はぐれ用心棒 お時さん
今日も清兵衛は通りの暗いところで、二八蕎麦を食べている。
「割ってある箸ってのは良いねぇ。割る手間が省けらぁ」
「旦那。これからも贔屓にしてくだせぇ」
「しかし、良い器だねぇ、こりゃ」
清兵衛はこんなところで「時蕎麦」をやっている場合ではないと思った。それよりも、カカァのご機嫌も伺わなきゃいけない。適当に蕎麦を食うと、腹も溜まったので長屋に帰ろうとした。
その時、清兵衛は、背後に何か殺気を感じて、はっと振り返った。そこには恐ろしい面をした男が、顔から血を吹きながら、ふらふらと歩いてきたのである。
「どうしたんでえ、お前さん。その顔……」
「怪我してるって言いてえんだろうが、今は黙ってておくんな」
「ひい……」
「ちいとばかり喧嘩したのよ。そこの辻でな」
「喧嘩はよくないぜ。あっ、きやがった、きやがった」
男はカッと目を見開くと、ふらふらっと立ち上がった。そして、震える拳で刀を握りしめると、歩いてくる黒い影に向けた。
「お、おさむれぇ、ありゃ無理だで。何人いるんだか知れねぇ。お前さん、一人で相手できる敵じゃねぇよ」
「うるせぇ、清兵衛。ちいとばかりの間、黙っててくれねぇか」
「お、お前さんもその頑固なところ、損するぜえ」
「うるせぇ!」
目の前から七人の悪党が歩いてくる。真ん中に立ってる気障な野郎は懐からピストルを出して、こちらに銃口を向けている。
「おっと、その刀ぁ、そこに捨てなぁ!」
真ん中の男が侍に怒鳴る。
侍ピンチッ!
その頃、清兵衛は長屋に走って帰っていた。家に帰るとカカァがブリッジをしていた。
「おっかねぇ、おっかねぇだよぉ」
「どうしんだい、お前さん。なんかあったのかい」
「てえへんなんだ。お前、あのおさむれぇのこと、知ってんだろ。おさむれぇ、あのヤクザたちに喧嘩売られて、そこの辻で殺されそうになってんだ」
「そりゃいけないよ。あんた、助けておやりよ」
「おらにゃあ、何もできねぇ」
「意気地のない人だね! あんたが行かないんならあたしが行くよ!」
「えっ!」
女将さんは酔狂で安く買った日本刀を振り回すと、長屋から飛び出した。
その姿を見た長屋の大家さんは、
「やめなさいよ! お時さん!」
と叫んだが、お時は日本刀を抱えて、辻の方へと走って行った。
お時は、辻に走り込むと、今にも侍を殺そうとしていた七人の悪党に飛びかかった。
これに驚いた七人の悪党は、お時を斬り殺そうとしたが、どういう訳か、刃がまるでお時に当たらない。
「こ、このアマァ、できるぞ!」
お時は、猫のような身のこなしで、七人の悪党をバッタバッタと斬り殺し、恐ろしい勢いで最後の一人に迫った。
「後生だから……!」
悪党の叫び声が最後まで言い終わらぬ内に、お時の刀は悪党の首をスパンと斬ってしまった。
お時は、辻に倒れている侍に、すがりつくと、
「死なないでおくれよ。お侍さん!」
「やっぱり、あんたか……」
「覚えてるのかい、あたしのこと」
「忘れるものか。そうか、お前さん、清兵衛の家に嫁いだんだな」
「あんたがあの時、お父っつぁんの道場に来てくんなかったら、あたしはとうに身を投げていたよ」
「若え頃の悩みってのは、誰にだってあるもんよ」
「死なないでおくれよ」
「こんなところで泣いたら……変な噂が立って……清兵衛に悪いだろ……離れな」
「嫌だよ!」
「馬鹿なこと……し…や……がって……」
「死なないで……!」
ところが、お時の声も虚しく、ついに侍の返事はなかった。
暗い夜の辻に、血だらけで倒れている侍と、泣いているお時、そして勘定に合点の行かぬ二八蕎麦だけが残っていたのだという……。