4-1 一日目の夜
「兄貴本当にやるつもりか?」
ヴァロは腕を組みながら窓辺に寄りかかる。
外は夜のとばりが下りているが、まだ祭りの熱気は冷めないままだ。
夕食を取った後、フィアを宿に送り届けヴァロは一人ケイオスの商会までやってきた。
この部屋にいるのはヴァロとケイオスだけだ。
昼間ここへ来るもののケイオスはかなり多忙で面会できる時間がなかったために
こうして夜の仕事終わりの時間でしか話せなかったのだ。
「ああ、ああなってしまってはもうこちらも引っ込みがつかない」
ヴァロのことなど気にしていないように筆を止めない。
「面子なんてどうにでもなるだろう」
「あの場で断ったとしてもどうせ手段を変えて喧嘩をふっかけてくるだろうさ」
ケイオスは笑って応える。
「だけどな…」
「こちらの世界でも引くに引けないときはある。お前たち騎士の社会でもそうだろう」
「…商人は命をかけたりしない」
自身の属している社会と兄貴の属している社会は違う。
属していない自分にどうこういうことはできない。
ヴァロは苦い顔をする。
「いいや、命がけだよ」
まるで駄々っ子をあやすようにケイオスは続ける。
「もしここで私が引けば連中は我々を笑いものにするだろう。
そうすれば、もうこのルーランで商売ができなくなるだろうさ。
あきないってのは信用ありきだからな」
このルーランで商売ができなくなるということは
この大陸であきないをする者にとって大きな痛手になる。
「一つだけ安心できるとすれば、競売会ではいかさまはないってことぐらいか」
彼女は法でもあるということだろう。
その名を出しただけで怯えるほどの深い恐怖。
どうすればそんな恐怖を人々に植え付けることができるというのか。
「そんな…このルーラン以外のところで…たとえばここから少し離れた海上とか…」
ヴァロは窓から海を見る。
既に真っ暗でここからは海は見えない。
「過去にそれを外でやって口裏を合わせて、
競売会に出る商品の価格を不正に釣り上げた者がいるらしい。
それが発覚して関係者はすべて財産を没収され、このルーランを締め出されたと聞いている。誰もが思うさ。祭りの一夜で全財産を失うのでは割に合わないとな」
ケイオスはヴァロの顔を見て続ける。
「大丈夫だ。もしそうなったとしてもお前には面倒をかけない」
ケイオスは笑いながらそうヴァロに語った。
「そう言ってるんじゃない。俺は兄貴のことが…」
そう言いかけてヴァロは口をつぐみ、うつむいた。
兄はそうなることも想定しているらしい。
「なあに俺のことならどうにかなるさ。心配するな」
ケイオスは笑ってヴァロの肩を叩く。
兄がそういう時はいつもどうにかしてきた。だが、今回ばかりは勝手が違う。
相手は正体不明の商会だ。話によれば施設の
「兄貴」
「ケイオス、会議の時間です」
遮るかのようにオルカが横から声をかけてくる。
「すまないな。話はまた後でな」
いつも兄貴はそうだ。一方的に話を進めて終わらせてしまう。
自分一人で解決してしまう。
誰にも頼ろうともせずに解決できる能力があるのだ。
両親が死んだあと、親の残した商会を一人で切り盛りしながらヴァロを育ててきた。
ヴァロにとって兄ケイオスは自慢の兄であるのと同時に、
どうにもできない絶対的な壁でもあった。
家を抜けて、騎士団の寮に入ったのもそのためだ。
一刻も早くヴァロはケイオスという巨大な影から自立したかった。
対等な立場になるために。
騎士団を出てそれなりの経験を積んできたつもりだが、兄のいる場所にはとどかない。
ヴァロは頭をかきむしった。
商会を出ようとするとヴァロは背後から呼びかけられる。
「ヴァロ君、ここで何してんのさ」
きょとんとした顔でドーラが二人を見ていた。
声のした方を見るとエプロン姿のドーラが積み荷を片手に立っていた。
頭の上にはいつものとんがり帽子がない。
こういうドーラを見るのはちょっと新鮮でもあった。
「いつ戻ってきたんだ?」
ヴァロはドーラに尋ねる。
「おとといダヨ」
「ゆっくりしてくるんじゃなかったのか?」
『真夜中の道化』一件でドーラはいろいろとヴァロたちを助けてくれた。
「祭りがあったのを思い出してね、急いで戻ってきたというわけサ」
「こっちに来てるなら連絡ぐらいしろよ」
「ちょっと商会に顔出したり、祭りの手伝いをしていたもんでネ。
それに君たちの泊まっている宿を僕は知らないヨ?」
「お得意の魔法使えばすぐにわかるだろう?」
何せミイドリイクで宿すら教えていないのに、自分の宿の部屋を見つけてきた男だ。
その気になれば、ヴァロの位置を特定することなど造作もない。
「この結界の中ではちょっとネ…。
あんまりここにいることを気づかれたくない奴もいるし…」
ドーラは歯切れ悪くそう述べた。
どうもドーラといい、フィアといい、このルーランに来てから変だ。
この暗黒結界を妙に警戒している節がある。
「まあいい。今兄貴はちょっとリュウレン商会ってところともめていてな。
もしどうにもならなかったら力をまたかりるかもしれない」
「わかったヨ。もしそうなったら力を貸すヨ。僕も無職は嫌だからネ。
そう言えばケイオスさんに聞いたけれど
フィアちゃんと一緒になって僕のことを擁護してくれたようじゃないカ」
「ああ、まあな」
「ありがとネ」
ドーラは屈託のない笑みを浮かべる。
こういう時にヴァロはこのドーラと言うモノが、本当に元魔王なのか疑わしく思う。
「そりゃ…」
「おーい。ドーラ、そっちの荷物の確認作業終わったか?」
「終わってますヨ~」
ドーラが気の抜けた声で返事をする。
「仕事中だったな。邪魔した。酒はまた今度な」
「ああ、またネ」
ヴァロはそう言ってドーラから遠ざかる。
「…どうするも何も王様なら、
自身に降りかかる火の粉ぐらい自分でどうとでもできるだろうけどサ」
ヴァロの歩き去っていく後ろ姿を眺めながら、ドーラは半眼でぼやいた。
「ドーラはどこ行った?」
「今行くヨ」
そう返事してドーラは小走りに仕事に戻っていった。
その日の夜、ケイオスは宿に戻らなかった。




