛くも痒くもないでしょうよ。

「……ま、そういうわけだ、つき君。後のことは私と日向君に任せて、安心して新しい職場──総務部の資料室で、これからせいぜいがんばってくれたまえ」

「……資料室、ですか」

 それって地下室に設けられている、我が社きっての閑職の代表的職場じゃないの。

 しかしこうなってしまってはもはや、一社員としては拒否権なぞあろうはずもなかった。

 私は手早くけして多くはない私物をまとめるや、これまでずっと苦楽を共にしてきた職場の仲間たちに挨拶を済ませた後で、尽きせぬ未練を残しながらも潔く席を立った。

 そしてそのまま出口へと向かえば、日向がいまだ行く手をふさぐように立ちはだかっていたので、思わず足を止めて恨み言をつぶやいてしまう。

「……いったいこれって、どういうことなの?」

「言ったでしょ? 相手が大企業の経営者のお偉いさんだろうが何だろうが、もう他人のために全能の書の力を使うのは飽き飽きしてしまったって。──だから、これからは自分のためにだけ使うことにしたの」

「自分のためですって?」

「実はね、私は全能の書に、こう書き込んだの。『今お姉ちゃんが最も大切にしているものや、最も欲しがっているものを、是非とも手に入れたい』と」

「──っ」

 私が最も大切にしているものや、最も欲しがっているものって。それって、まさか──

「そう。だからこそ全能の書は、この企画室のアドバイザーとしての立場と、あなたが密かにあこがれていたあのチーフさんの信頼と()()とを、こうして私にもたらしてくれたってわけなのよ」

 ……何……です……って……。

「チーフの、愛情って」

「うふふ。実は私と彼とは、もうすでに男と女の関係にあるの」

「なっ⁉」

「ま、そういうことだから、後のことはどうぞお気になさらずに、お姉ちゃんはお姉ちゃんで地下室で一人寂しく、新しいお仕事に励んでちょうだいな」


 そう言って忍び笑いをもらし始める妹であったが、私はそれを耳に入れることもなく、ただ脱兎のごとくその場から走り去ることしかできなかったのであった。

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