佐々木小次郎魂
佐々木小次郎も雲上の無辺際に来ている。ススキの原の一角で、ツバメの世話をしている。
この世にあるとき、だいぶツバメを斬ったので、その罪滅ぼしだそうだ。
ツバメは旅をする鳥なので、この雲上に迷い込んだり、怪我をして羽を休めに来たりするのである。
そして、小次郎は走る。
初めは、ツバメたちの救出のためであった。ススキの原の中に落ちていたり、雲の中から出られなくなっているのを見つけて回った。
しかし、そのうちに走ること自体に目覚めた。
今も無辺際の最果ての辺りまで走ってきたのである。
そこで、新撰組とすれ違った。
「出動ですか」
小次郎が声をかける。
「はい。ティラノサウルスをニワトリにします」
沖田総司がすぐに答える。
「それは、大役だ」
さすがの佐々木小次郎も目を丸くした。
「池田屋、以来ですな」
近藤勇は自慢げである。
「佐々木先生。今度、こちらにやって参りました土方歳三です。どうぞ、お見知りおきを」
その後ろにいた土方が、前に出て挨拶をする。
「こちらこそ」
小次郎も礼を返すが、
「その腰のものは」
と、早速に気がついて尋ねる。
「ブーメランです」
土方はそれを手に取ると、
「こうします」
投げて見せる。
小次郎の前で、ブーメランは弧を描き、新撰組の面目を施すというように見事に手元に戻ってくる。
「やっぱり、土方さんが、一番うまいなあ」
沖田がまた言う。
新撰組全員がブーメランの訓練をしてきた。
土方が新技術の修得は一番早い。
「ティラノサウルスを、これで追い立てて、小屋に入れてしまいます」
「ほほう」
小次郎は感心している。
「では、参ります」
土方の号令で、隊列は進み出す。
「ご苦労様です」
佐々木小次郎は、行進を見送ってから、また走り出した。
翌日。
小次郎のところに、やって来た人物がある。
「巌流島で、鞘を捨てたのを覚えているか」
宮本武蔵であった。
「捨てたわけではないのだが」
ツバメの世話をしながら、小次郎が答える。
「見つかったから、取りに来て欲しいそうだ」
小次郎は考える。
「よしておこう」
「なぜだ」
「今はもう、この世のことは、いい。それにツバメの世話がある」
宮本武蔵は聞いて、実に不思議そうな顔をしたが、
「じゃあ、わたしが行って、取ってきてやろう」
そう言うと、宮本武蔵は行ってしまった。
文久年間の、豊前の小倉藩である。
このころ、異国船がしきりと航行するため、海防強化のために砲台が造られていた。
石積み最中の海辺に、漂っていた小次郎の鞘が発見されたのであった。
その小倉城下が、騒然となった。
中空より宮本武蔵が舞い降りてきたからであった。
この日の武蔵は裃の正装姿、今はきちんと湯浴みもしている。
「佐々木小次郎の鞘をもらい受けよう」
てんやわんやの騒ぎになるだけで、答える者とてない。
やがてようやく、藩政改革のやり手でも知られる家老、島村志津摩が出て、
「佐々木小次郎は、当藩の元剣術指南、かれ本人が参らねば、鞘を引き渡すことはなりますまい」
と語った。
「ならば、そのように」
武蔵は応じて、またも中空に舞い上がったのであった。
雲上に戻った武蔵は、沖田総司を伴って小次郎の所を訪れた。
「この沖田が、ツバメを見るそうだ」
武蔵の言葉に、
「沖田君なら、ツバメを任せてよい」
と、小次郎もとうとう重い腰を上げたのだった。
かくして再び、小倉城が騒然となる。
宮本武蔵、そして佐々木小次郎が舞い降りたのだ。
再び、やり手の島村志津摩が出てきた。
「これは、わざわざ、ご苦労にございます」
二人は、馬出しの広場へと案内された。
この歴戦の二人も、少なからず驚いたことには、そこには剣術試合の支度が整えられてあったのだ。
「後学のため、ぜひとも御二人に模範となる試合を御願いいただけないでしょうか」
いただけないでしょうか、もなにも…
二人の前には面、胴、竹刀が差し出されているではないか。
これには、武蔵も苦笑せざるを得ない。
「まあ、よろしいが」
さて、小次郎は如何にと見た。
すると早くも、小次郎は竹刀に素振りを入れているではないか。
武蔵はますます苦笑したが、
「面、胴はいるまい」
と語りかける。
小次郎うなづいて、すでにやる気である。
――切落のように、相手に打たせて、迎え撃って、力を見せつけてやるか――
それが武蔵の腹づもりであった。
両者、向かい合う。
互いの気が交錯する。
小次郎は間合いを計って、つつつと出てくる。
その後ろ足は横向き、腰を落とした構え。
武蔵、それに応じて足さばき。
現代剣道のように正対してしまえば、速さは倍加だが、そこまですることもないと思った。
小次郎、踏み入る。
剣先を狙って、武蔵。
竹刀は上がって、凄まじく入ってきた。
速い。
予想より、よほど速かった。
「あ」
武蔵は心に絶叫していた。
打たれた。
武蔵の面が打たれていた。
負けたのである。
その瞬間にも、心に浮かぶのは、
――負けても、弱みだけは見せてはならない――
と、強がる言葉を探す武蔵であった。
「あの世では、ちと自由が過ぎたかの。山篭りなど、してこよう」
そして武蔵は、平静を装おう。
「武蔵、それは古かろう」
竹刀を収めつつ、小次郎は言葉を続ける。
「山篭りなど、筋肉を傷めるだけだ。私は、日頃、走って脚力を鍛えていた故、勝ちを拾ったまでであろう」
ついに武蔵は言葉を失った。
その後の武蔵の行方は、杳として知れないという。
宮本武蔵は修行に出てしまいました。どのような修行をするつもりなのか、復活を待ちたいところです。