宍戸梅軒の逆襲
鎖鎌というのは、見た目は確かに恐いが、武器として実用的とは思えない。
鎌に鎖を付けるのは、かえって動きを不自由にする気がする。
鎖と鎌、別々の方がよほど動きやすい。
使って便利を目指すというより、何か飾りを付けたというか、そういう見た目重視のために結合させたとしか思えない。
もし、鎖を付けたほうが武器としていいなら、なぜ刀に鎖を付けた物が出回っていないのだろうか。
忍者の使う忍具であった、という意見もあるようだが、忍者こそ実用を尊ぶものである。忍者ならますます、これは実戦には考えないだろうという気がする。
半七捕物帳などでも有名な江戸の岡っ引きが、その役職の象徴として持った、十手のような物と言えるのではなかろうか。
そこでは、十手を懐から取り出して見せると、犯罪者が、「ああ、お役目の方ですか」と認識するのである。
見せることが目的で、十手も実戦には向いていなそうなところは非常に鎖鎌に似ている。
宍戸梅軒は単なる野人ではなく、そういう象徴的なというか、集団の中心的な家柄であった可能性があると思う。
要するに、鎖鎌のあることを自慢する家である。
そうでないなら、こんな変な物体を、わざわざメインの武器として持ち出してくるはずがないのである。
先に、梅軒の鎖の回転は催眠術であるとも書いた。
鎖鎌を見せるような家柄の中で、それに接するうちに、この何かしら創造力のあった梅軒は自己流で、その術を見つけていたのかもしれない。
しかし、その術は宮本武蔵によって敗れた。
梅軒は、呆気なく自信を喪失していた。つまり、へこむのも早い。
家柄自慢の人物に有り勝ちなことである。
「鎖鎌では、もう駄目だ。今後は、如何にすればよいのか」
そう思い悩んで、気がついた。
「鎖鎌の鎖は、取ってしまおう」
結局、ただの鎌にしてしまったのである。
大事なところから、一気に諦めてしまう。支えになるほどの自信はない。
つまり、性格がもろい。
梅軒は、とにかく鎌術に生き延びる道を見つける気になっていた。
そして驚くべき発見をした。
目の付けどころは、実に鋭い男なのである。
鎌は、先が曲がっている、ということだ。
それは当たり前――
いや――
だが、刀と相打ちになるとき、刀の鍔も役に立たなくなる。
鍔を越えて、鎌の先で指を斬ることができるのである。
半身に構える。
相手の刀が動いてくる。
それに合わせて踏み込む。
刀に鎌の柄が当たる。
それで刀の軌道がそれる。
さらに、そのまま踏み込む。
滑るように動いた鎌は、いったん刀の鍔に突き当たるが、それを物ともしない。
角度のある鎌の刃は、鍔を乗り越えて、相手の小手を切り裂いてしまうのである。
これは無住心剣流の『相抜け』の思想であり、小野派一刀流の『切落』の技術であり、あしたのジョーの『クロス・カウンター』そのものである。
これぞ、最強の技。
梅軒は山深く、この修行に精進する。
やがて宮本武蔵が来るまで。
ネットのショッピングで、鎖鎌を見てみた。五千円ぐらいから売っている。便利な世の中だ。
しかも鎌と鎖が、ネジ式で着脱可能になっている。
何度も言うようだが、武器として考えるなら、鎌と鎖は別で、鎖の先を手首に巻きつけておくなりしたほうが扱いやすい。
しかし、飾っておいたり、携行するだけなら付いていた方が当然いい。
着脱可能の鎖鎌は、今の世の中で、ちゃんと進化していると思いました。