ファースト・サムライ
侍とは「さぶらふ」もので、貴族などの傍にさぶらって御仕えするものに過ぎなかった。
しかし、それが貴族政治の衰えとともに、力のある武による政治へと変わる。
では、ファースト・サムライに相応しいのは誰であろうか。
平将門であろうか。
騎馬武者として常に先頭を駆けたという勇者は、それに値するかもしれない。
しかし真偽はあるものの、帝になろうとした、その野心は余り侍らしいものではない。
源氏の八幡太郎義家か。
気品をも備えた勇者である。兵法にも精通する。
彼こそが侍の魁か。
何度か触れてきたことだが、やはり刀である。
義家にその刀のイメージがない。
彼は強弓の人である。それはまた将門にもある。
勿論、弓戦さの時代である。強弓こそが誉れであった。
しかし神の道具と弓道家も呼ぶ、弓には貴族的なイメージがないではない。
やはり刀こそ、侍であると言わねばならない。
義経は弱弓であったと言う。
しかし山中に鬼一法眼に刀法を学び、天狗と刀の稽古をしたと言う。
天狗は誇張でしょうが。
そして義経は強力の弁慶をも打ち破り、家臣とする。
その刀法は、鞍馬流の達人と呼んで良いはずである。
源義経がファースト・サムライではないだろうか。
さらに言えば、義経が侍のイメージを創ったのではないだろうか。
ところで、その侍を受け継いだ侍の、ラスト・サムライは?
勿論、トム・クルーズではない。
あの映画の渡辺謙は、西郷隆盛がモデルと言う。
しかし、やはり西郷には刀のイメージはないのである。
西南戦争は不平士族と、薩摩憎しの抜刀隊の戦いでもあった。
言わば、侍と侍の内ゲバのような状態になっている。
もしかすると、大西郷が侍たちの死に場所を敢えて用意してやったのが、西南戦争なのかもしれないが、散り際の美しさのようなものがまるで感じられず、同士討ちの見苦しさが感じられてしまう。
最後の侍の光芒と言えば、やはり箱館戦争、五稜郭にあったのではないだろうか。
そのファースト・サムライ源義経と、
ラスト・サムライ土方歳三は北へと歩き続けている。
この二人には、他にも奇妙な一致点がある。
船戦さである。
壇ノ浦の戦い。船から船へと飛び移った義経の八艘飛び。
宮古湾海戦。軍艦「甲鉄」を乗っ取らんとして飛び移った土方。
北へと向かいつつ、その思い出に話が弾む二人なのであった。
映画『ラスト・サムライ』の侍は余り侍らしくない。共同体で慎ましく幸せに暮らしているのは、侍のイメージではない。私の独断なのですが、ススキの一本道を一人で歩き続けるようなのが侍なのです。よくあるハリウッドのパターンで、『ラスト・サムライ』の描き方は、『ラスト・オブ・モヒカン』の感じです。