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剣豪魂  作者: 富野夷
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リオ・オリンピックを見て思うこと。

オリンピックで、フェンシングを見ていて思いました。

杖道の、体を真横にする真半身の構えを、夢想権之助の回で、説明しましたが、フェンシングの構えが、まさしく真半身でした。

しかし、フェンシングは突きのみです。あの真半身の体勢から、振りかぶって打ち込む、杖道の引き落とし打ちは、やはり独特だと思いました。


これは別の話ですが、西洋のフェンシングは命のやり取りを回避することもできる剣法という気がしてなりません。

両手で刀を持って腰を入れる日本の剣法は、斬ることを前提としています。

とどめという、実に物騒な武士の情けまであるし。 

まさに命のやり取りです。


しかし、フェンシングは、自分の体の当たる面は小さくし、腰を引いた突きもあります。

これを決闘に応用(悪用)すれば、致命傷にまではいたらずに、なにかパフォーマンス的に終わらせることが出来そうです。

その意味では、合理的といえば、すこぶる合理的なのかもしれません。

急ぎ足で報告したため、言葉足らずでした。

貴重な感想もいただきました。フェンシングの殺傷能力の高さを教えていただきました。


私の思ったところは、フェンシング全体でなく、西洋にあったと思われる一部の決闘の習慣でした。

何か揉め事があったときに、「決闘だ」と言っておいて、その実は、命のやり取りにまで至ることはせずに、形だけにしておく。

同じ相手と何度も決闘を繰り返したという、なんとも馴れ合いのような事もあったようです。

そういった決闘では、フェンシングの突きを、ちょこんとだけ突くという悪用をすることで、パフォーマンスだけの決闘ができるということでした。

さすがに、日本で同じ相手と決闘を繰り返したという話は聞いたことがありません。



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