鎖鎌の秘術
宮本武蔵は伊賀の国へと向かった。
その伊賀谷に謎の武器、鎖鎌の名人が居るという。
宍戸梅軒である。
鎖鎌は、分銅の付いた鎖を回して相手の武器を絡み取るという。
しかし、と武蔵は考える。
絡み合って、力比べで引っ張り合うことになるのが武器術として勝れていることなのだろうか。
分銅を投げつけるということなら、まだ分かる。それで相手の構えを崩すことができる。
鎖があるから、引き戻すことも出来る。
あたかも戻ってくる手裏剣である。
武器とは、そのように力以上の利がなくてはならない。
手裏剣の利は、二刀の利に近いものがある。
そもそも武蔵は手裏剣を、文字通り剣と考えている。
脇差を投げたことも度々である。
二刀流は多敵に対するものとして開眼した。
しかし、一刀をけん制、もう一刀で仕留めるとしてもよい。
剣の間合いに入って投げつける手裏剣は、それと同じ利合である。
考えはそこまで行き着いて、
「とにかく、対戦してみることだ」
心のうちにつぶやいて、武蔵は足を急がせた。
対戦には負けもあるはずである。
しかし、武蔵はいつも自信満々である。
負けるという発想はありえない。
伊賀谷のさらに山深く、宍戸梅軒の棲家はあった。
足を踏み入れて、武蔵の目がいぶかしげに光る。
この山の奥深くに、庭木のように樹木をあしらえているのだ。
ただ山の奥に棲む男ではあるまい。
知的な何かを武蔵は読み取っていた。
世を捨てて一人、鎖鎌の秘術の研究に勤しむのかもしれなかった。
その家の戸の前に立ち、
「宮本武蔵と申します」
丁寧に声をかけた。
しばしの後に応じる声があった。
「どうぞ」
落ち着いた声である。
武蔵が来たとなれば、すぐに武器を手にしそうなものである。
「茶など進ぜましょうかな」
梅軒は穏やかであった。
「それには及びません」
武蔵は壁に掛かった、鎖鎌に目をやる。
「やはり、そちらがご所望かな」
「いかにも」
梅軒は静かに立ち上がった。
外に出ようとはしない。
剣よりも空間を必要とするはずの鎖鎌であった。
しかも梅軒に殺気はない。
「そこに何かある」
武蔵は心のうちに叫んだ。
しかし、梅軒は当たり前のように鎖を回し始める。
武蔵は剣を構えざるを得なかった。
狭い室内。
うす暗がり。
鎖の回る音だけが響く。
鎖の回転だけが、武蔵の視線の前にある。
それを見つめるしかない。
鎌を持つ手に攻撃の気配はやはりない。
武蔵も仕掛けることはしなかった。
鎖鎌がその正体を現すのを待つのである。
その鎖の輪は勢いを増さなかった。
むしろ、小さくさえなるのであった。
武蔵は凝視を続けるしかなかった。
次の瞬間。
意外な言葉が武蔵に届いた。
「おまえは眠くなる」
「おまえは、だんだん眠くなる」
その言葉とともに、鎖の輪は回り続けたのである。
そして事実、武蔵は睡魔を覚え始めたのである。
気を緩ませることは、武蔵のもっとも嫌うところである。
武蔵が睡魔に誘惑されるなどあり得ないはずであった。
しかし、睡魔は思いのほかに執拗であった。
武蔵は気合を絞った。
「カ~ツ」
それは咆哮のごときものであった。
さしもの梅軒の鎖の輪も、ゆがんで一瞬その動きを止めた。
「おまえは眠くなる」
慌てたように繰り返す。
しかし、その言葉はもう虚しかった。
睡魔の後にこそ、思うさまの鎌の攻撃があるはずであった。
今や武蔵は凛然として立つ。
「妖術、敗れたり」
武蔵は妖術としたが、今でなら催眠術であろう。
武蔵に気の緩むときはないと書いた。
風呂も歯磨きさえも武蔵は嫌う。
身体の緩みとなり得るものは、全て生活から排除してきたのだ。
その武蔵の咆哮のごとき気合が、宍戸梅軒の鎖鎌の秘術を粉砕した。
しかし、その口の臭いもまた梅軒をたじろがせたことは付け加えておくべきであろう。
ヒクソン・グレイシーが四百戦無敗を誇っていた頃、一人の日本人格闘家が挑戦して敗れた。
そのときのコメントが忘れられない。
「いい男だなと、見ているうちに、やられてしまった」
そんな内容であった。
まず、ことわっておきたいことは、ヒクソン・グレイシーは荒法師系の顔だということだ。
まあ、それはともかく、日本人格闘家のコメントの真意はなんであったのか。
ほんとうに、いい男と思ったのか、単なる照れ隠しなのか。
私は後者だと思う。しかも四百戦無敗に対するリスペクトが妙な形で顔を出してしまった照れ隠しであろう。
ところで、いい男だと思ううちに斬られてしまう例は、実際にあることはあるのである。
円月殺法の眠狂四郎である。
狂四郎の刀が円を描くと、その相手が必ず倒れている、という技である。
「その前に、なぜ攻撃を仕掛けないのか?」
と疑問を投げかける人がいるが、それは全く当たらない。
市川雷蔵演じる眠狂四郎の立ち居振る舞いの見事さに誰もが、
「いい男だな、と見ているうちに、やられてしまう」
のである。
それが円月殺法というもので、市川雷蔵の容姿による催眠術とも言える。
催眠術は、宍戸梅軒の鎖鎌ばかりではないのである。
『剣豪魂』に眠狂四郎が登場してもらいたいものである。