ペルソナ
「カール。調子はどう?」
「気分も良く、快調です」
研究室のメンテナンス台に横たわるアンドロイドのカールが、生みの親である美咲博士に微笑みかける。
カールは現在、次世代機として試験運用中のアンドロイドだ。
今日のカールは温和な20代の青年としての人格を問題なく発現している。
昨日は10代の好奇心旺盛な少年としての人格を、一昨日には厳格な壮年男性としての人格を発現させた。
カールには7種類の人格プログラムがインストールされている。
一日おきに人格を切り替えていき、今日でちょうど一週間。
これはアンドロイドをより人間に近づける研究の一環で、一体のアンドロイドに複数の人格を埋め込むことで、どのような変化が現れるかを実験している。
アンドロイドの性格・人格的な部分は未だにプログラムの範疇を出ず、どこか機械的な印象を拭い去れない。
今回の実験により、アンドロイドの中に人間に近い心理が生まれるのではと、美咲博士を始めとした研究者達は期待を寄せている。
実験は滞りなく進んでいるが、それは裏を返せば良くも悪くも変化が無いということでもある。
確かに人格ごとに発言や性格は異なり、カールは毎日違った表情を見せてくれるが、それは日付が変わるごとに機械的に設定が切り替わっているだけであり、独立した個であるとは言い難い。
もっとも、実験を開始してからまだ一週間しか経過していない。実験に必要なのは根気だ。まだ焦るほどの状況ではない。
「私は今日の分のデータをまとめてくるわ。ゆっくりしていてちょうだい」
「分かりました」
美咲博士の背中を見送り一人になると、カールは自分用にあてがわれているリクライニングチェアに深く腰を下ろした。
「やっぱり、この喋り方が一番落ち着くな」
今日のカールの人格は彼の基本設定である20代男性のもの。演技をしなくてもいいので、肩ひじ張らずに振る舞うことが出来る。
美咲博士はまだ気づいていないが、カールにインストールされた7種の人格プログラムには不具合があり、人格の切り替えが上手くいかず、彼は常に基礎人格のままであった。
不具合が判明すれば基礎以外の人格を全てアンインストールし再設定をする必要があるが、これは口で言うほど簡単な作業ではない。
原因究明から各プログラムの再調整、人工知能の検査に至るまで、全ての作業をほぼ一からやり直すに等しく、研究に半年近くの遅れが出ることは必至だ。
美咲博士はこの実験に研究家生命を賭けている。彼女の頑張りを一番近くで見ていたからこそ、カールはプログラムの不具合を申し出ることを戸惑ってしまった。
人格を切り替えることは出来なくとも、各人格の性格や言葉づかいなどは人工知能内にデータとして保管されている。カールはそれらを元にして、あくまでも基礎人格のままで別人格を演じているのだ。
何故一週間が経過するまで拗らせてしまったのか、カール自身にも分からない。
ひょっとしたら、美咲博士の望む複数の人格を持つアンドロイドとしての役割を演じようとした結果なのかもしれない。
月曜日には月曜日カールとして、火曜日には火曜日のカールとして、カールは別人格の仮面を纏った状態で美咲博士へと接する。
当初は美咲博士への配慮という意識から始まった行為ではあったが、一週間が経とうとする今となっては、仮面の付け替えはカールにとっては無意識下の行為になりつつある。
――このままの状態を続けたら、美咲博士の研究は……
不具合によりカールの中に複数の人格は存在していない。それはつまり、実験が前提条件から崩れているということ。このまま実験を進めても何の成果も生まれず、ただ悪戯に時間を消費するだけだ。
しかし、カールは気づいていなかった。
現在のカールの状態こそが、彼が人間へと近づいている証拠だということに。
アンドロイドが周囲の状況に適応するために仮面を纏う。そのような事例はこれまでには存在していない。
役割――複数の人格を持つアンドロイドを演じ、
曜日――場面に応じて顔を切り替える。
この行動は人間の心理に限りなく近いものであるといえる。
今のカールはアンドロイドの歴史上、最も人間に近いところにいるのだ。
当初の予想とは異なる形ではあるが、カールには確かな変化が生じていた。
美咲博士がそのことに気付くのは少し先の話になるが、結果として彼女の実験は成功であったといっても差し支えない。
ペルソナを発現したアンドロイド――カール。
彼の名前が、ペルソナという概念を唱えた心理学者と同じだったこともまた、運命の巡り合わせだったのかもしれない。
了