第一話
──哀れなる、『登場人物』たちへ。
『作者』である私があなたたちに、極上のハッピーエンドを与えてあげる。
「──月世に日向。おまえたちには、これをあげよう」
その時もはや余命いくばくもないお祖父様は、痩せ細った上半身だけをベッドの上に起き上がらせて、漆黒と純白の二台のスマートフォンを私たち双子の姉妹のほうに向かって差し出しながら、そう言った。
そこには、かつては国内でも有数の大企業である天野グループのすべてを支配していた、辣腕のワンマン経営者の面影なぞ微塵もなかった。
「お祖父様、それなあに?」
おそらくはこれこそが私たちに対する愛する祖父からの最後の贈り物──つまりは形見になるかも知れないというのに、そんなことなぞ少しも忖度することなく、欲深き瞳を煌めかせながら問いかける、私とそっくりな十歳ほどの少女。
「『全知の書』に『全能の書』だよ」
「書って、ご本のことでしょう? それって、スマホじゃない」
「ふふふ。日向は物知りだな。確かにこれは本ではなくスマホだが、黒いほうの中には『全知』の力が、白いほうの中には『全能』の力がこめられているのさ」
──つまりあの二台のスマホには、そのような特殊なアプリがインストールされているということか。
やはりお祖父様がお若い時分に、あのネット上の伝説の超常なる存在、『ナイトメア』と関わり合いがあったというのは、本当だったの⁉
「それでお祖父様、全知と全能って、どう違うの? どっちにしろ、まさしく神様みたいに、何でもできるってことでしょう?」
「おや、どうしてそう思うんだい?」
「だって普通小説に登場してくる万能キャラって、『全知』を名乗るにしても『全能』を名乗るにしても、たった一人で軍隊と互角に渡り合ったり、見えない異能の敵と戦って退けたり、物理計算だけで未来の出来事をピタリと言い当てたりと、まるで神様そのままに大活躍する人たちばかりなのですもの」
「ほっほっほっ。それはその本を書いた小説家自身が、全知と全能というものを真に理解していないからだよ。──いいかい? 全知というのは、ただすべてを知っているだけで、それこそ小説の登場人物でもあるまいし、別に神様みたいなことを実現できるわけではないんだ」
「だったら、全能というのは?」
「全能のほうは逆に、たとえ世の中のことを何一つ知らなくても、文字通り全能なる神様そのままに、何でも自由自在に実現できることを言うのだよ」
「まあ! それ本当? だったら私、全能の書のほうがいい!」
そう言うが早いか、すぐ側にいる姉の私の意思を確かめることもなく、ちゃっかりと白いスマホのほうを自分のものにしてしまう、双子の妹。
「ねえ、お祖父様。これってどう使えばいいの?」
「ただ単に画面上に、自分が叶えたい願いを書き込むだけでいいんだ。そうすればこれから先のことであろうとも、過去の出来事であろうとも、好きなだけ実現したり改変したりできるようになるんだ」
「わっ、嬉しい! 私どうしても、欲しかった人形があったの!」
そう言ってさっそくスマホの画面に何事か文字入力をし始める、欲張り娘。
「……やれやれ、すまんな月世。おまえの意見を聞かないうちに、決めてしまって」
「いいえ。私はむしろ、全知のほうが願ったりですので」
そう言いながらいつものように、歓喜はもちろん不満すらも一切感じさせない無表情のままで、残った漆黒のスマホを受け取る私。
「……そうだな。そのほうがいいのかも知れん。月世、これからも日向のことを、しっかりと頼むぞ。何と言ってもこの世で二人だけの姉妹なのだから、いつまでも仲良くな」
「──あ。は、はい。もちろんです」
にこやかな笑みを浮かべながら唐突にそんなことを言い出した祖父に、一瞬面食らうものの、すぐに私は気づいたのである。
これが彼の愛する孫娘に対する、遺言であることに。
「──ねえ、お姉ちゃん。そっちの全知の書って、何ができるの? 何か入力して見せて!」
自分のほうの願い事の書き込みが済むや、すぐさま私のスマホへと覗き込んでくる妹。
まるでそれは、隙あらば全知の書までも、自分のものにせんとするかのような勢いであった。
「……ええと、ここの所に、知りたいことを入力すればいいのかしら」
スマホを確認すればいわゆる検索アプリの初期画面そのままとなっており、空欄となっていた中央の枠内に、適当に『明日の天気』と書き込んでみる。
するとほとんどタイムラグ無しに、次のような文言が画面上に表示された。
【御質問の『明日の天気』に対する、予測計算結果】
①晴天の確率…………………………………………………………………………33%
②雨天の確率…………………………………………………………………………60%
③曇天の確率…………………………………………………………………………6%
④その他季節外れの降雹等の不測の事態が起こる確率…………………………1%
「きゃはっ。な、何よ、これって。まるで天気予報そのまんまじゃないの⁉」
結果が表示されるやいなや、腹を抱えて笑い出す日向。
「あは、あはははは。それのどこが、全知の書だと言うのよ。──ああ、よかった。私は全能の書のほうを選んで」
この様子ではこちらの全知の書までかすめ取る気はなくなったようではあったが、私のほうは釈然としなかった。
……妹の全能の書のほうは、ただ願い事を書き込むだけで何でも実現できるらしいというのに、この差はいったい何だっていうのよ?
