佐々木小次郎、出張
佐々木小次郎は、剣道の日本選手権を見にいくことになった。
宮本武蔵に勝つと、こうなるのかと、あまり出歩くことの好きでない小次郎は、やれやれと思っている。
現代の剣道は、小次郎には、不思議なものであった。
なぜ、あのように、皆が同じ構えで打ち合っているのか。
同じような長さの、軽い竹を使って。
しかも、体は誰もが、同じく真正面に向かい合っている。
もっと、うんと長い竹とか、違う構えをすれば、あんなに細かい技ばかりにならくていい気がするが。
それでも、やはり、勝負事は面白いので、小次郎は、ずっと見ていた。
試合も終わり帰ろうと思った。
しかし、もう一つぐらいは見なければ駄目だと、タケミカズチからのお告げであった。
同じ千代田区のスポーツチャンバラを見ることにした。
このスポーツチャンバラとは、1970年代に、ちゃんばらをスポーツ化したものであるそうだ。
竹刀よりも、もっと安全にするということで、空気を膨らましたエアーソフト剣を用いる。剣道は審判がきれいに当たったかを判定するので、分かりづらい面もある。エアーソフト剣は当たると、ポンと音がするので、勝敗がはっきりと分かり易い。
しかし小次郎には、これもまた不思議であった。
今度は剣道とは逆に、皆がみんな、体を横にして構えてしまっている。
しかも体を伸ばすような片手打ちである。
同じ剣の勝負であるはすが、どうして、ここまで剣道と違うのだろうか。
小次郎にはよく分からなかった。
考えていたら、
それなら、西洋の剣術も見てみなさいと、お告げに言われてしまった。
フェンシングというものを見ることになった。
リオ・オリンピックである。
小次郎は中空を飛んだ。
しかし、その余りの遠さに、小次郎は、へとへとになってしまった。
ようやくたどり着くと、リオでは、太田雄貴という剣豪が登場していた。
フェンシングも、スポーツチャンバラと同じく、片手打ちである。
これもまた、体を横にする姿勢である。
小次郎は様々な勝負を目にして、師の富田勢源の言葉を思い出していた。
「小太刀の闘いでは、体がつい逃げがちになる。小太刀であっても、つねに剣の威厳をもった姿勢を忘れてはならない」
富田勢源は小太刀の名手であった。
小次郎は、大刀が得意で、小太刀は興味がないので、この言葉はついつい聞き流していた。
剣の威厳というのものが、やはり存在するのだ。
つまり、剣道の正面を向く姿勢は、スポーツになりきらず、威厳にこだわっているようだ。
剣を他の武器とは区別して、神聖視する考え方は確かにあるのだ。
体が前かがみになると、やくざ者の剣だと指摘する人も出る。
佐々木小次郎も、武蔵が櫂を削った得物を巌流島で持ち出してきたのには、むっとした。
それで、ついつい、むきになってしまい、それで負けてしまった。
「あれも、宮本武蔵が得意とする、作戦勝ちであった」
と小次郎は考えている。
フェンシングは、太田雄貴が残念なことに一回戦で負けてしまったので、それを見届けて、佐々木小次郎はリオを後にした。
相変らず宮本武蔵は、修行中です。