表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣豪魂  作者: 富野夷
22/29

ファースト・サムライ

侍とは「さぶらふ」もので、貴族などの傍にさぶらって御仕えするものに過ぎなかった。

しかし、それが貴族政治の衰えとともに、力のある武による政治へと変わる。

では、ファースト・サムライに相応しいのは誰であろうか。

平将門であろうか。

騎馬武者として常に先頭を駆けたという勇者は、それに値するかもしれない。

しかし真偽はあるものの、帝になろうとした、その野心は余り侍らしいものではない。

源氏の八幡太郎義家か。

気品をも備えた勇者である。兵法にも精通する。

彼こそが侍のさきがけか。


何度か触れてきたことだが、やはり刀である。

義家にその刀のイメージがない。

彼は強弓の人である。それはまた将門にもある。

勿論、弓戦さの時代である。強弓こそが誉れであった。

しかし神の道具と弓道家も呼ぶ、弓には貴族的なイメージがないではない。

やはり刀こそ、侍であると言わねばならない。


義経は弱弓であったと言う。

しかし山中に鬼一法眼に刀法を学び、天狗と刀の稽古をしたと言う。

天狗は誇張でしょうが。

そして義経は強力の弁慶をも打ち破り、家臣とする。

その刀法は、鞍馬流の達人と呼んで良いはずである。

源義経がファースト・サムライではないだろうか。

さらに言えば、義経が侍のイメージを創ったのではないだろうか。


ところで、その侍を受け継いだ侍の、ラスト・サムライは?

勿論、トム・クルーズではない。

あの映画の渡辺謙は、西郷隆盛がモデルと言う。

しかし、やはり西郷には刀のイメージはないのである。

西南戦争は不平士族と、薩摩憎しの抜刀隊の戦いでもあった。

言わば、侍と侍の内ゲバのような状態になっている。

もしかすると、大西郷が侍たちの死に場所を敢えて用意してやったのが、西南戦争なのかもしれないが、散り際の美しさのようなものがまるで感じられず、同士討ちの見苦しさが感じられてしまう。

最後の侍の光芒と言えば、やはり箱館戦争、五稜郭にあったのではないだろうか。


そのファースト・サムライ源義経と、

ラスト・サムライ土方歳三は北へと歩き続けている。

この二人には、他にも奇妙な一致点がある。

船戦さである。

壇ノ浦の戦い。船から船へと飛び移った義経の八艘飛び。

宮古湾海戦。軍艦「甲鉄」を乗っ取らんとして飛び移った土方。

北へと向かいつつ、その思い出に話が弾む二人なのであった。




映画『ラスト・サムライ』の侍は余り侍らしくない。共同体で慎ましく幸せに暮らしているのは、侍のイメージではない。私の独断なのですが、ススキの一本道を一人で歩き続けるようなのが侍なのです。よくあるハリウッドのパターンで、『ラスト・サムライ』の描き方は、『ラスト・オブ・モヒカン』の感じです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