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
こうして祖父から私たち姉妹に与えられた二台のスマホのうち、どうやら少なくとも全能の書のほうに関しては、その効能のほどは確かなものであるようだった。
それというのも昨晩祖父のお屋敷から二人一緒に帰宅してみれば、父が件の日向が以前から欲しがっていた人形を、私の分も併せてお土産として買って帰ってきていたのである。
もちろんこの程度のことなぞ本来ならば、全能の書なぞといういかにもうさん臭いものの力によるものというよりも、単なる偶然の産物と見なすべきであろう。
しかし日向に与えられた全能の書がもしも本当に昔お祖父様と関わり合いがあったとも言われている、現在ネット上において噂の超常的存在たる『ナイトメア』によってもたらされたものだとすると、『ただ単にスマホに願い事を入力するだけで何でも実現することができる』というのも、あながち冗談の類いではなくなってしまうのである。
早くも願い事が叶ってしまったことで気を良くした日向のほうは、どんどんと新たなるリクエストを純白のスマホ──全能の書に入力しているようだけど、どうか人形が欲しいとかお小遣いを上げて欲しいとかの、極日常的なことに留めておいてちょうだいよ。
下手に『世界を征服したい』なんて書き込んで実現してしまったりしたら、洒落にならないからね。
それに比べて私の全知の書のほうは、とんだ期待外れの代物であったのだ。
「……お姉ちゃん、何で傘なんて持って行っているの?」
昇る朝陽もまぶしい登校途中の通学路にて、私の手のうちにある月の雫のごとき薄青色の雨傘を見つめながら、怪訝な表情で問いかけてくるマイシスター。
「いやだって、せっかく全知の書のお陰で降水確率が60%もあることがわかったんだから、ちゃんと雨に備えておこうと思って」
「何言っているのよ、今朝のテレビの天気予報では、降水確率なんて10%しかなかったじゃない。それにご覧なさい。空はあんなに晴れ渡っていて雲一つないし。お姉ちゃん以外に傘を持っている人だって、誰一人いないでしょうが?」
「うっ」
改めて頭上や周囲を見回すまでもなく、すべては彼女のおっしゃる通りであった。
「あ~あ。本当に何なのその、全知の書って。まったくの役立たずじゃない。何でお祖父様はそんなものを、私たちにあげようとしたんだろう。……まあ、私のほうは全能の書をもらえたんだから、別に構わないんだけどね」
いかにもあきれ果てたように、ため息すら漏らす双子の妹。
真に御もっともな御意見だったので、返す言葉もない姉であった。
そうして学校へと到着し妹と別れてから自分の教室に入ってみても、傘を持っている生徒なんて私以外にはおらず、またしても恥ずかしい思いをしてしまうばかりであった。
しかし放課後に至るや、状況が一変してしまったのである。
「──いやあ、いきなりこんな大雨になってしまうなんて、ほんとびっくりしたよね」
ちゃっかりと私の傘の中に収まって一緒に下校しながら、しみじみとつぶやく妹殿。
そう。何とあんなに晴れ渡っていたというのに、午後になるや急に雲がわき立ってきたかと思えば、ざんざんぶりの大雨となってしまったのだ。
しかもどうやら夕立やスコールのような一過性のものではないようで、ほとんどすべての生徒たちは放課後になっても学校に足止めされてしまい、こうして傘を用意していた私とそれに便乗した妹の日向だけが難を免れたといった次第であった。
「……いや。こうして実際に雨が降ってから言うのも何だけど、あなただって私の全知の書によって今日の降水確率が60%であることを知っていたんだから、傘を持ってくればよかったのに」
「いやよ、面倒くさい。私としては降水確率が100%か、少なくとも80%以上はないと、傘なんて余計なものを持っていく気にはなれないわ」
「何言っているのよ、降水確率100%って。普通30%もあったら、雨が降る可能性は十分にあり得ると言う人だって──」
……ちょっと待って。降水確率100%、ですって?
