宮本武蔵魂
宮本武蔵は死んだ後も自信満々であった。
自分は永久に負けないと、ずっと信じている。
世の中がどんなに変わろうとも、自分の剣は不敗である。
だから、現代によみがえってしまった。
よみがえった武蔵は日本武道館に向かう。
全日本剣道選手権を見るためである。
武蔵の姿は上下そろいの紺色のジャージであった。袖のところに青い線が入っている。
背にはリュックサック。近頃の武蔵のお気に入りである。
リュックの中には大学ノートが入っている。『五輪書』を書いた人である武蔵は筆まめである。
すでに剣道の試合は始まっていた。
竹刀と防具での試合を見ても、簡単に否定したりはしない。
世の中の剣は、こう変わったのかと考えるのである。
武蔵は意外に実際家であった。
彼は過去の対戦に於いても、その場に応じて柔軟に武器を選んできた。
佐々木小次郎の物干竿に対しては、剣にこだわらず、物干竿よりも長い舟の櫂を使った。
逆に吉岡一門の多敵に対しては、二刀をもって応じたのである。
その場面に応じた武器があるのだと柔軟に考えられるのである。
それで竹刀に注目していた。
軽い武器であれば、あんな速い動きが出来る。斬るということにこだわらなくなると、このような体の速さを競う技になるのだなと大学ノートにメモした。
しかし、もちろん負ける気はしない。
いかに速い動きをする相手でも、自分の間合いにそうそう安々と入って来れる者はないと考えているからである。
「そもそも、気が違っている」
確かに、武蔵の気迫は現代人には想像もできないような凄まじいものなのである。
それが武蔵である。
その気迫は相手に気後れというものを生じさせずにおかない。
さらに、その臭気である。臭気は相手に対する威嚇にもなる。
武蔵は風呂というものに入らなかった。彼はリラックスというものを嫌う。
常に全身を緊張させて、気迫を全身にみなぎらせているのである。
だから、リラックスできる風呂などは論外なのである。
その結果の臭気である。なかなか近づけるものではない。
今でこそ、武蔵は天国にいるので、風呂に入ることは覚えた。
それで、今はジャージ姿の、さっぱりした姿なのである。だから日本武道館にも入れた。
昔の姿と臭気だとしたら、警備員に取り巻かれたことであろう。
まあ、それでも、武蔵なら軽く突破したかもしれないが。
その姿で試合を観察しているので、周囲の人が驚くこともなかった。
「足先が後ろも正面を向いているな」
武蔵は呟いた。
剣術であれば、後ろ足は外側に開くのが普通である。
「速さにこだわって後ろ足まで正対することになったか。しかし、後ろ足まで正対させては、斬るには不都合になる」
刀は当てただけでは斬れない、斬るためには引かなければならないものである。
「まあ、押しても斬れるが」
武蔵は例によって色々と考えている。
剣道では、面を打っては前に走っていく。その勢いで斬れないこともない。
「特に多敵であれば、走ることは肝要だ」
これは、うなずいて言った。
さらに考える。
「打ち方は、手首だけになっている」
それは竹刀だから可能だと思われる。
現代の剣士に日本刀を持たせたとしたら、その重さを手首だけで振り続けることは恐らく難しいであろう。
「つまり彼らが如何なる武器をもって、この武蔵に掛かってきたところで、やはり私は不敗であることに紛れもない」
武蔵は、それらを全てノートに書き込んだ。
そして、またまた考える。
「私が、この時代の剣道の構えを取り入れたとすればだ」
そこで、武蔵は、にやりと笑った。
彼の鍛えた手首の強さも尋常ではないのである。
「私ならば後足も前にして、手首だけでも、真剣を扱える。竹刀剣道の速さを、見たことのない者は慌てるであろう。柳生宗矩あたりでも翻弄されるに違いなかろう」
武蔵はそう呟いて、非常な満足を覚えつつ日本武道館を後にした。
