土方歳三、悪人を嗤う
新撰組と言えば鉄の結束である。それを作りあげたのは土方歳三と言われている。
しかし、土方を組織に走らせたのは芹澤鴨である。
土方は鴨を恐れていた。コンプレックスをもっていたと言ってもいい。
ちょうどブラジルの個人技のサッカーに、力の劣る国が組織で対抗するように土方は、新撰組を組織化した。
鴨に対抗するためには、その時点では、組織しかなかった。
芹澤鴨は、芹澤城の城主の末裔とも言われる、郷士である。
土方歳三はといえば、百姓のせがれで、薬の行商などをしていた。
さらに鴨は、神道無念流の免許皆伝である。
土方は、入門が遅かった故もあり、天然理心流の免許は受けていない。
それだけなら、まだしも、鴨は和歌まで巧みである。
『雪霜に色よく花のさきがけて散りてものちに匂ふ梅が香』
は有名だ。
雪霜に花と梅を並べて、色彩感のある流麗な調べである。
土方は悪いことに俳諧をやっていた。
ひらたく言えばカブっているというやつだ。
しかも和歌は、俳諧より格上である。
その上に土方は下手の横好きでしかなかった。
『梅の花一輪咲いても梅は梅』
という土方の俳諧などは、素人によくある、世間にある慣用句をそのまま俳諧にしてしまったという感じだ。
土方は、何をやっても芹澤鴨に劣る。
鴨は人も斬っていた。
天狗党に関与する中で、三人は斬ったらしい。
土方は浪士組以前に、人は斬っていないだろう。
性格の面にも、それがある。
鴨は確かに酒癖は悪かっただろうが、新撰組の屯所にされた屋敷の主、八木源之丞は、迷惑をかけられたはずなのに、
「酒さえ飲まなければ、ええ人なのに」
などと言ったらしい。
要するに、陽性の人間なのだろう。
一方の土方は、裏工作に走る。策士なのだ。
芹澤の酒という弱点につけ入って、暗殺に及んだのだ。
一角の剣士ならば、勝負をすべきではなかったのか。
暗殺ではなく、暗闇の中でも、一対一の勝負を申し込めばよかった。
芹澤鴨なら、笑って応じたはずだ。
土方には、自信がなかったのだ。
一人では、とても鴨に勝てないと思っていた。
それで、何人もで芹澤鴨に掛かった。
鴨は人も斬るのも、土方より早かったと書いた。
京に出た土方は、鴨に追いつくべく慌てて人を斬った。
新撰組の強さは、人斬りの強さだ。
剣術の強さとは、また別のものがある。
新撰組にも剣術として、強いものは確かにいただろう。
ただ、それほどでも無い者でも人を斬ることに慣れれば、一角の人斬りになれるということだ。
人を斬れば、相手の驚愕と苦しみを見ることになる。
血が流れ、生臭い血の臭いが染み付いてくる。
それに快感すら覚えられるのが人斬りだ。
土方は新撰組隊士に、さかんに人を斬らせた。
隊規に背いた者が切腹するとき、新参の隊士に介錯で首を斬らせて慣れさせた。
流れる血、苦しむ表情、臭う血に慣れるということ。
残忍になるということだ。
土方は、ようやく鴨に勝った。
数人掛かりのだまし討ちの戦法で。
そして鴨は、敗者の歴史になってしまったのだ。
敗者は悪人になるということだ。
その歴史を作ったのは、土方である可能性が高いのだ。
土方は、天真爛漫だが隙のある鴨を罠にはめた、根回しの策士なのだ。
先に芹澤鴨は和歌に巧みだと書いた。
鴨は、どこか芸術家肌の男だったようだ。
それだけに自由を好む。
根回しなどは、最も嫌う。
サラリーマンのような組織では生きられない自由人だ。
土方の鴨の殺し方は、卑怯な暗殺以外の何ものでもない。
その上で土方は、鴨を悪人に仕立て上げた。
涼しげな顔をして土方は人をだます。
土方歳三のほうが、よほど悪人ではないだろうか。
芹澤鴨の名の、芹澤は地名であり、その苗字が地名からくるのは全く普通である。
問題は鴨だ。かなり妙な名で、由来は幾つかある。
芹澤村の名物が鴨だったという素朴なものから、近所にあった賀茂神社にあやかったというもの。『常陸風土記』の中の一説、「芹澤村を通過する日本武尊が鴨を従えた」から取り、尊王の心を表したのものだという奥ゆかしいもの。
いずれにしろ言える事は、岸辺に芹生うる水の流れに遊ぶ鴨、というイメージは一幅の日本画のようであることだ。つまり、芹澤鴨は秀でた美的感覚を持ち合わせていることだ。
酒乱であったのは間違いないだろうし、土方のように美男でもない。
しかし、その厳つい風貌に、繊細な感覚、このギャップに惚れた女性がいて全く不思議でない。