「ど、どうしたの、お姉ちゃん? 急に真剣な表情になって、考え込んじゃったりして」
「あ、いえ、何でもないわ。とにかく早くお家に帰りましょう」
「う、うん。そうね」
いかにも取り繕うような私の言葉に訝しげな視線を向ける日向であったが、何はともあれこれ以上大雨の真っただ中にいるのはごめんとばかりに、共に足早に我が家へと向かう。
そうして自分の一人部屋へと帰り着くや、私はすぐさま漆黒のスマホ──全知の書を取り出し、画面上の質問機能の起動スイッチである、『?』ボタンをタップしながらつぶやいた。
「……そうよ、そうだわ。何でこうして実際に雨が降ったというのに、この世の森羅万象のすべてを知り尽くしているはずの全知の書の昨日の時点の予測表示が、降水確率100%じゃなかったのよ?」
『──それはこの全知の書が決定論のようなインチキではなく、何よりも量子論に基づいた本物の全知を実現しているからよ』
いまだ何ら具体的な操作をしていないというのに、私の独り言に呼応するかのように、スマホから鳴り響いてきた、私とほぼ同じ年頃の少女の声。
それは確かに幼くもありながらも、同時にどこか高慢さをも感じさせたのである。
そう。まさしくこれこそが私と彼女──すなわち『夢魔』との、記念すべきファーストコンタクトの瞬間であったのだ。
~当作品をお読みになられている方へ、作者からの御挨拶(という名の挑戦状)~
実はミステリィ小説とは不完全な存在でしかなく、いくら作者が自分の作品の範囲内で「今回の事件は完全に解決しました」と宣言しようが、もしかしたら作品内には登場しなかった真の真犯人が存在するかも知れないし、作品の完結後にすべてを覆す新たなる決定的証拠が出てくるかも知れないし、犯人が真の動機を隠し通すために嘘の告白をしていたかも知れないし、そもそも名探偵による名推理──ひいては作者自身による筋立て自体に重大なる過ちが存在しているかも知れないし──等々といった、『実は作品世界の外側にこそ、真の真相や真犯人が存在し得る可能性はけして否定できない』とする、いわゆる『後期クイーン問題』が常に付きまとってくるのであった。
しかも何よりもこれは、作家という一個人によって作品世界のすべてが決めつけられている、小説という媒体においてはけして避けることのできない宿命的欠陥であるからして、その唯一最大の解決方法としては当然のごとく、単に前例踏襲的で安易なこれまでのミステリィ小説という作品形態そのものを、思い切って捨て去ること以外には無かった。
ただし、「ミステリィ小説を捨て去る」と一口に言っても、
①文字通り『後期クイーン問題」などという根源的な欠陥を抱えた不完全極まりないミステリィ小説なぞ完全に葬り去り、金輪際、執筆・出版・読書・評論の一切を放棄する。
②小説という作品形態のみを捨て、双方向性やルート分岐の可能なゲームや、不特定多数の者が創作に参加できるTRPGやツイッター小説等の、新たなる基幹的媒体を模索する。
③あくまでも小説という作品形態を維持しつつ、これまでに無い真に理想的で完全無欠の新たなるミステリィ小説の在り方を実現することで、『後期クイーン問題』自体を抜本的に解消する。
──などといった三通りのやり方が考えられるが、今まさにこの文章をお読みのミステリィファンやSFファンの読者様にしろ、場合によってはミステリィ系のプロの作家にしろ評論家にしろサイト管理人の皆様にしろ、それにもちろんこの文章を作成しているプロの作家志望のネット投稿者である私自身も含めて、およそ生粋のミステリィマニアを自認している者であるならば、当然③を選ぶことになるだろう。
そう。この作品は、口先だけ『作品世界のすべてを操っている真の真犯人たる作者が作品世界の外側に存在している』からこそ真の意味で『フーダニット』にケリをつけることのできない『後期クイーン問題』を解決してみせると豪語しながら、事もあろうに自作の中に自分と同姓同名の探偵役を登場させることで『作品世界の内側に真の真犯人たる作者を存在させてしまう』という、『後期クイーン問題』よりも言語道断極まりない状況を生み出してしまっている、これまでの間違ったすべての作品を完全に否定した、真に正しく理想的な(一見SF小説に見せかけた)ミステリィ小説なのである。