それから神保町へと向かった。
武蔵は読書家である。
若い頃には一室に閉じこもって本を読み続けたと言う人もいる。
その神保町の古本屋街では武道書などを熱心に立ち読みした。
杖道入門という本があった。
「やはり、夢想権之助の杖道は、今の世にも残ったようだな」
納得したような表情である。
杖道とは四尺二寸一分〔約128㎝〕の棒を使う。
いわゆる棒術は六尺〔約180㎝〕である。
六尺は槍のようで、手元に入られれば不利になり、不自由なところがある。
それについては武蔵も宝蔵院との対決で経験済みである。
しかし、杖道の杖は、それほどは長くない。
だから刀のように縦にも触れるし、逆に横に薙ぐこともできる。
さらに刀と違い握る部分が限定されない。
鍔もないのだから、握った手を滑らせても振れる。
つまり、自在にあらゆる部分を握り、まさに変幻の攻撃が可能となるのである。
負けるとは思わないが、夢想権之助については武蔵は警戒していた。
武蔵が唯一負けた相手は、この権之助であると書く人もいるほどである。
手裏剣の本もあったが、それは武蔵には残念なものだった。
忍者が投げている図には、首を傾げざるを得なかった。
遠い物陰から、丸い手裏剣を投げつけている。しかし、そんな距離で正確に当てるというのは、さすがに無理と言わざるを得ない。
武蔵は手裏剣は、文字通り剣であると考えている。
「手裏剣は、相手の構えを崩すことができる」
確かに、武蔵は対決に於いて、脇差を投げるようにしたことがある。
武蔵はボクシングの本も読んだので、手裏剣は、ジャブのように相手をけん制するものと言うことができる。
「手裏剣を遠い間合いで投げ、剣の構えを崩しておいて、踏み込めば、力の劣った者が強い者に勝つことができる」
これは、武蔵にしては珍しい意見である。
武蔵はこれまでは、力の劣ったなどということは考えなかった。
「強い者が、私のように勝つ」
それだけであった。
しかし極楽にいて風呂にも入り、丸くなって、こんな意見も出るようになったのである。
その武蔵が、ある書物に顔色を変えた。
「これは!」
そう叫んだ。
その書物は、ブーメランであったのだ。
「手裏剣のように投げて、戻ってくるのか」
武蔵の目は、ブーメランの記述に釘づけになった。
これを投げて、まず相手の構えを崩し、さらに戻って後ろから脅かすことができる。
相手は二度のけん制に必ず戸惑う。
特に戻ってくるのは、想定外のはずだ。
後は崩れた相手を、難なく剣で仕留められるであろう。
最強の武器になる。
武蔵はまたも不敗を確信した。
現代まで来た甲斐があったとも思った。
後は、この武器に習熟するだけである。
武蔵は武器を作るのは、得意中の得意である。
小次郎に勝った櫂の木刀も、自分で削ったものである。
弓を武蔵が作っているところに、夢想権之助が対決に訪れたという話もある。
武蔵はじっくり立ち読みして、ブーメランの形状を頭に叩きこんだ。
後は自分好みに戻るように工夫すればよい。
手先の器用さも自信満々なのである。
そして宮本武蔵は、大満足で雲の上へと帰って行ったのであった。
秋山好古も風呂に入らなかったらしい。司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公で、世界最強とうたわれたコサック騎兵を満州に破った、あの秋山である。
秋山は日露戦争に於いて、「戦場に湯に入りに来たのではない」と、どうしても風呂に入らなかったということだ。
その彼が自ら風呂に入ったのは、母親が亡くなった報せを受けた後の事のようだ。本文にも書いたが、戦場でも風呂に入れば心身に緩みが生じる。人間の心を取り戻す。秋山はコサック騎兵との激戦にあって、瞬時も緩むことなく鬼に徹しようとしていたものと思われる。
その彼も母親の逝去を知って、この時ばかりは「人間に戻ろう」と考えたのであろう。